行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

不思議な城下町近江八幡 その2

2013-05-19 21:07:53 | Weblog

近江八幡の人は豊臣秀次を開町の祖として崇め、市の資料館には秀次の鎧が飾ってある。悲劇の関白というイメージだったが、彼の治政はインフラ整備に於いて卓越していたことがわかる。腕利きの職人を呼んで築城、近江瓦は今でも名品だし、琵琶湖から運河、八幡堀を引いて物流の効率を上げ,更に楽市楽座で商人を集め、近江商人を生み出した。

八幡堀

 

秀次一族の菩提を弔い、母(秀吉の姉)が嵯峨の村雲に瑞龍寺を建立、後陽成天皇より門跡寺院となり村雲御所と称さた。後に八幡山の城址に移築されたが、こんな高い処に小さな御所があること自体信じがたい。

八幡山から城下の眺望、見事な近江瓦の屋根

もう一つの謎だが、前回紹介した近江八幡とは縁の深い米国人ヴォーリズの敗戦後に取った行動で、上京しマッカーサー元帥に会い、昭和天皇の助命を嘆願し、会見を勧めたという話だ。ほんとは何者なのだろうか?英語教師として来日し、1000以上の洋館を設計し、病院,学校、メンソレータムの事業を展開した。日本近代の歴史の中で特異の外国人としてドラマティックな人生で小説、映画の題材にもってこいだと思うのだが。

宿泊したホテルニューオウミ、観光案内所、資料館などここの町の人はやさしく丁寧で、心が和んだ。有り難う。

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