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神が人間の想像の産物であることは旧約聖書からも読み取れます。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教ともに同じ神を唯一絶対の神として崇拝しているわけですが、旧約聖書のはじめのあたり、エノクやアブラハムが生きている時代の部分などに何箇所も自然崇拝の時代の痕跡が残っています。モーセと神がシナイ山において出遭った場面だってヤハウェがもともとシナイ山の山神だったことを窺わせるものです。
それが、歴史的な背景の下で唯一絶対の神にまで蒸留されたのが今のユダヤ教、キリスト教、イスラム教における唯一絶対の神です(イエス・キリストは神の子として新約聖書に登場します。原罪をあがなうために自らの命を犠牲にします。原罪をあがなうためには、原罪を背負っていない命が必要であったわけです。しかし、一般の人はみんな原罪を背負っているから原罪をあがなうことができません。だから、神は自身の子を地上に遣わしたというのが聖書の筋書きです。神の子は原罪を背負っていないので。ハンムラビ法典の「目には目を歯には歯を」というのはあの時代のパレスティナ地方にもいきていたわけですね)。
だいたい、神がいるというのならば、パレスティナで同じ神を信じている人同士が殺し合いをしているのを見過ごすわけないと思うのですが。それこそ、首脳陣の前に大天使聖ミカエルでも派遣して戦争を止めるために仲裁をさせれば一発で戦争終わりますよ。