ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

小暑の砌Ⅳ

2018-07-10 10:00:00 | Weblog
 画は 拙作にて

  デッサン「ユダヤ・プロトコル=みんなイルミナティ」です。

 15号カンバス 木炭


☆雨の予報。

二ヶ月おきの通院日ですので 予約投稿になります。


A・カミュか 学生時分に何冊か読みましたなぁ、

◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2018.07.08
死刑 について


オウム真理教の死刑囚たち7人が死刑執行された。

解説記事を読むと、改元や五輪の日程に合わせて
「このタイミングしかない」ということで執行されたと書いてあった。

死刑については、いくつものレベルの問題があり、
軽々に適否を論じることはできない。

「国家が人を殺す死刑という制度そのものの存否」
にかかわる原理的な問いがあり、

「死刑は犯罪の予防に有効なのか」という統計的な問いがあり、

「被害者遺族の怒りや悲しみはどうすれば癒されるのか」
という感情の問題があり、それらが入り組んでいる。

死刑の存否について、「どちらか」に与して、
断定的に語る人を 私はどうしても信用することができない。

死刑は人類の歴史が始まってからずっと

人間に取り憑いている「難問」だからである。

世の中には、答えを出して「一件落着」するよりも、

「これは答えることの難しい問いである」と

アンダーラインを引いて、ペンディングにしておくことの方が

人間社会にとって益することの多いことがある。

同意してくれる人が少ないが、

「答えを求めていつまでも居心地の悪い思いをしている」方が、

「答えを得てすっきりする」よりも、

知性的にも、感情的にも生産的であるような問いが 存在するのである。

そういう問いは「喉に刺さった小骨」のように、刺さったままにしておく。

そうしているうちに、いつのまにか「小骨」は溶けて、

喉を含む身体そのものの滋養となる(ことがある)。


あらゆる制度は人間が共同的に生きることを支援するために存在する。

私はそう考えている。 それ以外の説明を思いつかない。

もちろん司法制度もそうである。

その制度をどう運用すれば、

人間たちが共同的に生き延びてゆくために有効か。

それを思量するためには、ことの理非をためらいなく、

截然と決するタイプの知性よりも むしろ理非の決断に思い迷う、

「計量的な知性」、「ためらう知性」が 必要である。

「計量的知性」ということばを私が知ったのは

アルベール・カミュの書き物からである。

どうふるまうべきか決定し難い難問を前にしたときは、そのつど、

ゼロから根源的に吟味する知的な態度 のことを指して

カミュはこのことばを選んだ。

「この種のことについては、これまでずっとこう対応してきたから、

今回もそれを適用する。 細部の異同については考慮しない」

という原理主義的な態度に対抗する 

ものとして、このことばを選んだのだ。

原則に揺るぎがないのは、経験的には「善いこと」である。

そうでなければ日常生活は営めない。

あらゆる問題について、いちいち細部の異同を言い立てて、

そのつど判断を変える人とはいっしょに仕事をすることはできない。

「予測」ができないからである。

人間は「あの人はこれまでこういう時にはこうしてきたから、

今度もこうするだろう」という他者からの「期待の地平」の中で

行動するものである。 そうしないと共同作業はできない。

とりあえず私は社会生活上、できるだけ「期待の地平」の内側で

行動するようにしている。

けれども、死刑はふだん私たちがしている「仕事」とは水

準の違うことである。 もっと「重たい」ことである。

だから、人を死刑にすべきかどうかの判断には、

人間関係のもつれや ビジネス上のトラブルを解決する時 のような

効率や速度を求めるべき ではない。


カミュにとって、死刑は久しく「死刑に処せられる側」

から見た制度であった。

アルジェリアの経験豊かな法廷記者であった時代、

カミュは「死刑宣告を受ける側」の立場から

死刑という制度を観察してきた。

『異邦人』はその時の実体験を踏まえた

「死刑小説」である(実際の事件に取材している)。

人は「こんなことをしたら 死刑になるかもしれない」

という予測をしながらも 罪を犯すことがある、

なぜそんなことをするのか。

裁判官は殺人者をあるときは死刑に処し、あるときは有期刑で済ませるが、

その量刑の根拠は何なのか。

死刑を宣告された人間はそれにどう対応すべきなのか、

不当だと告発すべきなのか、「それが正義だ」と受け入れるべきなのか。

無数の問いが『異邦人』を構成している。

『異邦人』をガリマール書店から刊行したとき、

カミュ自身はレジスタンスの地下活動にコミットしていた。

それはゲシュタポに逮捕されれば高い確率で死刑に処せられる活動だった。

法廷記者としては「捕まって死刑にされる人たち」の横から

死刑を考察していたカミュは、このとき「捕まれば死刑にされる人」として、

それと同時に「ドイツ兵を殺すことを本務の一部とする

レジスタンスの活動家」として死刑とテロルについて考察していた。

その時、カミュが定式化した原則は

「自分が殺されることを覚悟している人間は 人を殺すことができる」

というものだった。

レジスタンスのテロ活動は ドイツ兵たちを殺していた。

政治的理由でそれを合理化することはできる。

けれども、レジスタンスの闘士たちは軍服を着てそうしていたわけではない。

私服で、市民生活のかたわらに サボタージュを行い、

ドイツ兵を殺していた のである。

その行動を合理化するためには、政治的理由のほかに、

個人的な、倫理的な理由づけが どうしても必要だった。

それが「殺される覚悟があれば、殺すことができる」という

「トレードオフの 倫理」 「相称性の 倫理」だったのである。


いわばこういうことだ。

私は自分の命をあらかじめ公的な境位に「供託」しておく。

「あなた」が私を捕らえたら、「あなた」には私の命を奪う倫理的権利がある。

それを認めた上で、私はあなたを殺す倫理的権利を 手元にとどめておく。

そういうロジックである。

その「相称性の倫理」を カミュはレジスタンスの活動の中で書き綴った

『ドイツの一友人への手紙』を通じて基礎づけようとしていた。

その時点でカミュはいくぶんか「すっきり」していた。

しかし、「解放後」はそうはゆかなくなった。

レジスタンスの勝利のあと、

今度は「対独 協力者」たちの処刑が始まったからである。

カミュは最初は 彼らの死刑に賛成した。

まさに彼らとの戦いの中で多くの仲間が殺されたのである。

死者たちの無念を思えば、「私には彼らを赦す 権利がない」と

カミュが書くのも当然である。

しかし、対独協力派の旗頭であったロベール・ブラジャッックの死刑

について 助命嘆願を求められたカミュは寝苦しい一夜を過ごしたあと、

嘆願書に署名することになる。

その理由についてカミュが書いていることは わかりやすい話ではない。

それはおそらくカミュがその「寝苦しい一夜」の間に

「死刑を待つブラジャックの側」に立って、

想像力を用いてしまったからだろうと 私は思う。

かつて法廷記者として死刑囚の思いを想像した時のように、

レジスタンスの活動家として自分自身の銃殺の場面を想像した時のように、

このときは「殺されるブラジャック」の思いを想像してしまったのである。

ナチス占領下のパリでは、ブラジャックはカミュたちを捕え、殺す側にいた。

「解放後」のパリではカミュには「ブラジャックに殺される」

可能性はゼロである。

相称性の倫理はここでは働かない。

カミュは「私は原理的な 非暴力主義者ではない」と書いている。

「ある場合には暴力は必要だし、私は必要な場合に

暴力をふるうことをためらわない。」

しかし、カミュはブラジャックの助命嘆願書に署名した。

権利上ブラジャックがカミュを殺すことが「できる」なら、

カミュはそれに 暴力をもって立ち向かうことを辞さない。

けれども、無抵抗の「罪人」を殺すことには 「ためらい」がある。

カミュはその「ためらい」を 最後の足がかりにして、

死刑に反対したのである。

論理的な根拠があったわけではない。

「そういう気分に ならない」から反対したのである。

私はこのカミュの判断を「人間的」なものだと思う。

私たちは生きている限り、さまざまな非道や邪悪さに出会う。

時には信じられないほどの残酷さや無慈悲に出会う。

それに相応の処罰が与えられるべきだと思うのは 人性の自然である。

けれども、その非道なものたちが捕えられ、死刑を宣告された時には、

そこに一抹の「ためらい」はあって然るべきだろうと思う。

人が正義を求めるのは、正義が行われた方が

「人間社会が 住み良いものになる」と信じるからである。

ことの適否の判断はつねに「それによって人間社会が

より住みやすいものになるかどうか」によってなされるべきだと

私は思っている。

オウム真理教の死刑囚たちは 非道で邪悪な行いをした。

そのことに議論の余地はない。

けれども、彼らの死刑執行にはつよい違和感を覚える。

「それで、ほんとうによかったのか」という

黒々とした疑念を 拭うことができない。

「制度がある限り、ルールに沿って制度は粛々と運用されるべき」だ

という形式的な議論に 私は説得されない。

それは「そもそもどうして この制度があるのか」

という根源的な問いのために知的リソースを割く気のない人間の

言い訳 に過ぎないからだ。

そんな言い訳からは何一つ 「よきもの」は生まれない。

世の中には効率よりも原則よりも、ずっと大切なものがある。

死刑の存否についても、今回の死刑の妥当性についても、

国民的な合意はない。

けれども、国民的合意を求める努力は必要だ。

努力すれば 国民的合意がいつか形成されると期待するほど

私はナイーブな人間ではない。

そうではなくて、「国民的合意がなくては 済まされない」

という切実な願いだけが、国民国家という冷たい制度に、

政治的擬制に「人間的な手触り」を吹き込むからだ。

そこでしか 人間は生きられない。

そこからしか 人間的なものは生まれない。



既報の 井上嘉浩 死刑囚(48)、

道新によれば、洗脳もすっかり醒め、

洗脳の実体を 世間に警告する活動 を始めていたとか。

再審を認めるべきだったな。



画像二枚目は、柚木 武士(ゆき たけし)



「戦艦 陸奥・長門」です。



髑髏顔の颱風、

◆https://indeep.jp/typhoon-maria-is-coming-soon-july-2018/
In Deep  2018年7月7日
荒れに荒れる気象の中、
 日本に スーパー台風
マリア」 がやって来る。
 また、あのドクロ顔 と共に



より抜粋、

☆https://www.express.co.uk/news/world/984920/japan-super-typhoon-
 maria-china-japan-korea-on-alert-storm-warning


今、日本は台風とは関係ない「通常の悪天候」の中で

大変な自然災害の渦中 にあります。

これを書いているのは、7月7日の午後ですが、

この時点で今後もさらに大雨は継続していく見込みの上に、

被害の状況もわかっていない場所も多いようです。

下の写真は岡山県倉敷市の 7月7日の午前の様子ですが、

このような状況となっている場所は他にも  SNS に多数投稿されていて、

どこがどのようになっているのか、今のところは完全にはわかっていない

というのが現実のようです。

https://indeep.jp/wp-content/uploads/2018/07/kurashiki-0707.jpg

そんな現状の中、日本方面に向かう予測の台風が発生しており、

これがいわゆる「スーパー台風」になる可能性が高いようなのです。

冒頭ではイギリスの報道をご紹介していますが、

日本では台風 8号という名称となり、

英語名では「マリア(Maria)」となります。

スーパー台風の定義は 日本では正確に定められてはいませんが、

海外でこの言葉が使われる場合は、

「アメリカ軍 合同台風警報センター」が定義している台風のレベルの中で

「最も強いもの」に相当する場合に使われます。

そういう意味では、厳密な比較ではないですが、

アメリカのハリケーンでいう「カテゴリー5」と

大体同じような形のものと 考えてもよろしいかと思います。

そのようなスーパー台風が、7月の初めにやってくるというあたりが、

今の時代を感じます。

ちなみに、昨年でいえば、10月23日に静岡県に上陸した台風 29号が

同じスーパー台風と定義されていました。

その被害等は「平成29年台風第21号 - Wikipedia 」などをご参照下さい。

今回の台風 8号は、現在予測されている進路を見ますと、

日本の領域では 沖縄が強く影響を受けそうですが、ただ、現在、

豪雨の被害を受けている日本列島の九州、四国、本州などには

影響は(今のところ)ないと考えられています。

この台風の米軍による 7月7日時点の予想進路は以下のようになっています。

7月7日のアメリカ軍「星条旗新聞」より

https://indeep.jp/wp-content/uploads/2018/07/maria-2018-0712.jpg


皆様方は、ハリケーン「マリア」をご記憶でしょうか。

昨年 9月に カリブ海諸国を壊滅的に破壊したハリケーンでした。

しかも、それは、このカリブ海諸国が、その直前に、

ハービーとイルマというふたつのハリケーンの被害を受けたばかりの時で、

実に「無慈悲」なハリケーンだったと言えます。

それについては以下の記事などで記したことがあります。

☆https://indeep.jp/hurricane-maria-with-skull-face-
 may-suggest-apocalypse-now/


なお、この台風 8号のマリアは、「アメリカによりつけられた名称」

であり「 13番目の台風」ということになっています。


☆どうして地球はこんなことになっているのかを少し大きな範疇で考える

今現在の日本の豪雨なども含めて、なぜ「地球全体」が

このような異常な気象となっているのかということについては、

きちんと書ける時があれば書いてみたいと思いますが、もちろん、

私は気象の素人ですので、気象に関しては、一般的な理論とは

違うものとなってしまう話であるのですが、結局は、


  何が 雲を作っているのか

ということと、

  何が 海水温度を支配しているのか

ということが大きなポイントなのだとも思います。


前者(雲)は一般的な科学認識では、宇宙線によるもの となっていて、

後者(海水温度)は不明ですが、個人的には、

海底からのメタンガスの噴出の量と、海底火山の活動

海水温度に大きな影響を与えていると思います。

しかし、いずれにしましても、どちらも宇宙からの作用が

とても大きいものである
ということについては、疑う部分がなく、

これは、下の先日の記事で、「地震と火山噴火」が「太陽活動と関係する」

というように述べられていたことと似たような感じだとも思います。


太陽系の中の地球という場所にいる私たちは、

その「太陽系の惑星としての影響」を他の惑星と同じように受けている、

というような認識が私にはあります。

もちろん、そこにさらに地球の環境の中での具体的な原因などが存在する

わけですけれど、小さな部分から大きな部分まで「すべてがつながっている」

というような考え方は それほど間違ってはいない気もします。

もちろん、そんなことを考えても災害の被害をなくせる

わけではないにしても、何も考えないよりは考えたほうが

将来への意義はあるのかなとも また思います。



画像三枚目は、高澤 圭一  昭和期の洋画家
大正3(1914)年 ~ 昭和59(1984)年   作



「戦争絵葉書」です。 (合成しました)




人、

◆http://my.shadowcity.jp/2018/07/post-13537.html#more
ネットゲリラ  (2018年7月 8日)
今だけ、金だけ、自分だけ


アベ政権を評して

「日本なんかどうなってもいい。 今だけ、金だけ、自分だけ」

と言ったのはノイホイなんだが、今回もそれが露呈した。

気象庁は雨の降り始めから、何十年に一度の 大水害の恐れと連呼していた。

6日の段階でそうだった。

おいらは7日に薪炒り番茶kkの菊川工場見に行ったんだが、裏が山で、

崖崩れ危険地帯に指定されているところなので、念の為です。


  ☆https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180708/k10011522501000.html
  NHK 2018年7月8日
  ◎政府 非常災害対策本部設置 熊本地震以来


アベシンゾーは7月6日、大災害のまっただ中で泥酔していた。
いつもの事だが。なので翌日7日には二日酔いが酷くて起きられず、
緊急で呼び出された会議でも赤い浮腫んだ顔をして、15分で逃げたw 

今日になってやっと対策本部を設置したんだが、
「緊急」の付かないヤツで、責任者が首相ではない。
あくまでもパリ観光は外せない、という事だw 

100人死んでもパリ観光w 
だってアッキエ様が新しいスーツ作っちゃったしw


  -----------------------
  酒盛りのほうが 日本人の命より大事
  と言うより
  日本人が苦しんてるのを肴に 酒飲んでたのか
  -----------------------
  宴会は大事だもんなw
  宴会終わったらいつもの散財
  海外観光旅行が控えてるもんなw
  今度は 何兆円ばらまく予定?
  -----------------------
  人間は文字情報より
  画像の情報にインパクトを受ける
  あの宴会画像で全部ぶち壊したマヌケですよ
  -----------------------
  安倍一派は 売国奴!!
  広域大規模災害発生中に
  泥酔しさらすような売国奴は 日本に必要ない!
  さっさと 出て行け!!
  -----------------------


既に一部では物資不足が始まっていて、スーパでは売り切れ続出、
マクドナルトではハンバーガーが品切れで、
客が食っているのはポテトだけ。

国民が飢えているというのに、おフランスに渡米w 
最低最悪の首相です


  -----------------------
  安倍、終わったな
  石破の票を取り崩そうと
  地方回って票固めしてたのも、これでおじゃん
  地方民の命はどうでもいいと思ってるのがバレバレ
  基本、この人、国民の痛みとか苦しみとか興味ない
  大企業の方しか見てないから
  国民の命を守る気のないなら、さっさと辞めて、
  毎日好きなだけ宴会してろ
  -----------------------
  広島は食糧が足りてないぞ
  200万人都市だぞ
  どうするんだ?
  餓死しろってか?
  -----------------------
  下級国民の死を肴に 酒盛りが止まらんやろなぁ
  -----------------------
  山梨県全域に雪降りまくって交通網麻痺したときも
  下痢三一派は天ぷら喰ってのほほんとしていた。
  セブンイレブンとイオンが 物資ヘリ飛ばすと思う。
  -----------------------
  雪見天ぷら
  酒盛り豪雨
  -----------------------


日本なんか どうなってもいい。

今だけ、金だけ、自分だけ
」のアベシンゾーです



コメント


*ナナシ | 2018年7月 8日 15:03 | 返信

  >今日になってやっと対策本部を設置したんだが、
  緊急の付かないヤツで、責任者が首相ではない
  あくまでもパリ観光は外せない、という事だw

  安定のアヘw
  やっぱこの人 サイコパスですわw



*もりへー | 2018年7月 8日 | 返信

  愛国心はならず者の最初の拠り所 @siokara58

  >赤坂 自民亭 の水害祝い宴会メンバー(抜粋)

  山口が地元 最高責任者  安倍晋三
  広島が地元 自民党政調会長 岸田文雄
  島根が地元 自民党総務会長 竹下亘
  現場で必死に働く自衛隊の最高責任者  小野寺五典
  翌日の死刑執行に判を押す法相 上川陽子
  災害が出番の復興相  吉野正芳

  すげーな自民党



いよいよ 末期症状だな。





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