カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-526 『武士は食わねど高楊枝』

2012年09月30日 | 日記







台風17号が上がって来てる。今回は、九州をかすめて四国沖を本土に向かってるね。

紀伊水道の沖合い辺りに来てるみたいだけど、大阪には、まだ影響はないね。雨は降ってる。

此の地点で950ヘクトパスカルを維持しているってのは珍しいんじゃないかな?
















沖縄以外、陸地に上がってないから衰えないんだろうね。

こんなの云ったら不謹慎なんだけど、台風で荒れ狂う海原を見てみたいって欲求がある。

肉眼で、肌で体感してみたい。我が身のちっぽけさを思い知らされたい。






とんでもなく怖いだろうってのは、体験なくても解かってる。

見たり聞いたり想像したりで、解かったってのは、解かってないんじゃないのかね?

つまり、鍛えってのが全然ないんだね。大阪府民は、大方、識って知らんのが揃ってんじゃないの?






自然の地の利に恵まれて大きな災害に縁遠い。今度は、直撃かもって緊迫しても逸れていく。

逸れた奴は、和歌山や岡山辺りを直撃するね。

特に、九州と同じく、近隣では和歌山県民や三重県民は鍛えられてるね。






何も無ければ無いに越したことはないけどね。






口数達者な奴が増える。理屈の多い奴ばかりになっていく。

理不尽喰らってばかりの人々は、言葉の無意味さを知らされて実態に対して反応するようになる。

寡黙に為らざるを得ないね。寡黙は力を蓄える。

















大阪の橋本さんも饒舌だね。弁護士上がりで理屈の設備は整ってる。

言葉の作用の駆け引きなんてお手の物、ミスって漏れても補正の術を心得てる。

こんな奴が、本当に国を変えるなんてことができるのかな?






理想は、あくまで理想、清廉潔白を売るな。そんなものはない。方向性に過ぎない。

清濁併せ持って事を成す。その道筋に胡坐をかくな。成す為の表裏一体の犠牲ごとだ。






理想と奇麗事を前に掲げる奴は、政治をするな。テレビのタレントで飯を食え。

ことを成すと云うことは、脇道、裏道、隙間道を通り来て、やっと本通りに達する行程がある。

政治家は、粘りの根性の持久力と度量と覚悟、それと厚顔無恥たる腹芸で出来るものだよ。






綺麗な奴は折れてしまう。綺麗を売る奴は中身が軽薄。口の上手い奴は信用するな。






また、政治に無知な国民が、浅ましさから目覚めて、今度は、理想の夢に、こぞって票を投じに行く。

理想を追うのも浅ましさに通じているよ。幸せは、向こうから来ないってことぐらい知ってるだろ?

本当は、汚いことが出来て、それに染まらない奴を選ぶべきなんだよ。






国民のために国益のために、其れを背負って我が身を汚す。

あんたらの代りに遣ってくれるんだよ。其れが、政治家って家業なんだと思うよ。

その報酬に対して、細々と詮索する奴のほうが浅ましい。貧乏根性が見苦しい。

民間企業のサラリーマンと、同じ秤に載せて量るものではないのだ、馬鹿者。






ケチって、ケチって「もう、俺たちやめた」って、政治家が口揃えてボイコットしたら、

誰が代りにこなせるの? ちょっとは、逆算して考えたれよ。「世話にもなってるんだよ」

数が寄れば無能な奴も混じるよ。そんなのは世の常だよ。



















世の中、貧富があって当たり前。運のいい奴、悪い奴、見てくれいい奴、悪い奴、

頭のいい奴、悪い奴、根性のいい奴、悪い奴なんて、時代は変わっても此れだけは変わらない。

何でも政治が悪いなんて云うけれど、「果たして、そうかぁ~?」自分を鏡で見てごらん。






オレは、自分の生活に於いて政治が悪いなんて思ったこともない。

社会が滞りなく健全に動いてる中で、自分の生活が劣悪なのは、誰あろう自分に迂闊があったからに

ほかならない。自分の無能、不運の責任を傍(はた)に転化すんな。






武士は食わねど高楊枝。 「最低の誇りぐらい持てよ」 






オレが政治に注文するのは、「平和を守れ」に尽きるよ。愚かしい道に迷い入らぬよう

日本丸の舵をとってくれ。これ以上、世界の迷子になるなよ。

橋本の維新に危惧するのは、民主で迷子、維新で子供にならぬかと思い遣られることだよ。























カメレオンの独り言-525 『映画 唐獅子牡丹』

2012年09月30日 | 日記







高倉健「唐獅子牡丹」









昔、映画を観て「こういう人になりたい」って、思ったことが何度もあるね。

演じている役柄に被せてジョン・ウエィンや高倉健などが「男の姿」に感じられたね。

真似が出来ようもないけれど「そうありたい」って、思いは、少なからず影響をもたらしているんだろうと思うね。







でも、今の自分を、その思いで照らしてみれば、遥か及ばぬ自分であることを思い知る。

其のときは、其れが憧れで、目標だったのに、いつの頃からか自分色に染まった自分が居る。







昔の映画を観ると思い出すね。幾つになっても、憧れる思いを忘れちゃいかんって。

憧れは、自分を高めようという思いに気付かせてくれるね。



















任侠映画の高倉健は、耐えて耐えて耐え忍び、堪忍袋の緒がプッツリ切れる。

「死んでもらうぜ」って、着流しの着物を諸肌脱げば背中(せな)で吼えてる唐獅子牡丹。







寡黙で純朴な健さんが、我が身を捨てて仁義を立てる。

すがる恋しいあの女(ひと)を「達者で暮らしな」って振り払って別れを告げる。

ドス(刀)を片手に男の世界、未練を断ち斬る男の美学だね。















義理と人情を 秤にかけりゃ

義理が重たい男の世界

幼な馴染みの観音様にゃ

俺のこころは お見通し

背中(せな)で吼えてる唐獅子牡丹













親の意見を 承知ですねて

曲がりくねった六区の風よ

積もりかさねた不幸のかずを

なんと侘びよか おふくろに

背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹













おぼろ月かよ 墨田の水に

昔ながらの濁らぬ光

やがて夜明けのくる それまでは

意地で支える夢ひとつ

背中(せな)で呼んでる唐獅子牡丹













浅草(エンコ)生れの 浅草育ち

やくざ風情(ふぜい)と いわれていても

ドスが怖くて 渡世はできぬ

賭場が命の 男伊達(おとこだて)

背中(せな)で呼んでる 唐獅子牡丹













親にもらった 大事な肌を

墨で汚して 白刃(しらは)の下で

積もり重ねた 不孝の数を

なんと詫びよか おふくろに
  

背中(せな)で泣いてる 唐獅子牡丹













白を黒だと 言わせることも

どうせ畳じゃ 死ねないことも

百も承知の やくざな稼業

なんで今更 悔いはない

ろくでなしよと 夜風が笑う











池辺良の風間重吉が良かったね。いなせな、やくざって感じ。









流れ流れの 旅寝の空で

義理に絡んだ 白刃の喧嘩(でいり)

ばかなやつだと 嘲(わら)ってみても

胸に刻んだ 面影を

忘れられよか 唐獅子牡丹













最初の3番までがレコード化された歌詞だね。後の歌詞は、映画の中で歌われたもの。

高倉健が、どすの利いた声で歌ってたね。







昭和残侠伝 唐獅子牡丹の写真がそんなにないよ。

緋牡丹博徒のお竜さん(藤純子)ので間に合わせしときます。「一緒やもんね」







オレの「男は独りで生きるもの」って、思いは、ひょっとして映画の影響なんかな?

「感化され易いのんとちゃうか、おまえ?」 ・・・・かもね?

















高倉健も今年で81歳って云ってたな。藤純子も歳をくったね。

貫禄があって色気があって品がある。藤純子を越える「お竜」は、もう出ないでしょう。































九州、熊本の矢野一家の女親分、綺麗な熊本訛りの台詞が耳に残ってるね。殺陣も上手かった。






本は、どちらかと言うと好きなんだけど、いざ、読むとなると時間がないんだね。

昔、電車で通勤していたときは読みまくったね。通勤時ってのは、本を読むのに一番適してる。

帰宅して就寝するときに、続きを知りたい欲求があるから枕元の照明つけて読めるんだね。






今、枕元で読み出したら3分もたずして爆睡しちゃうよ。

現代は、パソコンが大方の時間を支配しているから、改めて本を読むのは非常に難しい。

余暇も、時間割が必要かも知れん。






だから、映画を観るんだね。映画は娯楽の流れで観ることに改まりがない。

パソコンで遊んで疲れ、息抜きにそのままの姿勢で移行し易いからね。

映画も、その気になれば習うところは多いですよ。






今日は、写真を探すのに時間を食い過ぎた。

もうすぐ10月、ネット著作権法が施行されるね。「なんか、窮屈な感じだね」






















カメレオンの独り言