Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

2日目のNOLA 2 ハリケーンツアー

2009-07-10 00:00:05 | ニューオリンズの旅
運転手兼ガイドさんの隣の席に座る。
ニューオリンズの繁華街を抜けて、被災地へ。
最も被害が激しく、その上、全く復興が進められていない地域へと向かった。
建物の跡形もない。瓦礫のまま。 
そしてそこに残った朽ちかけたマリア像が痛々しい。
ポールが立っていて、それは1番、水位が高かった時、水が少しづつ引いた時、
それぞれいくつかの推移を示していた。
説明がフィートになるので、すぐにピンとこない。
が、町全体が水に呑み込まれ、道路は河と化し、
海抜が高めの丘の上に住んでいる人は洪水の被害はなくても
ハリケーンのため、家を破壊されたそうだ。

いろいろなパターンの被災地を巡る。
比較的、豊かな地域には新しい家、修理された家がある。
そして貧困層の住んでいた所は、町自体が廃墟になったまま。
保険に入っていない人がほとんど、そして入っていたとしても、
全部をカバーしたら保険会社が倒産してしまうため、きちんと補償されなかった。
何と1500人近い方が水死だけでなく、その他の病気、心臓疾患なども含めて、
亡くなったという。

最も貧しい地域では、ハリケーンの前は、平屋が並んで建っていて、
家の前のポーチには椅子が置かれ、人々は近所と親しく行き来していたと言う。
「その人達は今、どこにいるの?」
「他の州や被災者用の住宅で暮らしている。」

新しいスタイリッシュな高床式の住宅の建設が進められている地域に行った。
ブラッド・ピットが中心になって募金を集め、被災者達の家を建ててくれているそうだ。
「年寄りにはこういう家、住み難いかと思うんだよね。
でも、ブラッド・ピットはやってくれている。
政府は、もう4年になるのに、何にもしてくれないんだ。
政府というより州。」
「オバマが大統領になったから、状況が変るかしら?」
「そう信じたい。」

貧困地域は家が崩壊したままだが、高級住宅地に行くと、
修復された家もあるが、窓が打ち付けられたままの家も見かける。
水が入ってこないように洪水の時、板を張り、
そのまま住民が帰る事もないままの家々。

そして一見、街並みが整っているようなところでも、
板の張られたままの窓の家、また売家、貸家の看板がやたら目に付く。

堤防の近くの巨大なポンプを見学した。
これで、水を吸い上げて汲み出したそうだ。
湖とは思えずまるで海のよう。

「昔はニューオリンズはアメリカ最高の町だった。
今はサンフランシスコ、ニューヨーク、DCやLA、良い所が沢山あるけれど。」
ガイドさんから度々、「南北戦争の前は・・・」という言葉が出る。
この町は南北戦争前に栄華を誇り、それでもその後も古都として、
親しまれた。
しかし2005年のハリケーンカトリーナの後、復興が進まず、観光地としても、
衰退している。


その後、美しい住宅街として知られるガーデンディストリクトへと向かった。
レース、といわれる鉄塀が特徴。外壁だけでなく、2階のテラスにも使われている。
「スカーレット・ヨハンソンとジョン・トラボルタがここのポーチで、
撮影したんだよ。」
映画のロケ地として使われた場所や、大きな木が並ぶ町並み、
見学者の訪れる綺麗な家などを車窓から眺める。
立派な家でも、レースの装飾が単純だとこの辺りでは認められないそうだ。

そういえば、被災地の復興住宅の建設作業現場で、
私の背より低い潅木が植えられていた。
あれは、木が全部なくなっちゃったから、新しい植栽を配したのだと理解した。

路面電車が通っていて、のどかだ。
冷房付きのと窓が開け放たれた物がある。
しかし、サンフランシスコとは違い、
ここで撮影されたマーロン・ブランド、ビビアン・リーの
「欲望という名の電車」のイメージが強い。

その後、墓地の見学をする。
なるほど、これだったのかと思う。
一つ一つが家のように大きい墓地。お墓と言うより霊廟。
アシュレイ・ジャドの映画「ダブル・ジョバディー」で、
アシュレイが、子供と会わせてあげると言われて、誘い出され、
その霊室の中のお棺に閉じ込められるシーンがあった。
その撮影現場も訪ねる。

ガイドさんの家もこの墓地にお墓を持っているそうだ。
しかし、その部分の説明がよくわからなかったのだが、
ある条件を満たさないと、もうその後そのお墓を使えないそうだ。
霊廟のドアを作り変えないといけないのだけれど、それには、
多額の費用が掛かると言っていたような。

その後、一度、公園内で休憩が入り、飲み物を飲む人、
トイレを使う人、そしてその場でツアー代の集金。

一組ずつ、フレンチクォーターのホテルへと送りながら、
一方通行が多いため、かなりフレンチクォーターを走ることになる。
その間、良いホテル、レストラン、有名なバーなど教えてくれた。
フレンチマーケット、そしてどういうわけか観光名所になっている
ペニエとカフェオレを出す混雑したカフェも教えてくれる。

私が午後のツアーを予約している事も伝わっていて、
次のツアーの時間までにホテルに帰れるよう気を配ってくれていた。
「もともとの出身はどこなの?」と聞くと、スペイン系だそうだ。

最後の客は私だった。
ドアを開けて出してくれたので、一緒に写真を撮りたいと言い、
歩いてきた人に頼む。
「ほんとうに良いツアーだった。ハリケーンの事は、聞いていたけれど、
実際に見ることができて。」
「そうだろう? テレビで見て知っていても、やっぱり生で見るのは、違う。
意義深いことだ。」

(ツアー中の説明、聞き取りの間違いがありましたら、お許し下さい)

2日目のNOLA 1

2009-07-09 00:41:24 | ニューオリンズの旅
ニューオリンズ、通称NOLA。

2日目の朝、モーニングコールを頼んだ時間より1時間ほど早く目覚めてしまう。
そのまま横になっていようかとも思ったが、水着に着替えて、
バスローブを羽織り、また屋上階のプールへと向かう。

この時の記憶がほとんどない。
泳いで、少しデッキチェアで横になり、そしてジャグジー。
ホテルで働く人が来たので、朝の挨拶をすると、
「このスウィッチをいれると、もっと気持ちが良いですよ。」
とジャグジーを強力に作動させてくれる。
体がマッサージされて、だんだん目が覚めてきた。

部屋に帰ると、ほどなくモーニングコール。
目覚ましと携帯も鳴り出した。

普段余り朝食を食べないが、このホテルは朝食のビュッフェ、
評判が良いらしいので、身支度をして食堂へと行く。

オムレツの具が沢山並べられているので、「何を入れる?」
と聞かれ、「ぜ~んぶ。」と答える。
コーヒーが並々と大きなカップで運ばれてきた。
アメリカのコーヒーよりもフランスっぽい。
隣の人の飲んでいるオレンジジュースが美味しそう。
私も頼むことにする。
フレッシュな生のオレンジの香りが芳しい。

ビュッフェには、見たこともない食べ物がいくつか。
コーンミール、食べ方を聞く。
「私は実は余り好きじゃないんだけど。
その上に、バターや塩かけて食べるのよ。」
チェリースモークされたベーコンやソーセージとハム。
フレンチトースト、スコーン、ヨーグルトを取る。

運ばれてきたオムレツはとても美味しかった。
トマトやパブリカ、数種類のチーズ、彩りも味も良い。

チェックを頼むと、「あまり食欲ないの?」と聞かれる。
「美味しかったけれど、小食なの。」
どの人も皆とても感じよくて気を配ってくれて美味しかったので、
チップは多めに。

オムレツを作っている女性に、「今までで最高のオムレツだったわ。」
と声を掛けると、「ほんとに?その一言で今日、1日がんばれるよ!」
大喜びしてくれる。

コンシェルジュのデスクに行くと昨日の担当者はまだ来ていない。
ベルボーイがデスクに廻り、対応してくれる。
これから市内観光のツアーを頼んだんだけれど、
帰ってきたら、午後は郊外に行くツアーに参加したい。
時間的に間に合う物を教えて欲しいと伝える。

プランテーションは絶対行かないと決めていたので、
スワンプツアー(湿地帯を小さなボートでクルーズしてワニを見る)を選んだ。
これも動物保護の観点からワニの餌付けが疑問視されているらしい。
「ワニに危険はないんでしょうね?」
「全然、問題ない。」
午前のツアーと午後のツアー、両方とも違う会社。
それぞれの終了とスタートの時間を先方に確認してくれて、
私のその日の予定についても伝えてくれて、予約を入れてくれた。
行き届いた手配に感心する。2ドルを手渡す。

市内観光のツアーの迎えは時間通りにやってきた。
10人乗り位のバン。
フレンチクォーターに宿泊する人がほとんどなので、
私は最後の客だった。
「どこから来たんだ?」と言われて、日本と答えると、
後ろのみんなに向かって、「彼女は日本から来たんだよ!」と叫ぶ。

私が参加したこのツアーはなんとハリケーンカトリーナの被災地と
復興へ向けての状況を中心に見るツアーだった!

ニューオリンズへ到着

2009-07-08 08:06:48 | ニューオリンズの旅
ニューオリンズへの飛行機の搭乗が開始される。
搭乗口の女性は、先ほど質問をしたのと同じ係員。
私のことを覚えていてくれて、にこやかに挨拶してくれる。

飛行機は満席。席は一番後ろ。
一時間半余りのフライトなので、あっという間にニューオリンズへ。
空港は小さく、飛行機から降りると、目の前にはもう出口。
こんな簡単にもう外に出ちゃっていいのって感じ。
荷物、持ち込みっていいなぁ。
預けた荷物が出てくるのを待つプロセスが省略できる分、
何もかもスピーディーに運ぶ。
病み付きになりそうだ。

ヨーロッパの乗換えよりもずっと楽であっけなかった。
システムがきちんとしているし、分かりやすい。
またヨーロッパの乗換えだと乗り継ぎ都市で入国審査、
到着した国でも入国手続きがあるから、時間も掛かる。

特にヒースローは計画性のない建て増しを重ねているうちに、
とんでもない空港になり、ターミナル間の移動はバス、
同じターミナルでもゲート間の迷路のような道をかなり歩くことになる。
機能しない案内板も修理されないまま放置されていた。
今回の旅では、そのような心配は杞憂に終わった。

外に出て、警備の人に「どこでタクシーを拾える?」と尋ねると、
下の階へ行くように教えてくれる。

タクシーの配車所のようなブースがある。
制服を着た女性に「市内のホテルまでタクシーに乗りたいんだけれど?」
と尋ねると、「支払いは、現金、それともカード?」と聞かれる。
「いくらくらい掛かるの?」と聞くと確か38ドルと言われた。
現金でと頼むと、女性のドライバーが迎えに来て荷物を持ってくれる。
久しぶりのアメリカ、ここはチップの国だ。
いつも感覚がわからずに「こんなんでいいのかなぁ?」と戸惑いながら、
終わってしまう。今度の旅ではチップについてもはっきりさせたい。
とりあえず、配車係に2ドルを渡す。

女性のドライバーは全然、愛想がない。
そしてニューオリンズの市内へと車は進んでいくが、
外の景色が何か荒涼とした感じがする。
郊外から市内へ。
そしてスーパードームが見えてくる。
私の泊まるホテルはスーパードームから歩いて行ける場所。
ビジネス街にある。ここもとっても殺風景だ。

まず着いて笑ってしまったのは、ファンクラブメンバーの泊まるホテル、
通りを一本隔ててほぼ隣だった。
タクシー代は28ドル。
30ドルでお釣りはいい、と言い掛けてちょっと少ないかなぁと思い、
2~3ドル足して渡したような気がする。
後で知ったのだがこの場合は30ドルで充分だった。
感じが悪かったし、切りのいい金額だったから。
「チェックインですか?」と聞きに来たベルボーイ、
荷物を持ってくれるのかと思ったら、いつの間にかいなくなっている。

フロントまで自分で荷物を持って進む。
南部のクラシックなホテル。華やかなシャンデリアや装飾で飾られている。
調度品もすべてサザンテイストだ。
そしてここでは時間が止まってしまっているようだ。
しかし何か古ぼけた感じも否めない。

フロントでチェックイン。
「クイーンサイズのお部屋で予約を頂いていますが、
同じお値段でグレードアップ、キングサイズのベッドのお部屋を用意しました。」
嫌な予感がした。
今まで、ホテルのグレードアップで良い思いをした事がない。
要するに頼んだ部屋は満室、そこで値段は高いが、
居心地が悪くて人気がないような部屋を宛がわれる。

「明日のツアーを予約したいんだけれど?」と尋ねると、
「横のコンシェルジュカウンターへ移動して下さい。」
コンシェルジュが登場。
「明日、半日位で市内を観るツアーを予約したいんだけど。」
と尋ねると、「2つあります。」
一つは大型バスで観光会社が運営している物、もう一つは個人でやっていて、
そっちの方が安いし、自分は内容もそちらの方が良いと思うと言う。
たぶん、バックマージンとか貰っていて、そっちを薦めるのかなぁと疑うが、
さらっと説明を読んでみて、片方が墓地や記念館中心なのに対して、
後者は、ニューオリンズの美しい住宅街、
ガーデンディストリクトなどが含まれていたので、そちらにする。
午前の部は9:30開始、午後は2時からと2回あるけれど、
どちらが良いかと聞かれる。
朝、ゆっくり眠りたいような気もするし、ちょっと迷ったが午前の部を頼む。

電話で予約を取ってくれて、ホテルのピックアップは9:15と言われた。
料金はカードでもキャッシュでも直接、ガイドに払えば良いそうだ。
その後、自分はこのホテルのコンシェルジュ、あなたの滞在中のリクエストには、
何でもお答えしますよ、などと話している。
ちょっと妙な間があった。
これはチップの催促だったと後で気付いた。
しかしながら、ベルボーイやルームサービスと違い、
カウンターに座って仕事している人に、お金を渡すのは、
むしろ異質な感じがして、その時は思い至らなかった。

「部屋には自分で行きますか? それともベルボーイに荷物を持たせます?」
「場所がわからないから、案内して欲しいわ。」
と言うと、「すぐそこにエレベーターがあって、自分の階で降りれば、
簡単にわかりますよ。」

エレベーターの前、ボタンがわからず一瞬、戸惑う。
横から制服を着たベルボーイではない青年がさっと手を伸ばして、
「ここですよ。」とボタンを押してくれた。

エレベーターで2階へ。
部屋はエレベーターから2つほど横。
ドアを開けて見て、嫌な予感は的中したと思った。
薄暗い縦長の部屋。日本で言うならば、金谷ホテルではなく富士屋ホテル。
家具は高山民芸家具風。
重々しい感じが裏目に出て、何か気分が暗くなりそうだ。

このままではいけないと思い、疲れていたが泳ぐことにする。
水着を持って屋上のプールへと向かう。
エレベーターに先ほどボタンを押してくれたホテルマンと乗り合わせる。
アメリカのドラマの「ER」のカーターに似ている。
エレベーターもデコラティブなレリーフ、金の装飾が施されている。
「このホテルはとってもクラシックにデコレーションされているのね?」
と話すと、「そうでしょう。とっても綺麗でしょう?
僕はこのホテルのそういう所を誇りに思っているんです。」
とほんとうに幸せそうに話す。
「確かに日本ではこういう建物、見られないわね。」
張りぼてみたいだ何て思ってしまった自分が恥ずかしくなる。

屋上へは客室の最上階で降りて、階段。
屋上への階段のドアを開け、上り始めた瞬間、
映画の「シャイニング」を思い出した。
良い方に取れば、「ある日どこかで」


屋上にはトレーニングルームとボールルーム、
そして、外にはプールとジャグジーがあった。
部屋から水着とタオルを持ってきたが、着替える場所やシャワールームがない。
テラスのテーブルで寛いで話している人、
ジャグジーに浸かっている人、プールサイドで日光浴をしている人が数人。
ちょうど、ホテルのマネージャー風の男性が上がってきたので、
尋ねると、部屋で水着に着替えて、備え付けのバスローブを羽織って、
ここまで来れば良い、そしてタオルは部屋から持ってこなくて、
ここに用意してある物をどうぞ、と教えてくれる。
「水着、持っているんだけれど、着替えるところはないの?」
と聞くと、少し考えて、「それなら、レストルームを使ってください。」
と案内してくれる。
でも、水着のまま、バスローブを羽織って部屋に帰る方が、楽だ。
もう一度部屋に戻って、水着に着替え、
バスローブを羽織ってエレベーターに乗る。
日本の温泉で浴衣ならともかくアメリカのホテルで、こんなのありか?

プールに足を入れてみると、外の気温同様に水温が高い。
そのまま、水に飛び込む。
深さが2メートル近くあって背が立たないので嬉しくなる。
まばらだけれど、周りに人もいるし、入る前のシャワーも浴びないプール。
顔をつけないで、静かにゆっくり泳ぐ。
飛行機の寒さと窮屈さで縮こまった体を伸ばすと気持ちが良い。
一応、世間体を気にして、平泳ぎと背泳ぎを、泳いでいるとも、
水に漂っているともつかぬ雰囲気で水に浮いている。

プールの片方の端は深いがもう片方は浅くできている。
時間は6時半頃、それでもまだ充分明るい。
日光浴がお目当ての人達はプールサイドから消えた。
泳ぐのと潜るのが大好きなので、
音を抑えて、控えめに4種目の個人メドレーをやってしまった。

その後、ジャグジーに浸かる。
大きな太陽がまだ沈まないで輝いている。
これでは、明日の午後、町の散策なんてとても無理だ。
午後はどこか郊外へ行くツアーを予約しようと思う。

部屋に帰ってシャワーを浴びる。
日本では当たり前だが、バスタブがある部屋でありがたい。
そして、シャワーがハンドシャワーじゃなくて、
大きくて硬い蛇口で、使い辛い。
シャワーから出て鏡を見て、唖然とする。
目がもう真っ赤。肌も乾燥し、過敏になっている。
飛行機の乾燥でダメージを受けた体にプールの強烈な消毒液。
このまま、目が治らなかったらどうしようなんて本気で心配してしまった。

バスルームから出て気を取り直して、ルームサービスのメニューを見る。
お腹が全然空いていない。でも何か食べないと。
髪はタオルドライしただけでまだ乾いていないが、
そのまま、お財布を持って、ロビーに行く。
ベルボーイに「この辺にコンビニかスーパーある?」と聞くと、
斜向かいにミニマートがあると教えてくれる。

売っている食べ物はパンとサラダ、そしてフルーツだけ。
何か暖かい物が食べたい。
お水、ミルク、デニッシュ、歯磨き、お菓子などを買う。
部屋の冷蔵庫、お水やジュースが6ドル位していた。

部屋に戻ってもう一度、ルームサービスのメニューを眺める。
ステーキなどとても食べる気になれない。
スープの所を見ると、ガンボがあった。
冷蔵庫にも小さなワインのボトルがあるけれど、
グラスワインの赤が充実している。

ルームサービスに電話する。
ガンボを頼むと、「パンかクラッカーを付けますか?」
と聞かれ、パンを頼む。
ワインはハウスワインのメルローのグラスにする。
20分以内にお届けします、との事だったが、
10分もしないうちに、先ほどエレベーターで会ったカーター君が登場した。

トレイにガンボ、パン、大きなグラスのお水とワイン。
調味料がタバスコや塩、胡椒。
「テーブルにお食事をセッティングして宜しいでしょうか?」
恭しい手付きで、まずはランチョンマット、
そしてお皿や調味料、ナプキン、カトラリーを丁寧に並べる。

「私、ガンボって今日、初めて食べるのよ。」
「それは良かったです。初めて食べるガンボがうちのホテルので。」
「それってどういう意味?」
「なぜなら、このホテルのガンボはニューオリンズで1番、美味しいからです。
初めてのガンボがうちのだなんて、お客様はとてもラッキーですよ。」
とまた凄く嬉しそうに話す。

ガンボの中心にはご飯が載っている。
「お米をみると、ほっとするわ。私達の食事の中心はお米だから。」
「日本のライスにはとてもかないませんが、ルイジアナのお米も、
アメリカの中ではかなり高い水準を保っています。
きっと気に入って頂けますよ。」

「食事が終わったら、片付けに呼んで下さってもいいし、
面倒だったら、トレイを外に出しておいて下さい。」

夕方にベッドを寝るように整えてくれるサービス、
これだけ大げさにベッドをたくさんのクッションやピローで飾り立てているから、
それがあるのかと思ったら、誰も登場しなかったので、
「このベッドの上においてある物、どこに片付けたらいいのかしら?」
と聞くと「全部、放り出して、メチャクチャにその辺に転がして下さい。
ここはアメリカですから。」
3ドルを手渡す。

すぐに食事を始めれば良かったのだけれど、やりかけたことがあり、
10分位してから、テーブルにつく。
ワインの温度がちょうど良く、柔らかい味に疲れがほぐれる。
ガンボの中心に添えてあったご飯、水分を含み、リゾットのようになった。
パンも暖かくて、とっても美味しい。
何か気持ちが解れてきて、五感が蘇ってきた。

第六感という意味では、この部屋に気味の悪さはない。
入った瞬間、ぞっとするような部屋もある。
どんなにりっぱであろうが、綺麗であろうが関係ない。
そういう意味では落ち着く部屋。
ドアから外の明かりや音が少し聞こえてくるのもむしろ安心な気がする。

目覚ましと携帯で時間設定をするが、ほんとうに明日、起きられるか自信がない。
ウェイクアップコールを頼む。
すると、「電話で起こした後、10分後に部屋まで起こしに行きましょうか?」
と聞かれたので、「それには及びません。」
飛行機を逃すわけじゃないから。

長い一日が終わった。
家のドアからホテルのドアまで22時間余り。
30時間近く、起きていたことになる。

無事、戻ってきました!

2009-07-07 21:50:33 | ニューオリンズの旅
お陰様で無事、旅を終えて戻ってくることができました。
ありがとうございます!
頭の中で旅行中の出来事がまだまとまりがついていないのですが、
順を追って振り返ってみたいと思います。

出発5日前、航空会社に席の予約のため、電話した。
飛行機は満席、なんと通路側の席は、赤ちゃん連れの人用か、
ハンディキャップのある人用しか、もう残っていないそうだ。
そういう方が乗ってこられたら、席を譲るという条件で、
とりあえず押さえてもらう。
帰りの席に関してはもう真ん中しかなかった。
正規のチケット購入者は予約時に既に席の予約までできるため、
格安航空券だと、こういう状況になるそうだ。
それにしても、何で最近、飛行機に乗る時、いつも満席なんだろう。
前はガラガラで座席3つ分とか取って寝たりしたのに。

同じ航空会社で国際線から国内線なので、
一昨年のヒースロー空港のようなバスでのターミナルの移動、
歩いているだけでも75分なんて事はなくて簡単かと思っていた。
ターミナル間の移動があり、モノレールに乗るという。
係りの人は私の1時間半余りの乗り継ぎ時間、
急がないと乗り遅れる可能性もあると心配してくれ、
移動の手順など丁寧に教えてくれた。

「荷物を持込のみにしようと思ってるんだけれど。」
と話すと、反対されるかと思いきや、「あっ、その方が安心です!」

悪名高いヒースローの乗換えから較べれば楽勝かと思っていたが、
ターミナル間の移動、搭乗口の情報に電工掲示板をみつめ、
アナウンスに耳を傾ける、緊張感が蘇ってきた。

帰りは国内線から国際線だと最初から出国扱いになるので、
アメリカのセキュリティーは厳しいから2時間半前をメドに
空港に着いて欲しいと。
やれやれ、帰りはそうとう朝早い出発になる。

前日に荷造りをすると、最小限の荷物にしたつもりだが、
やはり大きさと重さが気になる。
夏物のコットンの服は意外に重さがある。
荷物を思い切って次々と切り捨てる。
より小さく、軽くと減らしていく。
その時、デジカメの充電器を切り捨てたのは、大間違いだった。

7月1日、12:23、品川発の成田エクスプレスに乗る。
出発前に荷物を担いだ時、この年でこんな旅に手をつけた自分、
りっぱなスーツケースを成田に宅急便で送り受け取る、
ビジネスクラスで旅をするとかじゃなくて、
格安航空券、ルームシェア、最低価格のコンサートチケットを取り、
バッグは機内持ち込みのみで出かけていく自分が愛おしくなった。

13時半過ぎには航空会社のカウンターへ。
帰りの成田までの席も通路側が確保できたそうだ。
ニューオリンズまでの国内線はすべて真ん中の席。
短時間だから別に構わないのだけれど、
つい調子に乗って、真ん中でない席があるか尋ねる。
非常用ドアの脇の窓際が空いているが、
この席に座った人は非常時に周りの人の脱出の手助けが、
出来るだけの技量が必要とされるという。
丁重にお断りする。

今回の旅行、みんなで一緒に食事したり、ルームシェアで割り勘にするので、
カードではなくてドル紙幣が必要だ。
ニューオリンズの空港やホテルでの両替状況が良くわからないのと、
海外在住の人は現地でのキャッシングを進めるが、それも慣れていないので、
とりあえず、ある程度の現金をドルに替えて用意した。
あまり現金を持ち歩いたことがないので、何か落ち着かない気分だ。

チェックインも出国審査も余り混んでいなくてスムース。
飛行機も定刻通りの出発になりそうで、安心。
一昨年のベルギー行きの時は長蛇の列。その上、出発が1時間も遅れ、
乗り換えのことを考えて焦ったので今回は順調で気分が良い。

搭乗が始まる。
私の席をみつけると、そこには堂々と体格のいい男性が座っていた。
「ここは私の席なんだけれど。」とボーディングパスを見せる。
「それとこの席とどういう関係があるの?」
「だから、この席の上の棚にこの番号が書いてあるでしょ?」
「君の持っているその券と上の番号は、一致しているわけ?」
「一致してるじゃないの!あなたのパスを見せなさいよ。
全然、違う席じゃない。」
「上の番号なんて関係ないよ。」
もうやってられない。
「係の人と話すわ。」とフライトアテンダントを捜すが、
みんな、離陸前の準備に忙しくて、近くにいない。
「ちょっと捜して、話してくる。」とキャビンに行く。
するとその男もまずい展開になったと思ったのか、付いてきた。

クルーに事情を話して私のパスを見せ、彼にも自分のパスを出させる。
ド迫力のおばちゃんスチュワーデスが、「あんたは違うわよ!」
と一喝してくれて、その男は逃げるように去っていった。
しかし歩きながら一瞬こちらを振り返り、"Sorry"
歩いていく方向が分かってるんだから、最初から自分の席がどこか
知っていたんだろう。

席に座ると、イヤホーンが持っていかれてしまっている。
先ほどとは別のこれまた表情のない年配の怖そうなスチュワーデスに
それを伝えると、席にあるはずだと告げられる。
「私の前にここに座っていた人がいて、その人が持って行っちゃった。」
まるで、うちの小学生の甥が叱られて言い訳をしているみたいで、
何か情けない。
そのまま、返事もなく彼女は立ち去った。
無視されたかと思いきや、また戻ってきて無表情で言葉もなく、
イヤホーンを差し出す。

飛行機は定刻通り、離陸した。
ビジネスクラスのすぐ後ろのエコノミーの1番前の席。
最初は足が伸ばせてラッキーと思ったら、
前の席がない分、やたら風通しが良い。
ただでさえ、寒いのにこの席は更に凍えるばかりだ。
通路を隔てた横の年配の女性はウィンドブレーカーのような物を、
着込んだ。

恐ろしげなアメリカ人のフライトアテンダントばかりでなく、
とっても感じの良い日本のスチュワートがいてくれた。
食事のサービスの時、「このパンはとても美味しいんですよ。」などと、
嬉しい一言を添えてくれる。
その人がおすそ分けと言って、ビジネスのデザートのケーキをくれたり、
到着した時もお土産にとチョコレートを持たせてくれる。

映画が新作がいくつもあり、4つも観てしまう。
音楽チャンネルにR&Bがあり、マービン・ゲイやアル・グリーン、
アレサ・フランクリン、ルーサー、ライオネル、チャーリー・ウィルソン。
一睡もしなかったのは、とんでもないことだった。
これから先のために少しでも体力を蓄えておくべきだった。

入国の書類に滞在先のホテルの住所が必要だ。
荷物棚からバッグを引っ張り出す。
封筒の中からインターネットで予約したホテルの住所のコピーを出す。
ふと見ると、封筒に茶色のシミが点々と。
チョコレートでも付けたかと思ったら、私の親指から血が流れている!
「ど、どうしてこんなことに・・・」どこかで手を切ったらしい。
バンドエイドをポーチから出して、傷を確認してから貼り付ける。
たいした事がなくて良かったけれど、もう泣きそう。

ヒューストンの空港に着く。
入国審査で並んでいると、"Does anybody speak Japanese?"
と検査官が2度叫んだ。
後ろの日本女性が「ほら、呼んでいますよ。」と私に言う。
検査カウンターに行くと、
「この人の職業欄に書いてある事が、理解できないんだ。」
年配の男性が職種ではなく、会社名を記入している。
「仕事の内容を教えて下さい。」と伝える。
その方の入国審査が終わったので、
「私は向うで並んでいたんだけれど、引き続き、ここで審査を受けても良い?」
少し考えてから、「悪いけれど、もとの所に戻ってくれ。」

先ほどの女性が自分の前を空けて、「お疲れ様です」と、私を入れてくれる。
それにしても彼女はなぜ自分で行かないで私を行かせたのかな?
待ちながら、お話しすると、これからフロリダで一ヶ月間、
現代医学ではない治療法を学ぶと言う。
「ホメオパシーみたいなもの?」と聞くと、
「近いですね。」いろいろな人がいるんだなぁと感心する。
(彼女の方こそ、もし私の旅の目的を聞いたら、同様に感じただろう)

米国入国審査、全く楽勝。
実はその昔、帰りの飛行機を予約しないまま米国へ旅立ち、入国審査の際、
所持金を聞かれて、まずい雰囲気になったと思い、少なめに言うと、
返って問題になり、私のパスポートは赤いファイルに入れられて、
一癖も二癖もありそうな人達と別室で待たされる。
その後、個室で一対一で面接、荷物も細かく調べられた。

そして一昨年のヒースロー、あの時ははテロ未遂事件の後だけに、異様だった。
女性の検査官に、体中を細かくチェックされ、胸は乳癌の検診にも等しかった。
それでも、納得せずに1回、パスさせた後、もう一度、調べたいと呼び戻される。
持ってる液体もすべてリトマス試験紙みたいな物で調べられた。
女性の一人旅というのは、怪しまれるのだろうか?

入国審査を終え空港職員に聞くと、
私のゲートは曲がってすぐの所にあると言う。
えっ、ターミナル間の移動があると思ってたら、なくて良くなっちゃったのかな?
ゲートに行ってみると、そこはミネアポリス行きの搭乗口になっている。
係の人はまだ来ていない。
だれかに確認したいのだが、売店はあっても職員が全く、見当たらない。
もう一度、戻り、別の空港係員にボーディングパスを見せて尋ねると、
やはり私のゲートはそこで良いと言う。
電光掲示板でも確認するが、まだニューオリンズ行きの搭乗口の案内は出ない。
もし搭乗寸前に違うターミナルからの離陸が決まればダッシュすることになる。
落ち着かない気持ちで係の人が現れるのを待つ。

搭乗口にようやく係員が来る。
私のパスを見せると、「これは間違っているわね。」
コンピューターの電源を入れて、検索してくれる。
成田で渡された搭乗口の番号は間違っていたのか、その後変更になったのか、
ボーディングパスにプリントされた物とは違っていた。
彼女は印刷されたゲートナンバーに×、正しいゲートの番号を書き込む。
同じターミナルの二つ先のゲートでほっとする。
教えてもらったゲートの前に行き、係員に確認すると、
ニューオリンズ行きの搭乗は45分後に始まると告げられた。