愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

【フェイスブックからの再掲】日本国憲法第24条は、封建的結婚を破壊する装置である

2017年02月06日 10時37分28秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等

 フェイスブックのノートに自分が載せたものをブログでも再掲しよう

 恋愛結婚であれ、お見合い結婚であれ、今の時代において結婚は、基本的には結婚する当人の合意が前提となる。「そんなの当たり前じゃんと」思う人が多いと思われるが、昔は違った。「昔」と言っても200年とか300年前の話を私はしているのではない。つい70年程度前にすぎない、わりと現代に近い時代の話を私はしているのだ。

 今は亡き私の(母方の)祖父母の例をここで取り上げよう。

 私の祖父は、若い頃にはフィリピンで暮らしていた。その理由は、仕事といえば仕事なんだろう。私の祖父の若い頃の日本は、戦争と侵略の道を突き進んでいて、そのために徴兵されていた私の祖父は、軍の任務としてフィリピンへ派遣されていた。1945年8月15日に日本軍国主義が敗北して第2次世界大戦が終了した。その約1年後くらいに祖父は捜索隊に発見されて日本へ帰国した。祖父が帰国した後、祖父の両親を始めとして親戚が「年頃の娘(私の祖母)がいる」なんて話をして、その後はどんどん結婚へと話が進んでいった。結婚への段取りは、祖父母の両親や親戚が執り行っていった。そう、私の祖父母の結婚には、恋愛とか交際という過程が全くなく、そして私の祖父母の意思がまるで無関係だったのだ。

 私の今は亡き祖父母の結婚について今の時代の感覚の人は、「え~!?あり得ない。信じられない」と考えられるだろう。しかし、私の祖父母の若い時代においては、上の段落で述べた結婚に関することは決して珍しいことではなく、ありふれた光景だったのである。今の時代の人は、自分の意思と無関係に両親や親戚一同が結婚相手を決めて段取りも執り行ってどんどん話しを進めていってしまうことについて感覚的に受け付けないだろう。それは、今の時代の結婚と私の亡き祖父母の若い頃とは結婚というものの性質が全く異なっていたからである。今の時代の結婚は、基本的には結婚する当事者双方の意志と合意に基づく。それは、結婚が今の時代においては合意する個人と個人との結婚だからである。しかし、私の今は亡き祖父母の若い時代における結婚は、個人と個人との結婚ではなくて「家」と「家」との結婚だった。

 日本国憲法第24条は、結婚を両性の合意によって成り立ち、夫婦が対等の立場だと扱っている。日本国憲法は「個の尊重」を基本原則として成り立っている。「個の尊重」を前提とすれば、日本国憲法第24条はなければいけないとかならずしも言えないけれども、日本の歴史を考えれば軍国主義の打破と半封建的支配の枷(かせ)から日本人民を解放するためには、結婚を両性の合意に基づく、個人と個人との結婚だと憲法の条文を以って保証することが必要だったのだろう。