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こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観て 井上ひさしに脱帽です

2013年01月23日 | 観劇メモ

12時半開演に合わせて10時過ぎに出発。道路は車も少なく、予定より早く10時45分に地下駐車場につきました。
12時開場のため、今回も入り口近くの珈琲館で早めの昼食にしました。

サンドイッチもおいしくコーヒーもよかったのですが、店内が禁煙ではないのが残念なところでした。






係員に案内されて席に行きましたが、19列で通路から上がる結構急な階段があり、ヨメさんは焦っていました。でも何とかたどり着いて一安心。
苦労の代わりに見通しの良い席だったので、後ろでも観劇は楽でした。

客席はほぼ満席。テーマゆえか、観客はどちらかといえばやや年齢構成が高めですが、けっこう若い人も多かったですね。

↓ロビーに飾られた花です。


今回観た『組曲虐殺』は「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」として上演された8作品のフィナーレを飾るもので、本当にそれにふさわしい力作でした。
以前観た「藪原検校」や「芭蕉通夜船」もこのシリーズとして上演されたものです。
もともと「組曲虐殺」は、以前チケットが取れず観劇できなかった作品です。それが再演されると知って、去年10月にチケットをゲット、観劇を楽しみにしてきました。

しかしテーマが重いので、観劇には覚悟もいるなと思っていましたが、そこは井上ひさし、濃く深い内容を巧みに物語化し、舞台芸術として見事に昇華していました。
遺作となっただけあって、丹念な取材を活かして、重い内容を「月並みな悲劇(作者自身の弁)」とせずに、笑いあり涙ありの劇にまとめ上げた渾身の一作でした。今回も演劇の楽しさを十分に味わいながら、様々なことを感じさせてくれる井上ひさしワールド全開です。

黙阿弥オペラ」から始まって、「キネマの天地」「藪原検校」「芭蕉通夜舟」と観てきた私たちですが、この「組曲虐殺」は別格の出来だと思いました。

舞台は大坂・道頓堀近くの島之内警察署取調室から始まります。
特高刑事の山本(山崎一)と古橋(山本龍二)が、黙秘して口を割らない小林多喜二(多喜二・井上芳雄)を取り調べているところから話は展開します。
その取り調べの過程から、登場人物のそれぞれの人生と時代背景が徐々に明かされていくところは無類のストーリーテラー・井上ひさしの面目躍如ですね。過酷な取り調べは象徴化した演出ですが、よく表現していました。

いつものことですが、とにかくセリフがすごいです。再演とはいえ、役者さん大変ですね。(笑)

キャストも先の3人以外でも、恋人瀧子役の石原さとみや、実姉役の高畑淳子、妻ふじ子役の神野三鈴などいずれも好演しています。なかでも高畑淳子と神野三鈴が印象に残りました。刑事役二人も味のあるいい演技でした。二人と姉の掛け合いになる最後の後日談の場面が救いですね。


物語は小林多喜二の29歳と四ヶ月の生涯を描いています。舞台はシンプルな装置で登場人物は先の6人だけ。
あと音楽はピアノのみですが、舞台の高いところでスポットライトを浴びながら演奏しているちょっと変わった演出でした。ピアニストは小曾根真で、音楽担当兼演奏だけに舞台と一体となった曲と演奏でした。

私の印象に残ったところでは、劇中の「絶望するには、いい人が多すぎる。」「希望を持つには、悪いやつが多すぎる。」どこかに「綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人がいないだろうか。‥いや、いないことはない」という歌詞です。

胸に響きました。

舞台の最後の曲「胸の映写機」にも心を打たれました。

物を書くとき、小賢しく頭でひねり出したものはダメ。心に響かない。でも全身で対象にぶつかって取っ組み合いをしたら、ひとりでに胸の中の映写機が回りだして、つぎつぎに文章が出来てくるといったセリフだったと思います。まあ作者の場合その映写機のスタートが遅いことでも有名ですが。(笑)

歌詞は、
「カタカタまわる 胸の映写機
 ひとの景色を写し出す 
 たとえば一杯機嫌の桜の春を
 パラソルゆれる 海辺の夏を
 黄金の波の 稲田の秋を
 布団も凍る 吹雪の冬を
 ひとにいのちが あるかぎり
 カタカタまわる 胸の映写機
 カタカタカタ カタカタカタ」
でした。

ここには作者自身の創作態度が表れていますね。あの膨大なセリフは、対象に正面から取り組んだ末に、彼の胸の中からあふれ出てきたものだと思いました。

あと、拷問で殺されるとき、二度と筆を持てないようにとまず指を折られ、そのあと全身に無数にキリを突き立てられて死んだというところ。それを聞きながら、ビクトル・ハラのことを思い出していました。

ご存知の方も多いと思いますが、チリの国民的歌手ビクトル・ハラがチリのアジェンデ政権をクーデターで倒したピノチェト軍の兵士によって惨殺されたのは、小林多喜二虐殺のちょうど40年後の1973年です。
彼もギターを弾けないようにと指と腕を折られた後、多数の銃弾を浴びて殺されました。
当時私は、クーデター軍に自ら銃を執って抵抗したアジェンデ首相の非業の死と、ビクトル・ハラの無残な殺され様に、やり場のない憤りを覚えたものでした。「ベンセレーモス」や「耕す者への祈り」を歌うビクトル・ハラの歌声とギターの演奏は今も鮮やかに耳に残っています。

でも、事件後40年を経て、チリの出来事には救いが出てきています。

以下はそれを報じた記事です。

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チリ人気歌手殺害で軍人訴追
 1973年のクーデターで拷問 腕折り多数の銃弾
2012.12.29 20:07 産経ニュース[国際]
 【リオデジャネイロ共同】チリ司法当局は1973年にアジェンデ社会主義政権を倒したピノチェト元大統領による軍事クーデター直後、国民的歌手ビクトル・ハラを見せしめで拷問、殺害したとして殺人罪で当時の軍人8人を訴追した。地元メディアが28日伝えた。

 クーデターによる混乱沈静化を狙った軍は73年9月、政権を支持していた共産党員で当時40歳のハラを拘束し、ギターを弾けないよう腕を折った後、多数の銃弾を浴びせて射殺した。軍政下の犯罪究明が進む中、人気歌手殺害についても約40年を経て解明に向かう。(共同)
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チリクーデター後40年、そして奇しくも多喜二虐殺から80年の今、チリでは事件の真相を糺す動きが始まっているのですね。
彼が虐殺されたチリ・スタジアムは、最近「ビクトル・ハラ・スタジアム」と改名され、2009年12月には、サンティアゴでミシェル・バチェレ大統領等の出席の下、公式の葬儀が行われました。

しかし日本ではどうでしょうか。

多喜二虐殺の責任者は昭和天皇によって勲章を授けられ、「治安維持法」が廃止された戦後も、一切罪に問われず、あるものは警察関係の要職を歴任し、あるものは東映の取締役に就任するなど、出世の道を歩み続けました。

日本では戦前も戦後も根本的なところでは何も変わらず継続されています。

中国の露骨な「言論統制」を日本のマスコミはこぞって批判していましたが、原発事故報道でも明らかなように、日本はもっとスマートにもっと洗練された形で、巧妙に言論が統制されていると思います。わかりにくく、国民が統制に気づかないように仕組まれている分、深刻でもあると思います。

それだからこそ井上ひさしは、多喜二を今取り上げる意味を強く感じていたのでしょうね。劇中に出てくる当時の「契約工員」は、ほんの少し形を変えただけで今も横行していますね。

井上ひさし自身、父が多喜二と同じ罪で逮捕され、拷問の後遺症がもとで若くしてこの世を去っています。

自分の幼いころにこの世を去った父に対して、井上ひさしは自分が「綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人」にならなければと思ったのでしょう。その綱の一つが、この作品として結実したのだと思います。

そして彼の死後、今度は私たちにその綱が託されることになりました。

終了後スタンディングで拍手する間に、このとても重い綱が手渡されてしまったことを感じながら、劇場を後にしました。


未見の方は、機会があればぜひご覧になってください。おすすめです。

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