粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

オスプレイ配備に反対する市民団体

2012-07-23 13:38:16 | 沖縄の虚像と実像

今日23日、米新型輸送機オスプレイが岩国基地へ陸揚げした。例によってこれに反対する人々が基地前で集会を開いたり、小型船で反対の横断幕を掲げたりしていた。しかしその様子を見ると岡山などの他地域市民団体の幟が目立ち、決して地元中心の抗議ではないことがわかる。がれきの広域処理などにもよく登場する「市民団体」だ。

今回も参加者が「日米安保より国民の命が大事だ」と語っていた。正直聞き飽きてうんざりする。国民の命を唱えれば何でも通ると思っている。私には「命」を名目に彼らが自分たちの思想信条をアピールしているとしか思えない。

既にオスプレイは1940年代から開発が始められて現在のMV22は3代目になるようだ。その後も幾多の事故を繰り返し、改良が加えられ今日の機体になった。確かに操縦技術の難しさは今でも残る。しかし、一定の安全性が確立されたから、米海兵隊も配備を承諾したと考えられる。でなければ操縦する海兵隊から配備反対の声があがるはずだ。その危険を直接被るのは海兵隊員自身だからだ。市民団体から「命」云々を言われなくても海兵隊が十分わかっているはずだ。

岩国市の住民はあまり騒いでいるようには見えない。最終的配備が沖縄といいうこともあるだろうが、市民団体の外部の声だけが目立つ。ただ沖縄は既に基地問題で大揺れの現状で、オスプレイ配備は既に反対の声が沸騰しているようだ。

要するに基地問題が根底にあり、さらには日米安保をどう考えるかという国家体制のあり方に関わってくるのだ。最近の試験飛行事故の報告書を待って日本国内の飛行実施に踏み切るようだが、オスプレイの危険性はメディアが大騒ぎするほど大きくないと個人的には思う。むしろ老朽化した現役の輸送機のほうがずっと危険だ。(参考記事「沈思黙考」)

すぐに基地問題と結びて、世論を誘導するような市民団体やメディアには相変わらず疑問を覚える。


追記:オスプレイ問題はすなわち基地問題である。そこには沖縄県民感情が根深く影を落としている。ここでまたしても鳩山元首相の普天間基地移転問題での大失態を想起してしまう。移転問題がこんなにこじれていなければ、今回のオスプレイ問題も別の展開を見せていたのではないか。そんな自覚もなく、元首相は相変わらず能天気なこと!野田首相を自民党野田派と揶揄していたが、さしずめ彼は社民党鳩山派というべきだろう。今(24日朝7時)この追記を書いている間にイチローのヤンンキーストレードのニュースが入ってきた。鳩山さんを社民党にトレードしたらどうだろう?