脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

8月11日の読売新聞 夕刊記事への意見

2011年08月13日 | 心の葛藤

いつも最新情報を教えていただいている

同病患者のろくろさんのブログ

教えていただいた、

8月11日の読売新聞夕刊の「こころ、健康のページ」の

「大ケガ克服のスポーツ選手」の記事。

に、脳脊髄液減少症の患者さんと、

身体障害と高次脳機能障害を抱えた患者さんの

前向きな生き方と

T先生のお話について、記事が載っています。

 

私は

この記事に、励まされるというよりも、

むしろ「違和感」を感じました。

 

記事全体の印象として

励まされ、力をもらう(エンパワメントされる。)というよりも

逆に、力をそがれるような感じの記事です。

 

なぜだかわかりますか?

 

人の支援の仕方に詳しい社会福祉士さんや、

人の心理に詳しい、臨床心理士や精神保健福祉士さんの方々なら

その理由にお気づきかもしれません。

 

この記事を書いた読売新聞記者様は、

たしか

あの最近の「軽度外傷性脳損傷」の連載記事

「7月7日の脳脊髄液減少症」の詳しい記事を書いてくださった記者様ですよね。

 

記者さんも、事故後遺症に苦しむ人たちを

励ますつもりで、

よかれと思って書いた記事なんでしょうが・・・。

 

取材を受けてくださった先生も患者さんも 

脳脊髄液減少症の理解を広めるためや、

なかなか前向きになれない患者を勇気づけるつもりで

 

早く立ち直ってほしいとの願いをこめて、取材に応じてくださったのでしょうし、

記者もその思いを伝えるべく記事にまとめたものなんでしょうが・・・。

 

記者さま、

医療や周囲や家族の理解に恵まれた患者さんだけでなく、

 

「悲惨な脳脊髄液減少症患者の声」も聞き続けてみてください。

そうすれば、「嘆き続け、切々と苦しみを訴える被害者」を暗に非難するような記事は書けないはずですから。

 

「プラス思考こそ患者を救い、

悲劇のヒロインにひたっているようなマイナス思考では

患者は自分のためにならない。」といった批判的な内容ではなく、

 

読む人たちに、もうすこし、

「力が自然にわき出るような」記事のまとめ方ができなかったものかと

残念に思います。

 

あの記事にかかわった皆さまの、

患者を思う、熱い思いは伝わるし、

本当にありがたいことです。

 

いつも私たち患者を理解して治療に取り組んでくださる医師にも、

 

いつも取材に応じてくださる患者さんにも、

あれから脳脊髄液減少症について一生懸命勉強し、取材し、

世間に伝えようと努力してくださっている読売新聞医療情報取材班の記者さまにも、

感謝でいっぱいです。

 

先生や患者さんたちの考え方やご意見は

ごもっともです。

 

患者さんの、その試練に負けない、前向きな生き方も見習うべき

すばらしいものだと思います。

 

でもね、 こんな記事では

私は何も力をいただけませんでした。

 

私の歩んできた世界とは、全く違う世界にいる恵まれた人たちの、

悪気のない言葉に対しては、

 

「おっしゃることはごもっともです。そのとおりです。皆さまは患者が見習うべき方々です。」と

ただ、そう思うしかありませんでした。

 

これは、患者「支援」ではありません。

この記事からは「プラス思考」ももらえません。

力ももらえません。

 

今回の震災で、

家族を全員失い、家も失い、仕事も失うといった、

信じられないような現実や悲劇に直面してしまった人たちに対しても

 

もし、同じように「プラス思考で頑張れ」と、

いくら前向きになる方法を

懇切丁寧にアドバイスしたとしても、

 

被災者は今の私と同じとまどいを感じることでしょう。

 

同じ被災者であっても、

比較的恵まれた環境にいる人から、

「自分もかつてこんな悲惨な試練を乗り越えられたんだから、いつまでもくよくよするな」と

一方的にただ励まされても、 

 

それだけでは、 被災者は、本当の意味で

前向きになんかなれないと思います。

 

どんな時でも、「プラス思考」が大切なのは、

今更言われなくったって、誰だってわかっていることです。

 

しかし、わかっていても

なかなかできない自分に苦しんでいるからこそ、

自分だけではどうにもならないからこそ、

助けを求めているのではないですか。

 

「何を言っても非難されず、

安心して思いをはきつくし、

共感をもって受け止めてもらえる安全な場」の提供こそ、

その人たちが求める支援なのではないですか?

 

共感できない人は、そんな場に二度といかなければいいだけのことです。

二度といかないことで、

他の人たちが、

何をいっても非難されない安全な場を、保つことに協力すればいいのです。

 

 そこで、やっと心を開いて、思いをはきつくしている人は

自分の回復のために、必要があってそうしているのですから、

誰からも非難される必要はないのです。

 

たとえば、今回の震災での被災者の言葉ではいいつくせない思いに

寄り添うことも、

ありのままに需要することも、共感することもなく、

 

ただただ、「いつまでも嘆いていてはだめだ。」と叱咤激励したり、

一方的に「プラス思考」の大切さを説いたって、

それは説く人の自己満足の世界。

 

被災者にはちっとも力がわいてきません。

とまどいとともに、「ごもっともです。わかっています。がんばります。」としか

受け止められないでしょう。

 

 それだけでは、

被災者が、支援者から、力の付与をうけて、

問題解決能力などの自らの力が

自分の中から自然にわいてくることもないでしょう・・・・。

 

これでは、「支援」とはいえません。

それは「支援」ではなく「指導」だと思います。

 

「患者理解」でもなく、むしろ「無理解」です。

 

人から押しつけられたり、指導されての「プラス思考」は、その人にとって本物ではありません。

 

被災者自らの中から自然に、プラス思考がわき起こるようにするような支援こそが、

本当に求められている支援です。

 

脳脊髄液減少症患者で、

なかなか前向きになれない人たちには、

それと同じ支援が必要です。

 

その支援は、脳外科医にははっきりいって無理です。

 

これからの脳脊髄液減少症の患者治療は、

ソーシャルワークの専門家や、ピアカウンセリングやグループミーティングに詳しい精神福祉の専門家などが

患者の「悲嘆の作業」をフォローする必要があると思います。

 

医師の早期の診断治療と、患者の心理面のフォローが

相乗効果で、

さらに治療成績や社会復帰率がいい方向へ向かう、ということをめざすべきです。

 

医療関係者だけでなく社会福祉などさまざまな関連職種の専門家の力を得ての

チーム医療が望まれます。

 

医療とタッグを組んで、さまざまな職種と知識が集まって患者を支援することにより、

患者の自然な自らの内側からわく「プラス思考」を引き出し、それが体の治癒力も引き出し、

本当の意味での患者の早期の社会復帰を実現すると、

私は思います。

 

(つづく)

過去記事: 「聞くことが最初の支援」=岸本葉子さんからのメッセージ

 

 

 

 

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