「美しい国」だの「戦後レジームからの脱却」だの「積極的平和主義」だのに加えて、「責任野党」とかいった一見素直なようでいながら、いかようにも解釈できる迷彩色を帯びた言葉が紙面を飾る日が多い今日この頃、ようやく過敏性大腸炎の薬が効きだしたのか、トイレにしゃがむ回数がヒトケタになってきた。
「偏執見」という言葉がある。仏教用語で、一つの考えに凝り固まってしまうと、視野が狭くなり行動が偏ってしまうということ。自分が正しいと思っている人ほど自分の姿は見えなくなり、どんどん偏った方向に行ってしまって視野狭窄から落とし穴に嵌ってしまう。二律背反するものほど、自己主張に固まらず、互いに尊重しあって共生していかなくてはならない、という教え。
ボーダーの島々の自国権を声高に主張するばかりがリーダーではあるまい。大局的に全体を見ながら、相手の主張を尊重する度量もまたリ-ダーには必要ではないか。いかようにも解釈できる言葉を弄ぶだけが政治ではない。偏執見の先には大きな落とし穴が待っている。
「偏執見」という言葉がある。仏教用語で、一つの考えに凝り固まってしまうと、視野が狭くなり行動が偏ってしまうということ。自分が正しいと思っている人ほど自分の姿は見えなくなり、どんどん偏った方向に行ってしまって視野狭窄から落とし穴に嵌ってしまう。二律背反するものほど、自己主張に固まらず、互いに尊重しあって共生していかなくてはならない、という教え。
ボーダーの島々の自国権を声高に主張するばかりがリーダーではあるまい。大局的に全体を見ながら、相手の主張を尊重する度量もまたリ-ダーには必要ではないか。いかようにも解釈できる言葉を弄ぶだけが政治ではない。偏執見の先には大きな落とし穴が待っている。