2017年10月
寒いじゃないか、日中は部屋ん中は23度ほどあるんだけど外は20度割ってるね? 17~8度かな?
上着を着ておかないとブルブルッと震えるよ。この分なら汗かかずに済むんだけど雨が小降りながら降り続いてるから散歩は中止。
パソコン眺めて片や画像の今昔写真をば探しつつ、片やお気に入りベストファイブのオンライン・ショップをばウィンドウショッピング。
ユニクロのブロックテックスリムフィットチノ、買うべきか値下げする春まで待つべきか、
モンベルのUS パーマフロスト ダウンパーカ(男性用)を突撃で買うべきか堪えるべきか、男女兼用のより高いんだね。
コンバースの白のOX、ユニクロームのブラック履くとアディダス・ネロより履き心地がいいんだね、魅(ひ)かれるね。
『CONVERSE CANVAS ALL STAR COLORS OX J606白』 『US パーマフロスト ダウンパーカMen 品番#2301220』
うん? おおっ探し求めてた古い写真、1枚有ったっ。長々ダラダラ見当たらないんだけど、探し当てた時はちょっと興奮だね、
おっ、2枚、3枚有ったねっ、狙い何処がいいのかして芋づるだよ。今日はラッキーだよ。
こんなのしてたら時間がいくらあっても足らないよ。ここらで手を打って、パンッ、駄文に取り掛からねばならん。 「音入りやね」
と、云ってもだね、このところ天気も悪いし駄文の調子も悪いから元居た路地裏の駄文屋に戻ろうかと思ってる。
「其処でも相手にされなかったら?」 ふっふふふふ、おさらばよ、一匹狼のねぐらに戻って天に向かって仰向けなって寝るだけさ。
「なんで仰向けになって寝る?」 戦いを放棄した狼は、ただの痩せ犬に堕ちたのさ。クネクネ、クネクネ身体を振って遊んでる。
うちにも居たよ、オレが自転車を出して配達に出る用意をしてたら尻尾を振りまくって身悶えてる。「おまえは行かれへんでっ」
「〇〇〇はん、気いつけてな」 はい。こいつ、アホやで。毎度云わな解らんのかな? 「マル、待ってなさい」
仰向けなってクネクネしてる。妹が「マル、おまえは行かれへんのっ」 オレは、自転車押して表通りに出て 「待っときやっ」
路地の脇で身体震わせて尻尾振りたくって見送っておったよ。人間は働かなくてはいかん、おまえも留守を守っとけっ。 「ワンッ」
『1966年(昭和41年)3月 堺筋道頓堀 日本橋』
『堺筋道頓堀 日本橋』
通りに出たら一直線、今日は、堺筋を北へ走る。道頓堀を渡り、八幡筋(通り)、周防町筋(通り)、清水町筋(通り)、鰻谷筋(通り)と
駆け抜けて長堀川を渡って長堀通りを横断、真っ直ぐ本町から北浜に向かう。当時は、まだ、三輪トラックが走ってた。
車道が空いたら抜け駆けて、ヤバくなったら歩道に移って人をスイスイ避けて走り続ける。南久宝寺から本町辺りになると会社勤めの人が増える。
『1966年(昭和41年)3月 堺筋本町近く』 写真手前の空き地は船場センター建設用地で拡幅工事進行中 右向こうに福助
横手もビルが建ち並んで道行く人たちの仕事柄が違うのを感じてたね。少し遠慮気味になって走るスピードを緩めてたよ。
安土町、備後町、瓦町、淡路町、平野町から道修町、高麗橋の三越を越えて北浜、北浜の交差点を渡ると大川の中州が中之島。
大川を中之島が流れを二つに割って土佐堀川と堂島川に名を変える。堺筋が渡る橋は難波橋、南と北詰めにライオンが座ってる。
『1966年(昭和41年)6月 北浜 市電大阪駅方面から堺筋へ右折』
『1966年(昭和41年)6月 北浜 堺筋 市電日本橋筋一丁目往き』
橋を渡って樋之上町、歩道のない車道は危なっかしい。住まいが在る日本橋筋一丁目から北浜辺りまでが庭に思える慣れた道。
此れから先の扇町を越えて天神橋筋6丁目までは、幼い頃、此の西天満の寺町に生まれ住んでいたから、其処を軸に周囲1キロ程は庭だった。
だから、天神橋筋6丁目から先の淀川を渡る長柄橋を境にして、当時のオレの目には、其れから向こうは遠い道に思えて走ったね。
『1964年(昭和39年2月) 樋之上町』
書いて貰った地図を当てに走る。一度行ったら地図を照らして位置関係を掴むから近道も覚えたよ。
夕焼けの沈む頃になると気が急いてハアハア息切らせて走るんだよ。暗くなると怖いんだね。まだまだ淀川の向こう側は、
今と違って矢鱈めったら暗かった。幹線から外れたら建物も極端に少なくて空き地や田んぼばかりで真っ暗だったよ。
『天神町筋6丁目 後日、調べてから書き込みます』
帰りの淀川長柄橋は怖かったよ。生きて帰れないんではないかと思えたよ。橋を渡って坂を下り走ると天神橋筋6丁目に辿り着く。
ああ~帰って来たって思えるんだね。人を惑わす狸や狐に遭わずに、無事、大阪に帰ってこれたあ~。
当時の市内も、まだまだ照明の行き届かぬところが多くて暗かったけど生まれ育った街ん中の暗さは、なんでか許せる。
少年の頃は、親父が遠くへは行かさなかったけど、時々、時間に急かれる仕事で走った時の話だね。
額に汗して漕ぎまくって帰って来る。本町の福助横目で見て本町通りを横断、南久宝寺の商店街は静まり返ってる。
帰って来たで。もう、ほん庭の中だよ。長堀橋から光がユラユラ浮いてる長堀川の水面は怖くない。あと、ひとっ走りで日本橋筋一丁目や。
『堺筋 長堀橋 後日、調べてから書き込みます』
ガラガラ戸を開けて、ただいまあ~、マルが千切れんばかりに尾を振って太った身体をよじくり回して飛びつき喜んで迎えてくれとる。
「遅うなったな、ご苦労さんやったな」 仕事場から親父が迎えてる。おふくろが 「風呂へ先に行くか?」 兄ちゃんが帰って来たら、
みんなで一緒に行くわ。 「兄ちゃんも、そろそろ帰って来るやろ」 兄ちゃん、遠いんか? 「ちょっと遠いな」
当時は、銭湯通いが当たり前の時代やった。冷えたコーヒー牛乳か、もしくはタコ焼きか、其れが愉しみだった。
黒門の風呂屋さんち隣のタコ焼き、まだやってるかな? 「買い物の帰りみたら、まだやったはったで」 あ、ホンマア~愉しみい~。
仰向けなって尻尾振ってるマルのお腹撫でてやりながら、明日、何曜? 「木曜日やで」 風船しゅぼむわ~なんで木曜やねんっ。
明日、学校サボったろかな。 サボって雄々しく逞しく一匹狼で生きようか、自由に勝るものはなし。 「アホやで」