カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

独り言-379 『京都の暴走事件』

2012年04月17日 | 日記






しつこいようだけど、また京都の暴走車のお話をちょっと。

昨日のニュースで暴走車が20人近い人を跳ね飛ばした後、通りを突っ切って細い道路を猛スピードで走り行く光景を

ドライブレコーダーが捉えていたって報道していたね。もう、ユーチューブで流れてる。






あきらかにハンドル操作がなされているね。走り具合は「泡ふいて逃げてる」って雰囲気やね。

橋かな?左側にタクシー、右の欄干沿いに男女が立っている。

其のギリギリ狭い間隙を左右にハンドル操作して猛スピードですり抜けてるね。「上手いねぇ」






其の先の車もかわして右に切ったまま電柱に激突してる。「下手やねぇ」

映ってないけど、其の先にデカいトラックが駐車していたらしい。「仕方ないねぇ」






持病の発作じゃないみたい。「解らんねぇ?」最初、タクシーに追突したからバックして切り替えして逃げた?

そいでもって、赤信号突っ切って20人近い人を次から次へと跳ね飛ばしてまで「ふつう逃げるかあ~?」追突なんか、ようある話やで。

沢山の人たちを跳ね飛ばしてから「泡ふいて」逃げるのは解る。「もう絶望のパニックだろうからね」






最初、追突した時に「なにが何でも逃げなアカン」理由があったんかいな?で、ないと勘定が合わんでえ。






















持病の発作にしても、パニックになって遣ったにしても亡くなった人たちは帰らない。怪我の苦しみも癒えない。

残された身内の人々の悲しみも救われない。ハンドル握るってことは技術もさることながら、責任という重いものを背負うということやね。

車はアクセル踏みゃ走る。ハンドル回せば曲がる。ブレーキ踏みゃ停まる。動かすのは人間だからね。






其の人が責任を放棄して、其の上、制御不能になったら車は凶器になるしかないからね。

































独り言-378 『気合を入れれば綺麗に撮れそう』

2012年04月15日 | 日記






休みは必ず出掛ける癖をつけている。お天気はまあまあかね。

コンビニの前を走ると出入口で彼女が笑って手を振っている。「頑張っているね」

今日も写真を肩に掛けて自転車で近場をウロウロと散歩して手当たり次第に「カシャッ、カシャッ」






望遠は便利だね。被写体に寄らなくてもそれなりに綺麗に撮れる。

初っ端から見れる写真を撮ろうなんて思うから「あかんわ」ってなる。

撮りまくってたら「此の場合はどうしたら?」なんて疑問がわいてくる。其の都度考えりゃいいんだわね。



















この辺の桜は先週が身頃だったんだね。もう散り始めてるね。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」だったかね。与謝野さんやったかね?なんてどうでもいいこと考えてる。




















今度は、電車で何処か遠出しようか? 「あっそうか」今週の土曜、日曜は金沢へ行くって奥さん云ってたな。

わたしも息子も、いまいち気が進まないけど、めったに出かけないから「笑ってお付き合いしましよう」となったんだね。でも、面倒臭いね。

一泊なんてもったいないよ。「寝てる時間は、家で寝てても同じやで。そんな金使うんなら小遣い欲しいわ」って、息子とわたし。






植え込みやお家の前の鉢植えなどに、赤やら白やら黄色やらの花が綺麗に咲いているね。





















こんなの見てたら心が優しくなるね。花はなんにも云わないで人の思いに任せて生きて居るんだね。「鷹揚やね」





















こんなのに比べたら人間って「ホントにやかましくて煩い生き物なんだね」君たちは偉いよ、黙って人の心を和ませる。達人の域やね。




















写真のお陰で、今まで大まかにしか目にとめなかった花や草木をゆっくり愛でる時間を持てたね。

「ソメイヨシノ」綺麗だね。「腕のいいとこ見せたろっ」カシャッ。




















もう1枚。「此れはどうじゃろかいっ」カシャッ。



















カメラとレンズのお陰やね。



















独り言-377 『映画 壮烈第7騎兵隊』

2012年04月15日 | 日記






昨日は、な~んにもネタが浮かんで来ないので映画(DVD)観て「のんびりしたよ」

此の前観た「ワイルド・レンジ」に刺激されて、昔懐かしい西部劇を観たくなった。それも騎兵隊ものね。

これも子供の頃に封切り映画館で観たね。難波の南街劇場だったと思う。題名は、そのままアメリカ映画「騎兵隊」





南北戦争たけなわの1863年、北軍の劣勢を挽回するためにグラント将軍はビックスバーグ攻撃強行を決意し、

補給を断つため敵陣の中にあるニュートン駅破壊をマーロー大佐(ジョン・ウェイン)に命じる。

軍医のケンドール少佐(ウィリアム・ホールデン)も同行するが、マーローは尽くケンドールと対立する。

南軍領域内に深く潜入してニュートン駅を破壊し帰途に着くまでの500キロの道中で物語も進行する。















馬に乗る姿勢が絵になるジョン・ウエィンが騎兵隊の軍服姿で、もうひとつ格好いいんだね。「子供の頃は憧れたねぇ」

上の写真は、騎兵隊マーチをバックに行軍するシーンなんだけど「ずっと瞼に残って消えないね」















「リオ・グランデの砦」「アパッチ砦」「黄色いリボン」そして此の「騎兵隊」が、ジョン・フォード監督とジョン・ウエィンのコンビで

製作された騎兵隊もの4部作で有名なのね。「みんな観たよ、大好き」もう二人とも亡くなってしまったけれど「貴方方は永遠やねぇ」










ヘンリー・フォンダとジョン・ウエィン共演の「アパッチ砦」  (上の写真)









退役をまじかに控えた軍人を老け役で好演のジョン・ウエィン「黄色いリボン」   (上の写真)







それと、もう1本。親父が兄貴だけ連れて映画館へ観に行ったんだね。わたしは其の頃は、まだ邦画の時代劇が好きで化粧お化けの役者を

「格好いい」って思っていた。だから「行かない」って家で遊んでた。小3ぐらいじゃなかったかなぁ?

帰って来た兄貴が「迫力あったでぇ。アホや、行けばよかったのにっ」って大層興奮しておった

のち「アラモ」で洋画の凄さにカルチャーショックを受けて、兄貴が云っていた、その映画を観なかったのが後々凄く悔やまれたんだね。





その見損なった映画は、エロール・フリン主演の「壮烈第7騎兵隊」だったの。















此の映画は、それから此の歳なるまで不思議と観れる機会がなかったね。後々、映画館でリバイバルしたのも一日違いで見逃した。

勇んで行ったら、ジェームス・スチュワートの「翼よ、あれがパリの灯だ」に変わっていて「なんだよォ~」ガックリ。

テレビでもBS放送だったかな?「おっ」と興奮したけど、家のは映らないから「なんだよォ~」ガックリ。





で、最近、出かけた折に天王寺のミオの上階にあるCDやさんで「おっ」懐かしの映画集だったかな?

旧作DVDが500円均一で売られてる中に「有ったあ」嬉しかったね。





で、今日、50数年ぶりに観たわけやね。流石に古いって感じだけれど当時としては「凄かったんだろうね」

わたしの時代が、ジョン・ウエィンなら、エロール・フリンは親父の時代の人気俳優だったんだね。道理で古いわ。






南北戦争で勇猛果敢な働きを示し若干23歳で将軍にまでなったジョージ・アームストロング・カスター(実在)が

1876年6月25日リトル・ビッグホーンにおいて、数千のインディアンを相手に戦い

2百数名の騎兵隊員とともに壮烈な戦死をとげるまでを実話をもとに描いている。監督はラオール・ウォルシュ。

















インディアンの大群に包囲され、馬を捨て、身の隠しようもない平原に円陣を組んで、襲い来る相手に応戦するが多勢に無勢で味方は次々倒れていく。

カスター将軍が撃ち尽くした銃を捨てサーベルを構えて最期の時を迎えるシーン。(写真上)





古くてもいい。昔の映画は「なんなんだろうね~?・・・余韻が残るんだよね~」人間の匂いを感じるんだろうかね~うん。












大西部の風景、ジョン・フォード監督の世界だね。































独り言-376 『仮想敵国の回し者』

2012年04月14日 | 日記








北朝鮮がミサイルを発射しちゃった。そいでもって2分程後に爆発して終わっちゃたね。








しかし、我が日本の防衛能力も「あやしいもんだね」こっちの方が問題だよ。

米国の衛星監視では発射をいち早く捉えて「発射したよ」って、即座に教えてくれているのに、我が日本はダブルチェックに手間取り

1時間近くも遅れて発表してる。「ドアホッ」民主党はホントに日本の政党なのか?仮想敵国の回し者じゃないのか?








北のキチガイがホントの核ミサイルをわが国に向けて発射した場合を、常に想定して「これかよ?」

発表する以前に日本は焼け野原になっておるがな。「この民主党ちゅうのはホントッにアッタマくる政党やねっ」



















アメリカを好きになれとは云わないけれど、アメリカなくして日本の安全が成り立つか? 実際、おんぶに抱っこじゃないか。

そういう恩恵を受ける中で、北のキチガイを何でもかんでも頑なに擁護する中国やロシア側に尻尾振って行く民主党の連中は「ナニ人やねん?」

「自由」の有り難味が希薄なのか?「自由」を不満とするのか? それなら、おまえらだけ移民して中国の赤旗でも振ってろよ。







オレがアメリカだったら「こんな無能で無節操な政党が政権とってる国なんか勝手にしろっ」って太平洋から手を引くよ。







「其れ相当の費用は払っておるよ」なんて当たり前じゃないかっ。

アメリカは自国の若者たちの命を提供しているんだぞ。金で命は買えないんだぞ。「この馬鹿タレどもがっ」

アメリカが手を引けば、北のキチガイだけじゃなく中国も露骨に侵犯繰り返し領海有ってないが如しなる。

北のキチガイも、今度はホントに核ミサイル撃って来よる。混乱の後には国会議事堂に中国や北朝鮮の旗がひらめいておるよ。

其の旗の脇に民主党の旗も媚びたようにひらめいておることだろうね。





















京都の四条通の暴走車は、やはり、持病の発作が原因じゃなそうなんだね。

最初にタクシーに追突したことでパニクったのでは?なんて疑いがでてきたらしい。

「ごめんなさい」って謝って警察の指示に倣えば済んだのに。

人のこと云えんけど写真で見る限り「気弱そうな」な感じだったからね。心のブレーキが利かずにアクセル踏んだんだね。


































独り言-375 『てんかん』

2012年04月14日 | 日記







人はいつ何処でどんな目に会うやら解らないね。

綺麗な桜を見物に行って「いやあ~綺麗」なんて感動したあと跳ね飛ばされて「見納めの桜」になるなんて誰一人思ってなかっただろうね。

昨日は、京都四条通りで事故と云うか、事件と云うか、大変なことが起こりましたね。

京都へ行ったら必ずと云っていいほど通るところなので人の賑わいの程がよく解ります。







過去にも、持病のてんかんが災いし通学の学童6人をクレーン車で轢き殺してっしまった哀しい事故があったね。

今回の暴走車の運転手もてんかんの持病があったらしい。

車の免許習得及び更新時には、持病については自己申告制らしいね。

生きて行くために免許が必要な人たちにとっては、習得、更新の障害になり得るならば事実を伏せるのが人情だろうね。







そして、其れがとんでもないことに繋がることを「自分に限ってはない」って思い込むんだろうね。

この「自分に限ってはない」は、交通事故以外でも、加害は勿論、被害の側でも「ない」と思い込んでる人が圧倒的に多いんでしょうね。

昨日亡くなられた方々も、同じような思いで京都の街を楽しく散策されていたんでしょう。

「自分に限ってはない」なんて「ない」んでしょうね。

他人(ひと)さんに起こることは「自分にも起こり得る」と意識改革の必要がありますよ。







でも、今回の事故は、てんかんの発作がもたらしただけではないような目撃者談が気になる。

最初にタクシーに追突した時に、バックしてハンドルきって停まったタクシーの脇を磨りぬけて走り去ったらしい。

そして、猛スピードで四条通の赤信号突入時にクラクションを数度鳴らしているらしい。

「しまったっ」と云うような表情で運転している加害者の顔を複数の人が視認しているらしい。

どうも、持病のてんかんの発作が直接の原因ではないようにもとれる目撃情報ではあるね。






















持病の申告なんだけど、今時の若者には病名に抵抗感があるんじゃないの?

てんかんは、癲(てん)」は「倒れる病」という意味。癇(かん)」はひきつけ、けいれんを意味する。「癲」と「癇」を合わせて「癲癇」と云う。

漢字が難しいから仮名で書くようになったらしい。








昔のお笑いなんかで「おまえ、てんかん持ちかよ?」なんて気絶した相手に、さも滑稽な病気みたいに茶化して云う台詞があったよ。

「てんかん」と云う語呂が笑いに通じる響きなんじゃないの? だから「格好悪い」に繋がるのかも知れないよ。

突発性◯◯◯症候群とかなんとか医学的病名に変えたらどうなの?  

花粉症も「垂れ流し」が病名だったら、誰もが気軽に云わないかも知れないよ。






















突然、意識が失せる病気の人は、ハンドルは握らないほうが良いに決まってる。意識回復して「殺人犯」になってたらどうするの?

今回は、当人も亡くなってしまったから気づきようもないけれど、あなたの代わりに身内の人が悔恨の苦しみを引きずり味わうことになるんだよ。






















独り言-374 『こいつをミサイルでおまえとこへ飛ばしたいわ』

2012年04月12日 | 日記







世界中が「やめとけ」って止めてるのに、北朝鮮が「ミサイル発射準備完了やでえ~」って聞かずに云ってるね。

「脅してるつもりか?」 遣りたけりゃ勝手に打ち上げしろよ。「バカめっ」

そんなので我が日本がビビるとでも思っておるのかっ。







日本人はなっ「そんなん、どうでもええわ」って云ってる若者がめちゃ多いんだぞ。







男は女を追いかけ、女は男を追いかけることこそが重大事なのだ。

ふったり、ふられたり、騙したり、騙されたり、引っ付いたり、離れたり、さかりのついた犬猫よりも忙しいのだ。

若い女の娘(こ)たちはもとより、女忘れたようなおばちゃんでさえ、昨日より2キロ肥ったことの方が大問題なんだよ。







ゴールデン・ウイークも近い。大人たちは、今「今度は何処へ遊びに行こうか」と、観光地を物色するのに日々必死でネットを検索し

おまえとこのミサイルの記事なんか出てきたら「うざいっ」「邪魔っ」なんてクリックして飛ばしてしまうんだよ。「ざまあみろっ」























「慰めに云ってやる」キチガイ国家のミサイルを心配しているのは、そろそろ死にかけのお爺さんたちだけなんだよ。

残念ながらお婆さんたちは「そんなん、解らんわあ~あっははは」って笑ってるね。「期待裏切って悪いのォ~」








わが国は地震超大国なんだぞ。阪神大震災、東日本大地震と踏んだり蹴ったり受け放題、関東大震災やら東海沖大地震に

南海沖大地震とおあとに次々控えてる。おまえとこのミサイルの破片落下なんかゴミチリに等しい。







広島、長崎に続いて福島と放射能とは縁が濃いんだよ、我が国は。核ミサイルの1発や2発かまされても「ああ、またかいなあ」って驚かない。

意味のないよな原発54基も国中に散りばめて、いつでも自爆の用意も行き届いてる。

当然、放射能なんかも怖くないっ。復興、復興の掛け声で恐怖を薄めてぼかして「あとは何とかなるやろ作戦」実行中。「どんなもんや」








そして政治は「美味しい公約」だけに興味を示す国民が、こぞって選んだ恥さらしの政党が政権にしがみついて頑張っているんだぞ。

そして、なお、わざわざイランまで出かけて恥さらす破廉恥男が首相だったんだぞ。「こいつ、どっち側やねん?」

「こいつをミサイルでおまえとこへ飛ばしたいわ」







どうだっ、我が日本国って、ある意味、おまえとこよりコワイ国だろう? 「恐れ入ったかっ」


































独り言-373 『雨の日の釣り』

2012年04月11日 | 日記







雨でしたね。辺り一面ジャジャ漏れでしたね。







雨の野外を撮ってみたい欲求があります。雨の街並みもいいでしょうね。でも、鈍臭いからカメラやレンズを濡らしてしまうでしょうね。

傘さしながらカメラを操作するのは、簡単なようで難しいと思うのね。「そうそう、やめとけ、やめとけ」って、内なる声がするね。

冒険心がないね。前以て、いろいろ考えてしまうから二の足三の足で試したことがない。







雨が降って辺りは靄(もや)って誰一人居らず、聞こえるのは川面を叩く雨音だけだね。

乾いているのは着込んだ合羽の中だけで、川辺の全ては何処もかしこもびしょ濡れ。「当たり前だね」

淀川の汽水域直前の淡水域、毛馬の閘門を右手向えに見る柴島(くにじま)辺りを背面にする右岸側。向こう岸は守口側になる。






















向う岸のぼやけた景色が薄紫色に染まってる。川面は打ち付ける雨脚で無数の粒粒の波紋が浮き立って止水のように見えるのを

川べりの石に腰掛け「じ~っ」と、独りで見詰めてる自分が居る。

なんにも釣れないのに「よくやるね~」って自分で思ってる。「なんか来いや~」なんて云ってる。







右手に首を振ると向こう岸にぼや~と霞んで梅田のビル群が見えている。チカチカと照明が点きはじめてるね。

脇に立てかけている投げ竿は流れに押される糸に倣って緩慢に揺れるだけで、生き物の接触する反応は全然ない。

ツル~ツル~と雨の滴が竿を伝い流れてリールの辺りで堰き止められてポタポタと地面に垂れ落ちていくね。

長い時間動きを停止していると、なんでもないことに気づいたり、目に留まったりするもんだね。

「ふつう雨の日は釣れるんじゃないの?」でも全然釣れない。























「こんな哀れな状況を写真に残したいなあ」って、思ったことが何度かあったね。







其の場合、臨場感を持たせたいから自分の姿も画面に撮りいれたいね。

其の場合、三脚が要るね。

其の場合、三脚に傘を取り付け、転倒を防ぐために三脚の中央に重石をぶら下げねばならないね。







当時は兄貴に貰ったフィルムカメラを所有してた。








これしきのことが、実は大変なんだね。被写体の位置決めしてピンと合わせで行ったり来たりせねばならん。

一発に決まるはずが無いから何度も繰り返さねばならん。バッバッバッバッバって雨は合羽を叩きよるわ、足場は悪いわ、

手はベタベタに濡れてるわ、カメラ取り付けた三脚の傘にもバッバッバッバッバって雨が叩きよるわでせわしないから落ち着かない。








カメラ触るごとに濡れたポケットの口からタオル出して手は拭かなあかんし、ファインダー覘く時は合羽の頭巾脱がなあかんし、

そんなんしたら傘から垂れ落ちる雨水が首筋濡らして背中に流れるし「ゾォ~」身震いしたら

カメラに滴が飛んで慌てて拭かなあかんし、乾いたタオルはだんだん湿ってくるし、カメラの角度を何度も変更するうち台座がカックンなんて

前に回りそうになって「ドッキン」 こういうのんて、なんでもないようで「疲れるからね~」








で、今までこん棒みたいだった竿がキュ~ンって撓(しな)ったりしたらパニックになるよ。「なんで今なんだよっ」って怒ってる。























雨の日の誰も居ないだだ広っい淀川の河川敷で、こんなアホなこと真剣に考えながら、釣れない釣りしてる奴が居るなんて誰一人知らんかったやろね。







今は、釣りしながらじゃないから、街ん中には雨を凌ぐ処もあるし撮ろうと思えば撮れんことはないだろうね。「近いうちに挑戦してやろう」

最近、カメラを持ち歩いて撮ることが面白くなってきた。

出来はメチャクチャだけど、他人(ひと)さんの写真を勝手にお借りして貼るよりはいいんじゃないかなと思うのね。



































休憩-98

2012年04月11日 | 日記









暖かい日が続いたら雨が待っている。明日、いや、今日は全国的に雨の予報だった。やだねぇ。

いつの間にか学校が始まって、まだあどけなさが残る少年少女たちが、真新しい学生服やセーラー服に身を包んで登下校している。

やまることなく繰り返される春の風景だね。





















彼女が学校から帰って来た。「始まったね」「昨日からやで」「うん、昨日は早かったんだろ?」「今日はびっしり」

高校3年生だね。あと一年で大学か。

勉強科目の有り様を詳しく説明してくれてる。「英語の先生に嫌なのが居る」らしく溜息ついてる。







何処へ行っても、必ず、一人か二人は好かん奴が居るね。そいつのために一日の色が変わるほどの存在やね。

そいつを上手く御してしまえば憂鬱の度合いも軽減されるんだけど、おまえは学校じゃ「無駄はしない」に徹してるようだから

余計なことは言わないよ。







冗談で 「あんたが気にいらんって云ったれ」「そんなん云うたら退学やん」と返してるけど云いかねんとこあるよ、おまえは。

いつも「跳ね返している」って感じだね。「強いね」「好かん学校を逃げたオレが、云うことは何もないわ」

大方のことは難なくこなしてしまう能力を持ちながら「妥協しない」ってところは、損しても意思を曲げない根性持ってる。

現実逃げずに、明るく笑ってるおまえは「いいね」








































独り言-372 『一蓮托生の契約』

2012年04月10日 | 日記








此の狭い日本の中に原発が54基もあることが、今更のように不思議だね。

東日本大地震を境に日本中の原発は1基を残して全てが稼動を停止している。

節電協力のお陰も大きいのだろうけれど、大停電も起こることなく日本中に変わらず電力は送られている。







節電分を供給するのに53基の原発は要らない。素人考えで、もう1基稼動すれば事足りるんじゃないの?

では「あとの52基は何のために建造されたの?」と、問いたくなる。

遡って自民党政権の時代に大プロジェクトを数撃ちゃ儲かる主義の産物なんじゃないの?

需要と供給のバランス維持故の原発建設とは考え難い。





















福島も其の中のひとつ。自治体も儲け主義に参入して用地提供に名乗りを上げた経緯じゃないのかな?

国民も「核の恐怖」なんて、尤もらしく云ってるけれど、歌謡曲のヒットと衰退みたいなものですぐに忘れちゃう。

其の上、国民は無関心ときているから「遣り放題」そんな時代だったような気がするね。







そんなの心得てる奴が「造れ、造れ」で54基になったんだろう。凄い金が動いて「凄いぽっぽないない」を得た人たちが居るんだろうね。

実際に必要としない物騒なものを全国津々浦々に配置して、危ないからって稼動を止めても、冷やし続けねば「悪魔」に豹変する物は

現存している。国民の金で肥え太り、そのババクソ掃除も国民の金で対処する。「よく遣るねぇ」







何が正義で、何が悪なのか、組織と云う生きもの体内に宿ると云うことは、意図して麻痺せねば生きてはいけない処世術がある。

繁栄に寄与する努力に悪などあろうはずが無い。「核反対」になんの繁栄、利益がある。「踏み潰せ」なんて図式だろうね。

「原発ひとつで、田舎社会にどれほどの経済効果が望めると思っているのかね?」田舎は、この言葉に弱いだろうね。







都会で便利が当たり前で生きてる奴が、ときたま、訪れてのんびり田舎で遊ぶ。鄙びた田舎がいい。

観光利益はあっても、いつまで経っても鄙びた田舎で生きてる人は「ふざけんなよ」って思いがあるだろうね。

毎年、自然の猛威に曝されて農作物への影響は運次第、川の氾濫、地滑り、道路の損壊などを繰り返し受け放題。







原発に用地提供すれば公共施設は近代化されて、就職先も増えて若者の村離れも防げる。

「絶対安全」を頼りに受け入れる。此の世に絶対なんてない。そういうリスクを伴うからこその大金が転がり込む。

「一蓮托生」の契約じゃないの。





















まあ、今更とやかく云ってもどうなるものではない。よしんば日本の原発を全て廃炉にしても安全が戻ったって喜べない。

お隣さんの国々が日本に肩並べて、次から次へと原発を建造している。仮に朝鮮、韓国や中国で原発事故が発生したら、

死の灰は偏西風にのって、わが国日本をくまなく覆ってしまう。中国の黄砂が、其れを教えてくれている。福島どころじゃないだろうね。







人智で御しきれぬものを、生半可な知識で安全を謳いあげ、さも当然のように利用する。

その安全が崩壊したら、チェルノブイリも未だに終わっていない。福島は今から試される。「汝、驕るなかれ」やね。



































休憩-97 『こいつは、なんなんだろうね?』

2012年04月10日 | 日記








イラン訪問の鳩山元首相、大統領と会談

鳩山元首相「逸脱発言、一切していない」

IAEA批判発言「完全に捏造だ」と鳩山元首相







イランを訪問していた鳩山元首相が帰国 イラン擁護の発言「全くしていない」と否定

イラン「鳩山氏がIAEAは不公平だと語った」

鳩山氏、イランに政治利用された…自公が批判







鳩山さんが、皆さんが止めるのも聞かずに「問題のイラン」へ行って要らん問題起こしてる。

イラン擁護発言を否定、IAEA批判発言を否定、此の人の顔見ると信用できないね。







「こいつはなんなんだろうね?」無責任なマニフェストで世間を騙し日本を混乱に貶めて「まだ足らんのか?」

嫁さんと舞台の上でダンスなり余興なりして、恥さらしな浮かれた軽い男を遣ってろよ。とても見苦しいけど、あなたに似合ってるよ。

「政治から身を引けっ」日本のために一般人になりなさい。「ムカつく男やで」 鎖で繋いどけ。







「誰やねん?こんなのを日本の首相にしたんはっ」







昨日の日曜日、お花を撮ってたら、其の横手をひょこひょこ散歩してたノラ猫?「カシャッ」

























独り言-371 『猫に小判』

2012年04月08日 | 日記







撮り溜めた写真から使えそうなのを何枚かづつ選んで貼ってるけど、だんだん使えそうなのが無くなってきたよ。

目覚めたらカーテン越しにお日さんが差し込んでる。「おっ、晴れてるね」

昔と違って床離れが良くなった。「歳のせいかね」理由はともあれ良くなりゃいいんじゃないの?







朝風呂入ろうか、迷ったけど気持ちよくなって動くの面倒になったらマズイので「今日は夜にしよう」







昼過ぎ、カメラ持って自転車で出かける。「いい天気だね」

花に興味がある訳じゃないけど、鳥を撮るほど難しくないので、道すがら咲いてる花を「カシャッ」ほとんでカメラ任せ。

「おまえ達が咲き誇った姿を、このオレが写真にしてとどめて置いてあげるよ」「綺麗に撮ってね」「無理言うなよ」





















桜が満開だね。あちら此方の近場の桜の下で弁当拡げて花見を楽しむ人が多いね。「それでいいのよ」遠くへ行くだけが能じゃないよ。

食卓に並ぶと「なにこれぇ~?」って文句のでそうなおかずも、お外の桜の下で頂くと「美味いね」って感じるのが不思議だね。





















仰向いて桜の枝先眺めると、薄桃色がかった花びらの群れが青い空をバックに映えてるね。「カシャッ」

角度もクソもありゃしない。構図なんて頭に無い。見たまま「カシャッカシャッ」撮るだけよ。一眼レフも高級レンズも泣いている。

泣かずに黙ってメモリーに納めろよ。背景ボカして引き立つように「ちょっと違うね」ってとこ見せろよ。







遠くで見てる奴には解らない。大きな白レンズ構えてたら「おっ」って一歩退く威圧を放ってる。「ホンマかよ?」

その実、コンデジや携帯写真パチパチとなんら変わらない。「これがたまらんわ」

でも、最近、コンデジで光学30倍なんてのが出ているみたい。広角が24ミリで望遠800ミリだったかな?







小型で軽量、それで以って広角から望遠までカバーするって凄いね。「オレの、この白レンズが200ミリだよ」

「重いだけやんか」そいつが等倍で鮮明に写るんなら、もう一眼や交換レンズは用済みやで。

ちょっとググって近況をば調べんといかんね。もし、そうなら、この一眼も白レンズもオークション直行やね。





まだ、あちら此方とはいかんようだね。花咲き乱れるまでには至ってないね。























帰り道、コンビニに寄る。「おっ、良かった、居るね」焼きたてのパン屋さんで買ってきたパンを「これ、あがり」

「うわーありがとう」明日から、また学校が始まるのに「明日も明後日もバイトやねん」「そうか、大変だね」

なにか時間のことを聞いたんだけど聴力ヤバイから意味不明。「じゃあな」君の笑顔をみりゃ、それでいい。







帰ってパソコンを前にして「あっ、そうか、上がりの時間を云ってたのか」って、気づいてメールすると、暫くして返事が来る。

「あと1時間5分で上がりと云うことっ」って怒っておるね。あははは、そらぁ怒るわな。「おっさん、何を聞いとんねんっ」ってね。























「煙草買ってくるよ」って云って出掛ける。奥さんのレーダーが、最近敏感だからマズイね。低空飛行でひっかからんようにせんと。







「この休みでだいぶん生き抜きできたろ?」「なにもない。バイトばっかし」「そうか、其の分稼いでるよ」「生活費」

この娘(こ)の会話は単語で済むね。「まあ、待ってな、宝くじ当ててあげるよ」「そぉんなん」笑ってる。馬鹿にしておるね。

「誕生日や」「そうだね、十八やね」「大人やん」「うん、おまえも大人になったね」嬉しそうに笑ってる。







毎日が、なんの進展も無いように思えても歩みを止めずにいる限り、昨日より今日、今日より明日へと成長しているんだよ。






















独り言-370 『LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~』

2012年04月07日 | 日記








『愛はかげろうのように』 (原題 I've Never Been to Meー1976年作アメリカ)って歌がある。シャーリーンって女性が歌ってる。

有名になったのは1982年頃らしいけど、日本では、椎名恵の1986年の日本語カバー曲 『LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~』 がよく知られている。

今も時折、耳にするときがある。 「いいねぇ」って、耳を澄ませて聴いている。








シャリーンが歌う歌詞は、おそらくは老境にさしかかった孤独な女性が、過去の奔放な人生を悔恨し、

平凡な家庭生活を送る女性に安直な空想を現実にしないよう戒めるような内容なんだけど美しいメロディとは少しギャップを感じる。

尤も、英語なんか解らないから聴いている分には、なんの文句もないけどね。








実際には、椎名恵の日本語版 「LOVE IS ALL~愛を聴かせて~」を当時、喫茶店でよく耳にした。

あちらの歌を日本語に訳して歌ってるのは好きになれないんだけど、この歌に限っては 「此方のほうがいいねぇ」って耳を澄まして聴いていた。

訳すじゃなくて詩そのものが全然変わったものになっている。でも、メロディには此方のほうが合ってるよ。








椎名恵 LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~











幼い頃に描いてた

そしていつしか忘れた夢のつづきが

あなたに逢って 今あざやかに

この胸に満ちていく Ah 目覚めてく





















難しい弟の肩のこるよな話ばかりで聞くのがだるくなった頃に此の曲が流れる。弟の口から活字が噴き出るのを止めてくれる。

苦かったコーヒーも美味く感じたね。

「ええな、この曲」  おまえの口からそんな台詞を聞くと 「ほっ」とするよ。 「いいね・・・」 ずっと流れていて欲しかったよ。











Love is all

女なら 何よりも愛を選ぶわ

たとえ それが苦しみでもかまわない

そうよ

遠くても大切なものが見えるから

生きていける

You know my love is true









窓の外を眺めながら弟が 「今の世に、精神性をとるよな女が居るんかなぁ?」 「さあ、どうかねぇ」

時代を造るのが男なら、時代に色を染めるのは女なんじゃないの? 今の世は女が強いからね。
























逢えない夜の数だけ

信じることを 覚えていくわ

嘆くことより 何ができるかを

今日もまた 確かめて Ah 瞳を閉じる






Love is all

誰だって弱いから愛されたいわ

いつだって温もりが欲しくなる

だけど

あなた以外の人は愛せないから

強くなれる

You know my love is true






















求める者には縁遠く、然程、欲せぬ者には次から次へと花が色香で誘い来る。

オレの何処がいいのか知らんけど、おまえが云うようにオレの容姿がいいのなら、お袋のお腹の中に残しておいてやればよかったよ。

その代わり、おまえの脳味噌を少し分けて欲しかったね。

釣りするのに容姿もクソもないもんね。水面から穂先に延びる糸が全てやからね。










Love is all

愛だけは越えられる すべてのものを

真実の愛ならば眠らない

Sweet tmiry

I'm waiting what you

jsut take out me

It's really my dream

I want the Wedding Bell

Tonight

Everything is you






















煙草吹かせて辺りを見回すとカウンターの脇に立っているお店の女の娘(こ)と目が合った。 ニッコリ笑ってるからニッコリお返ししてる。

「おまえはええのお~」  しもたっ。窓の外眺めてたのとちゃうのん?  「オレは愛想がいいだけだよ」

男は中身だって、何度云ったら解るの? 「おまえを見ん女は居らんぞ」  「嘘つけ、馬鹿らしい」 そんなええもんかよ。

「おまえは気づかんのか知らんけど、一緒に歩いとったらよう解るわ」  「それは見た目の話やろ。中身無いのに煩わしいわな」








こいつの哲学的な話を付き合うのもしんどいけど、此の手の話も困るんやね。








「オレは、ただのハリボテや」  自分をこき下ろさんことには話が終わらん。 「棚の上で首振ってる張子の虎やないの」

笑っとおるわ。疲れるねぇ、動物園の猿と一緒やないの。みんな見よるで。心地よく笑っとおるね。

こんな歌聴いたあとぐらい優しい気持ちになれよ。








「ハリボテか」  確かにハリボテながらに僅かな知恵を駆使して生きてきたね。此の歌聴くと、昔の馬鹿らしい時間もつられて思い出すね。










































休憩-96 『煙草』

2012年04月06日 | 日記








風呂上りに窓から外を覘くと、6時半回ってるのに薄っすら明るさが残ってる。日が長くなってるね。

「ああ~気持ちいい~」火照った身体が心地いいね。

煙草の箱をとると「うん?」軽いね。「買っとくか」







風呂上りの煙草は美味いんだよね。咥えた煙草に火を点けて外へ出る。







煙草は身体に悪い「確かに悪いんだろうね」放射能も身体に悪い。でも関東を含めて以北の人たちは、殊更「悪い」って、口にしないそうな。

あちらから西へ避難してきた人達が云うには、「悪い」の変わりに「復興支援」が出張って暗黙の緘口令(かんこうれい)下にあるようだね。

「もうちと個人を主張しろよ」関東流で、電車の乗り降りを整然と並んで待つのと意味合いが違うよ。







今日は、彼女居るかな?このところ会えないね。

コンビニの前の灰皿に吸殻捨てて中へ入ると「あれぇ、居ないよ」居ない日選んで来てんかよ?

「仕方ないね」って、おじさんのレジーに行きかけると、カウンターの奥のドアから彼女が出て来た。「あっ、居たね」







「あっ、★★ちゃん」「おう、煙草ちょうだい」よかったね。

「今日は、出てくれないかなって連絡あってん」「そうなの、体調が悪いって断りゃよかったのに」笑ってる。

でも、連絡無かったら、今日も彼女に会えなかったんだね。幸いしたね。







「じゃ、頑張りよ」「うん」二言、三言交わすだけなのに、なんか「ほっ」として嬉しくなるよ。






























独り言-369  『映画 ワイルド・レンジ』

2012年04月05日 | 日記








昨日は、何故かしら気分が滅入って何する気もしないので「映画でも観るか」感動するよなのあったかな?

う~む、映画も、なんでもいいって時もあるけれど「こんなの観る気分じゃない」っていう時もあるね。

西部劇の「ワイルド・レンジ」がハードに残ってる。「最近、製作された西部劇だね」







現代の西部劇は、昔と違って風情と云うか情緒と云うか、フイルムから醸しだされる匂いが少々異なってしまったね。

勧善懲悪の単純物語だった昔の西部劇は、癒されるような雰囲気が漂っていたように感じるの。

マカロニウエスタンでハリウッドの本場の西部劇が影を潜めた頃からおかしくなっちゃった。



















マカロニウエスタンが全盛の頃「こんなのに夢中になる奴ってアホやね」って、正直思っていたもんね。中身の軽薄な作品のオンパレード。

観れたのは、マカロニウエスタン第1作のクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」エンニオ・モリコーネの音楽が斬新やったね。

第2作、同じくイーストウッドの「夕陽のガンマン」もなんとか観れた。これもエンニオ・モリコーネの音楽が利いてたね。

わたしに言わせれば許せるのは此の2本だけやね。後から後から出てくるのは駄作どころかフイルムのゴミやったね。



















わたしが少年の頃、常に観ていたテレビの西部劇「ローハイド」でレギュラーだったクリント・イーストウッドは馴染みの俳優さんだった。

人生はいろいろで、其の後、役がつかなかったんだろうね。ハリウッドに見切りをつけてイタリアに渡り、イタリア製西部劇で返り咲いた。

今は、ハリウッドで押しも押されもしない名俳優にのし上がったね。また名監督としても有名になったね。サクセスストーリーだね。



















「ローハイド」の頃は、大根役者のヒョロヒョロ男なんてコテンパンに貶された男が、イタリアから「男」になって帰って来たんだね。

話が逸れたけど、此の頃からアメリカ本場西部劇がイタリア製に感化されたのかして、やたら作風が泥臭くなった。






牧歌的なと言うのかね。昔の民謡歌が似合う西部の風景が懐かしいね。ジョン・フォードの撮るメサが聳える大西部の風景なんかが懐かしいね。

そんなことを想いつつ「ワイルド・レンジ」を観た。「此れが意外とよかったね」

古典的アメリカン・スピリッツを匂わせて昔懐かしい西部劇の趣を漂わせている。「嬉しいね」





















牧場を持たず草原を移動しながら牛を育てる遊牧民フリーグレイザー(カウボーイ)のボス(ロバート・デュバル)とチャーリー(ケビン・コスナー)

とフリー・グレイザーを嫌う町の顔役バクスターの一派が対決するんだけど、其の銃撃戦もなかなかのもんやね。
































仲間がバクスターの一派に暴行を受け、ボスとチャーリーが彼を連れて町外れの医者の家を訪ね世話になる。医者の妹と恋仲になるチャーリーは

過去、南北戦争で狙撃手として民間人も含め多くの敵兵を殺しまくった経歴に苦しんでいる。
































この妹(アネット・ベニング)とチャーリーの出会いがいいね。そして心通わせるんだけど、彼は一歩も二歩も控えて感情を表さない。

















2人に対してバクスター側は10人、OK牧場の決闘なみに至近距離で睨みあった位置からの銃撃戦が始まる。




















































激しい銃撃戦でバクスターを倒したあと、ラストがほのぼのさせて3回ほどリピートして観たね。男と女はかくあるべきだね。

銃撃戦後、チャーリーが脚を撃たれて酒場のカウンターで横になって身体を休めている。妹が駆けつけてようよう互いの胸のうちを吐露する。

































余計なことすると場のムードを壊すので、監督が知らんふりで押し通したんだろうけど医者の妹がチャーリーの傷を気にもかけないなんて

「ちょっとおかしいでぇ~」旅立つと云うチャーリーに「きっと帰ってきて」って云って出て行く。

チャーリーが何か言いたげな様子だったけど「オレ、脚撃たれてるんだけどぉ~・・・」と、云いたかったんじゃないの?







チャーリーは、そんなこと気にしない。「ホンマかよ?」元気になったチャーリーが彼女の家へ馬を走らせプロポーズする。






























老練のロバート・デュバルがいい味だして、ケビン・コスナーが脇に構えて居ながら、しっかり映画を支えているね。






























久々に、昔懐かしい趣のアメリカ西部劇を堪能したね。湿っていた気分も爽やかな風が吹き抜けて、こころもち乾いて気分も良くなった。


































休憩-95

2012年04月04日 | 日記





ブログのネタが何も浮かんで来ないね。




指が勝手にキーに向わない時って「駄目ですね」

気分が沈んでる時も「駄目ですね」




タイタニックが二つに割れて冷たい海底に沈んでいきますね。

ディカプリオも彼女の手から離れ暗い海底に沈んでいきますね。




なんか、そんな感じで沈んでます。





























カメレオンの独り言