ぼちぼちやりま!

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。
事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
焦らず慌てず、静かに時の来るのを待つ。

「電王戦タッグマッチ」に思う

2013-08-31 18:57:17 | 文化
畠のゴーヤが強風で倒された午後、復活の作業は早々にあきらめて、ニコ生中継で「電王戦タッグマッチ」を観戦する。今春の電王戦でコンピュータと戦った5人の棋士が、それぞれのソフトと組んでトーナメント戦を競うものだ。

昨年のポナンザ戦で<初手6二玉>という奇手を放った米長が、コンピュータとの戦いについて、こんな風に述懐していた。・・・1秒間に1800万手読むということは、これは途方も無いこと。序盤は私は完璧に指したはずなのですけど、万里の長城を築きながら、そこから穴が開いて攻めこまれたという結果になりました。それは私が弱いからであります。親子みたいな関係で赤ん坊を抱いているうちはよかったのですが、だんだん親に反抗するようになってきてですね。もう息子のほうが強い、娘はうちを飛び出すとか、そういうふうな事態になったわけです。・・・
続けて米長は、コンピュータの進化と人間の切磋琢磨を願いながら、棋界がおかれている閉塞状況からの脱出と、棋界の飛躍的発展を祈念している。コンピュータが人間のよき<相棒>とならんことを志向した将棋電王戦は、米長の大いなる遺産なのだ。

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タッグマッチの感想戦で、ある棋士は「まだまだソフトと十分な付き合い方ができていない。ソフトに使われてしまったというのが実感です」と自嘲気味にいう。またある棋士は「ポナンザのいうことを無視して、自分の思う手を指したら勝てました」ともいう。どちらも本音だろう。コンピュータは、時に定石を覆す手や、プロ棋士が考えもしなかった新手を示す。常々限られた相手と戦っている棋士にとって、進化しつづけるソフトから受ける刺激は相当に強い。そこに切磋琢磨の必然性が生まれる。
コンピュータは、如何なる局面でも、計算される攻防両手の中からポイントの高い一手を選択する。決して流れに乗るのでもなく、相手のミスを期待するでもなく、沈着冷静に勝利に導く確率が最も高い一手を示す。
ソフトと組むタッグマッチ戦では、コンピュータは<頼もしい相棒>の役に徹し、最終的な次の一手は、棋士の判断で棋士が指した。米長が模索したコンピュータとの共存の姿が、そこにあった。

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棋界でのコンピュータと同じような<冷静で頼もしい相棒>が、今そこここで求められている。たとえばエジプト・シリアの対応から、消費税やTPP・憲法改正でもめる国会、沖縄や多くの原発ムラの対処、そして残された災害被災地・・・etc。
とりわけフクシマにそんな<頼もしい相棒>がついていれば、あんなに無責任で、その場しのぎな後始末は決して選択していなかった。<冷静な相棒>が指す次の一手は、人間目線・地球目線に沿ったシビアでごく当たり前の一手だったような気がする。