ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

夜明けは早くⅤ

2010-03-11 11:38:12 | Weblog
 画は歌川広重(1797年)~(1858年)

 (安藤広重)号は一立齋(いちりゅうさい) 

          &

 歌川國貞(三代豊國)(1786年)~(1864年)

 号は、香蝶楼・一雄斎・五渡亭など  作


 「雙筆五十三次 大津」

 「あふ坂やま せきの清水」です。


* 『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』
関兵衛 せきべえ 実は大伴黒主 おおとものくろぬし

関兵衛は逢坂の関(おおさかのせき)を守る
関守(せきもり)ですが、
それは仮の姿で、実は天下を狙う大悪人の公家(くげ)、
大伴黒主(おおとものくろぬし)という設定。

大伴黒主のように、天下を乗っ取ろうとするスケールの大きな
敵役(かたきやく)を「国崩し(くにくずし)」といいます。


☆晴れ。

さて、「売国傀儡政権」であったればこそ、

◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-323a.html
植草一秀の『知られざる真実』
2010年3月10日 (水)
◎日米密約問題の核心は議会制民主主義の蹂躙   より抜粋、


すべての権力の源泉は国民にある。これが国民主権である。
国会議員も内閣総理大臣も主権者である国民の負託を受けた存在であり、
当然のことながら、
その政治行動は主権者である国民に対する責任を伴うものである。

自民党歴代政権は、これまでの長期にわたり、
主権者である国民を欺く行動を取り、国権の最高機関である国会において、
国民に対して虚偽の説明を繰り返してきたのだ。
民主主義の根本を踏みにじる行動が取り続けられてきたのである。

昨年8月30日の総選挙を通じて政権交代が実現した。
日本史上、初めて民衆の民衆による民衆のための政権が樹立された。
この政権交代の実現によって、
初めて日米密約の真実が明らかにされる日が来たのである。

国家政策の根幹にかかわる安全保障政策上の重大案件について、
国民を欺く行動が取られ、しかも、国会で虚偽の答弁が示され続けてきた
ことの意味はあまりにも重大である。このようなことがまかり通るのでは、
軍隊の文民統制の大原則も完全に有名無実になる。

国会において国民に説明することと、
政府が国民の知り得ぬ領域で実行する行動とがかけ離れたのでは、
国民主権の大原則も文民統制の大原則も有名無実になる。


密約の内容もさることながら、国会で虚偽が押し通され、
主権者である国民を欺く行動が放置され続けてきたことが重大である。
その責任が厳正に問われなければ、議会制民主主義は絵に描いた餅になる。
国会のおける適正な責任追及が強く求められる。



「国崩し(くにくずし)」の始めは「明治維新」なのではないのか?

◆http://electronic-journal.seesaa.net/
2010年03月11日
◎「『政治主導』の意味するものとは」(EJ第2771号)

<略>

明治期の大日本帝国憲法においては、
天皇と官僚は直接結びついており、
政治には憲法上大きな役割が与えられてこなかったのです。

天皇にすべての主権があって、天皇に直結する官僚が
国を動かすシステムだったのです。つまり、
これまで日本は官僚主導――官僚が国を動かしてきたのです。

現在の民主党は、小沢幹事長を中心に今までの慣例をすべて
打破し、政治主導に切り替えようとしているのです。
最初にやったのは、事務次官会議の廃止ですが、
事務次官というポストも廃止する構えです。つまり、
これは各省庁の司令塔を官僚から奪い取ることを意味します。

それから国会で、内閣法制局長官、外務省国際法局長が
参考人として答弁することができないようにしています。
ところで、内閣法制局長官の答弁を禁止することの意義は何でしょうか。
これは、政治家が、憲法の有権解釈を行うことができるようになった
ことを意味します。有権解釈とは、権限のある機関によって行われる
法の解釈のことをいいます。たとえば、集団的自衛権の行使
などの解釈については、今までは内閣法制局長官がやってきたのですが、
それを政治家ができるようになるのです。

<略>
                 ―――[小沢一郎論/47]


「陰謀論の大御所」といわれますが、切り口は鋭いものありでね、

一部の闇は切り裂いておると見ればよい、一部ね、

◆http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi033.html
◎日本人が知らない「人類支配者」の正体  
船井幸雄  太田 龍   ビジネス社 2007年10月刊

<略>

■西郷隆盛は明治天皇すり替え事件を知っていた

太田 
薩摩の西郷隆盛は日本の侍の典型ともいえる存在です。
たびたびフリーメーソンから誘われますが、西郷さんはそれを拒否します。
そこで、言うことを聞かないために西郷さんを処分するようなシナリオが
書かれて、実行されたのです。
西郷さんは孝明天皇弑逆事件の前後についても、フリーメーソンの謀略
であるということを知っていたのです。もちろん大室寅之祐のすり替えの真相も
知っていました。したがって西郷さんが政権を握ればそういう秘密が全部、
日本国民に開示されてしまいます。明治天皇と称する大室寅之祐についても、
西郷さんは全然、恐れ入っていません。明治天皇は西洋の帝国主義の傀儡
になってしまったわけですが、そういう天皇が邪魔をすれば切るだけだ、
という趣旨の詩を書いています。
だから西郷さんはなにも言わないで死んだけれど、沈黙して世を去った陰で
明らかになっていないそうした心情というものは日本人に伝わっていて、
それはいまでもつづいているのではないでしょうか。

船井 
そうした秘密が封印されているし、それを日本人が胸中で感じるのでしょうね。
だから、西郷さんは国民に人気があるのでしょうね。
これは私にもわかりますよ。私も、もっとも好きな人です。

太田 
西郷さんの出発点は島津斉彬(1809~58)に見出されたことにあります。
島津斉彬という藩主は偉大な人物であり、藩主になった途端に異母弟との間に、
確執・お家騒動が起こりました。前藩主・島津斉興の側室であるお由羅が生んだ
次男・高津久光(1871~87)を藩主にしようという強い執念を
お由羅は持っていて、斉彬が藩主になったとき、斉彬を呪い殺すという
秘密の呪術までさせたといいます。
島津斉彬は50歳前で病気のため急死してしまいます。それは日本にとって
致命的な損害というか損失でした。斉彬は西洋の勢力が日本に迫ってくる、
それをはっきり認識したうえで、対抗措置と政策を体系的に展開して、
薩摩に西洋式の産業とか軍事工場とかをつくって、日本の体制を立て直して、
公武合体政策を推進しようとしました。
薩摩は代々、朝廷との関係が深かったのです。朝廷と武家が一致して
強力に体制を立て直して、西洋の侵略に立ち向かわなければならないという
姿勢をとりました。その当時の藩主でこのようなことを実行できる人は
誰もいませんでした。
この偉大な島津斉彬に見出されて、西郷さんは側用人になったのです。
ところが、斉彬は病死してしまいます。これは日本にとって最大の損失
といわれています。島津斉彬の後、藩主になった島津久光はお話にならない
ボンクラで西郷さんは冷遇され、何度も島流しにされてしまいます。
内村鑑三は西郷隆盛を「代表的日本人」としていますが、まさしく
西郷さんは代表的日本人です。明治10年(1877年)に西南戦争
が起こったとき、西郷さんの4人の主要な部下のうち、
村田新八(1836~77)という人はヨーロッパでかなり長い間勉強して、
西洋のことを非常によく知っていました。村田新八は次代の日本の最高指導者
になるだろうと期待されていました。ところがその村田新八が西郷さんと一緒に
鹿児島に帰って西南戦争で戦死してしまうのです。
鹿児島に帰ってきたときは陸軍少将でした。

<略>

■ザビエルの布教以来、日本はイルミナティの最終破壊目標

太田 
私は、フランシスコ・ザビエル(1506~1552)が
1549年に日本に来て以降、一貫してユダヤ・イルミナティの
日本に対する戦争は継続していると考えています。
フランシスコ・ザビエルというのはイエズス会の創立メンバーの一人で、
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491~1556)につぐナンバー・ツー
です。ザビエルとロヨラが2人で相談して、ヨーロッパとアフリカと新大陸は
ロヨラが、インド以東アジアはザビエルが布教する
というふうに協定したのです。

日本人はザビエルという人物の正体というか重要性にまったく気づいていません。
ザビエルはインドからマラッカ経由で日本に来ました。
ザビエルの役割は単なるキリスト教の伝道師ということだけではありません。
彼はイルミナティの世界支配の将校、斥候というか
将軍くらいの役割を持って日本に来たのです。

日本に4年足らずいて、たちまち信者をつくっていったのですが、
そんなことが目的ではなく、日本の値踏みをするというか、
日本を徹底的に調べ尽くして、どのように処分するかという戦略を立てて、
彼らの根拠地を日本につくることにありました。
ザビエルは1年半かそこらでイエズス会の本部に報告書を出しています。
 
「日本はヨーロッパと対等か、もしかするとはるかに優れた水準の文明を
つくっている。しかもまったく付け込む隙のないような強力な軍隊を持って
いる、民族として団結している」という報告をしています。

だから彼らにとって、日本は危険な存在だと見抜いたのです。そこで、
日本人全部をキリスト教に改宗させ、精神的に彼らの奴隷にするか、
それができなければ殺すしかないという選択に迫られたわけです。
日本を最終的に奴隷にするか、キリスト教徒にするには、
南米とかアフリカでは部族を全部征服して、部族ごとキリスト教に改宗させる
ことを強要し、集団洗脳しました。
日本人は読書する能力もあり、そういうことはできなかったのです。

そこで、文章による教育、布教が必要だと認識しました。そのため、
宣教師は日本語を勉強して洋書のポルトガル語辞典をつくったりし、
早い時期からさまざまな日本語を翻訳したりしています。
このような文章による布教により、
日本人の精神を洗脳するという戦略を行使したわけです。

中国に対しては、日本よりはるかに大きな世界最大の国家ですから、
これをどのように処分するかについて、ザビエルは中国にしばらく滞在して
方針を立てて、報告書をローマ本部に送っています。
そのとき以降、彼らの日本に対する方針は一貫しています。つまり、

精神的に日本を日本人でないようにするための方針、アジアに対しては
武力による侵略を行使するという方針を立てます。最終的に、
米軍が日本を占領して原爆を投下して、恐怖に陥れるわけです。
アメリカや西洋の文化を押し付け、
日本の歴史を否定し、頭脳を変えてしまいました。

いまでもこの方針は続いています。精神的に心理的に、習慣・風俗・食べ物
などすべてにわたって日本的なものを全部変えてしまうわけです。
そして抵抗するものは排除します。そういうふうにして日本に対する
一貫した工作が行なわれているということを、
日本人は知らなければならないと思うのです。

<略>


「トンデモ論」だと言う人も多いが、完全に否定もできねば、

完全に肯定もできない状態ではないのかなぁ。

「DNA鑑定」が一番確実なんですけどね、できないでしょうな。

ネットではすでに真偽不明なれど「有名な話」になっておるわけで、

問題はそこなんですよ。

手前が不審に思うのは明治天皇の「御真影」です。

これは「写真」ではなく、キヨソーネが描いた「肖像画」なんだといわれておる。

なんで「絵」なのか?  これが面妖なり。

*http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/
no_frame/history/honbun/nanboku4-3.html  より抜粋ですが、

睦仁親王(京都明治天皇)は幼少の砌(みぎり)、裕福であったので
種痘を受けた。故に疱瘡(天然痘)には罹っておらず、
顔面に「あばた」は無かった。

明治天皇(大室寅之祐)は、家が貧しく野生児だったので、2歳の時、
痘瘡(天然痘)に罹った。その結果、口の周りに「あばた」が残った。
その為、明治天皇は自身の写真を撮られる事を好まず、わざわざ、
キヨソーネに描かせた「肖像画」を写真に撮らせて「御真影」とした。
又、「あばた」を隠す為に、髭(ひげ)を生やされた。

御参照を。


さて、

『精神的に心理的に、習慣・風俗・食べ物などすべてにわたって
日本的なものを全部変えてしまうわけです。
そして抵抗するものは排除します。
そういうふうにして日本に対する一貫した工作が行なわれている』

わけでね、現在もなほ進行中ですなぁ。