脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

登山1万回の約束

2011年08月25日 | つぶやき

今夜NHK 夜10時、

登山1万回の約束

重い認知症の妻と、その夫の毎日の山登りの日々の

一年余の記録。

 

マスコミも最近では

当たり前のように「認知症」をとりあげる。

 

しかし、かつて「認知症」が差別と蔑視が含まれたような時代、

 

「痴呆」という言葉で

一様にくくられてきたあの時代は、

 

きっと今の私たち脳脊髄液減少症患者みたいに

無視され、無きものとされ、

世間から見捨てられてきたのだと思うのです。

 

かつての「認知症」の人たちは、

きっと、私たち脳脊髄液減少症患者が今まで受けてきたような、「無理解」のしうちを

長い間、家族や社会から受けてきたんだろうと想像します。

 

「病気」によってそういう状態になっている、として理解されることなく、

支えてもらうことなく、

 

「困った人たち」といった、うんざりした視線を向けられて

いたんだろうなと。

 

昔だって脳血管での障害や、

アルツハイマーなどの認知症での症状が徐々に出てきた人もいたはずです。

でも、見た目は今までと変わらないから

そのさまざまな言動のトラブルを、

 

その人の人格の欠陥

その人の性格のせいでの怒りっぽさ

その人の不注意でのミス。

その人の怠慢

その人のだらしなさでの結果

その人の人間としての未熟さが原因のトラブル

だと

きっと思われていたんだろうなって、想像します。

 

大昔の認知症患者さんたちは、

さぞかしつらかっただろうなって・・・。

 

病気のせいでそうなっていると周囲から理解されず、

叱られたり、

「何度いったらわかるんだ」とどなられたり、

指導されたり、

影で軽蔑されたり、

 

無理解による仕打ちも受けてきたんだろうなって。

 

本人はいったい自分に何が起こっているのかもわからない。

うっかりすると、おかしな自分の言動にも自分で気づけない。

自分の感情や行動をコントロールしようにもうまくできない。といった、

髄液漏れの私と同じ状況にあったんだろうなって。

 

交通事故後に脳脊髄液漏れが起こっているなど

本人は気づくことができなかった時代、

私は、自分にいったい何が起こっているのか最初はまったくわからなかった。

でも、

おかしな状態の自分にはだんだん、うすうす気づいていた。

 

だから、認知症の患者さんも、高次脳機能障害の患者さんも、

周囲からは「気づいていない」と思われていても、

本人は自分の「おかしさ」に

うすうす気づいているのかもしれないと私は思うのです。

 

でも、おかしな言動があっても、

認知症に関しては、今は社会の理解が進んできたから、

その言動のすべてを、

「病気が影響している可能性がある」って

考えてもらえるようになってきました。

 

医師も家族も周囲は

以前よりも、温かい目で「認知症」の人をありのままに受け止められ

支えてもらえる社会になりつつあるのです。

 

かつてのように、

認知症患者に、しかったり、注意したり、

厳しく指導したりは減ったはずです。

それがかえっていけないこと、との認識が広がりつつあるから。

 

でも、脳脊髄液減少症はね、認知症ほど社会に理解が進んでいないのです。

 

まだまだ

本人の努力不足、とか

本人の気持ちの持ちようとか心がけ次第って

思われている部分

多々あると思うのです。

 

でも、

考えてもごらんなさい。

 

その、「心がけ」とか「気持ちの持ちよう」とかを

コントロールしているのも脳でね、

 

その脳が認知症だけでなく、

髄液漏れで不調だと

その「気持ちのコントロール」さえ、

うまくできない人たちもいるってこと、

忘れてやしませんか?

 

特に、私のように、

何年も脳脊髄液漏れたまま、治療もされず放置され続けた脳はね、

ダメージが大きいと思うのです。

 

思うようにはならないのです。

 

そのへんのところも理解していただいて、

現在の手厚い認知症患者支援体制のように、

医師も専門家も、家族も社会も、

私たち脳脊髄液減少症患者を

温かく支えてほしいと思うのです。

 

しかし・・・・脳脊髄液減少症の現状は、

治療にも健康保険がきかない。

事故で受傷しても保障すら拒まれたり、治療費すら充分でない。

昨年3月まで、脳脊髄液減少症かどうか検査する、

RI検査すら一部病院では自費だった現実。

 

検査、診断、治療の知識がある医師が少ない。

患者の精神的フォロー体制がない。

 

国として、行政としての患者の社会的福祉的支援体制がほどんどない。

各科の医師や、医療スタッフとのチーム医療がない。

 

闘病中も症状が耐えがたい時、緩和ケア体制が整えられていない。

脳血管障害や脳外傷での回復期のような、健康保険適用での

リハビリ体制も脳脊髄液減少症には整っていない。

 

などなど、ないないづくし。

 

この現状を

なんとかしていただきたいのです。

 

この1000年に一度の大震災と大津波で多くの命が奪われ、

人災の原発事故で、多くの人たちを苦悩させた、

この歴史に残る平成23年という年に、

 

脳脊髄液減少症患者をさらに苦しめ、陥れ、

これからも多くの患者を見逃し続け、

私のような悲惨な患者を出すことが確実な

恐ろしい人災を今後も招くような

 

今回発表された

現実の患者の実態からかけ離れた、

まだまだ盲点、欠点だらけの

「脳脊髄液減少症診断基準案」だけは

絶対に正規の診断基準として通さないでほしい と思うのです。

 

原爆症の診断基準や、

水俣病での診断基準で、多くの患者を故意に漏れ落とさせ、苦しめ続けた歴史を、

この平成23年に

脳脊髄液減少症で

絶対繰り返してほしくありません。

 

(つぶやき、

本日の朝日新聞に発達障害の方の触覚過敏や聴覚過敏の症状について、

書かれているんだけど、興味のある方は読んでみて。

妙に脳脊髄液減少症の症状と似ているんです。

程度の差はあれ、

先天的か、後天的か、治る、治らない、は別にして、

あの、他人には絶対理解できない過敏に感じる症状には

脳の何かの機能の不調が、共通している気がしてならないの・・・

健康な人にはふつうの刺激が、苦痛にまで増幅して感じてしまうわけだから。

誰か研究してください。)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする