Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

エリックべネイ、9月来日の一曲目は?

2011-09-02 13:32:48 | エリックべネイ、2011年来日へ
2005年の来日でEric Benetは、1stアルバム"True To Myself"から、
スライのカバー、"If You Want Me To Stay"で登場した。
それは当時、アメリカでバッシングを受けていたエリックから、
「これから僕のライブが始まるけど、観たい人だけ残ればいい。」
とカードを突きつけられたようだった。

2007年、エリックが最初の曲に選んだのは"India"
LAに置いてきた娘のインディアへの想い、
そしてこの時はマイケル・パウロのインストが続いた後にエリックの出番だったので、
ボーカルが際立つ選曲をしたのかもしれない。

「新しいアルバムが出るし、すぐに戻ってくる。」
と2007年の9月に約束してくれたエリック。
"Love & Life"の発売も3月から9月へとづれ混み、
実際の来日は2009年の2月となった。
最初の曲は"When You Think Of Me"
「ぼくのことをどれくらい想っていた?」
と観客に問い掛けるようだった。

同年、12月の来日、
「なぜ音楽をやっているのかと良く聞かれるけど、僕が音楽をやっているんじゃない、
音楽が僕をやってるんだ。」というエリックの声のアナウンスとともにショウはスタート。

2002年に完成しながらも発売されることがなかったアルバム"Better & Better"から、
"Love Don't Love Me"
アルバム外の曲をライブで聴かせてくれるというサプライズがあった。

さて今回の一曲目は何だろうかと今年に入ってからのエリックのアメリカでのライブ、
セットリストを振り返ってみる。

やはり"Love Don't Love Me"か"When You Think Of Me"ではないだろうか。
何となく"When You Think Of Me"のような気がしてきた。
"Love Don't Love Me"は一曲目に歌わなかったら、ライブで歌うことはないだろう。
しかし"When You Think Of Me"は一曲目で歌わなくても、確実にライブ中に歌うはずだ。

それとも案外、意表を突いて、
"Spiritual Thang"から始めるかなと思ったりもしている。
「日本のみんな、久しぶりだけど、
僕とは"Spiritual Thang"『特別な縁・絆』で結ばれていたはずだ。」と。

今回は私もサインを貰います!

2011-09-01 15:36:39 | エリックべネイ、2011年来日へ
2009年のエリックべネイのクリスマスライブ、
nkmrakikoさんからクリスマスに先立ち、嬉しいプレゼントを頂いていた。
それは"Spiritual Thang"のLP。
「今度、これにエリックのサインを貰ったらいいじゃないですか?」
とnkmrakikoさんに言われて、このLPを見せた時にエリックが
"Oh!~~”なんて喜んでくれる姿を想像して私はにんまりしていた。

2009年のクリスマスライブは、何だか慌ただしかった。
楽屋で会った時は興奮と緊張で頭が真っ白になり、
2ndの後のサイン会では、
たいへんな行列で終電の時間も迫っている方もあるから、
遠慮しようなどと思っている内に自分の分は貰い損なってしまった。

ナイル・ロジャースのライブで度々ご一緒し、
全員の分の"We Are Family"Tシャツを作って下さったMr. Yから、
先日、小包が届いた。
開けてみるとそこには、何とEric BenetのLPが2枚。
"Why You Follow Me" と"Georgy Porgy"

ふいを襲われて私は言葉を失った。
目がぼんやりと霞んできた。
あんまり嬉しいと人は固まってしまうものだ。
早速お礼のお電話をすると「今度の来日でそのLPにサインを貰ったら?」

今度は私も毎日、LPを一枚づつ持って行って、
絶対にエリックにサインして貰おうと思っている。
しかし良く見ると"Spiritual Thang"と"Why You Follow Me"のLP、
どちらもバックが黒だ。
黒ペンしかなかった場合に備えて、シルバーかゴールドのマジック、
持参しないと。

さて、今回のエリック・べネイのライブ、
各ライブハウスの予定表を見ると、
かなり予約が一杯になっている。
2009年の年末以来の来日、"Lost In Time"発売以降の来日、
"Sometimes I Cry"のヒット。
いろいろなことが重なった。
ブルーノートだけではなく、コットンクラブ、モーションブルーなどのライブもあり、
違う場所で歌うエリックを観てみたいと数回予約をされている方も多い。

また前回と大きな違いは身近に男性のファンの方が増えたことだ。
「アメリカンアイドル」を通してこのブログを見て下さって、
エリックべネイのアルバムも聴くようになられたとおっしゃるchanparaさん、
ナイル・ロジャースのライブでお会いすることができた。

ナイル・ロジャースのライブで度々ご一緒して、
その後もライブでお会いするようになったSさん、Aさん、Mr. Y。
やはりNile Rodgersのライブ以来、交流している在日フランス人のNさん親子。

エリックはもちろん女性のファンも大切にするが、
男性のファンの存在をとても喜んでくれる。
そして子供達のことも。

今日から9月。
再来週の木曜日にはコットンクラブのエリックべネイのライブが迫っている。
エリックにファンの皆さんに会える日が待ち遠しい。

エリックべネイ、9月来日へ!

2011-08-31 11:01:34 | エリックべネイ、2011年来日へ
8月31日、子供達にとっては夏休み最後の宿題の追い込み日。
大人にとっても「これで夏も終わりだな。」というイメージの日。
しかし、このブログを読んで下さっているエリックべネイファンの皆さま、
私達の夏はまだ終わりません!
それはもう、充分お分かりかと思いますが、
これからエリック・べネイがやってくるからです。

まずは14日に名古屋、15日に東京、コットンクラブ、
17日は横浜、モーションブルー、
そして18日から21日までは東京、ブルーノート。
さあ、これから益々、熱くなりますよ!

それぞれ準備はできてますか?
Eric Benetの歌の予習、着ていく服を考えたり。
今からダイエットはもうやめましょう。
ライブに向けての体力強化を優先して下さい。

頂いたエリックのレコードのジャケット、
夏っぽい雰囲気、"Why You Folow Me"を写メールして、
本日の画像にいたしました。
"Why you follow me?"「ついてくるな」と歌ってますけど、
エリックの来日に向けての心中は「みんな、僕についてきてね。」
に違いありません。

今回、たくさんのショウを予約されている方が多いですね。
facebookや個人的にメールでも連絡を頂いていますが、
充分に把握できていないので、
こちらへコメントで教えていただけるとありがたいです。

さあ、皆さん、いよいよですよ。
NEWアルバム、"Lost In Time"からの新曲では"Sometimes I Cry"
"Never Want To Live Without You"
"Feel Good"も聴けるはず。

コアなファンの方は昨年の7月からずっと"Sometimes I Cry"を聴いてきたことでしょう。
目の前でエリックに"Sometimes I Cry"を歌われて、
"Always I Cry"になってしまいませんように。

夏休みを堪能した方も、充分に楽しめなかった、夏バテで疲れているという方も、
今日からエリックの来日へと切り替えて行きましょう。

自分達も楽しむと共に、
エリックべネイにも「やっぱり日本のファンはいいなぁ。」
と思わせたいですね!

「エリックべネイの結婚と新作映画を祝して」

2011-08-28 12:57:57 | エリック・ベネイ関連インタビュー
画像は"Trinity Goodheart"、Trinity役のErika Gluck、脚本家Rhonda Barakaと一緒のEric Benet

New Interview by Nekesa Mumbi Moody
The Associated Press 8/24
http://washingtonexaminer.com/entertainment/2011/08/eric-benet-celebrates-new-marriage-and-film-0#.TlZLX8v7QIg.facebook

エリック・べネイは今まで映画「グリッター」などで数本脇役を演じてきた。
今回、テレビ映画”Trinity Goodheart”においてべネイは初めて主役級を演じるオファーを受ける。
彼の実人生に似た娘を育てるシングルファザーという役割であったとしても、
この仕事を受けるにはかなりな覚悟が必要だったはずだ。
(べネイは19才の娘を彼女の母親が亡くなった後、シングルファザーとして育てている)

「これは僕にとって、単に台詞を覚えるという今までの役とは違った。
そこで初めて演技指導も受けた。”Trinity Goodheart”の中には、
感動的な場面がいくつかある。自分の演技次第にそれが人の心を打つかが掛っていると思った。」

俳優としての実力は?
Eric「どの程度のレベルに達したかはわからないけれど、出来上がった映像を観て、
役柄を忠実に表現できた、演技指導を受けたことで、演技に深みを添えることができた、
アクティングコーチと共に
脚本に書かれていない部分で自分の演じる役の性格を組み立てることでそれが可能になった。
感情的にならなければならないシーンがいくつもあって、
そういう役を演じるのは自分にとって初めてのことだったからね。」

さて次の役は?
「とても貴重な経験ができ、高い評価も受けることができた。
でも・・・僕は本業は音楽なので曲をつくることに集中しないとね。」

結婚は二回目になりますが、失敗から学んだことは?
「結婚はね、子供を持つのと同じだよ。準備ができているつもりでも、
生まれてみないとどうなるかは誰も予想できない。
もちろん10年前よりもずっと賢く気配りができて、
コミュニケーションもできるようになったと自分では思っているけどね。
夫婦の関係は日常の日々の積み重ねだと思っている。」

PNG最終日

2011-08-26 00:00:23 | パプアニューギニアへの旅
朝起きると、夫の体調も回復しているようで安心した。
そのまま、水着を着て食事前に一人で泳ぎに行くことにする。
誰もプールにはいない。
食事をしている人も少ないから見ている人もいないと思い、
泳ぎ始めたら、調子が出てきてしまった。

部屋へと戻りシャワーを浴び、二人で朝食に出掛ける。
誰も見ていないと思っていたのに、オーダーを取りに来たサービスの男性に、
「さっき泳いでいたでしょう?
今日の水はちょっと冷たすぎませんか?」と聞かれる。


前日は暖かい卵料理を含むコンティネンタルブレークファーストにしたので、
この日はビュッフェにしてみる。
冷菜ばかりなのとジュースも生ではなくて出来合いの物。
パンをごっそり盛りつけてテーブルに持って来てくれたので、
これをお持ち帰りにすることにした。

「フィリピンから来たのですか?」と会計の時に聞かれる。
日本からの観光客はこのホテルには余り泊まらないらしい。

旅程表によると、最終日の飛行機は午後2時40分発。
ホテルまで旅行社から迎えが来ると書いてある。
が、何時とも書いてないし、行きの空港で会った時に特に時間の話もなかった。
現地の支店へと電話してみる。

帰りはオーストラリアから乗り継いで来る乗客も多いこと思うので、
早めにチェックインしたい。
でも空港には時間を潰すようなお店もレストランもない。
先方は「じゃあ、10時に迎えに行って空港でチェックインをして、
またホテルに送って上げますから、2時前頃までホテルで過ごしたらいかがですか?」
チェックアウトが11時、それだとちょっと慌ただしいかと思い、
11時にピックアップ、空港のチェックインを済ませ、またホテルへと戻る、
ホテルへは余裕を持って1時半に迎えに来てもらうことになる。
ほんとうにこんなんで大丈夫なのかと思ったが、ホテルと空港間は5分ほど。
空港も空いていて何の問題もなかった。

意外にセキュリティーが厳しくて、空港の入り口、
搭乗口待合室前、飛行機に乗る寸前と三カ所になっている。
空港まで送ってくれた旅行社のKさんの他に搭乗口までは別の係の人、
Nさんが付き添ってくれた。
ほんとうにこの旅行社は至れり尽くせりで行き届いている。

搭乗口前の土産物屋で私はへまをやった。
欲しいピアスを見つけてしまったのにPNGの通貨、キナはもう手持ちがない。
「米ドルで払ってもいい?」と聞くと計算してくれた。
12.5ドル。10ドル札と20ドル札しかない。
お釣りは出せないとのことなので、
「それなら10ドル分を米ドルで払って、
残りの2.5ドルはキナで払うから計算して。」
おばちゃんは計算に手こずって、レジは渋滞してしまった。
Nさんが「どうしました?」と飛んで来てくれて、
キナで払ってくれて、私はNさんに日本円で返した。
あ~恥ずかしい。

着いた時に空港で両替、足りなくなったのでエアウェイズホテルでも両替をしたが、
ホテルでは一桁少なく金額を間違えて計算されていた。
両替のレシートも出してくれなかったので、
金額の訂正とレシートの発行をして貰うように言った。
一流ホテルのエクスチャンジでさえ、
この有様なのにお土産物屋さんでめちゃくちゃな要求をしてしまった。
並んで待っていた人達、皆さんにお詫び。
Nさんにも迷惑を掛けてしまった。

空港の通路で、いきなりすれ違いざまに男性が私にぶつかってきた。
日本のサーファーかダイバー風の男性。
PNGで混雑しているところにもたくさん行ったが、
人に突き飛ばされたりはしなかった。
ホテルの中でも男性は皆、ドアやエレベーターで女性を優先してくれたので、
空港で突然、日本の男性にぶつかってこられて、挨拶もないことに私は動揺した。

PNGに行く前に危険な国、治安の悪い場所とあちこちに書かれていたが、
日本や日本人の方がよっぽど危ないかもしれない。

物を売る母親の傍に裸で座っている子供は気の毒だろうか。
母親と一緒にいることができて、
暑いから裸の方が気持ちが良いかもしれない。
靴を履いていないから、
家がないから、その人が不幸であるとは言えない。
日本の尺度で物事を簡単に計ることはできない。

もしも空腹で栄養が行き届かない、きちんとした医療が受けられないために命を落とす、
教育を受けていない為に職業に選択肢がないとすれば、
子供達にとってそれは未来が閉ざされていることになるかもしれない。

PNGは生活物資が意外に高い。
街のスーパーや野菜市場での物価はかなり高めだった。
また首都のホテルの宿泊費、安全な地域にある家屋の家賃が急騰しているそうだ。

Rから2年振りで帰国したら、車の交通量が増えていることに驚いたと聞かされた。
この国では今、多くの産業が発展しつつあるとも聞いた。

帰国した翌日、早速ご馳走になった料理を自分の出来る範囲で作ってみた。
ココナッツミルクは缶詰、芋類は長芋と里芋を使った。
青菜は空心采と水菜。
丸くて大きい焼く為の石などは持っていないので大きな鍋をガスに掛ける。
バナナは固い物を選んだがとろけて繊維だけになってしまった。
とてもビッグママの料理には及びもつかないが、旅の余韻に浸ることができた。
焼けた石を入れることで料理に香ばしい味が加わっていたことも作ってみてわかった。

パプアニューギニアで私が出会ったのは、みんな、気が良くて穏やかな人ばかりだった。
海や緑豊かな島、潮の香りのする風、ゆったりと流れていた時間、青い空も忘れられない。

ビートルナッツ

2011-08-25 00:00:23 | パプアニューギニアへの旅
料理に使ったココナッツの殻を夫が洗っては磨き干している。
その様子を見て、家族の人達何人かに「彼は何をしているの?」と聞かれる。
「家に持って帰って器に使いたいんだと思いますよ。」と説明する。
家族の人達も手伝ってくれて、ココナッツの中を削ってくれた。

娘婿が襷掛けにしている籠を編んだポシェットを見て、
「どこでこれは買えるの?」と夫が聞いている。
この家のビッグママが二つ、バスケットを出して来てくれて、
「これを持って行きなさい。」と渡してくれた。

こんな感じで寛いだ雰囲気だったので、
とてもこの国と馴染みが良いタイプだと見込まれてのことと思う。

「ビートルナッツをやってみない?」とビッグママが夫に提案する。
やり方を見せてくれる。
まず実をかじって、中の果肉を噛み切る。
それをしばらくガムのように噛んで、白い石灰を付けたマスタードの実をかじる。
そこからしばらく噛んでいると、真っ赤に色が変わってくる。
その時に唾液をぺっと吐き出す。
ビッグママはすぐに口の中が真っ赤になり、吐き出した。
夫のはいくらやってもオレンジだ。
唾液も出てこないから吐き出す物もないと言う。
今にして見ると、かなりたくさんの量を口に含んでしまったような気がする。

しばらく噛んでいたら、目が廻って来たと言い出した。
汗が噴き出して来て寒くなって来たと言う。
皆が早く吐き出せ、水で口を濯げ、体内にたくさん吸収されてしまったから、
水をたくさん飲んで浄化しろと教えてくれる。

横になった方がいい、たくさん水分を取るようにと大きなペットボトルまで、
持たせてくれてホテルへと送ってもらう。
「だいじょうぶ、すぐに治るよ。」と皆に言われたのと、
本人も気はしっかりしていて「横になってしばらく寝るから、プールにでも行ってくれば。」
と言うので、そっとしておいた方が良いかと思い、プールサイドへと出掛ける。

もう5時を廻っていて、陽は陰り、誰もプールにはいない。
プールサイドのバーでは飲み始めている人達がいる。
デッキチェアで横になった途端、夫のことが猛然と心配になってきた。
二日酔いとか風邪を引いたとか、足をくじいたとかならともかく、
全く未知の植物の毒が廻っている状態なのだ。
傍にいれば、様子が変わったと気付いた時に、
フロントに電話してドクターを呼んでもらう、
自分で人工呼吸や心臓マッサージもできるかもしれない。
でも一人部屋に残して来てしまって手遅れにでもなってしまったら、
どうしよう。
慌てて部屋に戻る。

部屋に入ると夫は気持ち良さそうに寝息を立てて眠っている。
おでこを触ると熱いように思うが、私の手が冷たいのかもしれないと思い、
しばらく傍で様子を見ていた。
暑さで疲れが出たのかもしれない。
8時過ぎに目を覚ました夫は、軽く夕食を食べたいと言う。
「今日はビールは我慢した方がいいかなぁ。」などと呟いている。
ルームサービスを取るつもりかと思ったら、外に食事に行きたいと言い出した。

9時前にバーコーナーへと向かう。
昼食が遅かったので軽いお摘みのつもりでフィッシュ&チップスを頼んだら、
たっぷりと盛りつけられてきた。
ビールをそれぞれ2杯飲み、その日は早めに休むことにした。

Nickolas Ashford の訃報

2011-08-24 00:00:19 | その他のライブ
ナイル・ロジャースが癌の再手術を受けなければならないという自身のブログ、
およびツイッタ―を読み、心配な気持ちでいたところ、
一昨日の朝、急に体調を崩してERから入院、緊急手術となったと知り、
祈るような気持ちでナイルのことを案じていた。

しばらくすると経過が順調だとナイルのツイートがあり、
励ましの言葉を送ると共に胸を撫で下ろす。
そこにアシュフォード&シンプソンのニコラス(ニック)・アシュフォード死去のニュース。
何ともやり切れない気持ちになってしまった。

一昨年11月に彼らの初来日があった。
「日本に初めて来てくれるのよ!」と投稿すると同じ音楽の趣味のアフリカ系アメリカ人の友人達から、
「えっ、今まで二人は日本に行ってなかったの?信じられない!」等々のコメントがついた。

2009年11/21のAshford & Simpsonのライブは今までに観たライブの中でもベスト5に入る。
あまりの素晴らしさに観ていて楽しむと共にウルウルしてしまった。
その時の感動をブログで綴った。
『Ashoford & Simpson @ Blue Note Tokyo 11/21 2nd 2009』
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20091122
感動醒めやらず、翌日も引き続き続編を書いた。
『アシュフォード&シンプソンの後は…』
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20091123

60代の二人は完璧に現役だった。

評判が評判を呼び、後半にライブに行った人、
また行けなかった人とは次回はぜひと話していた。

あれだけ連日、観客でにぎわうライブだったなら、
翌年の来日もあるかと思ったが、叶わなかったので、
今年こそはと期待していた。

最初からスタンディングだった私にヴァレリーは隣に来て踊ってくれて、
ニコラスにもマイクを向けられ"Ain't nothing like the real thing"を見つめあって歌ってしまった。
"Ain't No Mountain High Enough"も最初はダイアナ・ロスのヴァージョンで
ヴァレリーがピアノに向かって歌い、
その後立ちあがってニコラスと二人で
マーヴィン・ゲイとタミ―・テレルのヴァージョンを聴かせてくれた。

チャカ・カーンの"I'm Every Woman"、ダイアナ・ロスの"The Boss"
(これは個人的に自分のテーマソングにしている)
好きな曲ばかりの連続に興奮、
またニコラスとヴァレリーが自分たちの音楽史をミュージカル仕立てで語るのも、
見応えがあった。

アンコールは日によって違ったようだが、私達の行った21日のセカンドは、
クインシ―の"Stuff Like That"
これも予想外で盛り上がる。
最後にニコラスは私に手を伸ばして握手してくれた。

今年6月末にあったフィリップ・ウ―のバースディライブでも、
フィリップはアシュフォード&シンプソンと一緒に仕事をした時のエピソードを語りつつ、
彼らの楽曲を演奏してくれた。

ヴァレリーがメロディーを生み出し、ニックがそこに詩を付けていく。
フィリップは自分の家に泥棒が入り、たいへんな思いをした時、
二人が心配して、支えてくれた話も披露した。
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20110630
ますます二人のデュエットをまた、生で聴いてみたいという気持ちをつのらせていた。

最近どういうわけかAshoford & Simpson の曲ばかり聴いていた。
それもライブ盤。
"Solid"、ライブの時の二人の息の合った掛け合い、
最後に向き合って手を添える姿が忘れられない。
ニコラスの写真を今日のブログのトップに使おう捜したが、
良い写真はすべてヴァレリーが一緒のものばかり。
なおさら悲しくなる。
この業界で簡単に別れてしまう夫婦が多い中、二人は40年余り連れ添った。
ほんとうに"Solid"の歌詞の如く、岩のように堅固な絆だったと思わずにはいられない。

YouTubeで二人の出会いから2008年までを辿る映像をみつけた。
10代の学生だったヴァレリーと21歳のダンサーを目指して都会へやってきたニコラスは、
教会で知り合ったそうだ。
その後、経済的に厳しい生活が続いたニコラスはベンチで寝泊まりしていたと、
そこを映像の中で案内している。

二人の経営するニューヨークのライブハウス、来日した時にそこで歌っている歌手も、
バックシンガーで一緒に来ていた。
そのライブハウスも行ってみたい、またぜひ来日して欲しいと楽しみにしていた。
二人の一緒に歌う姿をもう見ることはできない。
この映像を見るとほんとうに仲睦まじい。
咽頭癌、70歳(69歳との説もある)で亡くなったと発表されているが、
闘病生活を送っていたことも公表されていなかったようだ。
公私ともにパートナーだった夫を失ったヴァレリーの心痛はいかばかりかと思う。

モータウンのそしてR&Bの音楽史に刻まれるレジェンドの突然の訃報だった。
往年のスターでありながら、現役でも輝くばかりの姿を観ただけに惜しまれてならない。

Ashford & Simpson

ポートモレスビー

2011-08-23 08:41:57 | パプアニューギニアへの旅
10時にRがホテルに迎えに来てくれた。
一つ年上の従兄で大学でも先輩だったというCも一緒だ。

まず国会議事堂へと向かう。
最初にやはりゲートがある。
しかし余りきちんとしたチェックはしていない。
車を停めて、議事堂の前に行く。

外を見るだけかと皆思っていたのだが、
中から出てくる人がいる。
「入っていいんですか?」と聞くと、ドアを開けてくれる。
受け付けがあり、名前を記帳。
最後に感想も書いて欲しいとのこと。

受け付けにいた三人の女性の内の一人が「どこから来たのですか?
初めてですか?案内しましょうか?」
と声を掛けてくれる。
早速案内をお願いすることにする。
外にいたRにも声を掛けて中へと呼ぶ。

内部にはパプアニューギニア歴代の首相の写真が飾られている。
初期には首相とは言わずに"Speaker"と呼ばれたそうだ。
またPNGの風物、珍しい蝶の標本なども置かれている。
議事堂の内部、国会が行なわれるホールも見せてもらった。
天井や壁にはモザイクや木彫りの彫刻があり、首相の座る椅子はひと際立派だ。
国会議員の座る席、書記や傍聴人の座る席がある。
与党と野党と席が分かれている。

内部の構造がわかるようになった模型が展示されていた。
その中には国会議員一人一人のオフィスもある。
「今度、来る時にはあなたのオフィスを訪ねるからね。」とRに言うと笑っている。

内部は撮影禁止とのことだったので、外に出て全員で記念撮影をする。
余りののどかな様子に、いったいここのどこが危険だと言われているのか、
なぜ強盗が起きているのか、その時は理解できなかった。

その後、PNG大学へと行く。
ここにもゲートがあり、守衛が待機していて門を開けてくれる。
二人がかつて住んでいて今は使われていない寮
(二人ともポートモレスビーから飛行機で一時間ほどのハイランド出身)
現在の男子寮、女子寮、図書館。
校内はびっくりするほど広い。
車なしに移動するのはたいへんそうだ。
男性が二人手を繋いで仲良く歩いていた。
Rが「あれはね、この国では男同士でも親しみを込めてやることなんだ。
ゲイではないんだよね。」と説明してくれる。

動植物園の前で車を停める。
ここの前でも事件が起きたと聞いていたが、確かに怪しげな人が前にいる。
しかし私達の目には危ない人とそうでない人の区別が良くわからない。

動植物園で最も面白かったのは圧倒的に鳥類だった。
見たこともない華やかな鳥達、木の実を取って観覧者にプレゼントしてくれる鳥までいる。

ところが、ここでグレーのペンキが塗りたてなのに何も案内がでていなくて、
RのTシャツとズボン、持っていたキーホルダーや手に付いてしまう。
Rは「ペンキ塗りたてなら、そういう立て札とか書いておけばよい物を・・・」
と日本語で呟いている。
その後、係員にも注意をすると早速手書きの立て札が置かれる。
この辺が日本と違ってかなりアバウトだと思った。
持っていたウェットティシューを出して渡したが、手に付いたペンキも洋服も落ちない。
作業小屋の前を通りかかったので、作業員を呼んで、
「友達にペンキが付いちゃったんだけど、シンナーとか落とす薬品はないの?」と聞くと、
缶を出して来てくれる。
手とズボンのペンキは落ちたが、Tシャツは残念ながら落ちなかった。

Rと夫がその直後に煙草を吸おうとするので「引火するかもしれないよ。」と心配したが、
「ガソリンみたいな匂いになった。」と言いながらも二人は煙草を吸いだした。
Rは私が渡したウェットティッシュも煙草の吸殻もごみ箱を見つけるまで持ち歩いている。
夫が捨てようとした吸殻も預かっている。
その辺がすごくきちんとしていることに感心する。

大学を後にして野菜の市場へと向かう。
この時ばかりはRとC、二人とも険しい表情になる。
車の中に荷物を残さないように、バッグは前にたすき掛けにして、
自分達から離れないようにと言われる。
Rが前を歩き、その後ろに夫、私、Cが後ろにピッタリと付いてくれていた。

地面に座り、裸の子供と一緒に陽のあたる中、
笑顔で野菜を売っている女性がいる。
様々な種類のバナナ、サトウキビ、グァバ、日本にない種類の芋類。

ココナッツの実の上をナイフで切ったものをRが買ってくれる。
さっぱりとした味で喉の渇きが癒える。
たっぷり入っているので、最初に私が飲み、次が夫、RとCも引き続き廻し飲み。
まるでお茶のお手前のようで笑える。

突然、Rに話しかけてきた人がいる。
その人は買い物した荷物を全部持ってくれて、買い出しを手伝ってくれる。
Rが選挙に出た地方出身の住民だそうだ。
RはPNGにある一つの部族の酋長の家系なので、
同じ地方出身の人には知られている存在らしい。

車に戻ると市場の入り口は大勢の人がいて中々進めない。
Rから「みんな、いい人ばかりなんだ。
でも悪い人が一人か二人いて、弱そうな人を狙う。」
「それは観光客を狙うのね?」と言うと、
「そうとは限らない。老人だったり子供連れの人だったり。
だから注意しなければならないんだけどね。」

この話を聞いた時、なぜRがCを連れて来てくれたかが良くわかった。
危険な場所でも現地の男性が二人ついていてくれれば狙われないからだ。

Rがポートモレスビー滞在中にお世話になっているという家へと向かう。
ご主人は船の船長で留守にしている。
奥さんと娘3人、一人の息子、娘婿二人と孫が同居している。
「健一郎」と名付けれてた孫息子が無邪気で可愛い。
家の周りは鉄の柵で覆われていて、柵の上にはギザギザの針金がぐるぐる巻きだ。
チェーンで厳重に閉められている門を開けてくれて車を入れて門を閉める。

庭には鶏がたくさんペットのように飼われている。
裏庭には動物園にいたようなきれいな鳥もいる。
庭の林檎をもいで食べさせてくれた。
バナナやライムの木もある。

庭の一角でバーベキューのような炉がある。
そこに薪をくべ、丸い大きな石を熱し始めた。
大きな鍋やたらいが用意されている。
石が熱くなるのを待つ間、近くのスーパーに飲み物を買いに徒歩で出かける。
ここでもRに声を掛けてきた人がいて、買い物の荷物を持ち、
お店の人に頼んでくれたり、必要な買い物を手伝ってくれる。

道に赤い染みがところどころにあるのをRが指差す。
「口が赤い人、歯が赤く染まっている人に気付かなかった?」と聞かれるが、
全然、覚えがない。
ビートルナッツというのを噛みながら、石灰を付けたマスタードの実をかじる。
すると化学変化を起こして色が赤くなる。
その汁を吐き出す。
カフェインをたくさん取ったようなハイな気分になるそうだが、
Rはそれが嫌いだと言う。
中にはやり過ぎて歯が赤く染まってしまい落ちない人もいるそうだ。
その後、気を付けて見ているとたくさん口の周りを赤くしている人がいる。

歩きながらRは前にいる人を指差して「ああいう人はドラック付けで危ないんだよ。」
と教えてくれるが、私にはやはり危ない人とそうでない人の区別がつかない。
家に戻ると石がちょうど良いあんばいに焼けていた。

まずココナッツを割る。
その真ん中をこそげとるような大根おろしのような道具でココナッツを削って行く。
少しやらせてもらったが、慣れないと決して簡単ではない。
最後に手についたココナッツは手足に摺り込む。
天然のオイルだからと。

4つのココナッツを摩り下ろすと、今度はこれを手で笊をのせたボールの上で絞る。
オイリーにしたかったらぎゅっと、そうでなければさっと絞るそうだ。

このココナッツを少し水で薄める。
そこにニンニクとショウガのすりおろしも入れる。
この鍋を炉の近くに置き、まず熱々の石を炉から取り出し、水を張ったボールで洗う。
そして鍋に入れると一気に沸騰する。
一度、蓋を閉める。

そこに鶏肉、バナナ、芋類などを入れる。
そしてまた熱い石を足す。
庭に生えているバナナの枝を切る。
これを洗ってたたみ、鍋の上を覆い、更に蓋をして重しのレンガを置く。

次にトマト、玉ねぎ、青唐辛子などを刻んだものと、
チキンスープの素、空心采あるいは明日葉のような野菜と
摘み菜のような野菜をたっぷり、どんどん押しこむ。
石も足す。
そしてまたバナナの皮、蓋をして重石。
良い香りが立ち昇って来た。

学校に行っていた末娘と末息子が帰ってくるが、制服も可愛らしく二人とも初々しい。
できあがった料理、鶏肉、芋類とバナナ、青菜をそれぞれ別に盛り付け、
炊きたてのご飯も用意された。

皆で遅い昼食になる。
本物のココナッツを使った料理、パウダーや缶詰と違い、目から鱗の美味しさ。
今まで食べていたアジアンフード、
日本料理で例えれば、鰹節や昆布で出汁を取ったものではなく、出汁の素を使った料理だったことになる。

食事の後で先ほどの道端の人達がかじっていたビートルナッツをやってみないかということになり、
これがとんでもないことになってしまった。

金子三勇士@米沢ユアタウンコンサート 8/20

2011-08-22 09:58:07 | ピアニスト 金子三勇士
東北新幹線、正確には福島から山形へと向かう路線は「山形新幹線」と呼ばれるらしい。
車窓の風景は米沢へと近づくにつれ、ぐんぐんと緑が濃くなっていく。
しかし木々が茂った暗い森というよりも、すっきりと伸びた杉や檜の林に囲まれた明るい山道を、
列車は進んでいく。

米沢のイメージとして浮かんでくるのは、上杉謙信、上杉鷹山、
または米沢牛。
上杉鷹山が地元の産業として推進させた米沢織物、
てんぷらにしたりお茶としても飲まれているウコギも有名だ。

米沢駅に着くと駅の周辺には米沢牛専門店の看板が目につく。
この日のコンサートが開かれる場所は伝国の社(でんこくのもり)の中、
米沢市上杉博物館と併設される置賜文化ホール。
「伝国の社」とは上杉鷹山の「伝国の辞」に由来し、
「人々のために残し伝え豊かにする」という鷹山の精神を受け継いだネーミングだそうだ。

鷹山の残した言葉として伝国の辞と共に良く知られているのは、
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
国を治める者としての心構えを後世へと伝えたとされるが、
これは人生訓としても充分生かせる言葉だ。

また同じ松を見ながら鷹山が側室の豊と詠んだ「色はえぬ松に契りて
今日よりは猶幾千代の老いがわくすえ」
それに応えてお豊の詠んだ「ちとせふる松に契りて 今日よりぞ 老いの坂ゆく
末ぞ久しき」
今までも一緒に頑張って来た、これからも仲良く年を重ねていきましょう、
と夫婦の仲睦まじいあり方を詠っている句もある。
夫婦として座右の銘にしたい言葉。
「天下の本は国、国の本は家なり」の言葉と共に国を治めるだけでなく、
家庭を大切にした鷹山の人柄が偲ばれる。

金子三勇士の演奏会のために地方都市へと向かうのは初めての経験。
東京とは異なった場所、地元のオーケストラやホールの雰囲気、
観客の反応を見るのをとても楽しみにしていた。

実は少し前にこんな夢を見てしまった。
早めにホテルに着き、うたた寝をしてしまう。
気が付くとコンサートの始まっている時間。
目が覚めて「今からでも駆け付ければ間に合うだろうか。
いや、もう終わってしまったかもしれない。」
と途方に暮れている夢だった。

夫と一緒にホテルに着いたのは4時過ぎ。
コンサートの開始時刻は6時半。
ホテルのフロントで場所を確認すると
伝国の社はホテルから歩いて10分ほど。
後1時間半ほどあると思い、横になりかけたが、
先述の夢のこともあり、しっかり起きていることにする。
ここまではるばるやってきて寝過ごしてしまったら、いったい何のために来たのやら。

伝国の社の脇には上杉謙信を祀った上杉神社、
かつては共に上杉神社に祀られていたが今は独立し、
上杉鷹山は隣の松岬神社に祀らている。
米沢城跡の松岬公園も近くにあり、
この一帯は緑と運河に囲まれた美しいテーマパークとなっている。

置賜ホールが見えてきた。
和と洋が調和した近代的な建物。
能舞台もある。
併設の米沢上杉博物館も翌日、観覧したが見応えのある物だった。
地元の特産の和菓子、うこぎ茶が飲めるカフェも寛げる。


ホールは木調でゆったりとした造りになっている。
席は500席余り。
この規模のホールでオーケストラの演奏を聴くことができるのは地方都市ならではの贅沢。
スタッフの方達も皆、感じが良くて家庭的な雰囲気だ。

観客は老若男女、ご家族やお友達、ご近所の方達が連れだって集まってくる。
ホワイエでの会話が耳に入ってくるが、
このホールで行われるイベントを近隣の方が大切にされていることがよくわかる。
一方、私達のように遠方から、車や電車などを使っていらした金子三勇士ファンの方も。

後方の席に座り前方へと目を向けた時、女性達の後ろ姿、髪型を素敵にアップにして、
お洒落な髪止めをされた方が多いことに気づく。
織物が盛んな着物の町ゆえだろうか。

開演前に指揮者、ピーター・ルバート氏より通訳を交えて、
これから演奏されるメンデルスゾーン:交響曲「イタリア」
リスト:「ピアノ協奏曲:第2番」
リスト:交響詩「ハムレット」の解説が始まる。
ルバート氏の心遣い、穏やかな人柄が感じられた。

リスト:ピアノ協奏曲第2番
リストがこの譜面を最初に書いたのは1839年。
それに何度か手を加えられ現在演奏されているのは1863年に加筆されたものとのこと。
クラリネットの夢想的な導入部から始まり、ピアノの演奏はオーケストラを引率するような形で、
途切れることなく常に奏でられていく。
曲はしだいにダイナミックになり、後半はマーチ風にさえなる。
そしてクライマックスに達したところでフィナーレを迎える。

金子三勇士がこの曲を弾くのを聴いたのは2008年、
彼が大学一年生の11月、東京音大の定期演奏会。
指揮者は広上淳一氏だった。

今回はピーター・ルバート氏の指揮、またコンサートホールの場所柄か、
演奏はゆったりと牧歌的な響きがある。
聴いているとこの地に至るまでに見た景色、
鬱蒼とした森ではなく、気持ち良いばかりにすくっと伸びた杉や
ヒノキの雑木林の優しげな風景が浮かんでくる。

金子三勇士の演奏は、オーケストラと見事に調和している。
8/3にトッパンホールで「スペイン狂詩曲」「メフィストワルツ」を聴いた時に、
より力強くなってきていると感じたが、今回の演奏にもそれが反映されている。

振り返ってみると、金子三勇士のオーケストラとの共演を聴くのは、
一昨年の国際フォーラムでの新日本フィル、小林研一郎指揮のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、
昨年4月のオペラシティー、東京フィルとの共演、広上淳一指揮でのショパン:ピアノ協奏曲第1番。
そして昨年7月の葛飾シンフォニーフィルズ、ガーシュイン:ピアノ協奏曲から数えても、
約一年振りになる。

山形交響楽団、コンマスは凛とした女性の方だ。
オーケストラとリハーサルを重ね前日には山形市で公演もしているので、
山形フィルのオケの方達との和合の中、金子三勇士も伸び伸びと演奏をしているのがわかる。
後方の席から観ていたが、ここのところ、演奏のアピアランスが、
更に表現力豊かになりステージで映える。

演奏終了後も続く拍手。
近くの席の若い女性二人は「ブラボー!」と掛け声も。
ステージに戻って来た金子三勇士は「では短くて、静かな曲を。」
とバッハ:フランス組曲「サラバンド」を聴かせてくれた。

鳴りやまない拍手。
三たび、ステージへと戻った三勇士は恒例のピアノを閉める儀式で幕を下ろし、
客席からは暖かな頬笑みの声が漏れた。

休憩時間中に楽屋を訪ねて近況を聞く。
これからもスケジュールが詰まっていること、もっと練習したいと思っていることなど。
更なる精進を重ねていく意気込みを聞かせてくれた。

終演後、サイン会が始まる。
CDの販売もあり、多くの方が並ばれていた。
後方から様子を見守っていると、サインを頂かれた方が、
「握手してもらったよ!」とか「ほんとにカッコイイ!」
と目を輝かせて感動を語っている様子に、こちらも口元が綻ぶ。

金子三勇士、この地にたった一人でやってきた。
マネージャーも付き人もなく、自分でこの日に着るワイシャツにアイロンを掛け、
サイン会に一人で臨み、並んで下さった一人一人の方に丁寧に挨拶、
サインをしている後ろ姿を見ながら、思わず目頭が熱くなった。

地元の山形新聞には「金子さんが独奏・協奏曲 端正な音で表現」というタイトルで、
記事が掲載されていた。

エアウェイズホテルへ

2011-08-21 09:19:59 | パプアニューギニアへの旅
対岸に船が着き、車に乗り込む。
来た時は夜で気づかなかったいろいろな物が目に入ってくる。

走っている内に、緑は少なくなり、はげ山のような丘に囲まれてきた。
その路上で生活している人々を見かける。
東京で見掛けるホームレスとは違う。
家族で外で生活を営んでいると言った方が正しい表現かもしれない。
桶に汲んできた水を前に頭から石鹸で洗っている人を見た。
裸足で歩いている人も多い。

都心部に近づくと、
路上には飲み物を売るスタンドやTシャツや小物を売っている露天商もある。
いよいよエアウェイズホテルが見えてきた。
最初にゲートがあり、警備の人が両側と正面に立っている。
ゲートが開けられ、坂道をメインタワーへと進む。
入口にはライフルを持つ人が立っていて、ベルボーイやドアマン、警備員、
それぞれ違った制服を着ている。

内部は美術館のような、びっくりするほどスタイリッシュなホテルだ。
チェックインを済ませて部屋へと案内してもらう。
いくつかの棟に分かれているが、私たちはバスタブなしの部屋を選んだ。
バス付きの部屋、最も豪華な棟はフロアごとにバトラーが待機してサービスしている。

部屋も整然として木調とシルバー系、青銅色に色彩が整えられている。
バルコニーがあり、目の前には椰子が茂っている。

部屋からプール、ダイニングルームに至るまでにいくつものカードキーを通さなければいけない。
エレベーターもしかり。
このセキュリティーの厳重さが安心などころか、
先ほどまで滞在していたロロアタ島ののんびりとした様子とは余りにかけ離れていて、
「ここまでしなければならないほど、ここは危険なのか。」と返って不安になる。
またカードキーの調子が悪く、グリーンのライトがつかず赤いライトが点滅、
ドアが開かないこともあった。

しかしとにかく、掃除の人、巡回する人、ハウスキーパー、警備員、
大勢の人の目が絶えず行き届いているので、ドアが開けられずに戸惑っていると、
誰かしらが飛んできて開けてくれる。

歩いていても皆、挨拶や「何か捜しています?」と声を掛けてくれる。
ここで働いている人達は皆、表情が生き生きとしている。
自分の仕事に誇りを持ち、楽しんでいることがわかる。

チェックインの際にスパの15分間のフットマッサージのサービス券が入っていたので、
ホテルの中を見学しつつ、スパの前に来たのですぐにできるかと聞いてみる。
暗くアロマオイルの香りのするスパロビーに通され、
フットマッサージのコーナーへと案内される。
蒸しタオルで足を清めた後、アロマオイルでマッサージ。
左足の時は気持ちが落ち着かなかったせいか、リラックスできなかったが、
右足の時にはうとうとしてしまった。
ソフトで優雅な雰囲気のフットマッサージだった。

部屋に戻ると水着に着替えてプールへと向かう。
時間は4時。
まだ陽が高く、じりじりと肌が焦げるようだ。
ダイニングルーム、バースペースに隣接したプール。
泳ぐ人はいない。
周りを見るとお客はすべて白人だ。
フランス語やドイツ語、英語が聴こえてくる。
働く人は現地の人、お客はすべて欧米の人種。
東洋人は島でも見掛けなかったが、ここにも全くいない。
先ほどの街中の様子と余りに別世界のホテルの内部に何か戸惑いを覚える。
Rと6時にフロント前で待ち合わせをしていたので、
シャワーを浴びに部屋へ戻った。

三人でその日の晩はホテルで夕食を食べることになる。
高台の最上階にあるレストランからは背後にある空港の夜景が見える。
風が通り涼しい。

Rはポークソテー、夫はラム、私はバナナの皮で蒸した白身魚に
ライスとココナッツミルクのソースが添えられたメインディッシュを選んだ。
メインを頼むとビュッフェも取ることができる。
オードブル、ビーフシチュー、デザート、フルーツ、チーズなどが豊富に並べられている。
ビールは現地のSP。
オーダーする時にRが「ちょっとすいません!」と言ったので二人で笑ってしまった。
私達と話していてつい日本語が出てしまったようだ。

夫とRは煙草を吸うので、食事の後はバーコーナーに移る。
「モヒートを頼んでみよう。」ということになり、オーダーするが、
バーテンダーもわからないとのことで、それぞれウィスキーや白ワインを注文。
働いているスタッフを見ながら「この国の女の子はみんな、とっても可愛いね。」
とRに言うと、実は良く知らないと言う。
家が厳しくて在学中は勉強に追われ、日本に留学してから初めて彼女ができたそうだ。

一昨年、選挙に出たとは聞いていたが、
パプアニューギニアに100名余りいる国会議員に立候補したそうだ。
後、もう少しのところで落選してしまったが、費用が多額に掛かったこと、
日本で仕事も持っているので、選挙運動に充分な時間が取れなかったこと、
また現地と密接な関係のある候補者が有利だったことなどを話してくれた。
日本や海外との接点も多く持っているので国のために貢献できるという自負もあり、
また選挙に出てみたいという気持ちもあるが、諸事情を考えると悩みどころだそうだ。

「さて明日は何をしたい?」とRに聞かれる。
「船を借りて無人島に行き、バーベキューをするのはどう?」と言われたが、
「海はロロアタで行ってきたから、街の人の生活を見たり、首都の観光をしたい。」と夫。
「わかった。それなら国会議事堂を見て、その後、僕の行っていたパプアニューギニア大学を見学、
そこには植物園、動物園もあるし。その後で知り合いの家でこの国、独特の熱い石を使った料理、
食べるところだけでなく、作るとことから一緒にやってみない?
後、現地の野菜市場、スーパーマーケットなんかも見よう。」

「R、ありがとう。そういうことをしたいと思っていた。
でも国会議事堂はいいよ。行かない方がいいって外務省のページにもあったし。
植物園も危ないって書いてあったような・・・」と私。
R「ぜんぜん大丈夫だよ。」
私「それはRがこの国の人だからでしょ?」
R「一緒にいれば僕だって同じ目に合うよ。自分だって危ない思いはしたくないから、
そんなところには連れて行かないよ。」
かつては大使館でも働いていたR、
そこまで言うなら、もう大舟に乗ったつもりで付いていくことにした。