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80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

エクスパンション メモリーカートリッジ/データカートリッジ・ソニー

2011-07-17 20:17:36 | MSXゲームReview

 これは、1983年にソニーよりMSX用に発売されていたエクスパンション メモリーカートリッジデータカートリッジ。ゲームソフトではなく、メモリーを拡張したり、データを保存するための拡張用のカートリッジです。


 MSXは家庭用8ビットPCの統一規格として登場しましたが、MSX1の時点では価格に幅を持たせるためかRAM容量は統一されておらず、各メーカー各機種ごとに8KB、16KB、32KB、64KBとまちまちでした。8KBはカシオのみ、64KBバイトは10万円近い高級機種が多く、16KB、32KBのものが一般的だったと思います。ROMソフトの場合、ほとんどの機種で問題なく動きますが、TAPEだと32KB必要なものが多く8KB、16KBでは動かないということになります。これは、その16KBのPCのRAM領域を、32KBに拡張する16KB増設メモリーカートリッジになります。


 84年くらいまでの時点では、3万~5万円ほどの売れ筋のものは16Kのものが多く、他社のPCでも使えると思いますが、主にソニーのHITBITの下位~中間機種向けに出されたものだと思います。メガロムが出るまでは、アドベンチャーやRPGなどはTAPEメディアのものが多く、これがないと指をくわえて広告を見ているしかなかったんですね。


 こちらは、ソニー データカートリッジ4KB HBI-55ソニーのHB-55/75に内蔵されていたソフトの情報をバックアップできるというカートリッジ。ソニーHB-75に付属品として付いていたようです。実際に使用したことがないため、他社のPCで使えるかどうか、ゲーム用のデータを保存できるのかは不明。似たようなものにS-RAMを搭載した、パナアミューズメントカードリッジコナミの新10倍カートリッジなどがあります。


 実は説明書がないため、当時どのようにして使うものなのかわかりませんでした。私の持っていたHB-101でも使えたとは思いますが。


 デザイン的には、統一されていてなかなかかっちょいいです。


 データカートリッジ4KBのHBI-55の使い方がわからなかったと書きましたが、実は購入した記憶もなかったりします。エクスパンション メモリーカートリッジの方は、TAPEメディアのゲームをするのに必要で8,000円ほどしますので、おまけとして付いてきたとは考えにくいのですが、こちらも買った記憶がなかったり。以前紹介したソニー製ロードランナーハイパーオリンピック1、2リバーレイドなども買った記憶がありません。ソニー製ロードランナーは、ソニー製のPCに一時期販促用として付いていたようです。ハイパーオリンピック1、2は、使用感がありましたので、店頭でデモ用に使われていたものを付けてくれたのでしょうか。リバーレイドは友達からもらったんだったっけ??初めてのMSX1は量販店ではなく、親の知り合いの個人の電気店より購入したのですが、購入時期がMSX2がすでに登場した85年と遅かったですから、在庫品をごてごてと付けてくれたんでしょうね。


 まだこの頃は、個人の電気店が健在で店頭でもMSXのデモなどをしていました。個人の電気店では遊びにくいですから、学校帰りなどにデパートの試遊機で遊んでいましたが。まだのんびりとした、そういういい時代だったんですね。
 

MSX POCKET BANK(MSX ポケットバンク)・アスキー出版局

2011-07-17 19:05:32 | MSXゲームReview

 MSX POCKET BANK(MSX ポケットバンク)は、アスキー(アスキー出版局)より84年に発売されたMSXのプログラム集。一冊480円で、前期16冊、後期16冊の合計32冊が出ていたようです。


 この時期には、PCのハードやゲーム情報とは別に電波新聞社の“マイコンBASICマガジン”に代表される、プログラム集のようなものが数多く発売されていました。雑誌“テクノポリス”誌の別冊として出ていた“プログラムポシェット”などが有名だと思います。これらは、読者からよせられた自作のプログラムを掲載していることも多く、個人の作品の発表の場にもなっていたり、雑誌の購入者側からはプログラムを入力したり、いじることでPCの勉強にもなるなど、この時期に一定の支持を集めていました。書籍一冊でいくつものゲームを入手できるということもあり、90年代に入るくらいまでは盛んだった様に思います。Vectorなどのフリーソフトの、80年代版とでも言えるでしょうか。


 MSX POCKET BANKの方は、素人の投稿プログラム集ではなく、どちらかというとBASICの入門用、勉強用のミニプログラム集になっています。これは、MSX POCKET BANK No.1のアニメC.Gに挑戦!CGを描くための基本命令から、カラーコードの解説、ライン、ペイントなどの基本プログラム、本格的なCGを書くためのお絵かきツールなどのプログラムが収められています。


 No.6 遊べるBASIC トランプゲーム集。トランプゲームのプログラム収録。


 No.8 気分はすっかりトロピカル!プログラムD.J./アスキー南国放送局。画面上に天体の動きを再現したり、スピログラフにより円を描いたり、バイオリズム、BGM集など、ゲームではない様々なミニプログラム集です。トロピカル!プログラムD.J.といったキーワードが、いかにも80年代的。あの頃は、こういうのがかっこよかったんでしょうね。


 No.12 BASICミニ特集 アクションゲーム38。この手のプログラム本にはお約束の、いかにもなミニゲーム集。1ページ分くらいの短いプログラムを入力することによりゲームで遊べます。後期には、RPGの作り方、アドベンチャーゲームの作り方を特集したものもあったようです。


 No.1のアニメC.Gに挑戦!に掲載されたMSXによるCG。この頃には、PC雑誌の方にもこのようなCGがたくさん掲載されていました。MSXとしては、かなり出来がよい方じゃないでしょうか。


 No.12 BASICミニ特集 アクションゲーム38のゲームプログラム画面。左側にゲーム解説、右側にプログラムというのもお約束。これくらいの長さのゲームだと、入力しても結局あまり面白くはないのですが、意味もなくわくわくしたものです。


 トランプゲーム集。この手のものとしては、一番実用性があったかも。ただ入力に半日はかかっていましたので、その労力に見合ったものがあったかと言えば・・・。


 これは、おまけ。ソニーのPC、HITBITに付いてきたMSX BASICの教本。たいしたことはできないのですが、こういったものでゲーム機ではないということを実感したり。


 今の時点でMSXというと、FCに負けたことや中途半端なポビーPCだったというところで捉えられがちですが、他のPCよりゲームが移植される場合でも、(子供向けのアレンジなど施されずに)忠実に移植されたもので遊べたり、たいしたことはなくとも、このようにプログラムが組めたり、BASICの勉強ができたりと、価格の割には非常に遊べたんですね。そういった意味でも、当時MSXを体験できたことは幸運だったのかなと思います。

参考:Wiki テクノポリス(プログラムポシェット)の項、Pocket Bank Series/KIKI's PAGE

忍者プリンセス・セガ/ポニーキャニオン

2011-04-17 18:40:08 | MSXゲームReview

 『忍者プリンセス』は、セガより1984年に発売されたアーケードゲームです。86年にセガよりSG-1000版が、同じ年にポニーキャニオンよりMSX版が発売されました。業務用とSG-1000版は、わりと有名な作品だと思いますが、それに比べるとこのMSX版はあまり知られていないと思われます。


 ストーリーは、忍者でもある『くるみ姫』が、乗っ取られた寒天城を取り返すために忍術を駆使して玉露左衛門に挑むというもの。この時期としても、割とオーソドックスな縦シューティングゲームで、手裏剣を真正面と任意方向に飛ばせる2つのボタンを持っていました。最も特徴的だったのは、忍者の設定を生かす姿を消せる術が使用可能だということ。これには回数制限はありませんが、持続時間は短いものになっています。


 オリジナルの忍者プリンセスを知っている方には、ちょっと違和感の残るMSX版忍プリのボックスアート。オリジナルの業務用版自体が、キャラゲーとしての要素を持っていましたので、オリジナルとはキャラの雰囲気などがかなり異なります。実は、これはSG-1000版のボックスアートに依拠しており、SG-1000版のものの配置を少し変えてより女性的でファンシーなタッチに変更してあるという感じになっています。イラストのタッチを変えたのは、女性や子ども層も狙ってということなのでしょうか。女性イラストレータの手によるものなのか、ファンシーで柔らかい感じがなかなか良いと思います。


 オリジナルである業務用のステージ構成は16で、SG-1000版とMSX版では短縮されて13ステージとなっていました。寒天城下に広がる、のどかで牧歌的な田園風景を抜けて、城下町、城のお堀、城内などを通過して玉露左衛門を目指します。ただし牧歌的なイメージとは裏腹に、難易度はかなり高い作品であったりします。


 忍者を扱った作品としては『』(80/セガ)、『サスケVSコマンダー』(80/SNK)を皮切りに、『忍者くん魔城の冒険』(84/UPL)、その派生作品『じゃじゃ丸くん』シリーズ、『影の伝説』(85/タイトー)へと続いてきます。この辺りくらいから勢いが増し始め、『忍 -SHINOBI-』(セガ/87)、『ニンジャウォーリアーズ』(THE NINJA WARRIORS 87/タイトー)、『忍者龍剣伝』(テクモ/88)、『未来忍者』(88/ナムコ)と続々と製作されるようになります。これは、ちょうどこの頃に米国でNINJYAブームなどが起きていたことも関係しているかと思います。最初期の『サスケVSコマンダー』こそ(時代的なこともあって)固定画面のシューティングゲームでしたが、その後の作品は(忍者の特性を生かした)ジャンプや体術を使える横スクロール型のものがほとんどでした。忍プリは、どちらかというと『戦場の狼』『ガンスモーク』(共にカプコン)の系統に属する、忍者ものとしては珍しい部類だと思います。


 セガのゲームである忍プリが、音楽・映像会社であるポニーキャニオンから発売されていたというのも少し意外な感じですが、当時ポニーキャニオンはPCやFC向けに様々なゲームを発売していました。特にMSXでは、“ヒーロー”“ピットフォール”などの米アクティビジョン社からの海外移植もの、“南極物語”“チェッカーズ IN TANTANたぬき”“バックトゥザフューチャー”などの映画版権もの、“プロジェクトA”“スパルタンX”“プロテクター”“ポリスストーリー”などジャッキー映画もの、そして“ザクソン”“ハングオン”“チャンピオンプロレス”“チャンピオンサッカー”などのセガからの移植ものなどが出ていました。これはMSXがSGシリーズと性能的に似通っていて、移植しやすかったというのも理由のひとつかと思います。そのためかセガマークⅢの頃になると、上位機種であるMSX2の方へ移植することが多くなっていきました。


 個人的な忍プリの思い出としては、当時はアーケード版ではほとんど遊んだことがありませんでした。難易度が高かったということ、わりとオーソドックスな縦スクロールシューティングと、当時としても目新さはなかったということなどが理由でした。MSX版の方は、学校帰りによっていたデパートのPC売り場の試遊機でデモをしていたので、それで遊んでいた記憶があります。こちらも方も難しくてたいして進めなかったように思います。 



参考:Wiki Category:忍者作品、ポニーキャニオン、MSXのゲームタイトル一覧の項、198X総集編“忍者プリンセス”)、International Arcade Museum

フロントライン(FRONT LINE)・タイトー/ニデコ

2009-08-27 20:53:48 | MSXゲームReview

 『フロントライン』(FRONT LINE)は、1983年にタイトーより発表された(アクション)シューティングゲームです。MSX版は翌84年、ある意味アーケード版より有名かもしれないFC版は85年に登場しています。PCへの移植版は、当時PCの周辺機器などを開発、販売していたニデコより、ニデコムのブランドで発売されていました。(このMSX版フロントラインに関しては、開発/製造元タイトー、販売二デコ)。ゲームは、この時期としてはかなり珍しい、歩兵を主人公とした縦スクロールのシューティングゲーム。この後の戦場もの“戦場の狼”(カプコン)や、“怒 IKARI”(SNK)の原型となった作品と言ってよいと思います。(リンク先youtube)

 プレイヤーは歩兵となって、同年のヒット作“ゼビウス”でも採用された2ボタンで機銃と手榴弾を使い分けながらジャングルを抜け、単身敵地へ乗り込むことになります。操作系が少し変わっていて、ダイヤル式のスイッチで方向を決め、(進行方向とは関係なく)攻撃が出来るようになっています。これは、同社“ワイルドウェスタン”(82)に続いての採用ということです。また、任天堂“シェリフ”(79)でも採用されていました。“怒 IKAR”(SNK)でも似たシステムが使われていましたが、これらの共通点として自機が宇宙船でなく人間ということで、(プレイヤーの)自由度を増すという意味合いがあったのかもしれません。もう1つ『フロントライン』の最大の特徴(発明)として、戦場においてある装甲車※や、戦車に乗り込めるということがあります。ジャングルでは歩兵同士の戦いなのですが、荒野に出ると敵の装甲車や戦車との戦いとなります。歩兵として心細い状態から、戦車に乗り込むと反撃できるようになり、爽快感が生まれるというのが、このゲームの肝だったわけです。このシステムは、“戦場の狼2”、“ラッシュ&クラッシュ”(カプコン)や、“怒 IKARI”(SNK)でも踏襲されていました。※パッケージではJeep


 80年代には映画『ランボー』シリーズのヒットなどがあって、ゲームでも戦場を舞台としたものがたくさん出ましたが、このゲームの特徴として“コミカルさ”が挙げられるかと思います。この当時のハードの限界もあるのでしょうが、キャラ絵もこのようにゆるいです。ほとんどノートの片隅に書いてある、小学生のイラストのようです(でもいい味出してます)。ナムコなどは、80年代のものはキャラも音楽もゲーム性も完成されたものが多かったですが、タイトーのこの時期の特色として、アイデア重視でキャラなどはわりとゆるいものが多かったように思います。一作ごとに作風が変わる多彩さが、タイトーの魅力だった気もします。このMSX版『フロントライン』ですが、初期のものということもありかなりシンプルです。移植も成功しているとは言い難いですが、MSX初期のソフトが少ない時期にアーケードからの移植をしてくれたというだけでも、あの時点では意味(価値)があったように思います。


 なんと、これスケルトンカセットを使用しています。FCでスケルトンカセットを使用して印象的だった“沙羅曼蛇”が87年の登場(アーケード86年)ですから、3年程先駆けていることになります。よくわかりませんが、他のタイトー/ニデコのラインナップにも使用されていたのでしょうか?こちらが話題になったというのは聞きませんので、ひっそりと歴史に埋もれてしまったのでしょうね。このゲーム、特殊なレバーがわざわいしてかあまり駄菓子やなどには置いてなく、ゲームセンターでの可動も短かったような気がします。その割には、強い印象が残っている思い出深い一作だったと思います。

ハイパーオリンピック・ソニー/コナミ

2007-10-19 00:04:42 | MSXゲームReview

 『ハイパーオリンピック』(Hyper Olympic)は、コナミより1983年にアーケードゲームとして発表されました。アーケード版の人気を受けてFC、MSX等に移植され、以後もソウル(88)、バルセロナ(92)、アトランタ(96)、ナガノ(97)、シドニー(00)とオリンピックの時期になると発売される定番となりました。写真はソニーより発売された、MSX版の『ハイパーオリンピックⅠ』(左)、『』(右)


 ゲームは、RUNボタンJUMPボタンを駆使して100メートル走やり投げハンマー投げ走り高跳び110メートルハードル走り幅跳びと6種目の競技で、記録を競う内容です。RUNボタンを叩けば叩くほど速度が上がるシステムになっており、ある意味連射の先駆けでもありました。記録を伸ばすために、爪先でボタンを擦るように叩いたり、定規などの道具を使う技もゲームセンターで編み出され、当時ゲームセンターに置いてある筐体の操作パネルは、ほとんどが擦れて塗装が削られているような状態でした。そのため店によっては、定規(道具)禁止などの張り紙がしてあるところもありました。



 アーケード版の人気を受けて、85年にはFC版も登場してきたのですが、ROM容量の関係で100メートル走、やり投げ、110メートルハードル、走り幅跳びの4種目に減らされていました。また、当時のFCの異常人気を反映した形で『8時だよ!全員集合』にも登場、そこから有名な『ハイパーオリンピック・バカ殿様バージョン』も誕生しました。上写真のものは、バンダイ製のLSIゲーム『ハイパーオリンピック・チャレンジ5』。こちらは5種目が遊べるようになっています。電子ゲームとしては、かなり後期(85)のもののためがんばってます。


 もう一つのMSX版なのですが、なぜかソニーより発売され(製作はコナミ)、ⅠとⅡに分けられての登場となりました。そのためFC版では減らされた競技も2種類増え、100メートル走、やり投げ、ハンマー投げ、走り高跳び、110メートルハードル、走り幅跳び、400メートル走、1500メートル走の8種目となりました。ということでMSX版が一番豪華だったわけですが、追加された400メートル走と1500メートル走は、単に100メートル走の距離が伸びただけですから、(持久力勝負の1500メートルはまだしも、中途半端な400メートル走などは特に)あまり意味がない部分もありました。


 またコナミではなく、ソニーブランドとして発売された経緯も謎ですが、当時のソニーはMSXハードを販売をしていましたので、(販促の意味もあって)ソフトのラインナップを充実させようとしたのでしょうか。ちなみに私はこのソフト買った記憶がありませんので、当時買ったソニー製のMSX1におまけとして付いてきたものだったと思います。


 この当時のソニーは、あくまでも家電販売のノリでしたから、あまりソフトで儲けようという発想はなかったのか、海外作品などをソニーブランドとして販売していました。(特に初期の)MSXは、一応ホビーだけでなくいろんな用途の考えられるPCとして売ってましたので、プログラムの入門用教育用など、あまりゲームをメインにはしていなかった事情もあったと思います。その戦略が、ゲームに特化したFCに負けてしまう要因の一つでもあったのですが、(逆に)ちょっと高度なものとして惹かれる部分もありました。またゲーム機ではないといって発売されたPS3は、現在苦戦しているようですが、なんだかその姿がこのMSXの頃とダブったりもします。