明日晴れたら、、、

今日は雨だから、ゆっくり過ごそう。
明日晴れたら、、、ちょっとだけ頑張るかなぁ。

青い花。

2007年03月30日 | 私。

今回の母の骨折で・・随分沢山の人が泣きました。
当然、本人。「迷惑をかけて申し訳ない」って、何かにつけて泣いてます。
その度に「バーちんは悪くないよ。悪いのはショートの介護士さんだよ!職務怠慢て言うんだよ!!」なんて言ってた私でした。
でもは母は「あんなに忙しいんだから、ちゃんとジッとしてられなかった私が悪いんだ」って、自分を責めます。
全ての責任は自分にあって、自分だけが悪いんだと思っている母なのです。
あんなに嫌がっていたショートにさえ、私がシンドイ顔をしてると「明日から行くから、電話しておいて」と言う母です。
「でも・・どんな顔をして行けばいいんだか、会わせる顔がない・・」とひたすら自分が悪いと泣く母なのです。

それから父。いろんな気持ちがあると思います。
やっぱり・・母がこうなってまでも「女房の身体ひとつ支えられない」と自分の弱い身体、母の重なる悪運を嘆き・・声を殺して泣いていました。
でも、今回は・・今後が心配になるくらい、父は必死に手を貸そうとしてくれました。救急車にさえ一緒に乗り込もうとしなかった父でしたから、身体は辛いのだと思います。
それでも、帰宅した母の痛みを少しでも感じさせないようにと、一生懸命になっているのが私にはわかりました。
そんな父も、今回は・・「入院させた方が良かったかもしれない・・。」と口にしたりしています。


私も、久々に人前で泣いてしまいました。 転落してしまった直後は、怒りが強くて泣けませんでした。
悔しくて、切なくて・・いろんな想いはありましたが、何より悲しんでいる父や母の手前、不自然なくらい笑おうと努力していたのです。
それは・・ある意味、感情がおかしくなっていたのかもしれません。
もう、何が起こっても驚かない・・というか、まだまだ「底」では無かったんだと諦めに似た気持ちもあったのかもしれません。
だけどいつだって、気持ちは自分次第だってことも・・少しはわかってきていたので、少しくらい後ろに下がってもきっと、なんとかなるさ!って前向きな気持ちもちゃんとあった私でした。
もっともそれは・・「骨折している」ってことを聞くまででした。
整形外科の医師に「脳の方は、三日たっても前回同様に梗塞部分に変化はありません。ただ・・やはり骨折箇所がわかりました。痛みが薄れるのに三週間から四週間はかかります。それまではベット上で安静にして、どうしても排尿がベットで出来ないならPトイレでも仕方ないですが」と言われた瞬間、あまりにも悔しくなってしまって子供みたいにしゃくりあげて泣いてしまいました。
トイレは車椅子で移乗して、私一人介助でも出来るようになって、健常側だけど右足だけで随分しっかりと自分の身体を縦にすることが出来るようないなってた母でした。
リハの療法士さんも、少しづつですがいろんなことが出来るようになった母を褒めてくれいたのです。
リハビリパンツを止めて、そろそろ普通の下着に替えてみようか・・って、そんな話も出ていた矢先だったのです。

ショートの責任者であるKさんは、母がこのショートスティを始める時からずっと変わらず低姿勢の好青年です。
今回のことも、責任をとても感じてくださっていますし・・誠意もとても伝わってきます。母のことを第一に考えてくださいますし、出来る限りのことをしようという気持ちも、態度とともに伝わってきます。
病意の受診は、全て自分が付き添い・・救急車にも一緒に乗り込んでくれましたし、今後の受診も全て同行してくれると言ってくれました。

彼の年齢は・・25歳なのです。
だから何?なのですが・・。

その若いショートスティの責任者であるKさんの涙も見ることとなりました。
救急車に乗って、再度整形外科のレントゲンを撮っている間・・母を置き去りにした介護士さんの名前を聞きました。
知ったからと言って、責めた正すつもりはなく・・どんな人なのか、母に聞いてみようと思ったからです。
母にとって、その介護士さんのいつもの様子を聞いてみたかったのです。
母が診察を終えて、車の手配の為に電話をかけにKさんが母と私の側を離れた時、母にその介護士さんの名前を出しました。
「バーちんの着替えの途中で、呼ばれて出て行っちゃったのはNさんなんだってね」
すると、母は「そんなわけないわよ!Nさんは、凄く優しくて皆が取り合っちゃうくらいいい人なんだから。私を置き去りにするわけないじゃない!!あの時の人、思い出そうと思ってるんだけど、名前のプレートが見えなかったの。誰だったんだろう」って。

しっかりと、Nさんではないと断言しました。
いつも良くして頂いていたんだってことですね。

母は、人の認識が家族以外・・あやふやな時があります。
でも、良くして頂いてる人のことは・・しっかりと覚えています。
責任者のKさんについても、Kさんがいるからなんとかショートに行っているようなものです。
そして、ショートの介護士さんの中には・・母が気に入らない人もいたりするのです。
母は私が言うのもナンですが、結構人の好き嫌いがあります。
自分が嫌っていると、大概相手もそうだったりしますから、そういう意味でも・・今回、母を放置して行った介護士さんが、普段母にとってどんな方だったのか知りたかったのです。
こうなってしまった今でも、ショートを使わなければ私も父も疲れ果ててしまうことは目に見えるようですし・・その介護士さんも当然、母の側にいるかもしれない。

母が責任者のKさんが言った、あの時の介護士さんはNさんじゃないこと・・Nさんはいつも母に優しくて、気を使ってくださる人だってこと、わかったから・・もうそれ以上は私も問い詰める事をやめました。
帰りのワゴンの中で、その話をKさんにしました。
「母を置いて行ってしまった人は、Nさんじゃないそうですよ」って。
母も再び「NさんのわけないわよKさん、Nさんはそりゃ~優しくて、皆がNさんになら頼み易いねって、Nさんの取り合いしちゃうくらいなんだからぁ~。誰だったかしらねぇ・・あの時、ネームプレート見とけば良かったわ」
母の記憶の中では、Nさんは自分を後回しにして行ってしまう人ではなかったのです。
逆に、それだけ信頼している看護士さんだったから、あの時待つことも出来たのだと思いました。実際は、待てずに落ちてしまったわけですが。

そして、その話を聞いたとき・・責任者のKさんは・・声を出して泣いていました。

もう・・それで、私の中で・・これ以上誰かを責める気にはなれなくなりました。

甘いかもしれません。
ケアマネさんに、本当の気持ちを話したとき・・どうしようもない怒り、悔しさ。
「こういうことで、告訴される方も沢山います」って言っていました。

現実問題として・・これで縁を切るのなら・・そういうことも出来たのかもしれません。
でも、こうなってまでも利用しなくては・・母を自宅に帰せない。
そして、やはり・・母にとって、信頼出来る介護士さんが出来たショートを・・替える事は母にとって良い事なのか。

今回のショート、母は二人から三人の介助で痛みを軽減させて頂いたようでした。
ショートを利用した当日に、骨折箇所付近に青痣が出来、今日は内出血も出来ていました。それが黄色く変色して、今日はそれで父は大騒ぎでした。
再開したマッサージ師さんに「お腹を打っていなければいいですが・・」なんて言われてしまったものだから・・。
訪問看護士さんに事情を話して、日を追って皮膚の色が変色するのは仕方ない事だと教えられるまで、また受診をするかしないかで、実は父ともめました。
ショートから戻って一日目・・既にかなり疲れている私です。だらしないったらないですねぇ。でも、とりあえずなんとか一日が過ぎました。

今、ショートに行かない日はヘルパーさんに来てもらっています。・・朝の8時から10時の朝食介助と、トイレ介助、時間によっては清拭を。昼の1時から2時まで昼食の介助をしてもらっています。
うまいこと、その間に便通があるとラッキーですが・・ナカナカそうはいかなくて。

今日もPトイレ・・汗を沢山かきましたぁ。かかせましたぁ~。

てなわけで・・テンプレート・・ロボット君再び。
天を指して・・うつむかないで、また明日も頑張ります。

大好きな青い花の鉢・・頑張ってる私の御褒美の前渡しでーす。へへへ