今日、学生時代の恩師の訃報に接する。70年安保のあのころ、あちこちで闘争の残り火がくすぶる焼け跡に立つどうしようもない新人学生を、小言ひとつ言わず、その屁理屈に叱りもせず、ただただ愛する建築学をとことんの情熱で披露された先生だった。大学生活に何の充足感も覚えなかったボクは、彼の学問に対する情熱だけを当てにして、彼のゼミを選んでいた。それが生涯の飯のタネになるなんて全く考えなかったことだった、つまり、相当いい加減な学生だった。
あれから50年、先生には何にもお返しすることなく過ごしてきた。先生の弟子にはあまたの著名人がいるけれど、ボクはおそらく末席の末席のその末席を汚す最低の教え子。ボクの人生そのものが、結構いい加減な生き方をしてきたので、ボクにとってはフツーの対応だったはずなんだけど、今頃になってジワッ、ジワッと何か後悔のような恥ずかしい泡が湧いてくる。もう20年以上お会いしてないけど、蝶ネクタイの雄姿はすぐに目に浮かぶ。ただただ不埒の弟子の身であることを恥じ入りながら、ご冥福をお祈りするのみ。
あれから50年、先生には何にもお返しすることなく過ごしてきた。先生の弟子にはあまたの著名人がいるけれど、ボクはおそらく末席の末席のその末席を汚す最低の教え子。ボクの人生そのものが、結構いい加減な生き方をしてきたので、ボクにとってはフツーの対応だったはずなんだけど、今頃になってジワッ、ジワッと何か後悔のような恥ずかしい泡が湧いてくる。もう20年以上お会いしてないけど、蝶ネクタイの雄姿はすぐに目に浮かぶ。ただただ不埒の弟子の身であることを恥じ入りながら、ご冥福をお祈りするのみ。