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昭和のプロレス:一族の崩壊

2018-04-27 07:36:45 | 日記
大いなる野望

 今ではどうか良く分かりませんが、その昔パキスタンはプロレスの
盛んな国でした。
 その中心にいたのが格闘技の伝統を守る一族でした。
政府の後ろ盾を受けて繁栄の極みにいましたが、たった一回の敗北で
金も名誉も全て失ってしまったのです。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」をお届けしています。
現在のテーマは世界の王者。
今週はプロレスとは縁遠い印象のパキスタンのチャンピオンを紹介します。

 この国ではボル・ブラザーズと呼ばれる一族が興行を取り仕切っていました。
中でも国民的な人気を博していたのが5男のアクラム・ペールワン。
 一族は本場マットから名の知れたレスラーを招いて試合を行いました。
荒っぽい試合が身上のブッチャー・バションや、ガチンコ勝負の実力者と
呼ばれたジョージ・ゴーディエンコたちが登場しています。
 しかしアクラムはもっと有名な男を倒して、自分の力を誇示したいと
本気で考えていました。
そこで目を付けたのがボクシング世界チャンピオンのモハメッド・アリと
戦った男です。
名前は知られているが実力は大したことが無いだろう、そう考えてアントニオ
猪木を招いたのでした。

プロレスを逸脱した試合

 1976年12月12日にカラチの大会場に、7万人の観客を集めて
試合は行われました。
現職の大統領まで観戦に訪れた注目の一戦ですが、いわゆるプロレスとは
一線を画す戦いでした。
「実力で渡り合う本当の戦いだと言えば、臆病者は試合前に降参するだろう。」
そう考えたアクラム側が、事前の取り決めの無いリアルファイトを提案した
と言われています。
 しかし相手が悪すぎました。
 猪木は目に指を突っ込み、アクラムは思い切り腕に噛みつきました。
凄惨な試合を制したのは、どんなに極められても参ったをしない相手の腕を
非情にも脱臼させた猪木でした。

 猪木に関わった人間は人生を大きく変えられたと言われています。
例えばハルク・ホーガンは猪木の生きざまを学んで、世界一有名なプロレスラー
に成り上がりました。
 一方でアクラムは人生を狂わせてしまいました。
この敗戦により一族の名誉は瞬く間に崩壊し、その衰退はそのままパキスタン
のプロレス人気の陰りにも繋がって行きました。
 繰り返しになりますが、猪木に関わった人間は誰もが人生を大きく変えて
しまいます。
半世紀前に猪木に夢中になった中学坊主もそうでした。
行き着いた先はプロレス好きの呑兵衛オヤジです。
 でも良く考えれば猪木の影響があろうが無かろうが、きっと同じ結末に
辿り着いたのでしょうが、私の場合。

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