前回の続きです。
今日は終戦記念日です。
戦争当時の
一般市民たちの毎日の恐怖や不安、
生活の苦しみや
特攻隊など兵士本人とその家族のつらさ、痛み、悲しみ、悔しさは、
いかばかりかと思います。
生き残った人たちも、
そんな理不尽な時代の記憶を抱えこんだまま、
戦後の時代の日本の変貌を目のあたりにしながら、
生きてきたその思いは
私なんかの想像を超えるものだと思います。
どうか、66年前の戦争を体験し、生き残った人たちは、
ひとりでも多くの人たちに
その戦争体験を伝えてほしいのです。
苦しみも、悲しみも、うらみつらみも、
この戦争のない時代を生きる
現代人に対するねたみだっていい、
当時を思いだして、泣きながらでもいい、
どんなことでも、
生きているうちに、
今を生きる人たちに、こどもたちに話して聞かせてほしい。
どうか、そういった過去の暗い話題や言葉は
今ごろ話しても相手にされないからと、胸に秘めたまま
逝ってしまわないで。
「そんな昔の戦争の話なんて聞きたくない。」
「66年も前の過去の悲しみなんていいかげんもういいよ。もう忘れたら?」
とか、
「そんな昔のことを思いだして、
恨みごとを言ったり、苦しさを切々と訴えることばかりに力を費やしていては、
今の自分のためにならないよ。」とか、
「周囲の理解を得るために、当時の自分の苦しさをことさら強調するな。」とか、
「加害者への恨みにとらわれ続け、自分を悲劇の主人公にしたてて、それにひたるな。」とか、
「そんなマイナス思考を乗り越え、プラス思考を持つことが重要だ。」なんて、
戦後生まれの、悲惨さを何もしらない、幸せな若い人たちに
言われてしまうことも
あるかもしれないけれど。
そういう人たちではない、
ありのままを受け止めてくれる人たちも
現代にもきっといるから、
その人たちに、
当時、封印していた感情や思いを
ぜひ語りつくしてほしいのです。
伝えなければ、何も伝わらないのだから、
当時の苦しみ、悲しみ、怒り、つらさ、悔しさ
何でもありのままに、
話して伝えてほしいのです。
それは伝えるだけではなく、
ご自分の長く封印してきた、心の傷の、
癒しにもつながるはずですから・・・。
人が受け入れがたい苦しみや悲しみを経験した時、
そこから自ら立ち直って
自分の力で前向きに生きていくには、
まず最初に徹底的にしなければならないのは、
「徹底的に悲嘆に向き合って、それによって悲しみを癒す作業」(グリーフワーク)だと
私は思うのです。
でも、戦後であっても、
戦争を経験した人たちは、
当時、戦争に対する怒りや悲しみあうらみつらみの感情を
言葉にして表に出すことを充分することは
難しかったことでしょう。
嘆き悲しむべき時に、
充分に嘆き悲しめず、
怒るべき時に、充分に怒ることさえできず、
国や軍に、憎しみを爆発させ、恨みごとをいうことも、
戦争で最愛の人を失った悔しさを大声で泣きわめきつくすことも、
当時は難しかったことでしょう。
そういう時代だったのだから。
悲しむべき時に充分に悲しみつくさず、
怒るべき時に、怒りつくさず、
嘆くべき時に嘆かずに、
がまんして、感情を抑えつけてきた人たちは
のちのち、
それが、かえって、その感情が、
いつまでも心に残って苦しむことがあります。
人は、悲嘆しつくし、悲しみをいやす作業を抜きにして、
気合と、訓練と、感謝と、心がけだけで、
一足飛びに、プラス思考になんてなれないと
私は思うのです。
それは、
心が健康な人たちにしか通用しないものであり、
深く深く心傷ついた人には、そんなことを指導したって無駄です。
だから
私は、あの読売新聞夕刊記事には、
私は、全く共感できませんでした。
むしろ、反感を持ってしまいました。
人が立ち直るためには
グリーフワークは避けて通れない、重要な過程であると
私は考えていますから。
その人にとっての回復のための
なくてはならない「グリーフワーク」が
他人から見たら
まるで「悲劇のヒロイン」にひたっているかのように、
「うんざり」して感じてしまうにすぎません。
「悲嘆の作業」にかかる時間は
人によりさまざまです。
短い人が立派でえらくて、、
長くかかってしまった人がダメな人ではないのです。
人が立ち直るための
充分な「グリーフワークの時間の重要性」に
気づいている人たちは、まだ多くはありません。
その証拠に、今回の震災でも、
「がんばろう」のかけ声だけが世界中からいっせいに
被災地に届きました。
「がんばらなくていいから、泣きたい時は、気がすむまで思いっきり泣いていいから。」
「被災地のみなさん、
思いっきり泣いてください、
遠慮せず、気のすむまで、語り、悲しみ嘆いてください。
私たちは、
皆さまの思いをありのままに受けとめる、安全な場を提供いたします。」との声も
メッセージも、届けてくれる人たちはあまり多くはなかったはずです。
「私たちは皆さまの話をただ聞くことしかできないけれど、
皆さまの苦しみは、想像することしかできないけれど、
ただただ皆さまの思いに寄り添い、皆さまの言葉からその思いを想像力を精一杯働かせて共感するように努め、
皆さまが元気になるまで、
何年でもつきあいますから、安心して思いを言葉にして語りつくしてください。
皆さまが気のすむまで、思いや感情を吐き出しつくしてください。
毎回同じ話では相手が迷惑だろうと遠慮しないでください。
同じ話でも何度でも聞きますから、
どんなうらみごとでも、憎しみでもありのままに受け止めて聞きますから、
ただ、ただ、皆さまのそばにいて、肩を抱いて、ともに悲しみや悔しさを
わかちあえるように、いたしますから。
どうぞ、おもいっきり、嘆いてください。」と、
そんなメッセージを届けてくれる人たちの存在や活動は、
あまり報道もされませんでした。
そういう支援もあったのでしょうが、
あまり報道もされませんでした。
ただ、ただ、「がんばろう」のかけ声ばかりが、
日本中に響いていたように思います。
傾聴ボランティアが現地にいたことは
あったようですが、
一見元気そうに見える人たちに
本当はもっとも必要な「悲嘆の作業の重要性」に気づいて、
支援してくれる人たちは
あまり多くはいなかったのではないでしょうか?
私は、今回の震災で、信じがたい、受け入れがたい現実に遭遇した人たちも、
わき起こる感情を封じ込めないで、
言葉にしても受け止めてもらえる安心できる人たちに
吐き出してほしいと思いました。
「自分は何も悪いことはしていないのに、なんでこんな目にあうのか?なんて自分は不幸だ」と、
気のすむまで「悲劇のヒロイン」になってでもいいから、
嘆きつくしてもいいと
私は思っています。
「周囲の理解を得るため、自分の苦しさをことさら強調している。」
「恨みにとらわれ続けるな、悲劇のヒロインになるな」
なんて
間違っても、絶対に言わない、
傾聴のプロや、受容共感してくれる仲間たちに囲まれて、
気のすむまで「悲劇の主人公」になりつくして、
嘆き悲しんでほしいと思います。
その徹底的な悲嘆の作業なしに、
次の段階へは進めないと
私は思っているから。
戦争体験者も
東日本大震災の被災者も
自分には落ち度のない交通事故での脳脊髄液減少症患者も、
周囲の悪気のない励ましのために、
「どうせ、あなたたちにはわかりっこない。」と
心も口も閉ざさないでほしい。
それでは、救われない。
悲しみ苦しみに歯を食いしばって耐え、
涙をこらえ、
言いたいうらみつらみの言葉をも呑み込み、
「徹底的な悲嘆の作業」をしないまま、
作り笑いと、表面だけの「プラス思考での行動」でがんばってしまって、
無理に無理を重ねないでほしいと
思うのです。
そういう「努力」でたとえ一見立ち直れたように見え、
元気そうにしていても、
それはその人にとって、
本当の立ち直りではないと思うから・・・・。
プラス思考は「訓練」や「努力」でではなく、
その人の中から、いつか必ず、自然にわき起こってくるものだと、
私は思うから。
「訓練」と「努力」が通用するのは、
健康な心の持ち主だけです。
「訓練と感謝で育むプラス思考」なんてとんでもない。
その言葉を、
今回の大震災で、家族すべてと家も仕事も失った被災者に面とむかって言えますか?
広島と長崎の被爆者に言えますか?
66年たってもなお、被爆者と認められず、
放射能を帯びた黒い雨をあびたことを仲間とともに、証明しようとしている人たちに
同じことを言えますか?
それは暗に、その人たち言動を頭から否定しているのと同じです。
「いまのあなたじゃダメだ。そんなふうじゃダメだ。」と。
あきれているのと同じです。
あまりに失礼じゃないですか?
自分たちはその苦しみの同じ経験もないくせに。
その人たちは、すでに「プラス思考」だったから、
今生きのびて、いることを忘れないでほしい。
その人たちに対して、
同じ経験もない若い幸運な人たちが
説教しないでほしい。
繰り返しますが、
私は、自分の人生物語で「悲劇のヒロイン」になって、、
自分の悲しみなどの思いを語りつくすことは
その人が困難を受け入れ、乗り越え、癒され、元気になっていく過程で、
むしろ必要なことであって、
けっして、
悪いことではないと思っています。
(つづく)