粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

民意を盛んに口にする政治家

2012-07-06 13:53:28 | 国内政治

本日産経新聞での哲学者、適菜収氏のコラムは、今日の日本の政治のあり方として考えさせられる内容だ。題して「民意に従え」は政治の自殺。

(最近の国会の増税論議で)「国民のみなさんが納得しない」「増税は民意に背く」などと言い出す議員まで現れた。愚の骨頂である、と一刀両断に切り捨てる。

そもそも、政治家は政策決定において、安易に民意に従ってはならないのだ。政治家は有権者の御用聞きではない。政治家がやるべき仕事はただ一つ。議会で議論することである。移ろいやすい民意、熱しやすい世論から距離を置き、過去と未来に責任を持ち、冷静な判断を下すことである。わが国の将来にプラスになるなら増税すべきだし、マイナスになるなら阻止すべきである。

まさに適菜氏のこの指摘は政治家のなすべき役割を明確に示しているといってよい。それは決して国民の利益を無視することではない。移ろいやすい民意に振り回されることなく、政治のプロとしての判断力で責任をもって行動すべきだ。

最近頻繁に行なわれるメディアの世論調査なども、国民の声を知る上で参考にはなるが、過度に政策上で影響されるべきではない。たとえば増税反対はほとんどの国民が望んでいるであろうし、脱原発にしても今や大衆的な潮流であるので、ことさら民意などとことさら取り上げるのも意味がない。その点やたら「民意、民意」と声高に叫ぶ政治家は信用できない。

既存の政治システムを無視して素人だけの意見を重視することは「議会主義の破壊」だと適菜氏は警告している。数年前の小泉内閣の郵政解散や最近の橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会などその代表だとしている。

橋下徹大阪市長は「僕が直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」と、二言目には民意を持ち出し、自己正当化を行う。これはナチスのアドルフ・ヒトラーが使った独裁のロジックとまったく同じものだ。

自分も橋下市長にはそんな危うさを覚える。首相公選制の主張もそのひとつだが、もしかして現在国民から首相を選ぶとしたら橋下氏が最有力かもしれない。しかし民意だからと消費増税の撤回や急進的な脱原発政策をやられたらたまらない。大阪での独裁はある程度評価されても国政での独裁は弊害が多すぎる。


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