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宝塚花組公演『ラスト・タイクーン ―ハリウッドの帝王、不滅の愛― 』 を観て

2014年02月26日 | 宝塚
今回の体調不良、風邪or花粉症なのか不明ですが、咳が止まらず目はショボショボ、鼻はグズる悲惨な状態で、食欲もなくなり久しぶりに寝込む始末。なんとか一昨日ぐらいから回復してきたので感想をまとめ始めましたが、肝心の公演が、どちらも少々期待はずれ。さっぱり感想を書こうというテンションが上がらない状態になっていました。
なのでいつにもまして薄い感想ですが、よろしければどうぞご笑覧ください。m(__)m

今回のタカラヅカ観劇、新人脚本/演出家の大劇場デビューとあって、かなり期待していました。
当日も楽しみにしながら劇場に向かったのですが、トップの退団公演なのに劇場内の土産物売り場とかホールとか見てもそれほどのにぎわいもなく、あまり活気が感じられなかったのは意外でした。これが人気の舞台だったらもっと勢いが感じられるのですが、平日ということを考えても少々さびしい感じ。

開場時間となって席に着きました。見渡せば1階席はほぼ満席だったので一安心。

で芝居の感想ですが、私としてはかなり不満な出来。
でもヨメさんの感想は「まあまあやったね」。えっ、よかった?と私が聞き返すと「とりあえず話は破綻してないから」。
まあ「破綻していない」というのは彼女の評価ランクでは「ギリギリ合格点」という意味ですが。

でも私としてはとても合格点は無理でした。
出かける前に見た公式ホームページの[解説]では、「大物プロデューサーの栄光と挫折」とか、「亡き先妻と瓜二つの未亡人とのロマンスを描いた」とか書いてますが、そのどれも描かれていなかったですね。大体始まってすぐにいきなり結婚というのも唐突すぎ。

でもそれよりなにより結末が不満。強引でもワンマンでもいい映画ができたのならそれで納得ですが、完成する前に死んでしまうとは。何のために社長と張り合ったり映画スタッフとすったもんだしたりのか意味ないですね。

原作がどこまで書かれていたのか知りませんが、どうせ未完の原作なんだし、結末は自由に作ったらよかったのにと残念。
例えばモンロー・スターと映画スタッフの組合連中が苦労して機材と資金を集めて、会社の妨害をはねのけて自主上映したら一挙に人気沸騰、映画会社を見返して、その勢いで次の映画製作に奔走するさなかに事故で死ぬとかやったらまだ意味があるけどね。
どんな映画を作ったのか作ろうとしてきたのか、肝心の栄光と挫折が描かれていないのが致命的。
ただの手が早く傲慢で、横暴で身勝手な男でしかなかったのが残念。「不滅の愛」っていわれても、そもそも愛らしい愛がどこにもなかったと思います。

蘭寿とむは頑張っていたけど、脚本の人物描写が弱いから持ち味が出せずかわいそうでした。

スーツ姿はやはりよく似合っていたけど、どんな役にも誠実さが付きまとう彼女のキャラクターなのに、今回は脚本がその味を引き出せないまま、類型的な「やり手」で終わっていたのが気の毒でした。





「真面目キャラ」でもオーシャンズ11ではまた星組とは違った別の味を出していたから、やはり脚本の不出来がすべてでしょうね。

明日海りおのヒゲは意外に違和感なかったですね。(笑)ただきれいな容貌なので老けるのは難しい。

若々しさがどうしても出てしまって、とても大学生の娘がいるとは思えない。(笑)スーツはちゃんと着こなしていましたが、年齢相応の落ち着きとか貫禄というのはなかなか出せないものですね。
そして彼女もどんな人物か、モンロー・スターと目指す映画観の違いなどで対立するとかが描かれていたらまた話に説得力があったと思いますが。ただ会社を守りたいだけに見えました。
歌はよかったです。モンロー・スターが歌いだすと反射的に身構えてしまったりしましたが、それが明日海りおと望海風斗の歌が弛緩させてくれました。

その望海風斗、あまりいい役ではないけど(笑)、骨太の演技で存在感がありました。

リーダーシップがあります。


ただ、今回の配役は、明日海りおと望海風斗の役を入れ替えたほうが良かったと思いますね。
望海風斗はオーシャンズ11でも濃いあくの強い演技ができるから、社長にぴったりだったと思う。逆に明日海りおはモンロー・スターといろいろ衝突するが、最後には意気投合して映画スタッフとして一緒に映画を作って、スターの死後もその映画作りの情熱を受け継いでいくとかにした方がつながったのではないかと妄想したり。

鳳真由は出番が少なくてもやはりうまかった。華形ひかるの小説家で脚本担当もまだ書き込まれていていい役のほうで、他の生徒たちは役名はあってもあまりしどころがなくかわいそうでした。


キャサリン・ムーア/ミナ・デービスの二役・蘭乃はなですが、大体話がラブロマンスというより「カリスマプロデューサー」に色を添えるだけの存在なのでしどころがない役。


でも何度も言いますが、そのカリスマ性が話の中で浮き彫りにならないのが致命的でした。

あと場面転換とかがんばっていましたが、こちらが話に入り込めないままなので、いくら盆を回したり、セリを多用しても効果は感じられなかったですね。このあたりは『アンドレア‥』の場面転換のうまさとは大違い。セットは大道具さんががんばって良くできていたとは思いますが。

ということで、脚本/演出家が大劇場デビューするのはやはり格段のパワーがいるということがよくわかりました。それと歌でつなぐのは限界があるので、しっかりとしたセリフを丁寧に積み重ねて話を深めていってほしかったと思いました。

つぎにショーのほう。
「夢眩」と無限のマークを重ねたカーテンを見てちょっと期待しましたが、騒がしい場面が多くてがっかり。
これも公式ホームページでは「洒落たセンスを織り込んだ」とか、「新たな形式を提示する意欲的なステージ」とか書かれていますが、全体にどこかで見たような場面とか振付で、なにが「夢眩」なんやろと二人で疑問。
私はショーで使われていたVACATIONに拒否反応で、ああいう古いポピュラーソングを使ったら逆に新鮮で面白いだろうみたいな古臭い発想が陳腐すぎてガックリ。

星組の「ジャポニスム序破急」でサクラサクラをボレロで踊らせる発想の底の浅さと似ていて情けなかったです。

ここでも蘭トムは頑張っていました。






蘭乃はな↓


明日海りおです

中盤のスパニッシュになってやっとなんとか観られる感じになってきましたが、やはり全体に古臭いです。



でもスパニッシュももっとしっとり見せられると思いますね。雪組公演の『Shining Rhythm!』のスパニッシュがわすれられないです。

最後はお約束の黒燕尾。
この人はこれでキマリですね。




観終わればトップ退団公演というにはいささかさびしい出来で、『アンドレア‥』がサヨナラ公演だったらとか思ってしまいました。
なかなかうまくいかないものです。

さて、演出家にはこれにめげず、次を期待したいですね。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

余談ですが、お隣の男性はトップのファンなのか爆竹のような拍手を連発されていました。なので今回の公演も観る人が観ればよかったのかもと思ったりしました。

(2014.3.8)


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今年のこまつ座初観劇は『太鼓たたいて笛ふいて』です

2014年02月26日 | 観劇メモ
自慢にならないことですが、私は林芙美子の作品は全く読んでいません。
なので彼女の作品がどんなものか、そもそもどんな作家なのか全く知りませんでした。林芙美子と聞いて想い浮かべるのは森光子がでんぐり返る「放浪記」ぐらい。(笑)

でも、「太鼓たたいて笛ふいて」はなんといっても井上ひさしだし、主演は大竹しのぶだし、脇を固めるのも芸達者ぞろいと来ては、観ないわけにはいかないと、かな~り以前(最近は各劇場とも青田刈りというか、チケットの売り出しが本当に早いですね)にチケット確保。それから二人で心待ちにしていた舞台です。

劇場はシアターブラバ。
大阪城ホールの対岸にあるかなり安普請な施設です。駐車場はもちろんなし。
隣接するタイムズに停めるしかないので、当日は対岸にある大阪城ホールのイベント情報をチェック。
というのは以前、ウィルヴィルの三姉妹を観たとき大阪城ホールでのイベントの影響で駐車場が満車になり入庫がかなり待たされて焦ったことがあったので。
しかしこの日も某グループのコンサートがあるとの情報でしたが、午後6時開演とのことでまあ大丈夫かなと。
でも、正午過ぎに駐車場に到着したらすでに車の列。対岸を見ると同じくビックリの長蛇の列でした。焦りまくりましたが、なんとか開場前に劇場に入れました。なんでこんなに重なるのでしょうかね。

開演のかなり前には劇場内は満席。こまつ座公演ということで男性客も多く全般的に年齢層も高め。

1時を少し過ぎてから、ピアノ演奏の朴勝哲が客席から登場して幕が上がりました。
やはり電鉄会社ならではの時間厳守なタカラヅカを観なれていると、開始が少しでも遅れると気になります。(笑)

芝居の始まりはお約束の出演者紹介タイムから。6人の顔ぶれがすごいです。


舞台装置はいたってシンプルで、舞台の背景として原稿用紙のマス目が描かれているだけ。家を表すものはこれまた原稿用紙に似た格子の障子+欄間みたいセットが一対。あとは畳とか卓袱台などの小道具。はじめはちょっと寂しいなと思ったりしましたが、話の面白さでそんなことは霧消。音楽はさきほどのピアノ演奏のみ。でもそれで充分でした。何しろ出演者の歌が素晴らしい!聴きごたえ大有りの耳福でした。
ちなみに最後の場面で使われる絵は芙美子の描いた自画像で、その絵の顔の部分だけ大竹しのぶに替えたものが上掲のパンフ表紙の絵だそうです。夫の影響で芙美子は絵もよく描いていたようですね。

話は『放浪記』で一躍有名になった女流作家・林芙美子が、創作活動に行き詰まり、やり手のプロデューサー・三木孝の「戦争はもうかる」という説得に応じて、従軍記者としての体験を活かして作家活動の巻き返しを図ろうとします。

ちなみに、劇中でこの「戦争がもうかる」という話の例で挙げられている日清戦争で得た賠償金がすごいです。日清戦争前の国家予算の4年分を上回る金を得たのですから。これに味を占めて、以後日本は戦争に明け暮れるようになります。
そして今、政府・自民党が現在の憲法を「押しつけ憲法」として否定し、過去の軍国主義憲法を「取り戻す」ために、治安維持法顔負けの悪法「特定秘密保護法」を強行制定し、「集団的自衛権容認」で昔のように戦争に明け暮れる国にしようというのはとんでもない話です。

開戦前の1893年(明治26年)度国家予算 8,458万円(軍事費27.0%、国債費23.1%)
清の賠償金と還付報奨金による収入総額が3億6,451万円(イギリス金貨(ポンド)で受領する)


三木孝の勧めで芙美子は内閣情報部と陸軍の肝煎りの『ペン部隊』の紅一点として、南京攻略戦から始まってシンガポールやジャワ、ボルネオと各地を従軍。
初めは国威発揚・戦意高揚の国策に沿った提灯記事を書いていたものの、やがて「聖戦」・「大東亜戦争」の実態が日本軍による東アジア侵略であり、戦場が悲惨極まりない状態にあることを現地で目のあたりにします。6年間の従軍体験の後は夫の実家のある信州に疎開。芙美子は敗戦が不可避なのを知って「こうなったらきれいに負けるしかない」と発言して、逆に当局の監視下に置かれたりします。
戦後林芙美子は、騙されたとはいえ「太鼓たたいて笛吹いて」軍国主義をあおってしまった自身の贖罪のように、『浮雲』や『めし』など、庶民の生活に密着した作品を書きつづけます。舞台はそんな作家・林芙美子を音楽評伝劇として描いています。

観ていてわかってきたのは、林芙美子の大らかさと好奇心の強さ、そしてフットワークの軽さ。
公表されている彼女の年譜などを見ても、本当にあちこち飛び回っています。奔放で大らかな性格は、母親キク譲りのものであることがこの芝居でもよくわかります。母性の系譜ですね。
軍国主義の片棒を担いだかと思うと、その前には共産党に寄付したとかの行為で特高警察に調べられたりという林芙美子。しかし別に一貫した信念とか信条があるわけではなくて、その時々の世相に庶民的な興味からかかわってしまうという感じでしょうか。
今回の観劇を契機に実像を少し調べてみたりしましたが、本当に自分に正直な愛すべき人物みたいですね。
そういった芙美子の人となりについては、劇場で買ったこまつ座のパンフレット「the座 No.77」に掲載された太田治子の「心やさしき女親分」によく描かれていました。

予想通り、大竹しのぶはお化けでした。最近見たテレビの大竹しのぶのインタビュー番組などではフワーっとした雰囲気で、ちょっと舌足らずな喋り方でつかみどころのない印象ですが、舞台に立つとそんな印象は一変、完全に林芙美子になりきっています。もう演じているというより、舞台の魔物が彼女に憑依して、その体を勝手に動かしているという感じです。

初めて彼女の舞台を観たのは「グレイ・ガーデンズ」でした。所詮タレントの余芸だろうとタカをくくっていた私が浅はかでした。(笑) 観終わってもう茫然自失、完全にギブアップでした。
しかも演技のみならず歌もびっくりのド迫力の歌唱力。余談の余談ですが、この「グレイ・ガーデンズ」で大竹しのぶの役の若い時を演じたのが彩乃かなみ。初めはこの歌ウマ誰かな?と思っていましたが、すぐわかりました。久しぶりに彼女の元気な姿と歌が聞けてうれしかったですね。

さて「太鼓たたいて‥」に戻ると、大竹しのぶは満身で怒って・笑って・泣いて林芙美子の半生を演じきって、終わってみれば2人とも感動のスタンディングオベーション。
陳腐な表現ですが、顔の表情の変化はまるで万華鏡。感情表現がすごいです。素のときと違って(笑)セリフも明瞭で、よく伝わってきます。パンフレットではいろんな思いを込めて演じていることがよくわかります。
-以下画像はこまつ座「the座 N0.77」の舞台写真の部分です-




そんな大竹しのぶとガップリ組んでいたのが、商売上手で機を見るに敏なプロデューサー・「三木孝」役の木場勝己。彼も大竹しのぶ同様初演から演じています。彼の歌を初めて聞きましたが、これがまた絶品でした。聴きホレました。うまいですね。
ヨメさんも終了後しばらく絶賛モードでした。パンフレットで本人が書いていますが、役の上での「とても積極的でエネルギッシュで、ちょっと調子のいい人」の裏に潜むさまざまな隠れた部分の存在まで想像させる深い演技でした。


この二人に続くのが母・「林キク」役の梅沢昌代と「島崎こま子」役の神野三鈴
梅沢昌代は井上ひさしが役を宛書したとのことで、もう天衣無縫・軽妙洒脱・緩急自在、余裕の名演技です。「余人をもって代え難い」とはこのことですね。「the座」によればこの人も今の社会状況に対して強い危機感を抱いていて、そんな思いを持ってこの作品と向かい合っていることがよくわかりました。


こま子の神野三鈴も負けず劣らず良かったです。

彼女は「組曲虐殺」でもいい演技を見せてくれましたが、今回のこま子もハマリ役。
純粋で、人を疑うことを知らず、一途にやさしくて、人の心の中の良いところだけを一身に凝縮したような役ですが、本当にこんなだっただろうなと思わせる演技。説得力があります。感情移入しやすい役でした。
井上ひさしの作品にはこういう女性がよく登場しますね。どこか『頭痛肩こり‥』の妹「樋口邦子」(深谷美歩)に通じるところも感じました。

「加賀四郎」役の山崎一も『組曲虐殺』で観ていますが、この人だけ今回の出演が2回目だそうです。
『組曲虐殺』での特高刑事と通じる役ですが、時流に乗っているようで、実は流されている当時の庶民の一典型のような姿を演じていて、いろいろ考えさせられます。誰しも持っている愚かしさとたくましさをよく演じていました。

「土沢時男」役の阿南健治も初演時から出ているとのことです。時流に乗るというよりは、一生懸命に生きようとしているのに流されっぱなしの不器用でまっすぐなどこにでもいる庶民。そんな姿をよく表していましたが、後半の東北弁はリアルすぎてかなり聞き取りにくいのでネイティブでない観客は苦労します。


そういえば今回は全般的に音響に難アリで、聞こえない場面が結構ありました。私だけかと思ったらヨメさんも「聞こえにくかった」とのこと。ちょっと残念でした。

観終わってまず感じたのは、作者がこの作品を今の時代に宛書していたのではということ。
10数年前に書いていながら、今のキナ臭い世相が鋭く描かれています。何度同じ間違いを繰り返すのかという作者の声が伝わってきます。
同時に、林芙美子に対する井上ひさしの温かいまなざしも感じられました。実際に愛すべき人物だったようで、未読な私も読んでみようという気になりました。

今回も浮かんできたのは「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」でした。
未見の方は、機会があればぜひご覧ください。私のつたない感想などよりはるかに多くのものが得られると思います。おすすめです。

今月は、明日27日も大劇場での観劇。物忘れが激しいので更新が大変です(笑)。忘れないうちになんとかアップしたいと思いますが、その折にはまたご覧いただければと思います。


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