粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

情緒的な脱原発論

2012-07-15 14:44:49 | 煽りの達人

昨日14日夜のNHKテレビで今後のエネルギー問題をどうするかを議論する番組を見た。政府の担当者も交え、特に原発依存をどうしていくか、意見の異なる著名ゲストや専門家らが討論していた。

とりわけ先に政府が示した原発依存に対する3つの選択肢が議論のたたき台になる。すなわち、2030年に依存率を1,ゼロにする 2,10~15%にする 3,20~25%にする、のうちどれを選択すべきかという問題だ。ゲストのひとり精神科医の香山リカさんは1番の選択パネルを挙げ、特別原発存続には厳しい立場だ。しかしその主張はあまりにも情緒的で違和感を覚えた。

去年3月にあういう事故があって、それからわずか1年後にまた原子力発電を10%前後維持しようと議論していること自体が信じられない。3月の時のあの恐怖、いまだに福島で避難されていたり、子育て中の特に母親たちが食事に不安の渦中にいるなかで 原発から少しでも減らし離れたいと思っている人がたくさんいる。

そのなかで原発をどうするかという議論すること自体考えられない。是非原子力発電から抜け出て違う道を歩みだすことという強い決意、それによってこれからの社会をつくっていくという決意をしないと、すべてのことは震災の復興を含めてありえないと思う

要は原発は危険で今もその恐怖に人々が晒されているのに原発存続を考えること自体無意味だといっているのだ。これは放射能のよる健康被害は甚大で、それを生み出す原子力は危険極まりないという過剰な忌避に基づいていると思う。残念ながら国民の一部特に幼い子供を持つ母親にこうした強いアレルギーをもつ人々は存在する。しかしそのアレルギーは、本当に科学的見地から出ているとはとても思えない。単なる一部危険を煽る人々の主張を丸呑みしているに過ぎないのではないか。

香山さんがどういう意図で原発の危険を主張しているのかわからない。しかしこうした原発への強い嫌悪だけでは、今後のエネルギー問題を長期的な視野で現実的に考えていく上で、決してプラスにならない。原発危険=不要で思考停止しているからだ。

そもそも原発事故による健康被害もまだ検証されていない。エネルギーコストで原発依存を解消する解決策もまだ見いだされていない。温暖化問題に日本は傍観者であっていいのか、など今後クリアーすべき課題は多い。情緒先行の原発論は排除されなければならないと思う。