子供さんの登下校の列などに車が突入する悲惨な事故が相次いでいる。
結果としてそうなったのだから、どうのこうの云っても始まらないけど、不思議に思うのは、長い道が続く中で、
道路沿いに人の居らぬ処の方が圧倒的に多いのに、何故、人の居る処を狙ったように突っ込んでいくのかね?
誰も居なければ単なる自損事故で、無免許であろうが、居眠りであろうが、
余所見であろうが、飲酒であろうが自業自得の致すところで「馬鹿だね」で終わってるはずなのにね。
過去を辿れば、似たような処を、実際、自分も歩いたり自転車で走ったりした経験など山ほどある。車と自分が擦過するよな経験もある。
「運命なんだろうかね」
昔、親父の仕事の手伝いで自転車乗って配達によく走った。10キロ20キロって長い道を走る。当時は、今ほど
車の数はなかったように思うけど、地域に依っては、今以上に危険極まりない処も多かった。
ダンプカーがグワン、グワンと走り行く車道を同じように走るんだけど、道路事情は最悪でアスファルトは熱で溶けて波打って
盛り上がったり凹んだり、凹凸が半端じゃなかったね。車道の端を走り通せない箇所が幾らでもあった。
タイヤが凹みにとられて倒れたら、確実にダンプに轢き殺されていただろうね。
大人になって車の教習所に通っている時、道路を走って居ると後ろからダンプや10トントラックが隣車線を追い越していく。
「引き込まれるなよ」って、教官が注意してる。吸い込まれそうな意識が働いて車を無意識に寄せる傾向があるらしい。
「そんなの働くようじゃ、オレは、もうとっくに死んでるよ」って、腹ん中で笑ってた。
いびつに盛り上がったアスファルトにバウンドしてふらつく真横を、怪物みたいなダンプが同じようにバウンドして
土煙とともに轟音立てて走り行く。そんなのが次から次へと真横を走り行く。
帰ったら「おう、無事に帰って来よったな」って、親父がよく云ってたのを覚えてる。
交通法規も、今ほど神経質な時代じゃなかったから、飲酒して運転すると心地いいなんて平気で云ってるドライバーがゴロゴロいたよ。
ニュースで映る事故現場のような処をどれだけ走ったことか。それでも事故には遭わなかった。
もっとも、車と車の間から道路を横断しようとして出逢いがしらに宙を飛ばされたことは一度経験したね。
子供だったから右から来る奴が見えない。オートバイがかなりのスピードで来とったんやね。
「ドーンッ」って、まともにぶつかって7~8メートル近く飛ばされた。向かい車線で同じく停まっていた車の後ろ3台目のタクシーの
運転手さんが「大丈夫かっ?」てドアを開けて降りてくるのを、転がったまま目の前で見てたよ。
自転車のペダルの脚がグニャリとひん曲がっておったね。で、わたしは「無傷」だった。
「うん、大丈夫」って云って片足漕ぎで家へ帰ったら「アホッ」って怒られた。「相手のことも何も聞かずに帰る馬鹿居るかっ」って。
オートバイの人は慌てふためいて、何処へやら電話してる。話しながら「ボク、大丈夫かっ?ドウモナイカッ?」って汗かいてたよ。
「うん、どうもないわ」って、笑って帰って来ちゃった。このとき「後遺症」ってのをお袋から教わった。
そいでもって、自分の頭の悪いのは、其の時の「後遺症」って云って、皆さんを納得させる手段に活用したんだね。「馬鹿だねぇ」
遣った人も、遣られた人も、避けようのない宿命なのかな?って、そして、その結果は運命なんだろうなって、思ったりするね。
オートバイで飛ばされたところは、谷町筋だったような記憶だね。ダンプが走り狂ってた道路が定かじゃない。やけに土煙が辺りを
覆って辺鄙な処だったね。築港のほうだったかな?って、記憶に自信がなさげ。昔風の映画館があったね。
吉永小百合と浜田なんとかの看板を覚えているけれど、土煙に視界が霞むように記憶も霞んで題名まで思い出せないね。
でも、吉永小百合って凄いね。当時は、まだ二十歳前じゃなかったかな?あの時の看板で笑っている顔も、アクオスの液晶テレビのCMの
笑顔も一緒やよ。「この人、幾つなの?」
話がバラけたけれど、今を無事に「生きている」ことを感謝して、欲にかまけて不満や愚痴を垂れ流すばかりの生き方は慎むほうがいいみたいだね。
自分の命は自分だけのためにあるのか、人を気づかすためにあるのか、人を救うためにあるのか、
なにかに対してこそ自分を知る場合があるからね。生かされていると云うのは、そういう「相互の存在」から悟り知るための命なのかも知れないね。