明日(3/14)の分です。
変わらぬ日々が過ぎていくね。その中に耐え難い苦痛もあれば、解き放たれたような開放感に酔えるときもある。
なのに過ぎ行けば変わらぬ日々の移り変わりに過ぎない。今日、明日には片付かない尾を引くことも、やがては途切れるときがくる。
人生の視点を先に置くべきを、ここから学ぶのかね? 日々の小事に捉われず大事を見失わぬ心がけなんだろうかね?
些細なことがらに心を捉われると今日を殺してしまうね。些細なことがらを見落として明日を殺すこともある。
大事に視点を置きすぎて足元が見えずに大事を失うこともある。人間は、どこに重点を置いて生きるべきか迷ってしまうときもあるね。
だから、今日一日を精一杯に生きるべしとなる。なのに、その日々が、川面に浮かぶ藁屑(もくず)のように流れ去っていく。
こういうふうに考えると、詰まるところ自分を生きることに焦点する。日々は流れ去っても自分は此処に居る。
今日より過去を失っても、過去から積み上げた自分は残る。日々を生きるのではなく自分を生きる意志力が明日を生かす術かも知れん。
「マジックのような話だね」 川面に浮く藻屑のように、日々に流されぬように生きる気の置きどころの話だよ。「砂止めの杭のようにか?」 そうだろうね。
本当の愛情ってのは、相手の生理的現象を苦もなく受け入れることが出来ることじゃないのかね? 詰まり嘘で隠した部分だね。
オレは、美醜をとやかく云うタイプだけれど悪意はない。「おまえが無くても云われた者にとっては悪意そのものだよ。殺したい奴だよ」
笑って言葉が出て来ない。いやいや、そうだろうけど、綺麗じゃないのがあって綺麗なのがあるんだろ? その逆でもいいよ。
どっちが前か後ろか解らないようなおばさんが「あのブスが」なんて云ってるのを訊いたことがある。美醜を判別できるんだよ。
此れが判別できないと視覚障害か脳味噌の何処かがイカレてるんだよ。オレは、その点では厳しいよ。「偉そう云うことか」
まあ、綺麗なのにもいろいろあって非の打ち所のない人なんて居ないよ。「おまえは、どうなんだよ?」 人のことは云えん。 「じゃあ、云うなっ」
馬鹿だね、云わなきゃ字数が増えないよ。多くを云って誤解を生んではいけないから 「もう、生んどるわ」 美醜云々は省くけど、これにはね、
好みとか、好き嫌いが加味されて救いがあるんだよ。綺麗だから、必ずしも好かれるというもんでもないからね。
その人の人間性が美醜に大きく影響する。綺麗がために余計に鼻持ちならんってのも居るだろ?
これは、下手すると醜い人より醜度がアップするよ。このほうが哀れだよ。外見は、中身が形成するところが大きいんだよ。
じゃあ、生理的現象ってのは、どうかと云うとたしなみさえ心得れば表裏がないもんだよ。
此れを美醜として捉える奴こそ、おまえじゃないけど「おまえは?」 となる。「うん、そうだね」 でも、理屈でなく許せない奴が意外と多い。
綺麗で在って欲しいって欲望だね。人間は、もともとは汚い、生きとし活けるものは、もともと臭い。それが生きてる証だよ。
明石へ行くって云って行ってないね。「なにを云うとんねん?」 ごめん、証だよって云って思い出したよ。「思い出すなっ」
鼻毛一本で興醒めしたなんてあるね。有って当たり前でも興醒めする。口が臭いとかも云うね。
それらをひっくるめて好きが本当なんだよ。それらをひっくるめて好かれて安心できるんだよ。包んであげるってことは、そういうことなんだよ。
生きてりゃ大方の人は、外見内面に関わらず、事実は不快な部分を持っているもんだよ。それと向き合って仮面を被っているんだよ。
仮面を脱いでも好いてくれる人に恵まれた人が幸せもんさ。嘘で幸せには浸れないだろ? 上辺の満足は虚しいよ。
世に結婚ってのがなくならないのは、互いに素のままの自身を認め合う相手が、人には必要なんだろうね。ほっとするんだよ。
今日も残業で遅くなったよ。帰って風呂に浸かりポカポカの身体に冷えたビールが美味過ぎる。360ミリリットル2本いっちゃった。
眠くなる前に即行で仕上げたれって頑張ったけど、もうあかん、クルクル回ってきたよ。続行は無理みたい。気持ちいい~。
睡魔が、ハチャメチャ襲って来たよ。もう、少し続けるつもりだったけど限界である。皆さん、ごめんなさい。
間違いは、明日、直します。