愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

ビクトル・ハラをしのんで-9.11 another

2010年09月11日 22時18分11秒 | ラテンアメリカの政治革新、文化等
ビクトル・ハラ-「平和に生きる権利」



 1973年9月11日、南米チリでクーデターが発生しました。1970年の総選挙で左派のサルバトール・アジェンデが大統領選挙に当選しました。このことを、チリの旧支配層だけではなく米帝国主義が黙って見過ごすわけありませんでした。アメリカは、極右の反動的な軍人である、アウグスト・ピノチェトを援助して軍事クーデターを起こさせます。日本では「9.11」というとアメリカのニューヨークにおける同時多発テロの事件を想起するでしょう。しかし、南米のチリの人々にとっては「9.11」といえば、ピノチェトによる軍事クーデターが起きた日をさします。

 軍事クーデターによって政権に就いたピノチェト政権は、憲法を停止し、反対派市民を暗殺・抹殺に及びました。このような情勢の下で、歌手であるビクトル・ハラが軍部により惨殺されました。ビクトル・ハラは、常に人民、労働者に寄り添い、ともに歌いギターを演奏してきました。それだけに、ビクトル・ハラの影響力を軍部は恐れたわけです。経済の面では、ピノチェト軍事政権はアメリカの要求そのままに新自由主義政策を進めていき、貧困と格差を広げていきました。

 選挙で成立した政権を軍事力で転覆するように仕掛けたアメリカは、世界でもっともたちの悪い、第一級のテロ国家です。オバマ氏が大統領になり「核兵器のない世界」を言い始めました。これはこれで、前向きの変化ですが、アフガニスタンやイラクでのアメリカ軍の行状、在日米軍基地の問題などを直視すれば、21世紀の現在に至ってなお、アメリカは世界で第一級のテロ国家という本質はまだ変わっていません。

 ピノチェト政権の蛮行により非業の死を遂げたビクトル・ハラを追悼するとともに、対米従属から離脱した日本-真の独立をかちとった日本をつくる意義をあらためて再確認するものです。

 ビクトル・ハラの死からすでに37年が経過しています。当時の南米諸国と現在における南米諸国とを見比べると隔世の感がします。かつて、アメリカの裏庭とされた南米諸国では、対米従属から抜け出して自主的な国づくりが当たり前のこととなっています。

 チリでは、軍事政権が終わったあと1990年代から中道左派政権が続いていました。2010年1月17日に中道左派のバチェレ大統領の任期満了にともなう選挙が行われ、中道右派のピニェラ元上院議員(60)が与党連合候補のフレイ元大統領(67)を破り、当選しました。3月11日にピニェラ氏は大統領に就任しました。中道右派が政権に就いたら対米従属に戻るのかというとそうではありません。右派といってもピニェラ氏らはピノチェトの圧制に抵抗した人々です。これが南米諸国で進んでいる自主的な国づくりの到達点の一端です。

 ビクトル・ハラだけではなく、ピノチェトの圧政に立ち向かって不幸にも命を落とした人々の戦いは決して無駄ではなかったのです。

 「もうひとつの9.11」-1973年のピノチェトによる軍事クーデターから現在に至る南米諸国の動向を見ると世界における時代の発展の法則性がわかるように思えてきます。これは、私たち日本人にとっても、世界の中での日本の真の発展の道筋を探求する大切なヒントです。

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2 コメント

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9.11は天罰か? (琵琶)
2010-09-12 00:58:31
ecm2000sさん9.11は天罰か?http://blogs.yahoo.co.jp/ecm2000s/34025058.html
9.11といえば大体の人は同時多発テロの日だと言います。
しかし、もう一つの9.11(1973年)はチリ軍事クーデターの日です。
南米の人々の間では、9.11はこの軍事クーデターのこと指します。
返信する
もう一つの9.11 (Aleido Che Guevara)
2010-09-12 23:33:15
南米の人にとってはクーデターの日ですね-1973年のチリでの。
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