昨日は、何故かしら気分が滅入って何する気もしないので「映画でも観るか」感動するよなのあったかな?
う~む、映画も、なんでもいいって時もあるけれど「こんなの観る気分じゃない」っていう時もあるね。
西部劇の「ワイルド・レンジ」がハードに残ってる。「最近、製作された西部劇だね」
現代の西部劇は、昔と違って風情と云うか情緒と云うか、フイルムから醸しだされる匂いが少々異なってしまったね。
勧善懲悪の単純物語だった昔の西部劇は、癒されるような雰囲気が漂っていたように感じるの。
マカロニウエスタンでハリウッドの本場の西部劇が影を潜めた頃からおかしくなっちゃった。
マカロニウエスタンが全盛の頃「こんなのに夢中になる奴ってアホやね」って、正直思っていたもんね。中身の軽薄な作品のオンパレード。
観れたのは、マカロニウエスタン第1作のクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」エンニオ・モリコーネの音楽が斬新やったね。
第2作、同じくイーストウッドの「夕陽のガンマン」もなんとか観れた。これもエンニオ・モリコーネの音楽が利いてたね。
わたしに言わせれば許せるのは此の2本だけやね。後から後から出てくるのは駄作どころかフイルムのゴミやったね。
わたしが少年の頃、常に観ていたテレビの西部劇「ローハイド」でレギュラーだったクリント・イーストウッドは馴染みの俳優さんだった。
人生はいろいろで、其の後、役がつかなかったんだろうね。ハリウッドに見切りをつけてイタリアに渡り、イタリア製西部劇で返り咲いた。
今は、ハリウッドで押しも押されもしない名俳優にのし上がったね。また名監督としても有名になったね。サクセスストーリーだね。
「ローハイド」の頃は、大根役者のヒョロヒョロ男なんてコテンパンに貶された男が、イタリアから「男」になって帰って来たんだね。
話が逸れたけど、此の頃からアメリカ本場西部劇がイタリア製に感化されたのかして、やたら作風が泥臭くなった。
牧歌的なと言うのかね。昔の民謡歌が似合う西部の風景が懐かしいね。ジョン・フォードの撮るメサが聳える大西部の風景なんかが懐かしいね。
そんなことを想いつつ「ワイルド・レンジ」を観た。「此れが意外とよかったね」
古典的アメリカン・スピリッツを匂わせて昔懐かしい西部劇の趣を漂わせている。「嬉しいね」
牧場を持たず草原を移動しながら牛を育てる遊牧民フリーグレイザー(カウボーイ)のボス(ロバート・デュバル)とチャーリー(ケビン・コスナー)
とフリー・グレイザーを嫌う町の顔役バクスターの一派が対決するんだけど、其の銃撃戦もなかなかのもんやね。
仲間がバクスターの一派に暴行を受け、ボスとチャーリーが彼を連れて町外れの医者の家を訪ね世話になる。医者の妹と恋仲になるチャーリーは
過去、南北戦争で狙撃手として民間人も含め多くの敵兵を殺しまくった経歴に苦しんでいる。
この妹(アネット・ベニング)とチャーリーの出会いがいいね。そして心通わせるんだけど、彼は一歩も二歩も控えて感情を表さない。
2人に対してバクスター側は10人、OK牧場の決闘なみに至近距離で睨みあった位置からの銃撃戦が始まる。
激しい銃撃戦でバクスターを倒したあと、ラストがほのぼのさせて3回ほどリピートして観たね。男と女はかくあるべきだね。
銃撃戦後、チャーリーが脚を撃たれて酒場のカウンターで横になって身体を休めている。妹が駆けつけてようよう互いの胸のうちを吐露する。
余計なことすると場のムードを壊すので、監督が知らんふりで押し通したんだろうけど医者の妹がチャーリーの傷を気にもかけないなんて
「ちょっとおかしいでぇ~」旅立つと云うチャーリーに「きっと帰ってきて」って云って出て行く。
チャーリーが何か言いたげな様子だったけど「オレ、脚撃たれてるんだけどぉ~・・・」と、云いたかったんじゃないの?
チャーリーは、そんなこと気にしない。「ホンマかよ?」元気になったチャーリーが彼女の家へ馬を走らせプロポーズする。
老練のロバート・デュバルがいい味だして、ケビン・コスナーが脇に構えて居ながら、しっかり映画を支えているね。
久々に、昔懐かしい趣のアメリカ西部劇を堪能したね。湿っていた気分も爽やかな風が吹き抜けて、こころもち乾いて気分も良くなった。