明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

一瞬の出来事Ⅱ。

2006年11月22日 | 私。

18日(土)ディサービスから帰ってきた母は・・わりとご機嫌でした。
ボランティアさんとのカラオケ大会で、しっかりマイク持って歌ってきた様子
言い訳だけど・・夜中のトイレ介助が2・3度あるこの頃・・流石に毎日夕方になると私も父もボーっとしています。
この日は、三ヶ月振りの嚥下検査(内視鏡)があることも、実はスッカリ忘れてしまってました。
母の自宅にいる日と、嚥下の先生の時間が合わず・・ディ後の夕方になっていたこと、すっかり忘れていたのでした

訪問歯科から「あと15分で到着します」の電話が入り・・慌てて母のお試し食の用意をしたしだい。麺類が心配って言ってあったことを思い出し・・大急ぎで茹でました。
父なんて・・ちゃっかりお風呂に入っちゃってましたのぉ

それでもなんとか間に合って、結果は全てクリアでした。

ココのところの早食い・・心配することもなく、メインの「おそば」もきれいに食道へ落ちていました。一包化して頂いてる薬も、錠剤で大丈夫とお墨付きをいただけました。
砕くと苦味が強くなる薬もあるので、薬剤師さんと相談してみようと思います。
次回は・・経過次第ということで、何か不安があったらということになりました

そんなこんなでバタバタの夕ご飯前。
今度は本番の夕飯作り、私は二階へあがりました。誘い水を飲んでしまった母、お腹も空きだしイライラと。父もなだめて、すかして・・
挙句に・・動きたいのに動かせてもらえないだの・・何タラ感タラ言い出してた母でした。
車椅子の上で、ジタバタしている母。。車椅子からズリズリ動いていたらしいです。
それに気が付いた父・・私を呼ぼうと内線の呼び鈴を!

で・・一瞬の出来事Ⅱとなってしまったのでした。


慌てて下へ降りていくと、フローリングに父と母がいるじゃないですかぁ~

「イヤァ~」・・・と、叫んでいたらしい私(娘がそう言ってました)
後から娘達も駆け下りてきました。

父は自分の腰の痛さゆえに、私に呼び出しベルを鳴らしたあと・・母の上半身を抱きかかえて真っ青になって固まってました

とりあえず・・痛いところはないかを確認し、
飛んで降りてきた娘と、母をお姫様抱っこして・・ベットに戻しました。
全身を確認しましたが・・とりあえず見た目は変っていませんでした。
右手の甲が多少赤くなっていましたが・・。
左側の麻痺手足・・・これがわからない

母は痛くないと言うけれど、何が何だかわかってない様子でした。

で、翌日・・19日(日)介護タクシーをお願いして、急遽・・整形外科の受診となりました。

主治医の脳外の医師のいる整形外科です。日曜日も午前は外来やってるのでした。
平日と違って、実はとっても空いています。
なので・・本当にラッキーでした。
カルテもあるので、待ち時間少々で受診。
問診と、触診、視診では・・骨折もなさそうですが、青痰になってる右手の甲は痛々しく・・車椅子から滑ったらしいってことで、腰のレントゲンも撮って頂く事に。
加えて、頭も打ったと言う母の言葉からCTも。

結果はOK
ホント・・右手の甲の青痰だけで済みました。
骨折してないとわかった時は、ホッとしたのか泣いてた母。
けれど翌日には・・車椅子から落ちた事もすっかり忘れている母でした。
なので・・「右手の湿布・・これなーに
しばらくは、青痰消えても・・湿布・・しとくべきだかなぁ。

はい私も、気をつけます・・・。気をつけるには・・フー。


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31 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (八兵衛)
2006-11-22 19:13:45
>なので・・「右手の湿布・・これなーに 」
>しばらくは、青痰消えても・・湿布・・しとくべきだかなぁ。

ズリ落ちは非常に危ないので、今後のためBにも、
また本人に懲りさせる意味からも、
それくらいの事はしても良い、
と思いやすよ。

あっしも尻餅→尻たぶ青アザの時は、お銀が大袈裟なくらい騒ぎ立て、
宮城病院の主治医に耳から血が出るくらい、こっ酷く叱られました。

でも蛙のツラに○○、その後もあっしは懲りずによく転倒したけど。
今はよく無謀なことをと思うけど、当時は聞く耳持たずだったのかも。
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エー!!八さんもですかぁ?? (八さんへ)
2006-11-22 19:30:20
そうでしたかぁ。・・銀さん、心配しましたねぇ。
一杯怒られてしまったことでしょうね。

八さんでさえ、そんな時もあったんですね。
そっか・・これも通る道ですね。
ホントは、通らないで済めたら良かったんですけど、今後の為にも教訓にして・・危険防止だけは、気を抜かないようにしていたいものです。

耳にタコ・・じゃなくて、血??
う~ん、その先生・・素敵ぃ~。
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本当によかった (未歩)
2006-11-22 20:47:53
久美子さん、こんばんは。
私も周囲をハラハラ心配させたんだと思います。
・・・で今は、しりません、存じませんって顔をしていますけれどね。

ある意味、後々、その経験が生きてくると思うのです。

私は夏場、自宅でのトレーニングをさぼり、
トイレの便座で立てなくなりすごくショックでした。
反省し努力の結果、
立てないまでもすごく足が強くなり、腕の力が
支えるための必須条件でしたが、
車椅子の取っ手を掴み損ねても踏ん張れるようになりました。
「雨降って地固まる」でした。
だから注意すべきことも分かったし、大丈夫ですよ。
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そうでしたねぇ・・。 (未歩姉さんへ)
2006-11-22 21:52:02
あの記事を読んだ時も、びっくりしてしまいましたが、現実目の前で母と父がフローリングに倒れている(父は母を起こそうとしていたのですが・・)のを見た時は・・私の方がぶっ倒れそうになりました。
母は案外ケロっとしていたけれど、父はショックでしばらく顔が青かったです。
自分が側にいながら・・・と、自分を責めていました。
大事がなかったので、みんなの為にも本当に良かったです。
それ以来・・母を視界に入れられない時は、ベットに必ず戻す。鉄則になりました。
でも・・そんな母は、ベットにいるのを凄く嫌うようになりました。回復した証・・痛みが手の甲だけで済んで、本当に良かったです。
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こんばんは。 (camel-1952)
2006-11-22 22:01:17
ワー、とにかくお母様なんともなくてよかったです。
ご無沙汰してます 
ずいぶんと前になりますが、家でも母がベッドからずり落ちたことがありました・・・。その時は私もまだ若葉マークでしたので途方にくれたものです。
お母様の右手大丈夫ですか?早く痛みが取れるといいですね、骨折がなくてなによりでした。。。
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ワーcamelさーん! (camel-1952さんへ)
2006-11-22 22:26:29
ありがとうございます。
母の右手は大丈夫です。こりずに介助式の車椅子の車輪を回して動かしたりしています・・・。
でも、本当に折れてなくてヨカッタァです。
自分でしっかりとご飯を食べれるようになったから、それだけはこのまま頑張って続けてもらいたいです。

これからも・・イロイロありそうですけど、頑張っていきます。

また、冬の花見せてくださいね。
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うちも (ネコ)
2006-11-22 22:28:23
転ぶ、落ちる(ベッドでの座位から)のは何度かありました。

ついこの間も転んで
左頬に青あざ、まだ消えてません。

うちの場合は在宅になって3ヶ月に1度くらい、
床に倒れてる姿を見てます(^^)

そのたびやっぱり私もいろんな気持ちと戦ってました。

ともかくやはり骨折しないことを祈るのみですね・・・。
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そうでしたかぁ・・。 (ネコさんへ)
2006-11-22 23:08:49
そうですね。骨折だけは「やめてぇ~・・」って思います。
母の場合、自分が未だに主婦をしていると思っている時が一杯あるから・・何気なく動こうとしちゃってるみたいです。リハビリの成果で・・段々、健常側の手足の筋肉がモリモリになってきているので、私より力持ちになってるし、複雑~・・・。
私もしっかり鍛えなきゃです。

お母様、顔でしたかぁ・・・うぅ・・・顔は辛い。
早く消えるように~!!
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掲示板のご返事・宅配です (未歩)
2006-11-23 10:05:31
久美ちゃん、おはよう。
写真ね・・・入れられない人もいるみたいなの。
ごめんね。手間かけて。

そうだよぅ。空はみんな繋がっているの。
「お~い」って呼んでくれたら
「お~い」って声がするはずだよ。
一人っ子だろうが、世界はみな兄弟・・・
いっぱい友達がいるからねぇ。
一人で悩まなくていいよぅ。
みんなおんなじこと感じているんだからねぇ。

そうだね。
夕暮れが早いね。
でも空っていいよねぇ。なんか元気になれる。
自然は大きなエネルギーをくれているね

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Unknown (八兵衛)
2006-11-23 13:54:37
>そっか・・これも通る道ですね。

全くそう思います。
金魚さんがご自分のブログに、「諦めて捨ててきた」と書いていましたが、
全く私もそうでした。

久美子さんのお母さんも、今、その過程にあるのだと思いますよ。
認識の全く違う二人のお母さんがいて、
時々ワープしたように二人のお母さんが入れ替わってしまうことが。

程度の差はあるかも知れませんが、精神のふらつきというか意識のふらつきというか、
情緒が不安定な時期は5年あった、と自分で認識しています。
女房・娘達も同じように言っていますから、ほぼ間違いないと思います。

あっしの場合は出血=卒倒でしたから、2週間後に意識回復したとはいえ、
当初1ヶ月は、驚愕⇔罵倒⇔失望、この繰り返しでした。
そしていろいろ諦めて捨てて、最終的にカドが取れて穏やか(これでも一応は)
になったのは5年後でした。

薄皮を1枚1枚剥ぎ取って行くように、ゆっくりとでした。
(ホントは未だ、情緒不安定が残っているのかも知れませんが)
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