愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

児童虐待に対する介入及び救出について

2016年04月09日 09時07分35秒 | 教育及び保育

 正直言うと、親から虐待を受けている子どもから自身が虐待を受けていることを打ち明けられることをあまり期待しないほうが良い。何故ならば、親から虐待を受けている、少なくない子どもは大人を信用していないからである。考えてみると良い。生まれた人間が人生で最初に出会う大人は親である。年齢が低ければ低いほど自分と接する大人は親あるいは親戚だけになる傾向にある。従って、多くの場合、親から虐待を受けている子どもにとって大人は「外敵」でさえある。

 上記のようなことが多いとはいえ、虐待されている子どもにとって本当に信頼できると思える大人が周囲にいれば、そういう大人に自分の境遇を打ち明けてくる場合があるだろう。その場合でも親からの報復を恐れて子どもが内緒にすることを要求するかもしれない。しかし、子どもの言い分に追随していたのでは問題は解決しない。だから、周囲の子どもから虐待を打ち明けられた場合には、問題解決つまり子どもを救出するために信用できる大人に相談しなければいけないことを明確に伝える必要がある。間違っても内緒にするふりをしながら児童相談所に通報するなどというやり方をしてはいけない。このような行為は、裏切り行為とみなされてしまい、信頼関係を修復不可能なまでに破壊する。

 虐待を受けている子どもを一人で救出することは、基本的に不可能だと思って良い。自分自身に家の広さや経済力があっても「じゃあ。うちの子になるか?」と言って勝手に連れて帰ってしまえば、未成年者略取誘拐という犯罪行為が成立してしまう。子どもの安全を確保するためには、時には親から子どもを引き離す必要がある。この行為を法律と社会通念と突合して問題ないように行うためには、児童相談所や警察に話しを通す必要がどうしてもある。親から見て「誘拐」同然の事をしながら犯罪者として訴追されないためには、しかるべき手順がある。だから、自分一人では基本的に虐待されている子どもを救出できないのである。

 自分の周囲に児童虐待あるいはその疑いがあるような事態に直面した時には、まず児童相談所へ通報するのが最初にとる手順である。間違っていたらどうしようなんて考える必要はない。「もしかしたら」という状況を察知した時に児童相談所へ通報すれば良いのであって、勘違いだからといって法的あるいは社会的に責任を問われるわけではないから、その辺はご安心いただきたい。


大学自治・学問の自由への破壊を許さない!

2014年05月15日 13時30分26秒 | 教育及び保育

 自公・安倍政権は、大学の自治を根本から脅かそうとしています。

 大学は、国家権力からの干渉を受けずに自由に研究者自身の良心に基づいた研究ができて、その成果を発表できてこそ存在意義を発揮します。だからこそ、日本国憲法第23条では、学問の自由が明記されています。そして、憲法第23条を具体化するためにすべての国公立大学には重要な事項を審議するために教授会を設置しなければならないことになっています(学校教育法第93条)。つまり、現行法は、予算、人事、カリキュラムの設置、学部学科の設置・廃止などは教授会の審議を経なければならず学長の独断を防ぎ、大学の民主的運営を担保するようになっているのです。

 ところが、自公・安倍政権が成立を図ろうとしている学校教育法改悪案では、学長が重要だと定める事項について教授会が意見を述べると教授会から審議権を奪って教授会を学長の諮問機関に変質させる内容となっているのです。これでは、学部長のトップダウン型が幅を効かせて教授・研究者の中で学長の顔色を伺う風潮が蔓延します。大学関係者からは、「これでは大学が大学でなくなってしまう」と懸念と批判の声が出ています。

 今となっては国立大学は独立行政法人化されていますが、その国立大学には御用学者がいるとはいえ、政権に真っ向から批判する学者・研究者がいます。これは、大学に自治があり、学問の研究に多様性があることの証左です。

 学問の健全な発展とトップダウンは相容れません。学問研究の自由と多様性を担保するためには、大学運営を教職員の自主性と主体性に依拠することが大切です。大学にトップダウンの仕組みを持ち込んでいくことは、日本国憲法第23条にある学問の自由を破壊し、大学の劣化を必然的にもたらします。

 自公・安倍内閣は財界の要請に基いて大学自治を破壊して大学を政府や財界の意のままにしようと企んでいます。日本経団連は、2013年の提言の中で教授会で審議することを限定的にしようという主張を盛り込んでいます。これが現在国会で問題になっている学校教育法改悪による大学自治破壊への策動へと繋がっています。

 学問・研究の成果は一部の政府関係者や財界のものではなくて国民全体のものです。だからこそ、日本国憲法は学問の自由を保障しているわけです。憲法に基づき、学問の自由を擁護して大学自治破壊への悪法を成立させないために思想的立場を超えた共同の力を発揮しましょう。

【参照記事】http://www.jcp.or.jp/web_policy/2014/05/post-565.html

【日本国憲法】http://www.jicl.jp/kenpou_all/kenpou.html

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教育への政治的な強権介入は民主主義とは相容れない

2014年03月07日 01時32分07秒 | 教育及び保育

 自公・安倍内閣は、公教育において首長の政治的介入の仕組みをつくり、そして首相の政治的意向のままになるだけの教育行政を仕立てあげようとしています。

 太平洋戦争敗戦後の一時期において各地域の教育委委員会の委員が公選制になったのは、戦前の教育行政が権力者の意のままになるための政治支配の道具であったことが国民の権利を抑圧して日本社会を侵略と戦争への道へ進ませる重大な要素であったために、これを繰り返させないためでした。今では、教育行政の民主化が後退させられて教育委員会の委員の公選制が廃止になって自治体の長が教育委員会の委員を議会の同意を経て任命するようになっています。それでさえも、首長の意思だけで人事が決定されないように議会の同意を経ることが仕組みとしてあるわけです。

 日本共産党の田村智子参議院議員が国会において教育への政治介入の弊害を都立の養護学校における性教育などをふまえながら指摘しています。教育行政が首長や政治家などによる強権的な政治介入されることで犠牲になるのは子ども達だし、教育への政治介入は民主主義とは相容れないのです。

 子どもたちが教育の場において権力者の思惑に振り回されないように、民主主義を擁護するために教育への政治支配を許さないための国民各層の共同が大切です。

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一刻も早く給付制奨学金実現を!

2014年02月18日 23時23分16秒 | 教育及び保育

 日本共産党の宮本岳志衆議院議員が国会で政府を追求しているようにOECD加盟34カ国のうち大学の授業料無償化と給付制奨学金のどちらも実施していないのは、日本だけです。以下の画像は、日本共産党中央委員会のHPから勝手ながら借用しました(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-02-18/2014021801_01_1.html)。

 給付制奨学金や大学授業料無償化のどちらも実施していない国はOECD加盟34カ国の中で日本だけであることについては下村博文文科相も認めました。 

 大学の授業料は、平均して私立大学で年間86万円(2012年度)であり、入学金を含めた初年度納付金は平均して131万円にもなります。国立大学でも初年度納付金が標準で81万円もかかります。日本の大学授業料の負担は世界的に見て以上に高いのです。1996年度において奨学金受給者は2割だったのが今では半数にものぼります。これは、国民所得の低迷と大学授業料の高騰により、低所得の家庭だけではなく中間層の家庭にとっても大学授業料の家計に対する負担の重くなっていることを示しています。

 奨学金は、経済的な理由によって若者が高等教育から排除されないようにするために設けるものです。ですから、給付型が本来の奨学金です。現在日本で行われている貸与型奨学金は、高等教育を受けようとする若者に対して4年制大学卒業時に400万円以上、大学院まで進学すれば1,000蔓延にものぼる借金を背負わせるものであって、奨学金という名に値しない教育ローン・貧困ビジネスです。

 大学へ通うために何百万単位、大学院まで行けば1,000万円にもなる借金を背負わされて社会へ出る時点で自己破産寸前の状況では若者の未来は守れません。近年、若者の雇用状況が悪化し、貧困化が進んでいく情勢のもとで奨学金の名を騙った教育ローンにより自己破産に追い込まれる若者が後を絶ちません。かかる事態は本人にとって悲惨であるばかりか日本社会にとって大きな損失です。全ての若者に高等教育を受けるチャンスを保障するためには、給付型の奨学金の実現は急務です。2012年9月、日本国政府は国連人権規約の大学まで段階的に学費を無償化を進めるための条項留保を撤回しました。学費無償化の第1歩として給付型奨学金実現は、日本国政府が負っている条約上の義務でさえあります。

 与党である自民党は、2012年の総選挙の際に掲げた政権公約に大学の学費に関して給付型の奨学金創設を掲げています。あれこれの口実をつけて給付型奨学金創設を先延ばしにすることなく、一日も早い給付型奨学金の実現は、自民党自身が自らに課した使命でもあります。私は、若者の未来、日本社会の未来を守るために一刻も早い給付型奨学金実現を要求します。

 自民党が2012年の総選挙で掲げた『重点政策2012』は以下のURLにPDFファイルとして保存されています。
http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/j_file2012.pdf

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学校での柔道における安全対策について

2012年04月22日 02時30分31秒 | 教育及び保育



 柔道事故の報道には心を痛めます。そもそも武道を学校教育で必修化する必然性がどこにあるのか、私には疑問ですが、当然に安全対策をどうするのかということが重大に問われます。

 日本共産党の宮本たけし議員が政府を追求しています。

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高等教育無償化は文明国の常識だ

2012年02月25日 16時15分47秒 | 教育及び保育



 なんというか、日本の為政者は高等教育を受けることに関していまだに「受益者負担」の論理から抜け出すに至っていないというのが実態です。

 生まれ育った環境、家庭の経済力によって教育過程から排除されることが社会において生じないようにするのは、教育の過程から排除される人が可哀相だからということには解消できません。彼あるいは彼女がどのような潜在的資質を持っているかということは、生まれ育つ環境とは関わりないことです。貧困のために生まれ持った資質を伸ばすことができないことは、本人が悲惨だというに留まらず社会全体の損失に繋がります。だからこそ、ヨーロッパ諸国では、高等教育の学費無償が当たり前になっています。

 日本共産党は、奨学金を現在の貸与から給付制へ切り替えることを政策として提起しています。

 未来を担う世代に対して冷酷な政治を続けるのは、若者に対する国家的・社会的ネグレクトでありとうて許せないことです。

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日本共産党は1973年から給付制奨学金創設を提起している!

2011年12月21日 01時26分50秒 | 教育及び保育



 日本共産党は、生まれ育った環境によって高等教育を受けられるかどうかということが決まるようなことを不条理と考えています。ですから、日本共産党は1973年から給付制奨学金の創設を提起しています。

 貧困と格差が拡大しているのは、周知のことです。今ほど貧困と格差ということが社会的に言われていない時から経済的理由で大学への進学を断念する若者がいました。政府が破綻立証済みの「受益者負担」という論理を持ち出して文教予算をカットしてきました。このことが大学の学費高騰をもたらしました。私が学生次代に民青同盟や党の活動をしている時代から高い学費に苦しんでいる学生が少なくなかったのです。

 とくに、現在では小泉構造改革路線、新自由主義政策が日本社会における貧困と格差を拡大させていきました。ですから、教育の機会均等を保障するためには、給付型の奨学金制度創設は今まで以上に重要です。今年の3月11日の東日本大震災により被災地域の若者に高い学費が重くのしかかってくるのです。奨学金を借りても将来返済できるのかどうかということが不安で奨学金に手が出ないという声が出ています。

 「受益者負担」論は、政府が本来果たすべき責任を放棄するための口実に過ぎません。次代を担う若者を育てるための費用は社会全体で支える、これが世界の常識です。


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教育を受ける権利を擁護してこそ民主国家だ

2011年12月20日 23時22分13秒 | 教育及び保育

 「しんぶん赤旗」日刊紙の主張欄の引用から始まりますが、少々長いですがとりあえずお読みください。


 来年度予算の概算要求で、高校・大学生むけの給付制奨学金が盛り込まれ、国民のなかで実現への期待が高まっています。ところが、政府内で、これを見送る動きが強まっています。学ぶ権利を保障するために、給付制奨学金はなんとしても実現させるべきです。

世界では常識の制度

 世界では教育を受けることを欠かせない権利と認め、経済的理由で学業をあきらめる若者を一人もださないように給付制奨学金をつくることが常識になっています。

 現にこの制度は、経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国のうち28カ国に広がっています。学生の受給割合は、判明している16カ国で平均4割となっています。大学授業料無償化の国も15カ国です。授業料が無償でないうえに給付制奨学金がないのは日本だけです。

 高学費の日本は、高校と大学に通わせるのに1000万円もかかります。低所得者世帯の負担の限界をこえています。東京大学の小林雅之教授らの調査によると、年収1000万円以上の家庭の高校生の大学進学率が62%に対し、年収400万円以下は31%にとどまっています。卒業後の厳しい雇用状況を目の当たりにして奨学金を借りることを躊躇(ちゅうちょ)する若者も広がっています。現在の貸与制奨学金だけでは、学ぶ権利を保障できないことは明らかです。

 貧困と格差が広がり、卒業後、就職ができなかったり、非正規雇用となったりする若者が増えるなかで、給付制奨学金の実現は、文字通り待ったなしの課題です。被災地からも「返済に不安があるから奨学金を申し込めない」と悲痛な声が寄せられています。大震災からの復興が急がれるもとで、いっそう切実です。

 ところが「予算編成に関する政府・与党会議」の実務者会合は、「無利子奨学金制度を拡充する」ことを口実に給付制奨学金を見送る最終報告をまとめました。これは、貧困と格差が広がる日本の現状を無視し、被災者の切実な願いを踏みにじるものです。最終判断をする野田佳彦首相は、給付制奨学金を予算に盛り込むべきです。

 民主党政権が、貸与制奨学金のローン化をさらに進めようとしていることも重大です。行政刷新会議が、日本学生支援機構の奨学金制度を金融事業として「抜本的な見直しと効率化」を求めるとし、財政制度等審議会では、「貸与時の審査を充実させる」と議論しています。これは、政府の負担を減らすために、奨学金を金融事業とみなして、奨学金の有利子化やブラックリスト化など滞納者へのペナルティーの強化をすすめてきた自公政権の構造改革路線をいっそう進めるものです。

誰もがお金の心配なく

 高学費と奨学金のローン化をすすめてきた自公政権に対し2009年の総選挙で退場の審判が下り、いまやほとんどの政党が給付制奨学金の実現を主張しています。古い政治と決別し、「誰もがお金の心配なく学べる社会」へと前進する一歩として、給付制奨学金の実現、貸与制奨学金の無利子化、返済猶予制度の拡充を強く要求します。

 こうした方向こそ、若者に安心と希望をもたらし、21世紀の日本社会の発展のいしずえとなることは間違いありません。日本共産党は、その実現のために全力をつくす決意です。


【引用元】http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-20/2011122001_05_1.html

 


 上記文章は、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」日刊紙の「主張」より引用したものです。

 ある国が民主国家であるのか、あるいはある国の指導者が本気で民主主義の発展をめざしているのかどうかということは、教育政策に関する姿勢を見ればおのずと分かります。なぜならば、民主国家では、その国の人民が政治と社会の形成者として行動することが必要だからです。人民が政治と社会の形成者として相応しい行動をするためには、政治と社会を考えるための基礎的な教育を人民が受ける必要があります。だから、教育政策の問題を考えるとある国が民主国家というに値するのか、その国の指導者が民主主義を本気で発展させようとしているのかということが分かります。

 上記の尺度から考えると、歴代自民党政権(自公政権も同じ)と現在の民主党政権が民主主義の発展をさせようと真剣に考えていないことが明らかになっていきます。

 私は根本的に問いたいです。

 歴代政権は「受益者負担」を口実にして私学助成を切り捨てたり、国連人権規約の漸進的に高等教育無償化条項を国策に合わないという理由でいまだに保留にしていますが、そもそも受益者とは誰(何)ですか。

 彼あるいは彼女が教育を受ければ、本人が利益を確かに受けます。しかし、それだけに解消されることではありません。子どもたち、若者がきちんとした教育を受けて様々な技能を身につければ、彼(彼女)らが教育を受けることによる成果を社会の中でいかしていきます。

 政治、経済、法律など社会諸科学を身につける人が増えれば、より良い国家・社会の制度を制定する政策を立案する力が社会の中に高まっていきます。

 自然諸科学を身につける人が増えれば、現在では治療できない病気を治療できるようになる、あるいは現在では解明されていない自然界の法則を解明して各分野の産業の発達などの社会的力が高まっていきます。

 芸術・文化を身につける人が増えれば、社会に生きる人民全般の精神活動の質が高まっていき文化が発展していきます。このような文化発展は、人民が社会のひずみから生じる退廃的な風潮と戦うための力になります。

 次代を担う子どもたち、若者が基本的な教育を受けて様々な能力を発展させていく、高等教育で若者が思い思いに専門能力を身につけて社会の中で発揮させていけば、本人だけが利益を受けるのではなく国家・社会が利益を受けます。つまり、受益者とは国家・社会であるとさえいます。そう考えれば、子どもたち、若者が教育を受けることを社会全体で支えていくことが道理です。

 とくに貧困と格差が拡大する今日において貧しさのために教育過程から子どもたち、若者が排除されないために給付制奨学金導入はまったなしです。親を選んで生まれる人はこの世で誰一人としていません。この帰結として生まれ育つ家庭環境を選ぶことができる人は誰もいません。本人の責任によらないことがらによって不利益をうけることを放置しておいては民主国家、文明国家とはいえません。

 私は、文教政策に関する問題を考えるときにはいつも思わずにいられないことがあります。私はキューバびいきなところがあります。そのキューバでは、大学まで無償で教育を受けることが誰にも保障されています(試験勉強をさぼって落ちるのは別の問題)。キューバは、長年にわたるアメリカの経済封鎖があいまって非常に貧しい国です。そのキューバでできることがなぜ日本でできないのか、私はこのことをいつも日本社会の不条理として感じます。日本の経済力であれば、大学まで家庭の経済力を心配しなくても進学できる状況をつくることは可能です。国家予算のあり方を次世代の人を育てるように今以上に教育優先にすれば済む話です。政党助成金を全廃する、日米安保条約を解消して思いやり予算など日本国政府が負担しなくても良いような負担をなくす、大企業や大資産家、いわゆる富裕層への増税を行えば様々な人民のための様々な施策を講じるための金銭は捻出できます。

 日本における歴代政権担当者および現在の政権担当者は、いったい誰のための政府をつくっているのでしょうか。

 本当に国民のための政府をつくろうということであれば、若者を大切にする政治を行ってしかるべきです。若者を大切にしない国家には未来がありません。

 率直に申し上げて、学費のことを一つ解決させるためにも政治革新が必要であり、日本共産党が政権を奪取することによって成立する民主連合政府、すなわち社会・政治変革(革命)の政府樹立がもっとも現実的な道筋です。昔から、一貫して日本共産党は学費を下げて無償化することをめざしているのですから。


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