脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

人間の天敵は人間

2009年07月12日 | つぶやき
脳脊髄液減少症を抱えながらの
長い闘病生活の中で

最近、しきりに私の心の中に浮かぶ思いがあります。

それは、
「人間の天敵は人間である」という「思い」です。


人を苦しめ、人を落としいれ、
人を絶望させるのは、人間だ。ということを

脳脊髄液減少症を通して、いやというほど思い知りました。

一度そのことに気づくと
同じ様に人によってさらに苦しみが、増している、
水俣病や、薬害エイズや、松本サリン事件での
被害者の方がたの苦しみの存在にも、気づきはじめました。

人の敵は人である、

と、思うと同時に、
「人を救うのも人である。」とも思っています。


脳脊髄液減少症という、
病名判明までの長い長い年月を何とかここまで
生き延びることができたのは、人の助けがあったからこそだと思います。


先輩脳脊髄液減少症患者さんたちが、マスコミに働きかけて、

さらに、それを理解し、
「脳脊髄液減少症」という病名を、報道してくださった
マスコミの方がたがいたからこそ、

私は自分の症状が「脳脊髄液減少症」に似ていることに気づき、
その診断治療ができる医師の存在を知ることができました。

その医師のいる病院まで
連れていってくれた人がいたからこそ
私は受診できました。

交通事故から長い年月がたっていて、
私の人生の貴重な時間はすでに過ぎてしまっていましたが、

脳脊髄液減少症の情報を流してくださった先輩患者さん、
医療機関につれていってくれた人、

病名判明までの長い年月支えてくれた家族、
診断治療にかかわってくれた主治医、医療スタッフ、病院スタッフの皆様、

自力で病院受診もままならない患者が
点滴をしに病院受診というよけいな体力を消耗しなくても、
自宅で点滴と同じ効果をもららす、経口補水液OS-1を作ってくだって、
私の闘病生活を支えてくださった製薬会社の皆様や、

買い物にいけない私に、
定期的に食材を届けてくれる業者の皆様や、

いくら仕事とはいえ、
そういったすべての人々が支えてくださったからこそ、
私は現在生きていられるのだと思っています。

私が交通事故で脳脊髄液減少症を負いながら、
年々悪化する症状を抱え、こんなに長い年月生き延び、

やっと病名と診断治療にたどりつき、

まだまだ苦しいながらも、今生きているのは、
その方がたが助けてくれたおかげに他なりません。

もし、
あの最悪な悪化状態に至って、体を長く起こしてもいられない状態の時、もし、
この病名に気づかなかったら、

もし誰も私を助けてくれなかったら、

もし、脳脊髄液減少症の診断治療できる病院に連れていって
くれる人がいなかったら、

どの過程のどの一人が欠けても、
私は、この世にはいなかったかもしれません。

なぜなら、
あの状態で、起きて行動することもままならないまま、
病名もないまま、働けないまま、

社会の理解も支援もまともに受けられないまま、
病人と認められないまま、
生き続けることなど、とうてい不可能だと思うからです。

今も、多くの人たちに支えられているからこそ、
こうして、
ブログでこの病のことを伝え続けることができるのだと思います。


人を傷つけるのも、落としいれるのも人であり、
人を助けるのも人である。

人間とは、なんと愚かで、また、なんと優しい生き物なのかと
思います。


脳脊髄液減少症で長く放置され続け、
一般的な検査では、何の異常も発見できず、

見た目も病人には見えないため、
私の苦しい症状は誰にも信じてもらえず、
それにより、受けた心の傷で、

人間嫌いで、人間不信で、もうこれ以上人に裏切られるのが怖くて、
「もう誰も心の底から信じまい」、と思っている私ですが、

それでも、なお、
心のどこかに、人を信じたい、という思いが残っています。


「人に手をさしのべ、人に希望を与えるのもまた、人」だということは
心の底では思っているのです。

でも、裏切られるのが怖くて、今もなかなか人を信じることが
できません。


私の体が自ら病を発症したわけでもなく、

他人が与えた暴力により脳脊髄液減少症になってしまったのに、
それによる症状が
すべて私の落ち度によるものと責められ続けるのは
もうたくさんです。

私と同じく、心まで傷ついている患者が
脳脊髄液減少症患者の中にはたくさんいると思われます。

だからこそ、
脳脊髄液減少症患者たちを、
もうこれ以上無理解で苦しめないでほしいのです。


人間の天敵は人間だけれども、
人間のみかたもまた、人間だということは、

とても複雑な気持ちになりますが、
事実だと思います。

だから、もう一度、人を信じられるようになりたいと思います。
世の中の良心ある人々が

脳脊髄液減少症患者の置かれている、
恐ろしいほどの無理解と理不尽な扱いの現状に気がつき、
きっと救いの手をさしのべてくださると信じています。


「人によって与えられた心や体の傷は、人によって癒される。」はずだから、

多くの人たちの理解と暖かさが、
脳脊髄液減少症患者たちを救ってくれると信じています。


私がもし、社会復帰できるまでに体が回復したら、

残りの人生は、
この理不尽な病から学ばされたことを、生かして、
「弱った人をさらに苦しめるような人間の敵」として生きるのではなく、
「人の味方」になるような生き方をしたい、と思います。


今、私は、
脳脊髄液減少症を否定する、医師や、保険会社の皆様方を

交通事故で脳脊髄液減少症になった患者たちの「天敵」だと
思っています。


そう思わざるをえない状況を生み出したのは、
否定派医師の皆様方と、
交通事故での脳脊髄液減少症をなきものにしようと
やっきになっている損害保険会社の今までの言動のせいです。

本来、被害者、患者にとって、みかたであるべき
医師や保険会社が

天敵となってしまうような現実は
患者にとって非情に厳しいものです。

本来、被害者を救助の手をさしのべてくれるべき、
医師や、保険会社の皆様を、「敵」と認識しなければならないことは
被害者として、本当に残酷な現実で、とてもつらく悲しいことです。

皆様方がどれだけ、私たち被害者の気持ちを理解してくれているかはわかりませんが、

おそらく、私達真の交通事故での脳脊髄液減少症患者を
今なお、「保険金めあての詐欺師」ぐらいの、
認識と敵対心しかお持ちでないからこそ、

今のような、患者被害者が理解されず、
正当に救済されないような非情な態度を続けているのでしょう。

私達真の被害者たちは
保険金詐欺師のような犯罪者ではありません。

被害者です。
それを忘れないでください。

交通事故で、脳脊髄液減少症になり、まともに働けない、
家庭を維持できなくなった被害者たちを、
まともに治療もうけられない、
健康保険での治療もうけられない、

正当な補償もうけられないで、働けない、治療も受けられないで、
自殺にまで追い詰めるような現実を作り出しているのでしょう。

何の罪もない被害者を、さらに苦しめる行為が今後も続くなら、
私は断じて許せません

交通事故で、何十年も症状に振り回されて、
仮病扱い、怠け者あつかい、だらしがない人間扱いされながら、

人生を思うように生きられないで苦しむ私のような被害者は、
もう、今後は絶対に出さないでください

私のように、罪のない被害者が、何の補償も治療費もなく、
健康保険の適用すらなく、自費で体を治せと冷酷な仕打ちにあい続けるようなことを、
今後の交通事故被害者に繰り返すような残酷な仕打ちを続けることは
あきらかに非人道的であり、絶対に許せません

「世間の良心」が皆様方の名前と社名を広めて、非人道的行為を世の中から非難されない限り、
皆様は「人の情け」もないような、今までの姿勢を続けられるのでしょうか?

あまりにひどい話です。


脳脊髄液減少症という病態に対して
否定派医師と否定派保険会社の皆様に

お伝えしたいことがまだまだあります。

続きの思いは次回、書きたいと思います。



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国に情けがあるのなら・・・

2009年07月09日 | 情報
以下はインターネットで見つけた記事の中の
「水俣病」を追求し続けている作家の石牟礼道子(いしむれみちこ)さんという方の文章だそうです。

私は石牟礼道子さんという水俣出身の作家さんは、
全く知りませんでしたが、
これを機会に、本も読んでみたいと思いました。

以下、内容を紹介させていただきたいと思います。






『この度、私共は東京に、日本という国を探しに参りました。

 と申しますのは患者の中に、

「東京にまで行ってみたばってん、日本という国は見つからんじゃった。」
とおっしゃる方々が沢山いらっしゃるからでございます。

これは我が民族におって由々しきことではないでしょうか。

考えてみれば、日本という国が無いとしても、人の世があり、

そこには人の情けというものがあって、
私どもも何とか生き延びることが出来たと思っています。

 その「なさけ」を求めて、
探しに来たのは、

議員の方々が人に選ばれた方々であるからでございます。

お願いですが、
日本という国の情けが何処にあるのかお教え頂きとうございます。

私共、水俣の者達は、
人類が体験したこともない重金属中毒事件に、
50有余年も捉われ続けております。

この年月は親子、祖父母、三代にも四代にも亘(わた)っています。

有機水銀を脳や身体に取り込んだ人間の一生を考えてもみてください。

 言葉もろくに話せず、
箸や茶碗を抱えるのも困難で、
歩くことも普通に出来ません。

女性の場合には下の始末も自分では出来ません。

これはあんまりでございます。

議員の方々には人類史上初めてと言われる
長い長い毒死の日々を生きている人々の日常をご推察頂けるのではないでしょうか。

 不知火海の汚染は世間が考えるよりは凄まじく、

私共発病者を初め、対岸の小さな離島の数々、鹿児島県の島々に患者が続発し、
今や万をはるかに超えました。

人間や魚の発病だけでなく、海底の食用植物の危険度についても国や県は調査しておらず、

一人の人間の胎児の時代から少年、青年、壮年、老年の経過については、

一部の研究者はおられますが、
国民は病状の実態について知らされておりません。

これからも患者の発生が続くと思われます。

 明治41年に始まったチッソは
高度成長期をはるか前にして世界史的な発展を遂げ、国策に寄与してきました。

それに対して水俣病の発生は一種の凶徴でした。

何しろ昭和7年から36年もの間、
有毒汚泥を不知火海に朝も昼も晩も流しつづけたのですから。

長い間には裁判を起こした患者もいて、
2004年には最高裁で熊本県と国にも責任があるという判決が下されました。

県と国は判決を殆ど無視して今日に到っております。

それかあらぬかこの度国会に提出される特措法案では

未認定患者を表向きは救済すると乍(なが)ら
チッソの分社化と地域指定解除を謡いあげております。

 こんな残酷な毒物を背負ったまま患者達は
認定、未認定に関わらずあの世へ行かなければなりません。

よくもこんな残酷な法案を作ったものです。

この様な法案を作って世界に示す民族性を私共は国辱と思います。

水俣病に本質的な救済というものはありえません。

何故なら一度身体に入った有機水銀は出ていかないからです。

せめて生き残った者が、この「人柱」たちを少しでも楽になれるようにさせて頂くというお気持ちになってくださらないでしょうか。

 水俣病は治療法が無く、不治の病となっています。

日夜苦悩している患者達を救済するどころか、
審査会にかけて棄却する方向に持っていきつつある様に思います。

処理しきれぬ程に増えた患者数に驚き、
なるべくなら早く死んでほしいと思って、長引かせているやに思われてなりません。

 せめて国が、できることは、
日々の生活の足しになるような慰謝料を差し上げることか、

治療法に取り組む医者を育てるとか、

棄却などという冷酷な言葉で処理しないように、

国力を挙げてお取り組み頂きたいと思います。

多くの人が選んだ議員様方にぜひともご協力頂きたいと存じます。


 今日は私共のために、貴重な時間を割いて下さり本当に有難く存じました。祈念を込めてお願い申し上げます。』

2009年6月29日
石牟礼道子



原文?1

原文?2



    

石牟礼さんが本当に書いた文章なのか?
微妙に違う文章のどちらの文章が原文なのか?
ネットだけでは確認はできませんでしたが、

誰が書いたとしても、この文章を読んだ私の感想は以下のとおりです。

チッソが当初必死に水俣病との因果関係を否定するさまと、

今まで公害病とさえ、認定されないまま本人だけが感じる
感覚障害などをかかえて生きてこられた被害者の
世間の無理解と冷酷さにさらされながら、
体の症状を抱えての生き地獄のような苦しみの人生が

私にはありありと想像できました。

そして、
交通事故では脳脊髄液漏れなど起こりえないと
否定派医師を担ぎ出して必死に否定している損害保険会社の行動と、
それにより、さらなる苦しみを与えられている
脳脊髄液減少症患者と重なりました。

公害や、事故そのものから与えられる心身の苦しみに加え、

社会や医学界の、無理解で無関心な冷酷な人間たちによって
さらに与えられる苦しみの恐ろしさと、

その長い長い苦しみの人生を患者が無理解に満ちた社会の中で
生き抜くことの困難さを
ひしひしと感じました。

水俣病の教訓、
そして、脳脊髄液減少症からの教訓は

絶対に今後に生かさなければならないし、

ただでさえ他から与えられた害によって、体を病んだ患者たちが

救ってもらうどころか、

無理解で冷酷で自分勝手で利己的な心無い人間によって、

さらに追いうちをかけるように
苦しめられるような残酷なあやまちは、

もう二度と繰り返してはならないと思いました。



苦海浄土わが水俣病

ツイッター記事

読売新聞熊本版7月3日記事


石牟礼(いしむれ)
さんは82歳なんですか?

読売新聞熊本版 7月4日記事 反対団体抗議次々…「チッソ救う法案必要ない」


読売新聞熊本版 7月8日版「水俣病法案参院委で可決…被害者から落胆の声」

6月29日、水俣病患者さんたちが座り込み をしたんですか?
暑いのに、お体はさぞかしおつらかったことでしょう。

私たち脳脊髄液減少症患者ももそうですが、
どうして、ただでさえ病を抱えて苦しんでいる患者が
さらに無理を重ねて世間や国に訴えなければこの病の残酷さをわかっていただけないのでしょうか?
なぜ、そこまでしてもなお、この国は患者を救ってくれないのでしょうか?

なぜ、企業との利害関係がからむ病を引き起こしてしまった患者たちは
いつの時代も、こうも冷酷な扱いを受け続けるのでしょうか?

水俣病の教訓は、今も少しも生かされていないと感じるのは
私だけでしょうか?


関連ブログ記事  その1

その2

その3

水俣病(・・・・削除?なぜ?)

人柱とは?
コメント (2)
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夏の脱水対策に経口補水液 オーエスワン

2009年07月08日 | 情報
私の地域の今日の新聞に、

大きく「夏の脱水対策 経口補水液 オーエスワン


広告記事が出ています。

大塚製薬さん、がんばっていますね。

私は救っていただいた患者として、応援しています。


思えばこの補水液に私はどれだけ助けられてきたでしょうか?

点滴なしの療養生活の中で、
オーエスワンに支えていただき、
ここまで治していただいたといっても過言ではありません。

また、
点滴と違って時間を拘束されることもなく、
針を刺すこともなく、

いつでも、どこでも、持ち歩け、必要な時に水分補給できますから、

私の場合、引きこもりの療養生活から、

具合が悪くなった時のためにオーエスワンを持って、少しずつ外へと出かけるようになり、
回復につれて、少しずつ行動範囲が広がったのは
事実です。

症状改善の特効薬のない脳脊髄液減少症患者にとって、症状が悪化した時、
ひたすら耐えるのもつらかったし、
ましてや、
大丈夫だと思った外出先で、急に動けなくなるほど具合が悪くなってくることは
恐怖で、外出もままならなくなりましたが、

オーエスワンを持ち歩くようになってからは、少し外出も怖くなくなりました。

今はどこに行くのでも、
病院に行くときでも、外出には必ず持ち歩いています。


点滴医療信仰の根強い日本でも、

手軽に、脱水対策ができる、「経口補水液」のよさが
もっと広まってほしいと思います。

強制的な水分の補給である点滴に比べ、
その人の体が欲するだけの、
その人ののどの渇きに合わせて口から水分補給することが、

どれだけ、人の体に優しいか
もっと多くの人たちに気づいていただきたいと思います。

ただ、心配なのは、
厚生労働省から許可された「特別用途食品 個別評価型病者用食品」という
肩書きが、
返って、足かせとなり、

必要な人が必要な時に手軽に利用することを阻むようなことがあっては
ならないと思います。

たとえば、夏の脱水時に経口補水液を利用したくても、

近くに売っていないとか、
「医師の指示がなければ利用できない。」ということにより、

手軽に手に入れたり、飲むことができないことで、

熱中症や脱水状態が悪化してしまうのでは、
何のための経口補水液かと思います。

くれぐれも、
お上からの肩書きが
一般人が手軽に利用することの足かせになりませんように・・・。


お上のお墨つきも大事でしょうが、

点滴という医療手段ではなくても、

気軽に自分で早めに脱水を改善して、
大事にいたらないようにすることが

経口補水液の一番の目的なのではないでしょうか?


私は脳脊髄液が漏れ漏れでしたし、頻尿でどんどん水分が出てしまい、
いつも激しい脱水状態でした。

脱水改善のために、
いろいろなスポーツドリンクをためしましたし、
いろいろな飲み物もためしましたし、

自分なりに自家製ドリンクもためしてみましたし、

初期には点滴も試しましたが、

私の場合、オーエスワンが
どんなメーカーのどんなタイプのスポーツドリンクより、
ダントツで効果を感じましたし、

点滴よりも脳脊髄液減少症の体に優しいことにも気づきました。
(その詳しい理由や飲み方などで気づいたことはそのうち・・・・)

しかもカロリーは同じ会社のスポーツドリンク、ポカリの
半分。

私はいろんなメーカーのスポーツドリンク飲んでいた時、
10㌔太ってしまいました。

動かず家で安静にしながら、スポーツドリンク飲めば太るのも
当たり前ですが・・・。

以来、ダイエットのためにも
カロリー半分の、オーエスワンにしています。


オーエスワンはしょっぱいです。

甘くておいしいスポーツドリンクや
ジュースと比べてしまったら、
飲めないかもしれません。

でも、
甘いスポーツドリンクにはないこの塩気が
脱水の体には大事なんです

私はこの塩分入り水分が、
ジュースにはない「命の水」だと思っています。

体が苦しくてならない時、
楽にしてもらい、何度も助けてもらったからです。

点滴の針の痛みに耐えられる人、
苦い薬や、マズイ青汁でも体のためなら飲める人なら、
多少味が好みでなくても、それほど苦痛なく飲めると思います。

数あるドリンクを
自らの体で試して、人体実験した結果、症状の明らかな改善、
楽になった、
私の経験からのオススメです。

(私は0製薬のまわし者ではありませんし、宣伝して誰かが買ったからといって、
アファリエイト収入が入るわけでもありません。
純粋に自分が試していいと感じたから、オススメしているだけです。

今なら500ml 6本のオーエスワンに、
6本がまるまる入る保冷バックがプレゼントでついて1200円だそうです。

はじめての方のおためしにはちょうどいいかも。


お電話によるお申し込みは

0120-390-795 だそうです。


おまけ・・・

ろくろさんに教えていただいた

夢21」という雑誌の8月号

64ページから67ページまでの4ページにわたり、
大きな文字で(私の目にはかえってチカチカして読みにくい)

図入りで、
「脳脊髄液減少症の記事」が確かに載っています。

ブラッドパッチ療法を行っている病院も一部掲載されています。

でも、「完売御礼」って・・・・
もしかして、もう売っていないカモ?

ちなみに、いつもはこのたぐいの健康雑誌は
なんとなくうさんくさくて嫌いで私は買いませんが
今回は特別です。

そのうさんくさいと思っているたぐいの健康雑誌に
脳脊髄液減少症が載ったのは
なんとな~く複雑な気分ですが、

これにより、何人かがむちうち後遺症と脳脊髄液減少症の関係に
気づけば、感謝しなくてはならないかもしれません・・・。


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元気に見えてもつらい体もあるんです。!

2009年07月06日 | 情報

本日2回目の投稿です。

水俣病未認定問題に思うことの続きも本日投稿しましたが、

 どうしても、本日中に伝えたいことがあるので投稿します。

 昨日7月5日の私の地域の朝日新聞 生活面に、

 がん経験者らでつくる、

NPO法人HOPEプロジェクトの皆様が、

「外見からはわからない痛みやつらさを抱えている人がいることを理解してもらおう」と

「知ってほしい。元気に見えても、辛いカラダがあります。」

という メッセージの入ったキーホルダーを作った、

との辻外記子記者の記事が載っていました。

 

 『08年7月、公益信託「オラクル有志の会ボランティア基金」から

助成金30万円を受け、

今年6月までに、1000個を作った。

臓器移植を受けた人たちや、

脳脊髄液減少症患者らからも好評で 

活用したいと言われているという。

小児がんの子供たちには、財団法人がんの子供を守る会などをを通じ近く無償で提供する。』 と

と記事には書いてありました。

 

できれば、「脳脊髄液減少症の子供たちにも無償で配っていただけないかなぁ・・・?

オラクル有志の会の皆様にも

脳脊髄液減少症患者にもご支援いただけないかなぁ?」と思いました。

だって、本当に

脳脊髄液減少症は

見た目ではわからない上、症状に波があって、

気まぐれ病やわがまま病、

仮病みたいにみられやすいんですから・・・

 

NPO法人、HOPEプロジェクトの皆様、

よくぞ、

 「知ってほしい 

元気に見えても辛い体がある。」

という メッセージ入りグッズを作ってくださいました。

ありがとうございます。

 

しかも、

がん患者さんたちのためだけでなく、他の難病や、

私たちのように、いまだに理解が進まない脳脊髄液減少症患者にまで仲間に入れて手をさしのべてくださって・・・。

他の病で同じ様に「見た目ではわからないつらさを抱える患者」にも思いやっていただき、

利用させていただけるなんて、・・・・ありがたいです。

 

このメッセージは

私たち脳脊髄液減少症患者がわかってもらいたい言葉、

そのものです。

代弁してくださり、本当にありがとうございます。

 

私はかねがねこのブログでも訴えてきましたが、

患者たちが病名ごとに壁をつくるのではなく、

病名のわくを越えて、患者が情報交換し、助けあい、励ましあえることは、

患者自身にとっても社会にとっても、医学界にとっても、

新たな道を切り開くことにつながると思っています。

 

病名は違っても、同じ様に

「見た目ではわからないつらさ」

「患者本人にしかわからないつらさ」を抱えて、毎日を過ごし、生活の中で、

悪意なき、無理解に傷つくことは

同じだと思います。

 

このキーホルダーが多くの患者さんたちの

「希望」につながることを願います。

 

私はこの記事を読んだだけで、

脳脊髄液減少症患者の置かれている、

今だ夜明け前の暗闇の中で

かすかな「希望の光」を見た思いです。

 

「子供がハートを抱えた図柄で、

優しい気持ちになろうよ、という思いをこめたマーク」だそうで

ステキなキーホルダーだと思います

 

 でも、率直な意見を言わせていただけば、

「辛い」ではなく

「つらい」とひらがなの方がより読みやすくわかりやすいのでは?と思いました。

私もよくブログ記事で「辛い」と書くのですが、

家族に「からい?」と読まれてガクッリときたことが何度かあります。

 だから、 誰にでも間違いなく読めて、

意味が確実に通じる「ひらがな」の方が

私はより理解されやすいと思います。

 

また、文字の色が薄くて、見にくいようにも思うので、

もう少しメッセージの文字を大きく濃い色にしてみては

いかがでしょうか?。

 

ぜひとも「脳脊髄液減少症」の患者さんたちにも、

このメッセージと皆様の活動と、キーホルダーの存在を知っていただきたく思います。

 

朝日新聞記事を抜粋すると、

 「キーホルダーは1個300円。 5個単位で販売する。

希望者は、HOPEプロジェクト事務局にメールで連絡を。

また、多くの人に無償で配るため、協賛金も募っている。

みずほ銀行駒込支店普通口座1080050へ。」

 

メールアドレスはこちらの、右上の「お問い合わせ」をクリック

詳しいことは、こちらの

 「知ってほしいキャンペーン」

HOPEプロジェクトの方のメッセージ

 

最後に、

脳脊髄液減少症にも理解を!

患者たちは

「元気に見えても、つらい体もあるんです。

元気に見えても、つらい心もあるんです。

 

まともに見えても、

つらい精神状態、

思考力低下の時もあるんです。」

 本当なんですってば~

世間の皆様、わかってください。

 

          

ひとりごと

こうしてブログでガンガン思いを書いていると、

パソコン操作ができ、文章がこれだけ書けるのだからまともだと、

思われやすい。

特に現実世界の人たちは、

私が見た目が元気そうだし、こんなことやっているから、まともだと思い込んで

当たり前のように、健常者と同じように、平気でいろいろと要求してくるけれど、

私はいまだに物忘れはするし、日にちは混乱するし、なくしものもするし、

整理整頓はできないし、片付けもできない。

今日は無理して外出すれば、判断力と思考力と空間認知力が低下しているせいで、事故を起こしそうにもなった。

体は良くなってきたとは言っても、こんな梅雨時は痛くてだるくて、呼吸が苦しくて、たまらない。

きのうは起きていられたけれど、おとといは1歩も外には出られず、家の中でも長くは起きていられず、

胸が苦しくて苦しくて狭心症のようで、ずっと寝ていた。

症状は日替わり。

天候や気圧にも左右される。

 

そんな中で、安定した体調の健常者と同じように、

あたりまえに次々とこなすことを求められることは

できない自分が周囲から、「ダメ人間」と絶えず責められているようで、

とてもつらい。

それがつらくて、こんな自分が存在していることが嫌になる。

いっそ死ねたらこんな理解されない病や症状や誤解からも解き放たれるのかもと思う日も正直ある。

 

周囲が患者を「元気そう、まともそう」と見てあたりまえのように

健常者と同じことを要求することが

知らず知らずに、患者を追い詰めていることがあることにも

気づいてほしい。

 

精神状態も、体の症状も、目には見えなくてもよくなったり、

症状がでたり、悪化したりと、

完全回復に時間がかかること、

その間、症状に波があって、できる時もできない時も、

動ける時も動けない時もあること、

 

患者が、がんばってできる事と

がんばってもできない事があること、

わかってできないことは快く助けてほしい。

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水俣病「未認定」問題に思うこと 2

2009年07月06日 | 他の病名との関連性

水俣病の未認定患者さんや、
原爆症の未認定患者さんは、

何の罪もない善良な人たちだと思います。

何か他の目的で、症状を偽っているとか、
そんなことはとうてい思えません。

第一、真の被害者でなければ、こんなに長く
わかってもらおうと必死に訴えることもないと思います。

その人たちが、
私よりもさらにさらに長い年月、50年も60年も、無理解と症状の苦しみに
さらされ続けながら生きてこられたのは
どんなにか長くつらい日々だったことでしょう。

現在、脳脊髄液減少症で苦しんでいる患者さんたちにも
ぜひ想像してもらいたいのです。

誰にも理解されない本人にしかわからない体の不調を抱え、
どこの医師にも原因不明と言われ続け、

本人が真の原因に気づくまで、

適切な医療も受けられず、医療にも気のせい、気のもちようと
相手にされないまま、

苦しみながら50年60年と
生きることを強いられたとしたら、

あなたならどうしますか?

死ぬほど苦しい体や精神状態の異常を感じているのに、
そのことを医師にも認めてもらえず、

医師にも認められなければ、周囲の人たちにも
気のせいと冷たく突き放されて、

働けないのに、怠け者と呼ばれ、

動けないのに、のろまと言われ、

できないのに、怠慢と責められ、

頭が働かないのに、自分の事もまともにできないダメなやつと思われ、

きっと、私が経験したようなことを、
過去のなかなか世間に認めてもらえない患者さんたちも経験してきたはずです。

それでも、50年も、60年も症状を抱えて
生き抜くことができますか?

もし、S医師が「脳脊髄液減少症」という病態を
発見しなかったら、

これから先、何十年も苦しみぬいて病名がないまま、
人生を終わった脳脊髄液減少症患者もいたはずです

いえ、今までにもそういう被害者たちが・・いたのです。・・
本人も家族も、社会も、そのことに気づくことがなかっただけで・・・。


かつて私は、原爆とか、水俣病とか聞いても、

恥ずかしいことに、
そんな遠い過去の事件のことはピンとこず、

自分には関係のないことだと思ってしまい、それほど関心も持ちませんでした。

その未認定患者さんの存在すら知らず、

ましてや、原爆症や水俣病の患者さんの心身や生活の苦しみや、

「未認定」による苦しみなど、
想像することはできませんでした。

しかし、今私は、
脳脊髄液減少症によって、そういった人たちの苦しみを
少しだけ想像できるようになりました。

私が、こんなにも原爆症や水俣病やハンセン病などの
患者さんの気持ちや、
先日報道されていたサリン被害者などの立場も、
真剣に想像し、考えるようになったのは、

自分が脳脊髄液減少症で、同じ様な理不尽な経験をしたせいで、
「人が人を落としいれ傷つける、大きな過ちの恐ろしさ」に
気づいてしまったからだと思っています。

もし、この経験がなければ、

過去の戦争被害者や公害病被害者や犯罪被害者や、
国により、誤解を招き、人権侵害にまであった病の方の気持ちなんて、

想像できない人間のままで、
一生を終わっていたでしょう。

そういう意味では、
脳脊髄液減少症の理解されない症状や、医師の誤解や国の無理解に苦しんだ経験も、
私を人として成長させたと思えば、
無駄ではなかったと思いたいです。


だから今、
その人たちの苦しみつらさを思うと、
自分のことのように感じ、いたたまれません。

なぜに、そんなに罪もない人たちを長い間、苦しめてきたのか?。と考えたとき、

かつての私のように、
世間の多くの人たちが

「自分には関係のないこと」と無関心であったせいではないのか?と思いました。

不特定多数の人たちがなる可能性があると思われる
「新型インフルエンザ」などは大騒ぎするくせに、

一見「自分達には関係がない、影響がない」と思われることは
無関心になるという、人に潜む恐ろしいほどの冷たさ・・・。


私たち脳脊髄液減少症患者が
今感じているような目に、
原爆症、水俣病、患者さんたちもきっと今まであってきたのだと想像します。

心身の症状のみならず、
「未認定」というさらなる苦しみが与え続けられ、何十年も
国や社会の無理解に
何の罪もない人たちが苦しめられることは、

歴史の中で繰り返さないでほしいものです。

しかし、
すでに、また、脳脊髄液減少症でも繰り返されかけています。

人間とはなんと愚かな生き物でしょうか?

「脳脊髄液減少症」は

不特定多数の人たちにもけっして無関係なことではなく、
明日にでも誰にでも起こりうる、ありふれた、「事故後遺症」であるのに、

まるで

「一部の不幸な人たちの抱える、まれな疾患」であるかのように

いまだに医師にも社会にもとらえられ、無関心にさらされています。


原爆症や、水俣病患者や、サリン被害者などと同じように、

症状がじわじわと時間差で出てくるために、
本人すらも、症状と原因との因果関係に気づきにくいのです。

私もまた、脳脊髄液減少症という、
目にはみえない交通事故後遺症を負ってしまったために、

自分でも、何が原因でこんなにも体が不調になるのか、
どうして自分は不調をこんなにも感じているのに、一般的な検査には
何も異常がでないのか、わからず、

ずっと、症状の他に、
「病人」としてさえ医学にまともに扱ってもらえないことでも、
苦しみました。

症状の原因が、「私自身の問題」であるかのようにされることでも
深い悲しみを味わいました。

こういう「医師にさえも、病人として認めてもらえない。」という

「症状を信じてもらえない、病人として認めてもらえない」ということでの苦しみは、

たとえば、「がん」などの、

「医学に認められた病」

「加害者側が存在せず、病名や診断がその利害関係に巻き込まれない病」

「関心が高く、世界中で研究が盛んな病」

「多くの支援団体、研究者、研究団体、支援企業がついてくれて、
社会の理解と支援に恵まれた病」では

あまり起こりえないのではないか?と私は思っています。


脳脊髄液減少症は
そういった社会的支援もなく、世間や医学界の理解もまだまだ少なく、

この事故後遺症があっては困る、損害保険会社の人たちがムキになって、
この病名を闇に葬ろうとしています。

否定派医師や、損害保険会社が真の交通事故での
脳脊髄液減少症患者に対してやっている行為は

かつてのチッソや国の非情な行為と同じだと思います。

あまりに非人間的です。

「病因と症状との因果関係がなかなか認めてもらえず。」

そのために、交通事故でこの病になりながら、
充分な補償もなく、治療費も打ち切られる被害者もいて、

「最低限の必要不可欠なブラッドパッチ治療に健康保険もきかない」なんて、

こんな非情なことが今後も続くことだけは
なんとしてもやめさせなければなりません。

この現実をより多くの人たちに知ってほしいし、
明日皆さんにふりかかるかもしれないのですから、

自分には関係ないと思わないで、
私たちから目をそむけないで直視していただきたいと思います。

交通事故での脳脊髄液減少症患者が置かれている、過酷な現実に
世間の善良な人たちもに気づいていただき、

患者が絶望する前に、
死んだほうが楽だと思う前に、
どうかどうか、早く早く助けてあげてほしいのです。

でないと、たまたま交通事故の被害者になってしまったがために、
さらなる精神的身体的苦痛と絶望の中で

何の罪もないその人たちが
せっかく事故では命に別状なくても、
脳脊髄液減少症によって、いろいろな意味で命を落としてしまいます。

交通事故は誰にでも起こるもので、
世界中で毎日起こっていることで、

これによって起こる脳脊髄液減少症は、けっしてまれな疾患ではありません。
そのことを忘れないでほしいのです。

明日はわが身なのです。


    

最後に、
原爆症の患者様、
水俣病の患者様、

50年も60年も、理解されない中を生きることは、
どれほどおつらかったことでしょうか。

でも、生き抜いて、その事実を、私達に伝え続けてくださって
本当にありがとうございました。

皆様はけっして悪くない、症状が出たのは皆様のせいじゃない。

他に原因があって、皆様の体の健康が損なわれた。

そのことを無理解にも、世間の無関心や冷たさにもまけず、
こんなにも長く耐え続けて、

あきらめず、声をあげつづけてきてくださってありがとうございます。

おかげで、私は、皆様が訴えてくださっていることの意味が
今やっとわかりました。

自分が原因でない患者を正当に救済しないまま、放置することが、

患者のみならず、人類全体、国全体に、
どれほどの損害を与えるかが、わかってしまいました。

患者さんたちは、本当は自分達の救済だけではなく、自分達の理不尽な体験を通して、

今後同じあやまちを繰り返さないために、世間に伝えたかったのではないか?」とも私は考えるようになりました。


私たち脳脊髄液減少症患者も、

皆様からいただいた教訓に、自分たちが学んだ教訓も加え

二度と同じあやまちが繰り返されないよう、
次の世代にきちんと伝えていきたいと思っています。


今後は、
一刻も早く国に病の原因が皆様自身のせいではない、原爆のせい、水俣病のせいだと
正当に認定されて、
正当な補償がなされ、

せめて、少しでも心おだやかな日々をお過ごしになられますよう、
心からお祈り申し上げます。


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水俣病「未認定」問題に思うこと 1
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水俣病、「未認定」問題に思うこと 1

2009年07月05日 | 他の病名との関連性
脳脊髄液減少症で
「認められない苦しみ」を知ってしまった私は、

最近の、
原爆症や水俣病がいまだに認定されない
「未」認定患者さんたちの報道を知るたびに、

とても人事とは思えない思いで、
非情につらくなります。

症状や病の原因が
自分が自然に発症したものでも、
自分に落ち度があったせいでもないのに、

外部から与えられてしまった、害が原因で発症した症状なのに、

50年も60年も、症状を抱えて、しかも因果関係が認められずに生きてこられた、
未認定患者さんたちの、
「なかなか認められない」ことの悔しさ、悲しさ、理不尽さの思いを想像し、

心が痛みます。

症状が感覚障害やシビレなど、本人しかわからないものもあるため、

おそらく、今から50年前とか、60年前では、
今のようなMRIなど精密な医療検査機器も技術もなかった時代ですから、

今の脳脊髄液減少症の私たちより、もっともっと、
「原爆のせいや、水銀中毒のせい」ではなく、

あなたの体が自然に発症させた病」だ
「気のせいだ」として、

責められた人も大勢いたのだと思います。

今やっと、水俣病も、
「手足のシビレ」だけではなく、「口や舌のシビレ」も
認定の対象に入ろうとしているようです。

脳脊髄液減少症で、手足だけではなく、口の中やまわりや舌のシビレも感じていた私は、

水俣病という有名な公害病でも、
今まで、手足のしびれは認められて、口や舌のシビレは認められていなかった事実に、今回初めて知り驚きました。

いかに、患者が感じるだけの症状が認められにくいか、思い知りました。

中枢神経がやられる病で、手足のしびれだけが出るはずがないのに、
今まで認定基準に入っていなかったこと自体が
不思議でなりません。

今までの水俣病患者さんたちの「理解されない苦しみ」の
一端を、その一例だけでも垣間見た思いがしました。

当時の患者さんたちは、
加害者側からも、医師からも、国からも、世間からも、当初は相手にされず、
突き放されて、どんなにか孤独で絶望の中を生きてこられたことでしょう。

今から50年も60年も前の原爆や公害では、
その真相や、症状の真の原因に、患者本人すらも気づくこともできないまま、

あまりの体と心の苦しみに、自ら命を絶たれた方や、
無念のうちに、認められないまま孤独に死を迎えた方もあったのではないか?と
想像しています。


原爆症患者さんも、

水俣病患者さんも、

原爆や、チッソの公害が原因で、それらの症状が出たといくら言っても、

医師にも国にも公害会社にもわかってもらえなかったことは、
どんなにつらかったことでしょうか?

症状もつらかったでしょうが、

「症状が理解されない」、「原因との因果関係が認められず、後遺症と認められない」ことは

どれだけ患者の心をさらに傷つけ、病ませ、絶望へと突き落とし続けたことでしょうか?


私には、その方がたのつらさ、悲しみを想像しただけで、
胸がはりさけそうな思いです。


どうして、原爆症も水俣病も、50年も60年も、こんなにも長い年月、
過去の水俣病や原爆症患者でありながら、

認定されず、救済もされてこなかったのでしょうか?

そして、なぜ、今、また、
脳脊髄液減少症でも同じようなことが
繰り返されているのでしょうか?


交通事故で脳脊髄液漏れを起こすことは、
私の経験からもまぎれもない事実だと思います。

保険会社や否定派医師は、
いつまで交通事故被害者に原爆症や水俣病患者さんと同じように

さらなる「認められない苦しみ」を与え続けるおつもりなのでしょうか?

私はすでに、脳脊髄液減少症とわからないまま
人生の大半が過ぎて人生も終わりに近づいてしまいましたが、

今後の若い未来ある事故被害者での脳脊髄液減少症患者さんたちには、

水俣病患者さんや、原爆症患者さんたちの
未認定問題が患者さんに与える残酷さの教訓をしっかり生かして、

早い段階で、きちんと救済してあげてほしいと思うのです。


水俣病患者さん、原爆症患者さんたちも、

おそらく、手足や口や舌のシビレなど、本人にしかわからない症状が主だったために、
こんなに長くほったらかされてきたのだと思います。

脳脊髄液減少症患者もそうですが、
罪のない被害者を、さらに無理解で苦しめ続けるような

国や世間で、よってたかって弱った患者をさらにいじめぬくような行為は
今後は決して繰り返してはなりません。

ただでさえ、体や心が傷ついて苦しんでいる、
詐欺師でもなんでもない、普通の善良な本当の患者たちまで、
さらに苦しめるような行為は

もういい加減やめていただきたいと思います


私は、交通事故からの長い長い年月を、病名もはっきりしないまま、
脳脊髄液漏れの根本治療もなされないまま、

苦しい症状を抱えながらも、周囲から「症状はアナタ自身の問題」と責められながら、生きてきました。

それは症状の原因がわからなかったのは、私のせいではなく、
時代のせいなのに、
原因がわからないいというだけで、すべて患者のせいにされてきました。


長い年月、症状の原因がわからないままほったらかされ
生き抜いた末に、やっと「脳脊髄液減少症」とわかり、

こうなった理由がやっと理解できました。

それは、自分の責任ではありませんでした。

他人の責任で、こうなったのです。

それでも、何の補償もありません。

おそらく、原爆症や水俣病も、
放射能や、水銀という、症状の真犯人がわからなかった時期、
同じように、患者自身のせいにされていた時期があったのだと思います。


過去に、原爆症や水俣病の被害者の皆様に起こったことと同じことが
知らない間に、
私の身にも降りかかっていたということに気づいた時、

人間というものの中に潜む
「おろかさ」と「恐ろしさ」と「残酷さ」を思い知りました。


(つづく)







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7月1日は「こころの日」

2009年07月01日 | 情報
本日は
1988年の精神保健法が制定された日にちなんで
「こころの日」だそうです。

また、本日青森県でも動きがあったようです。
青森県庁ホームページ


脳脊髄液減少症でも、
精神的不調が起こることをご理解いただき、

脳脊髄液減少症の精神症状にも正しい理解を図り、

脳脊髄液減少症患者の闘病中の、
こころの健康を保つことの大切さも、再認識していただき、

さらなるご理解と支援に取り組んでいただきたいと思います。

でも、きっとしらないんだろうな~

精神科の看護師さんも、精神科の医師も

脳脊髄液減少症でまるで
精神科の領域の病の症状のような状態が起こるなんて・・・・

うつ状態や、得たいのしれない不安感や、
パニック障害そっくり症状や、
対人恐怖症のような症状や、

社会不安障害そっくり状態にもなるなんて・・・・

体の症状の苦しみや、周囲の無理解や経済苦や
脳の機能低下でのうつで、自殺が引き起こされる可能性もあるなんて・・・・

脳脊髄液減少症でおそらく前頭葉の機能低下も起こるのか、
思考の混乱が起きたり、

怒りっぽくなり、性格がかわったようになることや、

視覚や聴覚が
まるで精神の病での幻聴や幻覚かと思われるぐらい、
恐ろしく変化することもあるなんて・・・・・・・

どれもこれも、誰も知らないんだろうな・・・・・


私はこれらの症状を経験したから、

長く脳脊髄液が漏れたまま放置されることの恐ろしさを
知っています。

脳脊髄液が減少すると、
心や体の
コントロール中枢である脳が
正常な状態におかれなくなるのだから、
どんな異常が
心や体に起こったっておかしくないのに、

もっともっとさまざまな症状が心や体に出るのに、

脳脊髄液減少症の一部の症状しか、患者さんたちにも、
専門医の先生方にさえ、まだまだ知られていない現実・・・・


せめて、今日ぐらい、
精神科の医師や看護師さんには

精神的な症状もでる、脳脊髄液減少症を知っていただきたいと
思います。

精神科にくる患者たちの中にも、
まぎれこんでいるかもしれない、脳脊髄液減少症患者の早期発見のために、
脳脊髄液減少症を知ってください。

そして、
長く放置され、無理解にさらされ続けたために、心に傷を負ってしまった
患者たちや、

人間不信になってしまった患者たちや、

過去の交通事故は自分のせいではないのに、加害者の罪までかぶせられて
「異常なし」、「症状が出るのはあなたの心のせい」と、医師や周囲から
責められ続けてきた患者被害者の心を癒すためにも、

救いの手をさしのべてください。

脳脊髄液減少症患者は、
心にも体にもさまざまな不調がでるため、

多くの皆様のご理解とご支援が必要なのです。

病名判明までに時間がかかってしまった患者たちは、
さらに深い心の傷まで負っています。

精神科にかかわる皆様のご理解ご支援、よろしくお願いします。




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