愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

戦争がどれだけ人間の心を蝕んでいくか

2015年09月18日 07時51分33秒 | 戦争のない世界をめざす

 色々と思うところがあって最近私は解離性障害などについて精神科医が執筆した本を読んでいた(思うところというのは、労働に関するメンタルヘルスなどの問題などに関してである)。その中でベトナム戦争帰還兵にまつわるエピソードが取り上げられていた。これは、戦争が人間の精神にとってもどれだけ耐え難いことかを如実に示していた。

 精神疾患の中には、うつ病や統合失調症などの他に解離性障害がある。解離は、本来、耐え難いストレスを被る事態に直面した時に自我の崩壊を防ぐために問題となっている事柄を自分自身の精神から切り離すという心の防衛機能である。

 戦場から帰還して、その後にPTSDを罹患した兵士の中には任務遂行中に解離という心理現象を体験する人がいる。少々長くなるが、引用しよう。

『負傷兵を銃剣で刺していとき、私は自分自身から離れて、敵兵を銃剣で刺殺しつつある「殺し屋」を遠くから見ているような感じがした(中略)そのことは私を恐怖と嫌悪でみたし、そしてそれは、私が何者であるかについての意識とも、私にできると感じていたこと友、結びつかないように思えた。そのとき依頼、戦闘の状況下で私は私自身から離れ、「殺し屋」が戦闘任務を遂行しているのを眺めるようになった。その殺し屋は、私自身とは違って、他者も恐怖も気にかけずに、その仕事をずっと上手にやってのけることができたのだった』(柴山雅俊著 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』ちくま新書より引用)

 引用しているように戦闘任務を遂行中の兵士が体験した心理体験は、体外離脱体験あるいは離人体験と呼ばれる解離の状況を示している。殺し殺されるという極限状況そのものが人間の精神にとって耐え難いことである。そして、まともな良識の持ち主にとって悪くもない人間を殺すことは耐え難い苦痛を伴う。そこで、『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』(柴山雅俊著 ちくま新書)で引き合いに出されている兵士にとって自分が人殺しであることに耐えられなかった。そこで、その兵士は、戦闘任務遂行にともなって人を殺している自分を自我の崩壊を防ぐために自分自身の心から切り離したのである。このようにして現実や自分自身を心の中で切り離す心理現象が解離である。

 安倍自公政権は、2014年7月の集団的自衛権行使容認閣議決定を具体化するために安保関連法案=戦争法案制定を強行しようとしている。自衛隊がアメリカの世界戦略の下支えをする形で世界中で武力行使するようになれば、自衛隊員は大義のない人殺しを国家の命令によって強制されていく。そうなっていけば、イラクのサマワの事例を遥かに凌ぐほどにPTSDに苦しむ自衛官が出てくるだろう。なぜならば、自衛官は、私たちと同じように感情や良識を持つ生身の人間だからである。

 戦争は、殺された人々の人生を破壊するにとどまらず、命令によって人を殺すことを強制された人々、つまり兵士の人生をも破壊していく。ここにこそ、戦争をこの世から根絶しなければいけない理由の根源がある。

 集団的自衛権行使は、日本をわざわざ海外で米軍の指揮下で戦争する国に仕立てあげるものである。これは、日本と世界の平和に脅威をもたらして非戦闘員だけではなくて戦闘員として派兵される自衛官の人生をも破壊していく。このようなものを容認するわけにはいかない。集団的自衛権行使のための戦争法案は、違憲というにとどまらず人々の精神を根本から蝕んでいく事態をもたらしかねないからには廃案あるのみである。



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