中国での高速列車事故では、マスコミの言論統制みならず、
当局を非難する遺族に対してまでも、監視や盗聴、圧力があるようだ。
隠ぺい体質、人命軽視、だと、隣国ばかりを批判もできない。
日本でも、同じことがすでに起こっているのだから・・・。
震災後のあの事故での日本政府の隠ぺい体質、言論統制はお気づきのとおり。
今回の原発問題に関しても、
経済産業省=資源エネルギー庁が「「ネット監視」し
ツィッターや有名人のブログなどを、常時監視していると「週刊現代8月6日号」に詳しく書いてあるようだ。
過去の自分の経験からも、この日本はそういうことがあっても少しもおかしくないと思う。
いくらいままで原発肯定派の学者たちの「安全神話」は、
実は安全でなかったことは、
今や日本中のだれもがもはや疑うまい。
人命よりも、企業の利益のために、
事実を捻じ曲げて伝えようとする人たちが
いつの時代も存在する。
私たちはそれにだまされてはいけない。
過去をむしかえして悪いが、
2年前、脳脊髄液減少症の患者らに対しても、こんなことがあった。
昨年だって、あんなこともあった。
あの、昨年の日経メディカル9月号の記事 は純粋な医学論争というより、
反対派の医師による 一種の全国の医師たちへの情報操作だったと今も私は感じている。
なぜかというと、
純粋な医学論争なら、
この事故後遺症を見つけた本家本元の脳脊髄液減少症の専門医の反論意見を、
同じような大きな記事で次号以下で取り扱かってもよかったのに、
肯定派の医師の意見は、11月号の見出しにも特集にもなく、
なんと「読者のページ」に一読者として小さくめだたぬように掲載したにすぎないのだから。
日本一症例数が多く、日本一経験豊かな、一番生の患者に数多く接していて、一番生の患者の声を直接聞いている専門医の意見が、
見出しにもなく「読者のページ」である。
それだけみても、あまりに不公平で、あまりに不自然だ。
こんな不公平な記事の乗せ方をする出版社にも私は疑惑の目を持ってしまう。
これも一種の言論統制ではないのか?
人間を苦しめるのは、いつだって人間。
被災者という公の弱者には 皆で救済の手を差し伸べ、良い人ぶってかっこつけても、
本当に救済を求めているのに、脳脊髄液減少症というめだたない弱者には
何年も何年も救いの手をさしのべない。
そのうえ、さらに冷酷な仕打ちで患者たちを痛めつける人たちが、
この日本に今も確実に存在している。
恐ろしい国だ。
隣国を非難する資格なんてこの国にはないと思う。
日本や日本の医学界の愚かさを変えていける唯一のものは、
国民ひとりひとりの良心と声だろう。
だから、
同じ思いをもっている人たちが、みんなで手をつなぐべきだ。
患者たちは連携すべきだ。
連携できないなんて言っている場合ではない。
弱者は団結しないと巨大権力には負けてしまう。
このままでは、日本は変わらない。