粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

風評被害調査委員会の立ち上げを!

2012-07-13 12:15:15 | 原発事故関連

国会の原発事故調査員会が、600ページ以上にも及ぶ事故原因の調査報告書を国民に開示した。事業者、政府、規制機関の長年の癒着を厳しく断罪している。おそらくそれは事実であろう。しかし事故の被害には大きく分けて2つあることを忘れてはならないと思う。事故当初の1次被害とその後に続く2次被害である。

事故調査委員会は主に1次被害を中心にして検証しているが、2次被害に付いては余り言及していない。2次被害は簡単に言えば「風評被害」による、人的被害と経済的被害といってよい。

いまだ東日本の産品が基準値以下どころか不検出にも関わらず拒否されたり、被災地の旅行が敬遠されたりする。現在も避難民が十数万人にも及ぶが、線量も高くもない首都圏の家族までが不要な避難をしている。それも周りの反対にも関わらず母親と子供だけが移動するという家族分断も少なくない。これら風評被害に伴う経済的損失も表面に出るのは氷山の一角であり、全体規模でみると計り知れない。

よく風評被害を事故の実害だと言い訳する人はすくなくない。しかし今後その実態を充分精査する必要がある。事故当時週刊現代を始めとした週刊誌が反原発派の学者やジャーナリストに盛んに「解説」させ、科学的には全く実証されていないデマを煽っていた。彼らはテレビやラジオ、新聞といった大衆メディアにも重宝がられ、さらに放射能の極端な忌避を国民に植え付けていった。

いまはこれらの人々は一部を除き以前の扇動的な発言は鳴りを潜めて口をつぐんでいる。いまだ声高に言う人もいるが、世間の大半はもはやそんな煽りには耳を傾けなくなっている。

確かに事故当時の放射能過激反応とは打って変わって,人々の心も落着きを取り戻しつつある。しかし中にはいまだその後遺症から逃れられず、余計な不安で悶々としているばかりか、がれきの広域処理問題では反対活動の先頭になって逆に加害者に立場に変わったりする。

いまだ原発事故の2次被害は終結せず進行しているのが現状だ。こんな今こそ、風評被害調査が急務だろう。これまで煽り情報を流した週刊誌、テレビ番組などのメディア、学者、ジャーナリストに取材して場合によっては国会で喚問して意見を正すことも必要だろう。

特に思い出されるのは小佐古東大教授の昨年4月末の涙の会見だ。国が決めた緊急時年間20ミリシーベルト被曝が子供には危険すぎると述べたことで、マスコミがこぞって反応してその結果、政府は1ミリシーベルトという厳しい数字に方針変換せざるを得なかった。そしてそれが正しい「安全基準」として一人歩きし世間の常識にもなった。その結果人々の被曝への重要な物差しとなり除染の基準ともなった。巷ではやたら線量計をかざす若いママたちが続出した。しかしそれが果たして本当に妥当だったなのか今一度検証する必要があると思う。

あるいは児玉東大教授の国会での内部被曝に関する怒りの「危険発言」なども印象的だ。それ以後内部被曝の危険性が盛んに喧伝されていき、保護書の学校給食拒否も続出した。最終的には今年の食品基準の改定の端緒にもなった。

2人の東大教授には見た限りは特別な政治性は見られない。しかし事故の放射能被害を喧伝する人には、政治的な意図をもって主張している人が少なからずいることは確かだ。いわゆる「反原発派」と呼ばれる人々で原発が核兵器と同じように危険で即廃棄せねばならないという過激な考え方である。彼らは国民の健康被害を表向き心配しているようにみえるが、実際は自分たちの主義主張を国民に広めることが最終的な目的なのだ。

風評被害調査委員会の設置はこうした事故被害を複雑かつ深刻に導いている背景を厳しく追及し、本当の意味での「事故収束」を図るためにも必要であると考える。