粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

節電と原発再稼働の危険度

2012-07-09 14:01:33 | 原発事故関連

関西電力大飯原発3号機がフル稼働して関西地方へは118万キロワットの電力が送電されるようになった。これで関西地区の節電目標は15%以上から10%に下げられ、4号機も稼働すればさらに5%以上までに緩和される。再稼働が順調に進んでまずはひと安心というところだろう。

橋下徹大阪市長も以前の脱原発の威勢のいい発言とはうって変わって、「再稼働に同意してくれたおおい町に感謝します」と神妙にコメントしていた。

やはり橋下市長も本音では再稼働を望んでいたのではないか。15%以上の節電は関西の産業界に深刻な影響を与える。「関西に元気を」のスローガンも下ろさざるを得ない。結成間のない「大阪維新の会」も大きな汚点を残し大幅なイメージダウンになる。夏のピーク時を過ぎたら稼働は止めてもらうという市長のいい分は一種のポーズに過ぎないだろう。

市長が一番心配しているのは、稼働がはたせない場合、計画停電によって医療関係で生死に関わる影響がでることだろう。人工呼吸器を常備している人はもちろんだが、それ以外でも様々におよぶことが予想され、その深刻さは計り知れない。最悪、地方行政への損害賠償訴訟にもなりかねない。これは大阪市に限らず、関西自治体全ての現実的懸念事項であったろう。

それに比べたら再稼働での事故による危険度などはずっと低いといえるだろう。福島の原発事故でさえいまだ死亡者はおろか、具体的な健康被害も報告されていない。それに比べたら過剰な節電の被害は現実的脅威だ。ちょっとした節電さえ熱中症による死者が出るというのに、15%以上ならばその被害はさらに深刻になりかねない。

関東では関西のような原発再稼働問題はないので、毎週金曜日の脱原発デモもそれなりに活発ではあるようだ。しかし稼働反対を叫ぶ人たちは、どれくらい国内の電力事情を理解しているのだろうかと疑問に思う。化石燃料を無理矢理使って急場しのぎをしているというのが現状だ。「節電すればそんなこと大丈夫」とデモ参加のおばさんが答えていたが、そんな単純な話ではないことはいうまでもないだろう。


がれき処理の現状

2012-07-08 11:02:06 | ガレキ広域処理問題

昨日7日夜NHK「がれき2000万トンの衝撃」は、まさに被災地がれき問題の現状を如実に示していた。東北3県2000万トンのがれきのうち処分が済んでいるのは全体の17%。3年以内の処理を終わらせるという国の目標はかなり厳しい。

映像をみると、がれきの途方もない山、山、に圧倒される。現地ならばなおさらだ。うんざりする以上につらいにちがいない。朝日新聞の宮城県支局の記者が「自分の周りには、がれきの山を見てもそんなに気にならない人が多い」と記事に書いていたが、その記者の「交友関係」や「取材能力」を疑ってしまう。被災地でも地域によっては一部にはさほどでない所はあるかも知れないが、「多くの深刻な地域を取材しろ、仕事をさぼるな」といいたい。

映像は岩手県大槌町でのがれき処理で分別作業に従事する人々を映し出していた。多くが地元の漁民や農民で被災で本来の仕事ができない人たちばかりだ。年配者が目立つ。分別はほとんど手作業だが、見ていて慣れない仕事に勝手が違う感じだ。がれき処理が終わらなければ町の復興計画が始動しない。その間若者や壮健な現役の人々が町を離れていく。「町がなくなってしまう」という危機感は強い。

広域処理に反対する側がよく、焼却施設をつくればこれが地元の雇用につながるなどという。しかし、これまで漁業を生業としている人たちが簡単にそんな雇用に切り替えることができるだろうか。いや正当な雇用創出といえるだろうか。やはり漁民は漁業で再生を計るのが本来のあるべき姿のはずだ。雇用創出などと安易に考えるべきではないと思う。

そこで広域処理はどうしても必要だが、これまでブログで書いた通り、いまだ反対する声が騒がしい。テレビで北九州市の受け入れ問題を紹介していた。最初は住民たちの反対の声があったが、最終的には地元住民が受け入れ賛成を条件付きで決めた。その経過を番組を追っていたが、これは今後の広域処理問題を考える上で多くのことは示唆している。

議会でがれき受け入れを表決した時は、全員賛成の議員に対して、傍聴席の「市民」たちが反対を絶叫していたのが印象的だった。焼却場付近の住民も「40年後の放射能被害」を主張する声も少なからずあった。

しかし自治会の集会では、基本的には賛成の人が多く結局条件付き受け入れを決議した。「もし将来健康被害があったら国が責任を取り、市も国にそれを要求する」ということだった。この提案に最終的に国も応じて、広域処理にゴーサインがでることになった。

要するに「反対のための反対」で終始する市民グループを排除して、本来の住民で議論すれば解決の糸口が開けるということだ。これはがれき広域処理問題を取り組む本来の道だと思った。NHKの番組にも時々煽りに近い内容のものもあるが、今回の放送は大いに評価できる。この番組のビデオを全国の自治体に頒布して住民への啓蒙に役立てて欲しい。

番組の最後、再び被災地でがれき処理の作業に従事する女性を映し出す。津波で自分の嫁と小学生男児の孫をうしなった。がれきを分別するとよく子供用のリックや遊び道具を見つけては孫のことを思い出し、涙ぐんでしまう。しかしここで手を休めるわけにはいかない。複雑な気持ちを胸に秘めながら、復興のために前に進もうとしている。一刻も早く被災地にがれきがなくなり復興が進むことを願わずにはいられない。

このブログを書いている最中に、テレビでは官邸前で声を張り上げる人たちの様子を紹介していた。敢えていえば、彼らの叫びはとても安っぽく見えた。

お詫び:当初がれきの総量を2000トンと表記してしまいました。正しくは「2000万トン」でした。お詫びして訂正します。


脱原発デモを盛り上げる方法

2012-07-07 07:17:53 | プロ市民煽動家

昨日7月6日も脱原発デモが繰り広げられたが、先週のと比べると、動員数も少なくやはり勢いが衰えてきたようだ。例によって今日の読売新聞朝刊は完全無視だ。

昨日のデモをいくつか動画で見たが、「再稼働反対」を各々がなり立てるだけで能がなく、どうも空疎の感を免れない。確かに野田首相の「大きな音」というのは案外的を射ているかも知れない。動員数も発表されていない。これではじり貧だ。これからは蝉の鳴き声にかきけされそうだ。

デモを主催する側は今後盛り上げ方を真剣に考えた方がよかろう。馬鹿の一つ覚えみたいに「再稼働反対」では芸がない。これからの季節やはり行進にも振付けを考え盆踊り風に行進するのも一計だろう。一方が「再稼働」をリズムに合わせて歌い上げ、もう一方が「反対」と合いの手を挙げる。まちがって「賛成」なんてうっかり発する人がいるかもしれない、でも大目に見る?ついでに「風評」のかけ声には「迷惑」と呼応する。あるいは「デマ」ときたら「撲滅」と答える。「脱原発音頭」で経済産業省・首相官邸前まで楽しく小気味よく参りましょう!

そこから日比谷公園のメイン会場へ一目散だ。東北の物産品の特売を盛大にやる。同時に東北B級グルメ祭り会場を設けて大いに舌鼓してもらおう。その中央には特設スタジオがありテレビ中継だ。「料理の鉄人」特別企画としよう。陳建一氏や道場六三郎氏など名だたる鉄人に福島県の産品を食材にして腕を競い合ってもらう。特別審査員には山本太郎君と落合恵子女史がいいだろう。

もう少し騒ぎたいという人のためには「みちのくプロレス」会場も設けておこう。最近しゃべりがややもすると陰険になっている古館伊知郎アナにあの名調子を復活させてもらう。

やはりお祭りにはバラエティイベントが一番華になる。復興のシンボル「フラガール」のダンスで華々しくオープニング。その後はお笑い芸人が芸を競い合い、歌手が熱唱する。東北出身ばかりに限定することもないだろう。変なデマ話で有名になってしまったあの「おしどり」にも夫婦で罪滅ぼしに色物の芸を披露してもらう。そして歌手では最近ある事情で世間に顔を見せなくなった小林幸子に登場の機会を与えたい。電飾の大仕立てで現れ宙ずりで新曲「絆」を熱唱。しかし歌うにつれて電飾の灯りが消えていく。歌い終わった頃には顔だけに照明が…。すると突然垂れ幕がぱっと下りる。「節電にご協力を!」の大きなゴシック文字。

もしこのデモがロンドンオリンピックの頃まで続いているのなら、会場に設置された大パノラマ画面で五輪中継もいい。そこに少し仕掛けが欲しい。たとえばなでしこジャパンがゴールを決めるたびに選手にあるポーズをとってもらう。福島の相馬盆歌の踊りにあやかって「ソーマダンス」なんていうのはどうだろう。要するに脱原発=東北の復興をいかにアピールできるかが課題である。再稼働反対なんて小さい、小さい。そうすれば野田首相からイベントにポケットマネーが届くかも知れない?

追記:読売新聞本日朝刊社会面に「原発再稼働反対デモ官邸前に1万人強」の記事があったのを見落としていました。失礼しました。1面のバンダ親子の写真ばかりに気をとられていました。


民意を盛んに口にする政治家

2012-07-06 13:53:28 | 国内政治

本日産経新聞での哲学者、適菜収氏のコラムは、今日の日本の政治のあり方として考えさせられる内容だ。題して「民意に従え」は政治の自殺。

(最近の国会の増税論議で)「国民のみなさんが納得しない」「増税は民意に背く」などと言い出す議員まで現れた。愚の骨頂である、と一刀両断に切り捨てる。

そもそも、政治家は政策決定において、安易に民意に従ってはならないのだ。政治家は有権者の御用聞きではない。政治家がやるべき仕事はただ一つ。議会で議論することである。移ろいやすい民意、熱しやすい世論から距離を置き、過去と未来に責任を持ち、冷静な判断を下すことである。わが国の将来にプラスになるなら増税すべきだし、マイナスになるなら阻止すべきである。

まさに適菜氏のこの指摘は政治家のなすべき役割を明確に示しているといってよい。それは決して国民の利益を無視することではない。移ろいやすい民意に振り回されることなく、政治のプロとしての判断力で責任をもって行動すべきだ。

最近頻繁に行なわれるメディアの世論調査なども、国民の声を知る上で参考にはなるが、過度に政策上で影響されるべきではない。たとえば増税反対はほとんどの国民が望んでいるであろうし、脱原発にしても今や大衆的な潮流であるので、ことさら民意などとことさら取り上げるのも意味がない。その点やたら「民意、民意」と声高に叫ぶ政治家は信用できない。

既存の政治システムを無視して素人だけの意見を重視することは「議会主義の破壊」だと適菜氏は警告している。数年前の小泉内閣の郵政解散や最近の橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会などその代表だとしている。

橋下徹大阪市長は「僕が直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」と、二言目には民意を持ち出し、自己正当化を行う。これはナチスのアドルフ・ヒトラーが使った独裁のロジックとまったく同じものだ。

自分も橋下市長にはそんな危うさを覚える。首相公選制の主張もそのひとつだが、もしかして現在国民から首相を選ぶとしたら橋下氏が最有力かもしれない。しかし民意だからと消費増税の撤回や急進的な脱原発政策をやられたらたまらない。大阪での独裁はある程度評価されても国政での独裁は弊害が多すぎる。


脱原発デモの分裂

2012-07-05 09:55:33 | プロ市民煽動家

ロシアの長編小説風にいえば、「安全は皆同じようにみえるが、危険はそれぞれの危険の形がある」ということだろうか。最近の脱原発の動きをみると、そんな印象を受ける。先週29日に異常な盛上りをみせていた脱原発デモはここへきて、内部抗争が勃発している。

脱原発デモの主催者たち(緩やかな連合体のようだ)の一部団体の1人がツイッターで反原発の筆頭である早川由起夫氏や木下黄太氏を批判したのが発端である。木下氏はこれまで一連のデモにも参加し拡散の参加を呼びかていた。しかしこの誹謗するツイッターを問題視し今後デモには参加しないことをブログで宣言している。問題のツイートはこうだ。

まあそれならそれでしょうがないですけど、これから幅広いクラスタに属する反原発派が、「早川的なもの」(木下黄太的なものとかも)から距離を置いていくことになるだろうし、そうならないといけないと思うので、今はまだ過渡期ということで暖かい目で見れたらいいな。と。

木下氏がこのツイートを見て激怒し、今後のデモ不参加を表明したというわけだ。デモ主催する連合体でも特に中核になるグループが、当初から木下氏の放射能被害への過剰反応やがれき広域処理への過激な対応を快く思っていなかった。それを木下氏はどこからか聞いていたようだ。これまでそれを知りつつ我慢してデモにも参加していたが、今回のツイートで堪忍袋の緒が切れたということだ。ツイートをした人間と同じグループの別の人物から木下氏へ弁明のメールがあり「メンバーにも見解の違う人がいる」としているが、不信感は逆に高まったようだ。

主催側がこうしたずさんな対応を続け、僕への中傷をしていることは間違いありませんし、その後の対応も、ごまかしの域を超えません。これから、デモが多数になり、物理的な危険も想定される中で、こうした主催者のデモに、僕が参加するように呼びかけることは、これ以上、できないと判断いたしました。

木下氏のブログを見ると、こうした大規模なデモは主催各団体が会議で集まって作戦を討議するようなきちんとした集まりではない。主にメールでやり取りする関係で直接顔を合わせるわけでもなく、共闘する相手はどういう性格なのかもわからない。まさに緩い連合体そのものだ。

これまで大飯原発再稼働反対という共通の問題意識でひとつにまとまっていた。しかし再稼働が現実なものとなってしまった現在、デモを主催する各グループの思惑の違いが表面化するのは必然的な流れであろう。

「早川由起夫的」T木下黄太的」がある一方で「反早川的・木下的」なグループがある。あるいはその「中間派」もいるだろう。もはや原発再稼働反対のような共通の目標がない以上、今後これら脱原発の運動は離合集散を繰り返しつつ沈静化していくだろう。

たとえれば「脱原発デモ」など、ネットの呼びかけで自然発生的に膨張した風船のようなものではないか。しかしその熱気もあっという間にさめて萎んでしまう。内部抗争をし、一部はさらに先鋭化する危険性もある。今後はそうした過激な活動には注意が必要だが、一時の脱原発という熱病から冷めて本来の「エネルギー論議」に移っていくことだろう。またそうなることを期待したい。