日曜日、長女とライブへ行きました。
半年前から、約束していた長女とのライブ。
喪中ですが、長女が私と行くことを楽しみにしてくれていたので、行くことに決めました。
C&K、二人組の男性デュオです。
特養へ行く道すがら、よく聞いていたコブクロとC&Kが、私を何度も励ましてくれました。
この歌が始まり、久しぶりに泣きました。
長女も、涙を拭っていました。
そこにいた、沢山の方が、泣いていました。
愛を浴びて僕がいる
歌:C&K
作詞:CLIEVY/KEEN
作曲:CLIEVY/KEEN/栗本修
病室からの帰り道は
涙を隠して街に紛れ込む
じぃじ、ばぁばと泣きわめいて
だだこねてる子供の姿は
幼き日の僕だった
困った顔してでも
嬉しそうに手をひいて
僕もきっとあの子のように
愛で包まれていたのだろう
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから
ごめんね今なら素直に言える
馬鹿だなもどかしさを当て付けて
じじい、ばばあと吐き捨てて
寡黙な愛に背を向けて
星のタバコに火をつけた
じんわり響いてゆく
痛みぬくもり伝わる頬
あの日の記憶が
今の僕の行く道を示してく
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから
星になった今もなお
遠くから僕を見てくれている
会えない時間や距離に
僕等試されている
がんばれと笑ってるんだろう
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
そこから見てて欲しい
涙を隠して街に紛れ込む
じぃじ、ばぁばと泣きわめいて
だだこねてる子供の姿は
幼き日の僕だった
困った顔してでも
嬉しそうに手をひいて
僕もきっとあの子のように
愛で包まれていたのだろう
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから
ごめんね今なら素直に言える
馬鹿だなもどかしさを当て付けて
じじい、ばばあと吐き捨てて
寡黙な愛に背を向けて
星のタバコに火をつけた
じんわり響いてゆく
痛みぬくもり伝わる頬
あの日の記憶が
今の僕の行く道を示してく
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから
星になった今もなお
遠くから僕を見てくれている
会えない時間や距離に
僕等試されている
がんばれと笑ってるんだろう
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
この命をかけぬけてゆくから
浴びて、愛を浴びて
僕はここに立っていられるんだろう
I'll be there 会える日まで
そこから見てて欲しい
10年前、母が病に伏した時、長女は反抗期真っ盛り。
心の中で、祖母に対して、黒い想いを持ってしまったことがあったようです。
長女は今だに、その時の自分を悔いているようです。
ほんの少し前、そのことを泣きながら私に教えてくれた長女した。
大人になった長女は、傷ついて、悲しんで、悔いていました。
そんなこと、おばぁちゃんは何とも思ってない。
世界中で一番愛しているかもしれない長女のこと、何があっても。
私がそう伝えると、笑い泣きになりました。
母は常々、自分にとって一番の幸せな日は、私が長女を生んだ日だと言っていましたから。
私が働いていたこともあって、祖母である母は、長女には近すぎる程の存在だった思います。
思春期の反抗期、中学生対祖母。
そんなこと、当たり前。
でも、長女にとっては、大人になって泣く程の後悔だったようです。
でも、母にとって、長女は唯一無二の、初めての孫。
多分、私が母にしてあげた、最高の親孝行だったと思います。
長女にとっても、掛け替えのない祖母だったと思います。
友達との京都旅行を、母が肺炎で入院してすぐキャンセルしていた長女です。
行っておいでと言ったのに、やめてしまった長女。
何ヶ月も前から、楽しみにしていたのに。
結果的には、母の告別式の日が出発日だったので、良かったと言えば良かったのですが。
旅行の為に前後数日、遅い冬休みの連休を取っていたので、一日だけ出勤したものの、長女は母が入院して亡くなる前日まで、母の側にいてくれました。
アパレルの店長をしている長女は、年末年始が無く、やっと今頃の正月休みでした。
おばぁちゃん子の長女、思い残す事なく、母の側にいたようです。
亡くなる前日には、スマホで母の好きな美空ひばりさんの動画を母に見せてくれていました。
川の流れのように、、、でした。
母にとって、息が出来ない程の苦しみの中で、最後の幸せな時間だったと思います。
母が亡くなって、もうすぐ一ヶ月です。
もう、春一番が吹いている地方もあるようですね。
私の箱庭にも、春が来始めています。
御近所の木蓮も、開き始めました。
特養の庭の木蓮も、もうすぐ花が咲く頃でしょうか?
今年は、昼ご飯を食べながら、母と見られると思っていましたが、、、
残念ながら叶いませんでした。
母の代わりに、、、どうか、あの場所で木蓮を見ながら皆んなで食事が出来ますように。
どうぞ、自ら外に出れない人に、景色を空を、季節を感じさせてあげて下さい。
今まで沢山の方に、励まして頂きました。
長いような、短いような、私と母との日々。
頑張れ!!でした。
父の在宅介護は続きますが、このブログは卒業しようと思います。
長い間、本当に、ありがとうございました。
皆様に、沢山の愛が、幸せが注ぎますように。
また、何処かで(*^^*)
スーさん、今年も咲きましたよ(*^^*)
10年に及ぶお母さまの介護(お父さまの介護も)がようやく終わりましたね。
しかし、様々な出来事が想い出されてなかなか気持ちの整理がつかなかったことと思われます。
久美子さんご自身のことが気がかりでしたが、もう大丈夫ですね。よかった。
私は母への恩返しが全くできなかったので(私が結婚した年に急死してしまいました)、10年も親孝行が出来たことは後々良い想い出になりますよ。
これからもボツボツ頑張ってください。
ここ2日間の暖かさで、寒かった信州でも越冬していた蝶たちが一斉に起き出してきました。
いよいよ春到来ですね♪
桜の蕾が、色づいてきました。
長いこと、ありがとうございました。
母のおかげで、たくさんの優しい人達と知り合えました。
介護ブログは、私にとって、本当に宝物のような場所でした。
まだまだ、父の介助は続きますが、まだ介護というほどじゃありませんし、この場は一旦、終了致します。
新しい場所で、バイクと花と家族の話を綴っていきたいと思います。
その時は、また、よろしくお願いします。
wakasamaも、どうぞお元気でいらしてくださいね。
何と言葉をかけてよいのかわかりません
今はただ、久美子さんの身体を遠くから心配する事しかできませんが、どうか元気にお過ごしくださいね。
昨年末ごろから自分のことでいっぱいいっぱいで
なかなかこうして久美子さんのところへも顔を出さずにいたことをとても後悔しております・・・
長い介護お疲れ様でした
心よりお悔やみ申し上げます
ずっとずっと心の中で貴女の事が、いえ…特養のお母さまのことが気になって気になって仕方がなかったんです。
前にも話したけど
あまりにも私の時とシンクロしすぎてて
お母様が入所されて以後、
貴女のお気持ちが痛いほどわかる気がしてて
何もコメント出来なくなってしまった
私も母の死に目に会えなかった。前日に、やはり母を一人にして、自宅にもどり
明日行くからと
同じでしたね
亡くなってからのことも
貴女とおなじ気持ちでした
自分を責めたし悔やんだし
辛いよね~
私も母に何度もゴメンねと言いました。
久美ちゃん
ご家族に感謝ね
長い介護中に支えてくれた家族に感謝です
まだお父様の介護もあるし
頑張ってくださいね
ブログ閉じますか?
新ブログ出来たら教えてね
最後になりましたが
お母様の御冥福を心よりお祈り申し上げます
何も知らずにごめんなさい・・
どう言葉をかけて良いか、言葉も有りませんが・・
私の母親も誰にも看取られずに逝ってしまいました。
私は不自由な体なので看病も出来なかったけど、久美子さんは一生懸命に介護されてましたね。
お母様のご迷惑を心からお祈り致します
久美子さんもお身体をご自愛下さい。
最近は応援の声をかけるのも憚られてしまうほどでした。
天国のお母さんは、一人娘さんに深く深く感謝していることでしょう。
ご自分のブログは卒業しても、
お気の向いた時にでも拙ブログへ立ち寄ってください、お待ちしています。
初めまして、妻がここのブログのファンでした。
妻の母が2011年に脳出血で倒れてしまい、同じような後遺症の
久美子様のお母様の事を綴られたこちらのブログに大変助けられて
いたという事なので、もしかして妻が一度位はコメントさせて頂いているかもしれません。
10年間、お母様も久美子様も本当によく頑張られましたね。
少し前の記事でお母様が10年前に亡くならずに、今亡くなった理由を
久美子様は考えておられましたが、それはお母様が神様に愛されたのと、
それと久美子様とお母様がお別れするのに要する時間が10年は必要だったのだと思います。
それ程、お互いが必要とし合っていたのだと思いました。
スミマセン、なんか勝手な事を言ってしまって・・・。
妻が久美子様のこのブログに助けられたように、僕も昨年から義母のリハビリと介護の
ブログを綴っています。こちら程、素敵なブログは書けませんが
僕なりに出来ることをして行きます。
久美子様も、また元気になったら今度はお父様の事をブログに綴って下さいね。
お母様、そして久美子様、10年間本当にお疲れ様でした。
お母様のご冥福を心よりお祈り致します。
月日が経つのは早いですね
10年ですか‥
私は当時と同じ家に暮らしていますが 全く違う生活なので、あの頃の事が夢の中の事と錯覚したり、リアルに思い出し涙したりしています
久美子さんは逃げてなんかいなかったですよ いつでもお母様の事を思い最善を尽くしていましたよ
介護、お疲れ様でした
お父様を大切に思ってあげて下さい
また書き込みさせて下さいm(__)m
10年たったのですね。あれから、
悲しいですね、あの頃の自分と重ね合わせて涙していました。
お父様を大事にしてあげて下さいね。
私は子しか身内がいない本当に辛いです。
また、ブログを再開して下さい。