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昭和のプロレス:プレイボーイの告白

2018-01-26 07:12:38 | 日記
日本帰りは出世する

 アメリカマットでは大人気なのに日本に来たら評判倒れ、そんなレスラー
は沢山います。
激しさを求める日本のファンと、楽しさを一番とするアメリカのファン、
プロレスに求める物が違い過ぎます。
 本国では超有名で日本では人気薄、それなのに闘魂率いるマットで永く
主役を張った不思議なレスラーがいました。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」をお届けしています。
現在のテーマは、アメリカ各地に存在していたUS王者の活躍です。
今週登場するのは「衝撃の告白、でも回りはみんな知っていた。」です。

 185cm、112kg、均整の取れた体に金髪、典型的なアメリカン
レスラーのいで立ちで、パット・パターソンは17歳の時に業界入りしました。
 初来日は1968年の日本プロレス、いきなり春の祭典ワールドリーグ
に出場です。
この時の戦績は名前の通りにパットせず、しかし帰国した翌年にシスコの
US王者に就いてから大活躍が始まります。
主役を務めて8年間で6回王座に返り咲いています。

別格な扱い

 足四の字とアトミックドロップを武器に金髪を振り乱して戦う姿は、
どちらかと言えば派手さを好む馬場率いる全日本向きなスタイルです。
しかし再来日したのは猪木の新日マット。
73年の12月に登場し、81年までに5回来日しています。
 当時の猪木は闘魂伝説の真っただ中、ストロングスタイルを掲げて過激な
戦いを演出していました。
戦う相手は華麗な技のテクニシャンや狂乱ファイトの大悪党、いずれに
しても戦う姿勢を前面に押し出すタイプばかりです。

 その中にあって強さを感じさせるでもなく、反則に徹するでも無い
パターソンの試合ぶりは正直言って地味な物。
とても大物感はありません。
 しかし来日する度に主役を務め、特に79年の闘魂シリーズでは大巨人
アンドレの後を受けての特別参戦をする別格の扱いを受けています。
 その理由は猪木の恩返しだとする説があります。
アメリカマットを転戦していた修行時代の猪木は、まだ人気が低くて生活
も楽ではありません。
 そんな時オレゴン州で出会ったパターソンが何かと面倒を見て親切にして
くれました。
その時の恩義を忘れずに、だから新日マットで優遇したと言われています。
心温まる友情です。

 そのパターソンには早い時期からゲイのうわさがありました。
本人自ら73歳の時に「50年隠して来た」と告白しています。
それを以ってふたりの間には友情以上の愛情があった、と締めれば意外性が
あっておもしろい話になりますが、そんな事実は微塵もありません。

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