Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

エリックべネイの付き人、ビジュー・ジマーマン

2014-12-20 13:18:20 | エリック・ベネイ関連インタビュー
ミルウォーキーの音楽関連のサイトにエリック・べネイのステージ・マネージャー、
としてビジューのインタビュー記事が掲載された。

http://onmilwaukee.com/music/articles/bijubenet.html

ビジューがエリックの付き人として初来日したのは2007年。
それ以来、ずっとエリックのツアーには同行している。
英語ではステージ・マネージャーとなっているが、日本語のニュアンスでは、
付き人と訳して良いかと思う。

ビジューとはエリックの来日ごとに顔を合わせ、言葉も交わしてきたが、
読み進む内に彼の生い立ち、インドのマザーテレサの家から、
ミルウォーキーの養父母に引き取られたこと、
ビジューの妹がアジア系の顔立ちをしていることも気づいていたが、
彼女もまた養女であることも知った。
二人は仲が良く、姪のこともビジューはとても可愛がっている。
温厚な性格で徐々にエリック・べネイとの信頼関係を深めていったビジュー、
何年もツアーに同行している内に写真の腕も上げ、
今ではエリックも彼の撮った写真にクレジットを入れるほどだ。

数年に一度会うだけだが、最初は地味で黙々とステージ周りの準備をしていた彼が、
会う度にスケールが大きくなっている、そんな感じがしていた。
エリックを取り巻く人々は次々と変わっていくが、
自分を理解して、状況に配慮しながら、心遣いをしてくれるビジュー、
エリックにとって今、なくてはならない大切な存在であるはずだ。

ミルウォーキーの地元サイトの記事を訳してみた。
人の運命や出会いの不思議さ、
またそれを捉まえてステップアップできたのは、
彼の努力や才能があってこそ、
そして周囲に愛される人柄が備わっていたからに他ならない。

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かつてビジューはミルウォーキーのある町のカフェで働いていた。
ドラマーの仕事もしていたビジュー、
カフェのオーナーはツアーの間、仕事を抜けることも理解してくれていた。
ビジューがエリック・べネイと会ったのは、
まだエリックがハル・ベリーと結婚していた頃だった。
エリックは現在は二度目の妻とLAに住んでいるが、
ミルウォーキーにアパートメントも所有し、
ミルウォーキーに住む母を訪ねて、年に数回帰郷している。

「エリックと初めて会った時、まさか彼のために働くようになる、
なんて思ってもみなかった。
でもこの人に仕えたい、と願ったけれどね。」
ステージ・マネージャーとして採用されたという電話が掛かってきた時、
危うくビジューはこの連絡を逃してしまうところだった。
携帯に掛かってきた馴染みのない番号からの電話に出ることを一瞬躊躇したからだ。

「それはエリックのツアーマネージャーからで、
『この仕事を受ける?』と聞かれて快諾すると、
『OK、それならすぐに日本へと出発だ』と告げられた。」

ビジューはミルウォーキーの音楽業界でドラムスとして仕事をしていたので、
地元の音楽関係者には知り合いが多く、その縁からこの話が来たのだった。

ビジュー・ジマーマンは2歳の時にインドから養子として、
ウィスコンシン州に住む養父母に迎えられ、
高校卒業後、ミルウォーキーへと移った。
「養母は僕をインドのマザーテレサの家まで迎えに来てくれて、
ウィスコンシンに連れてきてくれた。
未だにインド料理は好きだけれど、自分はウィスコンシンの人間だと思っている。」
彼の名前はマザーテレサの孤児院の名が『ビジュー』だったことに由来する。
養父母は彼に続き韓国系の女の子も養女に迎える。

小学校高学年からドラムスを始めたビジュー、
高校生になった彼は養父母が名付けた『ブライアン』ではなく、
その頃はミドルネームだった『ビジュー』と仲間内で呼ばれるようになる。
「最初にアメリカに来た時に自分のパスボートにはたった一つの名前、
ビジューしかなかった。
でもこれが大人になってから一番しっくりくると思ったし、
周りにも定着したんだ。」
ビジューはドラムスとしていくつかのバンドのツアーに参加した経験がある。

現在のエリックべネイのステージマネージャーという仕事を、
一言で話して欲しいと尋ねると、
「ステージは自分次第。そこで起きることはすべて僕の責任になる。」
ビジューは一年の半分をツアーで過ごす。
それは一か月のこともあれば三か月続くことも。
このインタビューの後もすぐに韓国へと旅立つ。
この仕事で彼は世界中を周ってきた。
彼の好きな場所は日本とアムステルダムだそうだ。

「東京は6回行っている。
人々は優しいし、理解もある。
多くの人がいる場所でも清潔さが保たれている。
街の中の掃除も行き届いていて、歩道はまるで歯ブラシみたいに綺麗だ。」
(注:褒め過ぎです・笑)

エリックべネイはアメリカにも熱狂的なファンがいて、
その一人としてミシェル・オバマも知られているが、
アジアやヨーロッパにおいても人気が高い。
「日本では一日2回のツアーが5日も続いたりする。
それがいつも満席で、全部のショウに來るファン達もいるほどだ。
(注:これは私やコアなファンのことですね)
韓国での人気は絶大で、大きなコンサートホールがファンで埋め尽くされる。
2年前にソウル・ジャズ・フェスティバルに出演した時は、
エリックのバンをファン達が取り囲み、身動きできない状態になった。
まるでビートルズのようだったよ。」

「エリックは常に自分がミルウォーキー出身であることを、
人にも話すし、誇りに思っている。」とビジューは続ける。
そしてエリックと仕事をし、旅をすることを楽しんでいると。
「エリックはすべての音楽を愛する。映画音楽やどんなジャンルであっても。
いつも前向きで僕の話も聞いてくれるし、愉快な人柄だし、
一緒にいて楽しく気が合うと思う。」

「ツアー中は行く場所に応じて飛行機やツアーバスを使うが、
エリックが好むのはツアーバスだ。
その方がリラックスできるし、眠ることもできる。
皆で一緒にプレイステーションで遊んだりすることもあった。
一度、バスが故障してしまい、ピザの出前を頼んだんだ。
配達員がバスの中がゲームで盛り上がっている様子にびっくりしていたよ。」

ツアー中はパーティーの連続かと言う質問に、
「もちろんそれも楽しいけれど、一つの部屋でバンドのメンバー達と、
寛いだりして過ごすのも好きだ。
常にツアー先では最高の環境が用意されているからね。」

今、彼は独身だが、この仕事は結婚してからも続けることは、
不可能ではないと話す。
「オフの時に電話で話すこともできるし、一緒にいる時間は少なくても、
お互いを思う気持ちがあれば問題はないはずだ。」

韓国から戻って数週間後にはサンフランシスコでの年越しを含む3日間のツアー。
「いつでも旅立てるように常にパッキングして準備はできているよ。」

来年には別のアーティストのツアーにも同行する。
またいつかドラムスの仕事もしてみたいと思っている。
「もし自分が元々はミュージシャンで現在その仕事をしていなければ、
誰しも必ず何かが欠けているという気持ちを持つはずだ。」

ここのところ、エリックべネイのツアーの様子をカメラに収めたり、
ドキュメンタリー映像としてまとめたりしているビジュー。
ミルウォーキー出身で音楽シーンで活躍する人物の一人になりつつある。