あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

信濃の国を学ぶ:妻を娶ったら多かった

2018-04-26 06:29:39 | 日記
書物の復習

 信濃の国が県歌に制定されて今年で50年だそうで、昨日それを記念
する切手が発売されました。
5月には各種の催しも予定されていると聞くと、あるくあかるく木曜日
のテーマにビックリします。
意外にもタイムリーな話題を扱っているじゃないですか。

 木曜日は県歌・信濃の国を学ぶ日です。
1番の「信濃の国は~」から始まって、漸く最終最後の6番に至りました。
初っ端の「吾妻はやとし日本武(あずまはやとしやまとたけ)」の意味を
探りましょう。

 ヤマトタケルは捉えどころの無い人物。
古事記では父である第12代景行天皇に疎んじられた悲運の王子。
日本書紀では父から深く愛された英雄、として描かれています。
(MAG2NEWS より)
 それぞれに異なった記述が多く、知名度が高い割には生涯を代表する
エピソードに欠ける印象があります。
 略歴をふたつの書物から大雑把に抜き出すと、波乱の人生は父の命を
誤って受け止め兄を惨殺してしまう事から始まりました。
 恐れをなした父は九州の熊襲征伐を命じます。
敵陣の宴に女装して潜入し隙を見て頭領の兄弟を刺殺、死の間際に手を
掛けた相手からヤマトタケルの名を贈られます。

 目的を果たして都に戻ると、今度は東征を言い渡されます。
途中相模から上総国に渡る際に「こんな小さな海など一跳び」と豪語して、
神の怒りをかってしまいます。
荒れ狂う海を鎮める為に妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)が人柱となり、
無事に海を渡り東征を果たすことができました。
 しかし病に罹り能煩野にて逝去、その後白鳥になって天を舞ったと伝え
られています。

早くも予習 

 さて6番の冒頭の「吾妻はやとし日本武(あずまはやとしやまとたけ)」です。
 ヤマトタケルは東征の帰路に現在の軽井沢あたりを通りました。
その際に自分を助ける為に入水した弟橘姫を思い出して、「我が妻よ」と
嘆いたと言われています。
夫は大きな仕事の完遂を目指し、妻は陰ながらそれを支える、そんな夫婦の
深い愛が歌われていると私は解釈します。
「でもね」と続くのですが。

 ヤマトタケルは6人の妻を娶ったと伝わっています。
それだけ大人数の相手に対して愛情の配分をどうやって采配したのか、他人事
ながら気になります。
 信濃の国に足を踏み入れた時には弟橘姫を思い出し、次の国に入る際には
別の姫を懐かしみ、そんな具合にローテーションを組んでいたのでしょうか。
 興味がありますが、その先は止めておきましょう。
昨今女性の人権に関する話題は非常にデリケート、余計な事を口にせぬ為には
話題から遠ざかるのが一番です。
 続く「嘆き給いし碓氷山(うすいやま)」の予習に取り掛かります。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 身近な生き物:ヘンテコな名前 | トップ | 昭和のプロレス:一族の崩壊 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事