細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文⑮ 「対等な関係」(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-11-26 09:48:01 | 教育のこと

タイトル「対等な関係」

 前回のレポートでは、我が国の国民は基本に土木に関心がなくわがままであり、そういった国民に対して私たち技術者も国民も共に変わっていかなければならないと論じた。今回のレポートではこれに引き続き、土木技術者と国民はどのように変わっていかなければならないのか、また国民と土木技術者はどのような関係にあるべきなのかを具体的に示していく。

 正直私の土木および建築業界のイメージは昔からずっと変わらず、古臭いというものであった。建築・土木業界にこのようなイメージを持つ人々は少なからず存在するだろうと私は思う。これは長期的な効果を見込んで作られるインフラストラクチャーを扱う土木では仕方のないことなのかもしれない。だが土木のイメージを悪くしているのはインフラの所為だけではない。土木に従事する技術者の考え方もまたその理由の一つになるのではないか。私が思うに、土木技術者や建築関係に従事する人間は基本的に古い。確かに都市基盤というものは多くの偉人が残した知識や過去の歴史などに基づいて発展してきており、私たちもまた過去のデータや事例からさまざまなことを読み取って社会の基盤を整備する。これは間違ったことではない。だが今の土木には、新しいことが足りないと私は思う。考え方の面でもそうであり、実際の構造物に関しても同じである。前々から私が述べているように、重要なのはもっと時代の流れを読み取ってそれらをいち早く反映させることだ。つまり、今土木技術者に必要なのは、古くからある固定概念に囚われない柔軟な考えと、新しいことに対応することができる力である。

 では、土木技術者に対して国民はどのような変化が必要なのか。それは国の整備にもっと関心を持ち、それに対する意見をもっと示していくことだ。前回の論文で国民はわがままであるがそれは必ずしも悪いことではないと述べた。むしろ私は、国民はもっと声を大にして国を操作する政府の人間や年の基盤を整備する私たち土木技術者に届くようにわがままを言ったほうがうまくいくのではないかと思う。これは別に土木に関する話だけではないのかもしれない。何事も意見を述べるものがいなければ発展は見込めない。自分たちがしたいこと、叶えて欲しいこと、心配なことなどなんでも自由に発せばいいのだ。実際に都市で生活している当事者からの意見ほど貴重なものはない。ただ一つ注意したいのが、全ては叶えられないと言うこと。国民のわがままは多種多様であり、一つの物事についても意見が分かれることがほとんどだ。そうなると私たちはどれかの意見を優先するかもしくはいい塩梅で調節するかしかなくなる。それは仕方のないことだ。でも国民、特に現代を生きる若者を中心に多くの意見が寄せられれば私たちのやるべきことももっと明確になり、国と国民が一体となって社会を構築していけるのではないか。だからこそ国民は自分の生きる中で都市基盤の整備と言うものにもっと興味を持つべきなのである。

 ここまでで述べた技術者側と国民側の両方の変化が実現し、多くの意見が飛び交ってそれが都市基盤整備に反映することができれば、私たちの暮らしはさらに豊かさを増していくと私は思う。国民が社会基盤の整備に興味を持ち、技術者と対等に意見を交わすことができる関係こそが、これからの社会に必要なのである。そしてこの関係が実現したとき、また新たに求められる変化は生まれるだろう。


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