粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

脱原発デモと学童避難

2012-07-01 12:51:44 | プロ市民煽動家
29日行なわれた首相官邸前の脱原発デモは、主催者の発表によると「20万人規模」だったようだ。しかし翌日の新聞各紙でのデモ報道は、余りにも対照的だった。朝日新聞は例によって、トップ面写真付きで「脱原発官邸前埋める」とその「国民の関心」の高さを強調している。記事そのものは簡略に「主催者は15万人~18万人が集まったとしている(警察庁調べでは約1万7千人)」と動員数が記されていた。しかし朝日はそれだけでなく社会面でも「反対の声共鳴」のタイトルで東京以外大阪や名古屋でも連動してデモが行なわれたことをこれまた写真付きで報じていた。
一方産経新聞は社会面にベタ記事で「原発再稼働反対に2万人」とあって記事の最後は「大きな混乱はなかった」と結んでいる。読売新聞に至っては紙面を隅々探しても「デモ」の2文字さえ見つけ ることができなかった。
今や原発問題は一種イデオロギー問題と化している。左翼的な「脱原発派」の朝日、毎日、東京新聞と、保守的な「脱原発慎重派」読売、産経だ。しかし好むと好まずに関わらず、今の潮流では脱原発に向かわざるを得ない。ただ現実的対応として急ぐべきか、現在の経済状況を勘案した行なうべきか、が問題だ。その点自分は後者をとる。
節電は必要だが過度な節電は経済活動を妨げる。化石燃料での代替はエンルギーコストを高め年間数兆円規模の経済損失が生じる。太陽光発電などそのエネルギー効率の低さはとても原子力や火力発電の代替にはなり得ない。どうしても既存の原発の稼働に頼らざるを得ない。
池田信夫氏もブログで先日のデモを「愚者の行進」と皮肉っている。
このまま原発を止め続けると、数年で東電以外の電力会社も債務超過になる。それを避けるためには、コストを利用者に転嫁するしかない。それは消費税率にすると2%以上の「増税」になるだろう。彼らは本質的な問題を取り違えているのだ。
池田氏によれば今の日本のGNPは名目で20年前と同じであり今後労働力が減り続けるのでマイナスになる可能性さえあるという。つまり「 日本が直面する危機は明日は今日より貧しく なる」ということだ。そして池田氏はこう締めくくっている。
l そんな時代に「エネルギー供給を止めろ」と訴えるデモは、豊かだった日本の最後の愚かなエピソードとして記憶されるだろう。
ところで読売新聞は「デモ」は完全無視したが、社会面で政府が「風評被害会議設置へ」と報じている。主に被災地がれきの広域処理対策であるが、首相は「(全国自治体に)より安心して震災がれきを受け入れてもらえるよう、安全確保を大前提とし、モニタリング(継続監視)の強化や風評(被害)対応の整備を進める」と述べたことを伝えている。これはムード的なデモと比べたら緊急な課題だろう。
さらにその記事の隣には「福島、県外に転校止まらず」の見出しで、事故以来福島県では幼稚園から小中学校までの子供の県外流失が1万2千人を超え現在も増えていることを伝えている。放射線の不安解消がすすんでいないことが要因になっている。もちろんこれは事故での汚染が直接にはあるが、一方でメディアでの過剰な放射能危険報道がトラウマとして強く残っていることを忘れてはならないだろう。
池田信夫氏が警告するように、今後の日本は衰退に向かう暗い要因を抱えている。今後を担う子供たちが、少しでも前向きに未来を進もうとする上で、今の大人たちがそのハンディを敢えて残す愚だけは避けなければならない。県外での慣れない生活を余儀なくされている子供たちは、きっと故郷で仲間たちと思い切り羽を伸ばしたいと願っていることだろう。その羽は未来の日本を舞い上がる翼になる。