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昭和のプロレス:本当は実力者

2024-07-12 06:29:49 | 日記
見劣りする第2回

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではリングを盛り上げた脇役達
を振り返っています。
今週は「狼酋長、ビッグ・コマンチ」です。
 198cm125kgの堂々たる体格。
初来日したのは国際プロレスが1970年の3月に開催した第2回IWA
ワールドシリーズでした。
 前々年の第1回大会はビル・ロビンソンを筆頭にピーター・メイビア
など海外から8人の強豪を招き、そこに豊登、草津、杉山を加えた11人
による総当たりリーグ戦が行われました。
その結果得点上位のロビンソン、ゴーディエンコ、豊登による決勝リーグ
が行われ、覇者ロビンソンが誕生。
 老舗日本プロレスとは異なる顔ぶれや試合展開が多いに評価されました。

 当然ながら春の恒例シリーズとして継続されるかと思われましたが69年
の開催は無し。
70年に唐突に第2回開催が発表されたのでした。
 この時の参加外人選手はイワン・ストロコフ、コンデ・マキシミリ、
グラン・ブラジミア、ジミー・ダラ、そしてコマンチの計5名。
プロレスマニアでも馴染の無い寂しい顔ぶれでした。
 日本側の参加者は小林、草津、杉山、田中、清見川の5名。
各組で総当たりのリーグ戦を行いそれぞれの最高得点者が対決し、その勝者が
前回覇者ロビンソンに臨む形式。
こうして3月11日から5月19日までの全39戦が始まりました。

アメリカでの評価

 ところが開幕戦にコマンチの姿はありません。
中盤戦に差し掛かろうかという3月31日に漸く来日したのでした。
日本のプロレス団体ではシリーズの途中参加はよくあること、でも大抵は
スケジュール調整が難しい超大物です。
 遅延の理由は説明もないままコマンチはリーグ戦に途中から参加。
惜しくも予選リーグ突破はならず、5月14日にロビンソンに臨んだのは
ストロング小林でした。
 ・・・と書けば熱戦の末に小林が予選リーグを勝ち上がったかに思えますが、
さにあらず。
当時はTBSが毎週水曜日の19時から定期放送をしていましたが、ロビン
ソン対外人選手が毎週のメイン。
事情を知らない視聴者はそれが予選リーグ戦と思い込んでいましたが、後に
判明した衝撃の事実は「リーグ戦は全く行われていなかった」
 そんな裏事情もありコマンチは日本のファンにほとんど評価されない
レスラーとなったのでした。

 ところが本場アメリカでの評価は違います。
<カウボーイ姿のブラックジャック・マリガンやビル・ワットがネイティブ
アメリカンを演じるワフー・マクダニエルやビック・コマンチと各地で熱戦
を繰り広げた>(はてブロ地獄変 より)
 コマンチ以外の3人は日本でも広く知られた大物レスラー。
それと同等に評されるコマンチって、もしかしたら相当な実力者だったのかも
しれません。


コメント
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