カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-503 『映画 ビフォア・サンライズ』

2012年09月08日 | 日記





恋愛映画は、食わず嫌いってのかね、滅多に観ようなんて思わなかったんだけど、何とはなしに、この映画を観てからは、

ちょくちょく観るようになったね。若者向けの映画なんだろうけど、手法が斬新なんじゃないの? 「解ってんのんか?」

オレにも若いときがあったよ。なに言ってんだよ。オレのモテようは普通じゃなかったんだよ。






ただ、面倒臭さがりで晩熟(おくて)だったから、話にできる物語が、その割りに少ないだけだよ。

此処だけの話、オレって、ホンマに恥ずかしがりだったからね。自慢じゃないけど、今でも、なんか、まだ、恥ずかしいんだよ。

長いこと、女の人の顔をまともに見れんかったもんね。「ちょっと、おかしいんとちゃうか?」 人間、皆、おかしいとこあるわいな。



















『 ビフォア・サンライズ 』 1995年度作品 監督 リチャード・リンクレイター  出演 ジュリー・デルピー、イーサン・ホーク



































ジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジュリー・デルピー)はブダペストからウィーンに向かう列車で

たまたま通路を挟んで隣合わせに座り、なんとなく気が合う。

セリーヌが最初居た席の隣のドイツ人夫婦が言い争いをして止らない。彼女は席を変わる。











変わった席の、通路を挟んだ隣にジェシーが居る。

















「何を言い争っていたの?」 「ドイツ語はあまり解らないわ」 君は「英語話せる?」 などと、ジェシーが話しかけてくる。

面倒そうな雰囲気を伴ったセリーヌの反応に「ああ~迷惑なんだね」なんて感じのジェシー。

其れを感じ取って、今度はセリーヌが話しかける。











「夫婦は、お互いの声が聞き取れなくなるの」 「なぜ?」











「歳とともに男は、高い声を識別できなくなり、女は、その反対なの」 「聞こえなくなるのよ」











「だから、話し合わずに歳を重ねられるのか」











互いに気が合うのを感じて、ジェシーが食堂車で「食事どう?」セリーヌは頷いて席を立つ。





























二人の話は弾むんだね。車窓の景色の流れに合わせるように、二人の会話もリズミカルでテンポがいい。























彼女はパリに帰る途中だったが、彼は明朝にアメリカ行きの飛行機に乗るまで一晩をウィーンで過ごす予定なんだね。

















列車は、やがてウィーン駅に到着する。











ジェシーは、ホテルに泊まる金もないから、街ん中、一晩中ぶらぶらするつもり。セリーヌに「つきあってくれないか」と誘う。























セリーヌは、彼に魅かれるものを感じて一緒に列車を降りる。











二人は、まだ、互いに名も知らなかったんだね。











二人はお互いのことを面白おかしく話しながら、夕方のウィーンの街をぶらつくんだね。












兎に角、会話が連続するんだね。それも、斜めに構えた板の上を水が舐めるように流れ落ちるような趣で、至って自然なんだね。

この映画を観た頃は、この手の恋愛ものの映画には手を出さなかったんだけど、なにげに借りて「恋愛ものも悪くないなあ」って思ったよ。

だから、9年後に封切られた続編「ビフォア・サンセット」も借りて観たよ。





アクションも銃撃もない映画なんて、これが最初じゃなかったかなあ?





セリーヌを演じるジュリー・デルピーっていうフランスの女優さん、なんか柔らかそうな可愛い娘さんだね。「なんかスケベ臭い表現だね」

黄色人種のアジア人も、皆、似たような感じだけど、白人も、欧米の何処の国の人かってのが解らん。

でも、この女優さんは、フランス人って解るね。マドモアゼルだよ。





「ホンマかよ、どのへんがフランスって感じがするの?」 柔らかそうなとこ。 「こいつ、やっぱり、おかしいで」






























いっしょに食事をしたり、占い師にあったり、酒場にいったりしながら話しを重ねる。

ジェシーはスペイン留学中の恋人にふられて傷心旅行中、セリーヌも半年前に年上の恋人に深く傷つけられた過去を持つことが分かる。


















ドナウ河を見下ろす大観覧車に乗った二人が、初めてキスするんだけど、思うに、こういう時って、女のほうが度胸があるね。























「どうしたの?」 











「キスしたいの?」












































「このごろ、よく思うの」 「幸せな関係の夫婦っている?」 「もちろん、幸せな夫婦はいるよ」 











「でも、きっと嘘だ」 「そうね、人は偽りの人生を生きるのね」

























































深夜のカフェで、電話を模した言葉遊びを通してお互いの気持ちを告白するシーン。






























列車で、席を代わった際、ジェシーの存在を意識にとどめていたと告白するセリーヌ。「女の行動は謎だらけだ」って、自分で云ってる。

















ドナウの川縁を歩く二人「楽しいわ」 「本当?」 「僕もだ」 「いろんな話をしてくれて嬉しいわ」 「ひどい話もなにもかも」





















何処も行ったことないので、「なんかUSJみたいだなあ~」なんて思ったね。「なんで、USJなんだよ?」 いや、雰囲気がね。

外国の雰囲気をうまく模写してるねって、感心したよ。「田舎のおっさんは嫌だね~」 ほっとけ。























「私はいつだって、自立した強い女になることばかり望んできた」











「男にかしずくだけの一生は嫌だもん」











「でも、人を愛し、愛されることは、何よりも大切よ」











「人は生きるうえで・・・もっと愛してと願っているんじゃない?」






















「解らない・・・僕は、よき夫、よき父になるのを望んでる」











「あるときは、なれそうで、また、あるときは、馬鹿らしく思える」











「人生を台無しにしそうな気がして・・・感情的な拘束や愛が怖いからじゃない、人を愛する自信はある」











「ただ、本当は、どこかで、何かを成し遂げて死にたいと思ってる」











「優れた業績を残すほうが、いい夫婦関係を築くより大切にも思える」




















「以前、働いた時に、雇い主が言ったわ」

















「仕事のためにだけ生きてきたけど、52歳で気がついた」











「自分は誰にも何も与えず、虚しい人生だと・・・涙が光ってたわ」











「もし神が存在するなら、人の心の中じゃない、人と人の間の僅かな空間にいる」











「此の世に魔法があるなら、それは人が理解し合おうとする力のこと」











「たとえ理解ができなくても、かまわないの、相手を思う心が大切」




























明日になれば彼はアメリカ、彼女はヨーロッパと、大西洋を渡って遠い異国に暮らす身。

行きずりの恋か、一生の思い出か、二人は公園の芝生に横たわって話すうちに感情が昂り、星空の下で愛を交わす。




























一刻一刻を惜しみながら、二人は早暁のウィーンの街を散策する。そして、やがて別れの時がくるんだね。



































セリーヌがパリ行きの列車に乗る直前、二人は二度と会わないという前言を翻し、半年後の十二月に、この同じホームで会おうと約束する。

















そして彼と彼女は、それぞれの家路に旅立つんだね。


















全編が、二人の会話で成り立っているね。ウィーンの街並みが美しく観光をしつつの軽やかさを漂わせて、一組の男女の一日をカメラが追っている。





上辺を舐めるように流れ往く水は、綺麗に澄んで澱みがない。互いの淵まで引き込まないから瀬せらぎはキラキラ輝いて美しいばかり。

水深20センチまでの仲だね。僅かな時間の触れ合いの思い出は、みな心地よく、色褪せることなく、いつまでも心に残る。

そんな、からくり解っているのに、ほとんど、為しえない愛の世界を夢追うんだね。





ただ、互いが、信頼の上に、相手の生き方を尊重することができれば、からくりを超える「本当の愛」を手にすることは夢じゃないかも知れないね。

他人同士が、愛で結ばれる。一身一体の思いと、個人の尊厳(人格不可侵の原則)を敬う思いとが、均等に維持できれば、

変わらぬ永久の愛もあるだろうね。





恋人も、夫婦も他人からなっている。繫ぎとめるのは「愛」なんだろうけど、年月は、其れを霞(かすみ)のように薄れさせる。

自分の人格を認めてくれた他人さんなんだね。感謝と礼儀とその人を守る思いの愛は、自分の誇りに繋がって不変にあるべきもんだろうね。





しかしながら、愛は、理屈じゃないからね。本当は、約束のないのが、愛かも知れない。




















カメレオンの独り言-QK-137

2012年09月08日 | 日記








「ちょっと、お肌の曲がり角やね」 なんやねん、それ?

















「あかん」 壁を意識したら前が見えん。 「今日は、誠に残念ながら、ホンマにあかんわ」 

意味の無いこと書いて字数稼いで誤魔化すこともできん。






この入道雲みたいに噴き上げる勢いがないとあかんね。「気い狂うたんか?」 と思うような豪雨も降らしよるし、雷暴れまくりよるしね。

金槌のオレが、深い水ん中へ飛び込んだんと同じやね。全然、浮かんでこないよ。頭、空っぽ。
















カメレオンの独り言