カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

休憩-103 『おどれの川やないやろっ』

2012年04月30日 | 日記







天気が悪いと「何処へ行く気もしないね」

海でも川でもいいから「ぼ~」と、いつまでも眺めていたい欲求がある。水辺は気持ちが安らぐからね。

昔、釣りの時間はおおかた、そんなので潰してたね。






「釣りか・・・」また、竿を引っ張り出すか。

独りで遊ぶつもりが、いつしか他人さんに取り囲まれてお話し相手に困らないんだけど「独りにさせておいて欲しいよ」



















昔、武庫川で川面を眺めてのんびりしていると、お孫さんだろうね、少年とお爺さんが鯉を狙って楽しそうに立てた投げ竿を見ながら話している。

やがて、鯉がかかったかして竿がキユ~ンとしなった。お爺さんが「おっ、来よったっ」って竿を手に取り大きくあおってリールを巻く。

少年に見せようとお爺さんが張り切っている。少年は川面を走る道糸の行方を目で追って興奮している。






阪神電車本線の鉄橋下辺りの右岸堤防はコンクリートで足場がいいし、汽水域手前で堰があるから溜りになってヘラブナ釣り師の姿も多い。

見ているとお爺さんの使用しているリールがちゃちなのか、ドラグを緩め過ぎて道糸が出すぎるのか、一向に鯉を近寄せることができない。

後ろで眺めているわたしの視界の右手にヘラブナ釣り師が居る。忌々しい顔つきでお爺さんを睨んでる。






お爺さんは竿をあおってはリールを巻いて、傍らの少年に満面笑みで誇らしくなにやら自慢げな口ぶり。

ドラグがギーギーと音立てて巻き取る量より糸出し量のほうが勝ってる感じ。

「こらぁ、あかんわ」って、水面を切る道糸の行方に目をやるとヘラブナ釣り師の方へ走ってる。






「コラッ、おっさんっ早よ上げたれやっ」どすこい怒声が響いたね。「興醒めさせよったね」






小柄なお爺さんが慌ててリールをおもくそ巻いている。少年を喜ばそうと遊びを入れていたんだね。

お爺さんを睨んでる釣り師を、わたしも睨みつけた。視線が合ったね。「いつでも遣ったるでっ」って、睨み返したら目を逸らしよった。

「おどれの川やないやろっ」って、珍しく頭にきたね。






同じ釣りするものが、なんで解らんのん? お爺さんの心を思い計ったれよ。少年の思いを大事にしたれよ。「この糞野郎がっ」



















見ず知らずの他人(ひと)さんでも、今、其の人の置かれた状況を瞬時に思い計って協力してあげろ。和やかなうちに終わらせてあげろ。

それしきの思い遣りもできずに「よお、大人やってるね」川へはまって浮いてろ、馬鹿め。

縄張り意識の強い釣り師が多いね。昔の話でした。武庫川か、ハエが綺麗な色を輝かせて次から次へと「よく釣れたね」




















独り言-389 『「忘却」は、精神を救い、心に安寧をもたらす』

2012年04月30日 | 日記







「相手の思いを読むことは、幾らかはできる」と、思っている。でも「相手の心の中を読み切ることはできない」

思いは脳からの指令が心を通過することに依って、柔らかくしたり、暖かくしたり、また冷たくもしたり、その状況に最も適しているであろう

色合いに染めつつ相手に伝えるんだろうね。瞬時の脚色だね。






言葉に剣があり、理屈のみに偏る人ってのは心が乏しいのかね?脳からの指示がそのままストレートに発せられるからだろうね。

だから人は、相手から発せられる言葉から、その思いや心の有り様などを反射的に捉えることができる。

この反射的に捉えた感覚ってのは、大方当っているんじゃないかな? 捏(こ)ねずに頂く素の味なんだろうね。


















知恵の働く人が居る。其れも半端じゃない人の知恵ってのは、心に溶け合って人格化するんだね。其の人を読むことは至難の業だろうね。

脳と知恵と心が一体化するんだろうね。正体が掴めない。其の才能を善に生かすか悪に利用するかは、その人次第だね。

知恵を振り回す者は、ぶれない軸の大切さを知っている。真実と汚してはいけない部分を心得て意外と整理が行き届き混乱を生じさせない。






わたしの見る限りでは、彼女がそのタイプだね。「だから解らない」






わたしも彼女と「似ているな」と思える部分を持っている。わたしの場合は、自分の弱さをとことん見詰めて知恵を授かった。

授かったというより、授かって生まれたことに気づいたんだろうね。

「恥ずかしい」と隠したい自分の弱さを突き詰めると見えてくるものがある。

「恥ずかしい、情けない」って、思いを誤魔化すのではなく、其れを包容してひとつの人格を形成するんだろうね。






己の弱点に目を逸らさず常に対峙して理解に及ぶまでもがき苦しみ思考を重ねる。人の痛みが解るようになる。人の心裡が見えてくる。

人の弱さに敏感になる。答えを見いだせなくても傍らで笑って寄り添ってあげようと思えるんだね。

















人は疎(うと)ましい。できるなら独りがいい。でも人さんが寄って来る。次から次へと寄って来る。

「何をしてあげるほどの力量もない」思いを心で包(くる)んで話し相手になるのが精一杯でしかない。

過去を振り返れば、遣り通して答えを見たこともない垂れ流しのような思い遣りで埋まってる。






ただ、それだけのことを積み重ねただけの人生だったね。

大まかに云えば、自分より人さんのために使い古した雑巾のような人生だったね。「べつに文句もないけどね」

「神さんは、何のために、このオレを、此の世に生まれさせたんかな?」って、いつも思うんだね。「意味のない人生の見本かね?」






借金だらけで誰一人に頭のあがらぬ時代があった。弟の世話にもなった。わけの解らぬ人格破綻一歩手前の弟が助けてくれた。

「奴隷になるな」って覚悟を強いた。馬鹿にされ罵られ剣もほろろに遣られたね。誇りはドブに落ちたね。

「返せっ、返せ」って、怒鳴られて警察署の前で土下座させられた。思い出したね。長い年月だったな。






人目の多い処をよったようにヤマ挙げよったね。みそかすに怒鳴られて耐えてる姿は、さぞかし格好悪いシーンだったんだろうね。






何を云っても通じない。どう謝っても通じない。泣いたね。声が出ないんだね。本当に泣くってのは声が出ないんだよ。声なき慟哭だね。

「おまえっ、大丈夫か?」って、あいつ、慌てていたね。誇りが地に落ちて「殺すっ」って、その時は、本気で思っていたね。

わたしは、弟に鍛えられたね。骨の髄まで鍛えられた。そう捉えると憎くもなければ恨みもない。残るのは「感謝かね」・・・変態だね。



















自分を殺すことは慣れている。自分を無にすることも知っている。ただ、誇りだけには意識が敏感なんだね。

ドブで汚れた誇りを二度とは汚さない。そんな思いがこびりついてるね。






他人(ひと)が理解の及ばぬ「思い」があるだろうね。






身に起こることは、取りようで全てが肥やしになる。マイナスは向上の糧だから無駄になるものはない。

「痛み」を知れば温(あった)かさが身に着く。「涙」は、心を潤わして豊かに育ててくれる。「怒り」は、自分の器を知らしめてくれる。

「笑い」は、人さんの心を和まして、自分の心の栄養になるよ。「言葉」は「弄んではいけないよ」って、戒めを教えてくれる。

「忘却」は、精神を救い、心に安寧をもたらしてくれるよ。





















「オレは、アホだから、なんでも、すぐに忘れてしまう。だから、いつも笑っていれるんだよ」

































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