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リタイアーのよもやま話

読書

2013-10-25 20:59:40 | 読書

モームの語録にあった読書に関する内容
である。

 

69
読書は人を賢くはしない。ただ物知りにする
のみである。

70
ある日幸運が訪れた。レイン訳の『千一夜
物語』と出会ったのである。

まず挿絵に魅せられ、それから、魔術のことを
扱った物語から始めて、次第に他の物語にも移
っていった。

気に入った物語は繰り返し繰り返し読んだ。も
う他のことは頭にないほど夢中になった。


知らず知らずのうちに、世界で一番楽しい習慣
―読書癖を身につけたのである。

読書によって、この世のあらゆる苦悩からの避
難所を作っているのに気づかなかった。また、
読書によって空想の世界に生きてしまうために、
現実の日々の生活が不快な失望のもとになると
いうことも知らなかった。   

      (『人閥の絆』九章、1915年)

    

71
勉強のために読書する人がいるが、感心である。
娯楽のために読書する人がいるが、これは無邪
気である。だが、少なからぬ人は読書が癖だか
ら読む。これは感心でもないし、無邪気でもな
い。

私はこの嘆かわしい連中の一人である。しばら
くすると会話には飽きるしスポーツは疲れるし、
考え事をするのも、インテリの確実な慰めだと
言われているが、考える種が尽きる事が多い。

その時には、私はアヘン吸引者がパイプに飛び
つくように本に飛びつく。何もなければ、陸海
軍購買組合売店のカタログでも鉄道時刻表でも
よいのだ。

            (「書物袋」 1932年)

 


以上。

何の本だったかは、もう記憶にないが、
「読書は他人の思想の草刈り場である。」という
言葉を目にした時は、ショックを覚えた。

若いころは、マルクス主義にかぶれたものの、
あれから、長い年月を経て、若気の至りだったと
思い知らされるほど、時代の変遷は激しいものが
あったような気がする。

はたして、あのような熱狂する時代なんて、無く
ても良かったのではと、あのような興奮にあった
己に怒りさえわく。

わたしなどが、このようなことを言うと、それを
煽った不破哲三は、どのような思いで、人生を振
り返ったのだろう。

バビロンの捕囚となった民に、己のメンツが保て
なくなった「ヤハウェ」は、こともあろうに、
自らの国民に非があると言いがかりをつけ恫喝し、
バビロンに罰してもらった。なんて、自己保身の
ために、詭弁を弄したのだが、上田耕三郎は、ど
う自己弁護するのだろう。

時代に乗せられたのもシャクだが、それを煽った
者たちも辛いものがあるのかもしれない。

多くの人々の人生を結果として、弄んだことに
なるからだ。

「読書は他人の思想の草刈り場である。」

厳しい話だ。

 

モームは、

読書は人を賢くはしない。ただ物知りにする
のみである。

と言った。

私の若い頃、「人文主義」ということばに魅了
された記憶があるが、このようなモームの言葉
を知ると、人とつきあうより、本を読んでいた
時間が長いわたしは、大きな戸惑いを感じて
失った時間に滅入るばかりだ。

 

モームは、

読書によって、この世のあらゆる苦悩からの避
難所を作っているのに気づかなかった。また、
読書によって空想の世界に生きてしまうために、
現実の日々の生活が不快な失望のもとになると
いうことも知らなかった。   
と語ったが、これも耳の痛い話だ。

なおも残念なのは、モームに共感したものの、
わたしには、その方面の才能がなかったという
のを認めざるを得ないことだ。

量は質に転化するのだろうか?


 


始まるか北半球の寒冷化 世界の平均気温は、上昇停止している

2013-10-22 22:32:24 | 自然

ヤフーの記事である。

始まるか北半球の寒冷化 世界の平均気温は、
上昇停止している

産経新聞 10月20日(日)11時56分配信

 ■IPCCと異なる見解

 「地球は間違いなく寒冷化に転じると思いま
すよ」

 大気海洋地球物理学者の中村元隆さんは断言
する。海洋研究開発機構の主任研究員だ。

 早ければ数年後に、北半球が寒冷化に向かう変
化が起きる可能性が高いという。そうした予測を
含む研究論文を6月末に発表している。

 国連の「気候変動に関わる政府間パネル(IP
CC)」による最新版の将来予測とは、真反対の
見解だ。

 IPCCは今世紀末までに最大ケースで2・6
~4・8度の気温上昇を予測している。

 中村さんも二酸化炭素などによる温室効果を認
めているが、それを打ち消す気温の低下を見込ん
でいるのだ。

 北半球の寒冷化を予告することになった論文名
は「グリーンランド海の表面水温変化とそれに伴
う北半球の気候変容」。意外なことに、内容のポ
イントは1980年ごろからの温暖化への転換点
の解明なのだ。

 ■寒冷化危惧した70年代

 団塊の世代以上の人なら覚えているだろう。

 1940年代から70年代にかけて気候は、寒
冷化していたのだが、80年代以降、温暖化に転
じ現在に至っている。

 その転換は何によるものか。中村さんは、米海
洋大気庁や英国気象庁などの過去からの大量の観
測データを分析した。

 その結果、79年2月から3月にかけて、北極
に近いグリーンランド海の表面水温が一気に2度
も上昇し、周辺の大気の流れに影響が及んで、温
暖化への引き金が引かれていた事実に行き着いた。

 北大西洋では、海面水温が約70(±10)年
周期で、ほぼ35年ごとの上昇、下降を繰り返し、
北半球全体の気候に影響を及ぼす「大西洋数十年
規模振動」という現象が知られている。

 過去からの振動のデータは、ちょうど80年ご
ろから、約35年間続く温暖化の時期に入ること
を示しており、そこに79年の水温急上昇が加わ
ったのだ。

 1980年から数えて35年後は2015年に
あたるので、そのころグリーンランド海で水温変
化の可能性があるという。

 「この大西洋数十年規模振動は、大西洋熱塩循
環流という海水の流れと密接に関係しています」
と中村さんは説明する。

 北極の寒気で冷やされた低温・高塩分の海水は、
重くなって沈み込み、深層流となって北極海から
大西洋に南下する。そのスタート地点がグリーン
ランド海なのだ。

 この流れに連動し、暖かい熱帯域の海水が北大
西洋の表層を北上するので膨大な熱量が運ばれて、
気候に強く影響する。

 グリーンランド海は、地球の海水循環における
心臓のような存在だ。だから、その水温変化は大
きな意味を持っている。

 気候変動シミュレーションの高精度化には、数
理モデルに、グリーンランド海を舞台とする変化
のプロセスを正確に表現することが不可欠らしい。

 ■いま気温は高止まり中

 「現代は、世界中が地球温暖化を危惧していま
すが、1940年代からは気温が下がり、60~
70年代には、地球寒冷化が騒がれていました」

 中村さんの言う通り、当時は「氷河期へ向かう
地球」「飢えを呼ぶ気候」といった図書が多数出
版されている。

 「当時は既に二酸化炭素の排出が増えていまし
た」。だが、大西洋数十年規模振動が下降期だっ
たので、温室効果の影響は消し去られていたよう
だ。

 80年代からの温暖化は、振動の上昇期と二酸
化炭素の影響が合わさった結果のはずだが、IP
CCは原因を後者にのみ求める見方を強める一方
だ。

 地球温暖化問題は、排出量取引などの金融メカ
ニズムや南北問題とも関係し、国際政治交渉の課
題と化している。冷戦構造消失後の世界の緊張軸
という見方も可能だ。

 ところで、猛暑が続く日本では実感しにくいが、
世界の平均気温は、この10年ほど上昇が停止し
ている。

 中村さんによると、この高止まりは、大西洋数
十年規模振動が上昇期から下降期に転じるカーブ
の頂点だ。

 これから20年後の北半球は、どんな気候にな
っているのだろうか。太陽研究者の間では、百数
十年ぶりの太陽の磁場活動の低下が気温低下との
関連で注目されている。

 ここ数年、冬の寒さが戻ってきている。気象庁
の長期予報では今冬も寒くなるらしい。
(ながつじ しょうへい)

以上。

 

大変、興味深い話しである。

この記事を読むと、いろんな研究があるものだと
感心してしまう。 

それにしても、二酸化炭素温暖化説が執拗に繰替え
されているが、いったいその舞台裏はどうなってい
るのだろう。

破綻した時に、どういう言い訳が出てくるのか、興
味ぶかいものだ。

ところで、

1980年から数えて35年後は2015年に
あたるので、そのころグリーンランド海で水温変
化の可能性があるという。

ということだが、なぜ、そのようなサイクルが生
まれるのだろう。そこが、知りたいところだ。


中国複合企業:NYの有名高層ビルを710億円買収

2013-10-22 12:37:37 | 

ヤフーの記事である。

中国複合企業:NYの有名高層ビルを
710億円買収

中国の複合企業、復星国際は21日までに、
ニューヨークの有名オフィスビル「ワン・チ
ェース・マンハッタン・プラザ」を7億25
00万ドル(約710億円)で買収すると発
表した。米国内では中国企業による大型不動
産買収が相次ぎ、バブル期の日本企業をほう
ふつとさせる勢い。

 買収するビルは、名門銀行の旧チェース・
マンハッタン(現JPモルガン・チェース)
の元本部で60階建て。復星は「ニューヨー
クの歴史的な建築物」だと指摘し、再開発な
どで「新たな商圏も形成され、物件の価値も高
まる」と強調している。(共同)

以上。

記事のタイトルを見て、すぐに、懐かしいもの
感じた。

記事の中にもあるが、バブル期の日本のことを
思い出した。

最近、中国のバブルは、問題ないという記事が
なんかの雑誌にあったが、

北京CBD:月収は東京の5分の1、
でも不動産価格はほぼ同じ

というニュースがあったりして、なんもと、不穏
な感じがするのだが、どうだろう。

 


「かけがえのある存在」にさえもなれない存在

2013-10-18 20:19:24 | 読書

先日は、

ナマケモノに意義がある
池田清彦
角川ONEテーマ21

という本にあった

 「●あなたは「かけがえのない存在」
ではない」という箇所についての感想を書き込
んだ。

そして、

「誰もが「かけがえのない存在」ではなく、「か
けがえのある存在」を強いられる葛藤の中を生き
ていくのだろう。

なんて、書いたのだが、

今朝は、4時半頃目をさまし、アルコール度の
低いワインを飲みながら、ネットに接続してい
るうちに、とんでもないことに気付いた。

退職しているわたしたちは、「かけがえのある
存在」でさえもない存在であることに。

多くの者たちが、アイデンティティーの確認の
しようもないままに、街を彷徨している。

 

思えば、時代が下るについて、グローバル化が
進み、早期リストラがまかり通る時代になって
きた。

「かけがえのある存在」どころではない。多く
の者が「かけがえのある存在」にさえもなれな
くなりつつある。

なんとも、恐ろしい時代になったものだ。

なのに、自分さがし」なんて、見果てぬ夢を唆す
風潮は、途絶えていない。

なんという不条理であろう。


あなたは「かけがえのない存在」ではない

2013-10-05 22:13:56 | 読書

ナマケモノに意義がある
池田清彦
角川ONEテーマ21

という本にあった話しである。

 

●あなたは「かけがえのない存在」
ではない

 ストーカーという言葉が定着してから
けっこう時間が経つ。ちょっと未練を示
しただけでストーカーのラベルを貼られ
てしまう気の毒な人もいるかもしれない
が、犯罪レベルの行動に走るストーカー
は一向に減る気配がないようだ。

 ストーカー行為の挙げくに殺してしま
うという最悪の結末までいってしまうケ
ースも起きている。

それにしても別れた恋人に殺されるとか、
たいして付き合ってもいない人に殺され
てしまうなんて話は昔はあまり聞いたこ
とがなかった。

 なぜ、ここまで異常なストーカーが増
えているのだろうか。ストーカーに共通
して言えることは、恐らくみな自己愛か
強いという点だ。

 人はみな自分のことを「かけがえのな
い存在」だと思っているが、まったく知
らない他人からすればすべての人は「か
けがえのある存在」である。ところがス
トーカーは自分のことを、「かけがえのあ
る存在」であるなんて微塵も想像しない。

相手から自分のことを「かけがえのある人」
だと思われることに、どうしても納得でき
ないのである。

 それゆえにストーカーは、「私はあなた
にとっても、かけがえのない人です」と
主張して、それを相手が受け入れるまで
貫こうとするのである。

 そこまで自分のことを「かけがえのな
い存在」と思い込むのは、自分の存在を
相対化してとらえる機会の少ない環境に
育ったせいかもしれない。

 いまは少子化で一人っ子や兄弟の少な
い子どもが当たり前になった。昔は兄弟
がたくさんいたから、親から与えてもら
う愛情は独占できないし、食べ物にして
も競争してありつくという感覚が強かっ
た。そんな環境でもまれればおのずと自
分のことを相対化して見る視点が養われ
る。


 また最近の子どもたちは、小さい時か
ら習い事をしたりして、遊ぶ時間が少な
い。遊ぶにしても室内でおとなしくゲー
ムをしたりすることが多い。

 昔の子どもたちはガキ大将の下でよく
遊んだ。子どもにとって遊びは社会性を
養う上で格好のものなのだ。学校で集団
行動をさせられるのはあくまで粋がはめ
られ、先生にコントロールされたなかで
の関係性なので、社会性を身につける上
ではさほど役に立たないに
違いない。

 昔の外遊びの仲間は年齢構成も幅広く
外部からのコントロールもない自主的な
集団だったため、子どもは仲間とのコミ
ュニケーションを通して社会性を身につ
けていったのだろう。残念ながら、いま
の子は、そういった経験が少ないと思う。

 「かけがえのない私」を他人に主張す
る人は、もちろんストーカーだけにとど
まらない。

職場で、学校で、近隣で、「かけがえのな
い私」を声高にアピールする人は確実に
増えている。

 

 いわゆるクレーマーやモンスターペア
レンツといった連中もストーカーの別ヴ
ァージョンだと思われる。自分という「か
けがえのない存在」をぞんざいに扱うな
んて許さないというわけだ。

あの執拗さはあまりにも自分にとらわれ
すぎているゆえなのであろう。

 ストーカーもクレーマーもモンスター
ペアレンツも自分は正しいので相手を罵
倒して当然と思っている迷惑な存在なの
だが、その延長で考えれば、やたらにキ
レやすい人も彼らと共通するものを持っ
ていると言えるだろう。キレる人もまた
自己愛か強く、自分のことを「かけがえ
のない存在」と思い込んでいるタイプで
あることが多い。

 仮に、世の中がそんな「かけがえのな
い私」だらけになり、その人たちの言い
分を尊重したらどうなるのだろう。国家
や会社や学校といったものはことごとく
破綻してしまうに違いない。

 社会はどんなに能力のある人でも、ど
んなにユニークな人でも、その人の代わ
りはいくらでもいるという前提で成立し
ているからだ。

 ある組織のキーパーソンが亡くなって
その代わりがいないとなると、その組織
は潰れてしまうだろう。もっとも組織は
すべて[かけがえのある人]で成り立っ
ているのでそうはならない。

しかし、それは個々人の尊厳や命を大事に
しなくてもよいという話ではないのだ。

 あなたにとってあなた自身や家族が「か
けがえのない存在」であることと、社会全
体から見れば、すべての人は「かけがえの
ある存在」であることは別に矛盾する話で
はないのだ。そのことを理解していないと、
人はたやすくクレーマーに成り下がってし
まうのかもしれない。

 

以上。

 

この話しを聞くと、若干耳が痛い。

 

北野武が言っていたことに、

 

戦後民主主義だかなんだかで、人間はみな平
等ということになった。その平等は、あくま
でも法の下の平等であって、金持ちも貧乏人
も、同じ法律で裁かれて、同じ基本的人権を
与えられますよというだけの話だ。実際には、
その平等だってかなり怪しいものだが、とり
あえずタテマエとしては、そういうこと
になった。 

それで、勘違いしてしまった。人間はみな平
等だ。


法の前では平等であっても、人間そのものが
平等なわけはない。

 

というのがあったが、

戦後世代は、自由・平等が観念的に先行して、
この点については、混乱しているところがあ
るかもしれぬ。

もっとも、戦後が戦前への反動であった部分
もあると思うので、避けがたい偽善だったか
もしれない。

 

戦前の軍国主義に怯えるあまりの戦後教育の
陥穽かもしれぬ。


もしかすると、日本の経営における「お客様主
義」も、そのようなことを助長したかもしれぬ。


いずれにせよ、我々の内にも「小皇帝」を宿す
ようになったような気もする。

 

次の文章は、サマーセットモームの文章だ。

若者は自分を不幸だと思っている。様々な
もっともらしい理想を吹き込まれた挙句、
いざ現実に直面すると、決まって理想から
はほど遠いものであって、心は傷つくばか
りなのだ。

若者向きの推薦図書は上品なものが多いし、
年長者は過去をバラ色のもやを通して見る
ため、とかく話はきれいごとになる。こう
いう図書や話は現実の人生に備えるのに役
立たない。

これまで読んだ本も聞いた話も、すべて粉
飾されたものだったと、若者は自力で発見
しなければならない。

人生の十宇架に傑になっているとも言える
若者の体は、その発見の度ごとに釘を一本、
また一本と打ち込まれていくことになる。

以上。

 

人生の十宇架に傑になっているとも言える
若者の体は、その発見の度ごとに釘を一本、
また一本と打ち込まれていくことになる。

とあるが、誰もが「かけがえのない存在」で
はなく、「かけがえのある存在」を強いられ
る葛藤の中を生きていくのだろう。