細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

悲壮感だけでは

2012-08-03 12:38:22 | 人生論

タンザニアに来ていろいろと感じます。

日本人や日本は悲壮感ばかりで物事を推し進めようとしているように以前から感じます。決死の覚悟,悲壮感も確かに大事ではあるのだけど,長続きしません。人間はやはり楽しいから続けるのであって,夢や遊び心もないと息が詰まってしまいます。

私もしごく真面目に生きておりますが,いろんな方からいろんな形容をされます。まあ,大概は「熱い」「タフ」「バイタリティ」といったものなのですが,私自身は「あほやなあ」と自分自身を思うことがしばしば。他人から見たら少し滑稽に思えるようなことに熱中したり,全力で取り組んだり,という姿を見て「あほやなあ」。多分,いろんな方が私のことを「あほやなあ」と思っておられると思いますが,さすがに面と向かってそうは言えませんわね。

今回のホテルの部屋は快適で,かなり大きな鏡もあるので,上半身裸+ボクサーパンツで,ラジオ体操第1+第2,筋力トレーニングなどを起床後にやっています。体の動きもしなやかで,筋力も鍛えればまだしばらくはパワフルに行けそう。タンザニアのホテルで深夜にこんなことをやっていると「あほやなあ」ですが,健康で何が悪い。健康な体が,熱く,タフで,バイタリティに溢れた活動を支えるに決まっているのだから,「あほやなあ」と思うことを続けるのでよいのです。

楽しければ,人が集まってきます。悲壮感だけでは難しい。山口県の取組みや,データベース委員会での議論も,ベースにあるのは悲壮感ではない。何とかしなきゃ,という使命感はあるけど,夢を語り合って,実現に向けて各所で奔走しています。そしてコアメンバーが集まるときの会話,懇親はとにかくエネルギッシュで楽しい。私もエネルギーを放出しているとは思いますが,たくさん元気や勇気をいただけます。

タンザニアの人々を見ていると,まあのんきなものです。タンザニアにいても,多くのメールを日本からいただきますが,まことに悲壮感の漂う,かつあまり本質的でない,つまり楽しくない業務に皆さんが忙殺されている様子が伝わってきます。必死にやっているんだろうけど,肩の力を抜いて,大局的に議論することが大事だと思います。

でも,タンザニアのように,津波はちょこちょこ来るかもしれないけど,地震も台風も洪水も頻度が少ない国に比べると,日本というのは改めてすごい国だと思います。 国土の自然条件が国民性を支配しているのは間違いないことだとは思いますが,もう少し楽観的に参りたいものでございます。


研究者

2012-08-03 10:27:24 | 研究のこと

昨日はUniversity of Dar es Salaamのスタッフに対して講演する機会を得ました。夏休み期間ということもあって,学生はキャンパスにほとんどいないようでした。たまたま,修士課程の学生1名の審査会があり,私もそれに参加させてもらい(質問も一つしました),それに出席するスタッフや学生が私の講演を聴くという形になりました。学科長もいたので,聴衆はそれなりのクオリティでした。

私はもちろん研究者であるのですが,以前に比べると語ることをたくさん持っていると感じました。

昨日はどのような内容でプレゼンをするか,直前までいろいろと考えたのですが,結局,塩害による劣化,耐久設計,表層品質の評価,というトピックで話を紡ぎました。45分話して15分質疑をして,良いディスカッションができました。非常に興味を持ってもらいましたが,私は逆に,これからインフラが急増する中で耐久性のことをきちんと考えておくことの重要性を何度も伝えておきました。

タンザニアの人たちは,混和材料にも強い興味を持っています。「混和剤」にはあまり強くないですが,「混和材」については語ることはたくさん持っています。高炉スラグ,膨張材,その他。

土木のコンクリートであれば,まあ世界のどこに行っても似たような材料を使って製造しているし,抱えている課題も本質的には同じなので,すぐに会話が盛り上がります。技術者というのはいいものです。 

また,語るべきもの,というのは良質の研究を重ねること,でしか生まれてきません。自分たちの研究室の研究がやっぱり第一です。

昨日は,講演では表面吸水試験についてもいろいろと説明し,その後,日本のゼネコンさんが建設しているPC桁で水の流下試験をさせてもらいました。施工監理しているコンサルさんに立ち会ってもらい,いろいろとメカニズムを説明しました。

表面吸水試験のメカニズム,どのように水がコンクリート内部に入っているのか,などについては,世界で最も詳しい人間であると感じました。争っているのが林さんでしょうか。とてもマニアックではありますが,コンクリート構造物の劣化にとって重要である表面からの水の動きについて,世界の先端に立っているであろうという気分はなかなか良いものでした。当たり前ですが,このように詳しくなれるのも,博士論文のテーマに設定して,その学生を中心に必死に研究に取り組んだからです。

やっぱりこうやって遠い国に来て,私そのものがこちらの人々にさらされる時間が続くと,私は日本人であって,研究者であって,教育者であって,それ以外ではないことに気づきます。Identityです。日本に戻っても,Identityを大切に,その部分で強くなれるように,限られた時間を努力に費やしたいと感じます。