失われた30年、という言い方をよくされます。
経済政策の失敗(緊縮財政、デフレ状況で政府が適切な財政出動=投資をしっかりしてこなかった)という見方もよく言われますし、その背景には大東亜戦争での敗北(受け入れざるを得なかった)の後の、アメリカの強烈な占領政策の影響があるのは間違いないと思います。
とは言え、時代は激変していくし、私たち日本人もこの激動の世界をたくましく生き抜いていく必要があります。
大雑把に言うと、産業革命の影響が日本にも明治維新のころから及ぶようになり、いわゆる近代化の中で、人間の力(田+力=男)でやるべき仕事が、機械に置き換わりました。膨大なエネルギーや資源を使って、苦行から解放されてきた、という歴史が一つあります。武田邦彦先生は日本においてはその頂点が1970年ごろであった、とのことです。
その後、いわゆる重厚長大から、ソフト分野が大きな進展を見せ、ITの時代が始まりました。日本では1990年ごろからと言われています。皆さんがパソコンや携帯電話などを普通に使い始める時代です。
産業革命により人間が「力」から解放されたのに続いて、今度はIT革命により人間は「知」、頭脳労働からも解放されようとしています。
30年間が失われた時代だとしても、その間、とてつもなく便利な時代になりました。
そして、この先は、何を「豊かさ」としていくのか。
GDPに象徴される単純な経済発展の時代は終わった、とする識者もいます。
GDPがどんどん縮小してよいとは私は思いませんが、物質や情報を得ることだけで幸せが得られるとは全く思いません。
見た目には、物質にも満たされ、情報(ガラクタ情報も含め)に溢れた社会になっている。
だけれども、多くの方々が幸せである、とはとても思えない。
今後は、どのような社会を目指すべきなのでしょうか。
私は、「絡合」、適切につながる社会、であろうと思っています。
私の専門のインフラも、IT技術も、基本的には人々をつなぐためのものです。
特に日本においては、強力な絡合的な社会であった状態を、分断と孤立、という悲惨な状況に追い込まれてきました。
今さら大家族制が復活するとも思えませんが、生物の本質である絡合的な生き方(人間の体も、無数の細胞が絡合して、一つの生命体を成している)に向かっていくべきだと思っています。
同志たちでつながり合い、生命体のように自律分散的に、かつ、ゆるく大きな正しい方向性に向かって進化していく。正しい方向性とは何か、についても常に議論が必要ですが、私は本来の日本人の伝統・文化・死生観などは、世界の正しい方向性のために重要な役割を果たすと思っています。
絡合、つながる、とは仲良しこよしのお友達グループ、というわけではありません。生命体、生物集団は強い。弱肉強食や壮大な食物連鎖の中で生き抜くための根源が、絡合です。絡合はしなやかであり、強靭なのです。
絡合。つながり。どのようにつながるか、がつながり方。
豊穣な社会研究センターのつながり方研究所、の役割は大きいと思っています。