愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

「“産まない方が幸せ”は勝手な考え」、「食べるのに困る家はない」だと?

2019年07月18日 21時07分34秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等

 何ヶ月くらい、ブログがホーチミン状態だったんだろうねえ。まあ、いいや。

 ブログであれ、フェイスブックであれ、ツイッターであれ、インターネットでする発言は公衆の面前での発言と一緒なんでね、あまり乱暴な言葉を使うべきじゃないんだけどね、それでも乱暴な言葉を使わざるを得ないほどに怒り心頭な気持ちを発散せざるを得ないことがあるんよ。

 自民党の二階氏の発言には俺は暗澹たる気持ちになるというか、「世が世ならば、AK74カラシニコフ」の鉛玉でも打ち込んでやろうか、武士の情けで89式小銃の鉛玉にするべきかなんて気持ちにならざるを得ないんですよ。 https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/27/nikai_a_23468847/

 「食べるのに困る家はない」とか、「一体全体どの口が言ってんだ馬鹿野郎。ファックユー」くらいの気持ちなんですよ、俺は。

 俺は、横浜市立の舞岡中学校に通っていたんだけどね、横浜市では中学校給食がないから弁当を持参して昼食を摂るしかなかったんですよ。中学校2年だったか3年だったか、記憶に定かではないんだけど、クラスメートの中にいつも昼食を食べずに隅っこでうなだれていたというかじっと過ごしていた人がいたんです。ごく稀に弁当を持ってきても、おかずが殆どなくタクアンとか梅干しが一つ、二つと入っていれば良い方でしたよ。で、クラスメートから聞いた話だと、件の弁当を持ってこなくて・・・というより持ってこられなかった生徒の父親はロクに働かず酒を飲んだくれていてお母さんが働きづめだったということなんです(今にしてみれば、そのお父さんはアルコール依存症だったかもしれません)。これは、家庭が家庭として機能していないことの現れだし、昼食の時間帯のみならず、弁当を持ってこられなかった、当時のクラスメートが日々の生活もギリギリだっただろうことには想像に難くありませんよ。俺自身は中学生のガキでしかなかったから、どうにも出来なかったですがね。

 俺らが中学校に通っていた頃の日本は、バブル経済で、少なくとも今の日本より経済面で国民生活に「ゆとり」があったほうなんよ。そんな時期でも貧しさの故に親から昼食の弁当を殆ど作ってもらえずにいた人がクラスメートの中にいたんですよ。バブル経済真っ最中の日本でも食べるのに困っている家は現実にあったんですよ。

 「子どもの貧困」という言葉で貧困と格差の実態が言語化・概念化されていないバブル経済の時にも貧困に苦しむ子どもたちは現実に存在していたんだよ。こういう実態を顧みようとせずに、ふざけたことをほざいて弱い者いじめの政治を進めるしか能のないカスどもなんか今すぐにでも全員死ねばいいんだよ。つーか、今すぐさっさと死ね。カスどもが!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。