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アウターヘブリディーズを訪ねて その4

2012年06月10日 | 旅行


トイレ休憩を兼ねて入ったのはKildnan centreという、元は学校だったところを改装した博物館でカフェも設けられていました。学校だったというのは帰国後ずっと後になってわかったことで、その時はだだっぴろい駐車場(校庭だったところです)の殺風景な建物だなあと思いながら車を停めました。
この地方の文化や歴史を展示した博物館ですが、常時開館しているのではなく、事前に了解を得てからでないと見られないようでした。もともと人口密度が低く、観光客もあまり来ないので、常時人を配置できないのでしょうね。

ちょうどオープンしたところで早速チーズケーキとチョコケーキとココア、紅茶を注文しました。ケーキは少し甘いものの大きさはほどよく、おいしかったです。
運営しているのは地元の婦人たちのようで、なごやかな家庭的な雰囲気でした。私たちの後にサイクリングの一行も入ってきて俄かににぎやかになりました。
見渡しても他に何の建物もない幹線道路沿いなので、誰もがまず目にする施設です。

しばらく休憩して暖をとった後、出発しました。ミルトンというところのフローラ・マクドナルドの住居遺跡を見ることにしました。
フローラ・マクドナルドは、インバネス近郊カロデンでの戦いに敗れたボニー・プリンス・チャーリーがユイスト島に逃げてきたのを助け、フランスへの逃亡に力を貸したことで有名な女性です。
無事王子をフランスに逃がしたものの、自身は逃亡に使った船の船頭に通報されて政府軍に捕まり、一時ロンドン塔に幽閉されました。
でも彼女の正直で勇気のある振る舞いがロンドン市民に称賛されて短期間で仮釈放になり、翌年には晴れて自由の身となりました。
彼女は後年夫とともに渡米して独立戦争に巻き込まれ、イギリス側に立ったため無一物となってまたユイスト島に戻り、最後はスカイ島で生涯を終えるなど、小説顔負けの波乱万丈の人生を送りました。

私たちが行った幼少期の住まいだったといわれる場所は、どこまでも真平らな草原にポツンと石組みだけの廃墟が残っているだけ。その中に、日本の山で見られるケルンのような素朴なモニュメントが立てられて、横に簡単な説明板が設置されていました。




ココで360度のパノラマ風景が見られます。

しばらく周囲の眺めを見てから、映画「ウィスキーガロア」の舞台エリスケイ島を目指します。

エリスケイ島は、南ユイスト島とバラ島(Barra)の間にある南北約4km東西約2.5kmの小島ですが、2001年に海を埋め立てて建設された堤防道路(コーズウェイ)で南ユイスト島と繋がりました。人口はわずか130人余、小規模な農業と牧畜、漁業が産業とのことです。でも実際はもっと少ないように感じました。家自体もまばらで、どこにも人は見かけませんでしたから。

ところがコーズウェイに行く道を途中で間違えて、ロッホ・ボイスデイルというフェリー乗り場に迷い込んでしまいました。船着場には結構大きなプリンセス号という船が停泊していました。


付近にホテルのような建物もありますが、ここも人影は全くなし。観光地図でもあればと旅行案内所の看板のある建物に行っても、日曜のためか閉まっていました。

早々に引き上げて、次にカルマックのガイド地図ではエリスケイ島への途中にあることになっているカトリック教会(Our lady of Sorrows Roman Catholic church)に寄ることにしました。
よく知られているようにイギリスではほとんどがプロテスタントですが、アウターヘブリディーズではベンベキューラあたりを境に南北で別れていて、南側がローマン・カトリックの教区になっているということで、珍しいので見てみようと思ったわけです。

行ってみたら建物は1965年に建てられた新しいもので、外観は恐ろしく無味乾燥なコンクリートの建物でがっかり。写真を撮っただけで引き上げました。車が2台とまっていたので使われているのでしょうが、ここも人影はありませんでした。


さらにエリスケイ島に近づいてからまたコーズウェイへの道を間違えて、ルーダッグというフェリー埠頭に迷い込みました。よく間違えます。(笑)
でもここは、運よくプレハブの待合所に公衆トイレがあり、いいタイミングで借用できてラッキーでした。(笑)


とにかく今回の旅ではどこに行ってもほとんど無人の原野なので、こういう施設があると大助かりです。(笑)
ここからバラ島へのフェリーが出るのですが、完全予約制で、不定期運航のようでした。

この埠頭からすぐのところに目的のコーズウェイがありました。すごい眺めです。運よくこの辺からちらっと待ち望んだ青空も見えてきて、現金なもので2人とも自然に笑顔です。


まずは、先のボニー・プリンス・チャーリーが、1745年にスコットランド王朝の復興をかけて亡命先のフランスから戻ってこの島に上陸したという場所に行きました。本土は警戒が厳しいのでここに上陸したのでしょうが、フランスからだと大迂回コースですね。
海岸から海を見ると珍しく海から上がってくる人影が見えます。
でもボニー・プリンス・チャーリー!なはずはないですね。(笑)

親子連れらしい2人の男性がウェットスーツを着てなにか漁をしていました。父親が息子に漁を特訓しているという感じでした。私たちはフリースの上にゴアテックスのカッパを着込んでもまだ寒い感じなのに、よくやるなと感心します。

海岸はガイドブックの説明のとおり、真っ白な砂でおおわれ、それだけを見ていると八重山の島々みたいですが、こちらは貝殻が砕けてできた砂とのこと。この海岸で、昨日買っておいた果物とケーキを食べました。



この島が有名になったのは先のボニー・プリンス・チャーリーの上陸と、もうひとつ、貨物船「ポリティシャン」の座礁事件です。
この事件にまつわる騒動はコンプトン・マッケンジーによって1947年に小説「ウイスキーガロア」(のちにドタバタコメディ映画化されました)になって広く知られるようになりました。小説はロングセラーになり、翌々年の映画の撮影時には実際の島民たちがエキストラで出演したとか。

この事件の起こった1941年、イギリスはドイツとの戦争の真っ最中でした。
イギリスの戦費調達はアメリカとの貿易に頼らざるを得ず、大西洋を多数の商船が行き来していました。商船ポリティシャンもその一隻でした。
1941年2月3日、同船はリバプールを出港。積荷には外貨獲得のためイギリスでは統制品となっていた22,000ケースものスコッチ・ウイスキーが含まれていました。
銘柄はおなじみホワイト・ホースやジョニー・ウォーカー、バランタイン、ヘイグ等トップブランドばかり。

行き先はアメリカのニュー・オルリーンズでした。ドイツのU-ボートの攻撃を避けるため、ポリティシャンはアイリッシュ海を北上してスコットランド本土とアウター・ヘブリディーズの間の海峡を抜けるコースをとりました。

しかし夜半にエリスケイ島東部を通過しようとしたとき、戦時下の灯火管制で灯台は灯を消していたため航路を確認できないまま、ポリティシャンは折からの強風に流されて2月5日午前暗礁に乗り上げてしまいました。幸い乗員は島民と救命ボートで全員救助されました。

積荷のウイスキーを巡るドタバタ劇はここから始まります。
小説「ウィスキー・ガロア」のガロア(Galore)は英語で豊富なとかたくさんという意味なので、ウイスキー・ガロアは‘ウイスキー満載’という感じですね。

座礁したポリティシャンからまずウイスキー以外の積荷が回収されました。信じられないことにウイスキーは非課税で多分油まみれで商品価値なしと判断され、船内に放置されました。

積荷のなかにウイスキーがあることを聞いたエリスケイの島民は、無人となったポリティシャンからわれさきにとウイスキーを持ち去りました。輸出優先で統制品とされ、わずかばかりの配給でしか飲めなくなったウイスキーです。話はあっという間に広まりました。
地元だけでなく、隣のバラ島、北のルイス島やハリス島、スカイ島、果てはスコットランド本土から多くの船がやってきてウイスキーを持ち去りました。

この騒動に当局もあわてて回収に乗り出しましたが、結局、22,000ケースのうち、当局が回収したものが13,000ケースだけ。残りのウイスキーのうち不法に持ち去られたものが2,000ケース、船中に残されたものが4,000ケースと何千本ものバラ瓶でした。
大捕物の結果、略奪に加わって逮捕された島民たちのうち19人が起訴され、数か月間投獄されたといわれています。

船中に残ったウイスキーは、座礁した船体の後半部にありました。船体の前半分は離礁に成功して回航されたものの、後部の回収は難航、結局ウイスキーを残したまま爆破処分されました。
船体とともに海底に沈んだウイスキーの中には、今でもまれに大シケのあとなど、付近の砂浜に打ち上げられたりするという話も聞いたことがあります。

でも今は現場にはそんな騒動を伝えるなんの痕跡もなく、静かなたたずまいでした。

その後、見晴らしのよさそうな小高い丘が見えてきたので車を止め、登ってみることにしました。ほとんど道らしい道もなく、草地にたまった水で靴を濡らさないよう注意しながら岩の露出した丘の頂上へ。


さっき通ってきた堤防道路も見えて、いい眺めです。
しばらく360度の眺望を楽しんでから、元の道路A865まで下って、ユイスト島に戻りました。


今度は島の東部に行くことにします。
ガイドブックでは近くにスタンディング・ストーンがあることになっていますが、そこへの標識がわからず、パス。午前中に迷い込んだロッホ・ボイスデール(Loch Boisdall)の近くのハイキングコースに行くことにしました。
でも国道からそのハイキングコースへ向かう道は鉄の柵が閉まっていて通れず。しばらくして、ガイドツアーの一行らしいランドローバーがやってきて開けたので私たちも行こうとしたら四輪駆動でないと無理っぽい悪路です。あきらめて引き返しました。

次にロッホ・アイノート(Loch eynort)のウォーキングコースへ。
こちらはすぐ見つかりました。スタート地点には狭いながら駐車スペースもありました。
フットパスも整備されていて歩きやすく、すっかり晴れてきて気持ちのいいコースでした。






<その5に続きます>



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