モームの語録にあった読書に関する内容
である。
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読書は人を賢くはしない。ただ物知りにする
のみである。
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ある日幸運が訪れた。レイン訳の『千一夜
物語』と出会ったのである。
まず挿絵に魅せられ、それから、魔術のことを
扱った物語から始めて、次第に他の物語にも移
っていった。
気に入った物語は繰り返し繰り返し読んだ。も
う他のことは頭にないほど夢中になった。
知らず知らずのうちに、世界で一番楽しい習慣
―読書癖を身につけたのである。
読書によって、この世のあらゆる苦悩からの避
難所を作っているのに気づかなかった。また、
読書によって空想の世界に生きてしまうために、
現実の日々の生活が不快な失望のもとになると
いうことも知らなかった。
(『人閥の絆』九章、1915年)
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勉強のために読書する人がいるが、感心である。
娯楽のために読書する人がいるが、これは無邪
気である。だが、少なからぬ人は読書が癖だか
ら読む。これは感心でもないし、無邪気でもな
い。
私はこの嘆かわしい連中の一人である。しばら
くすると会話には飽きるしスポーツは疲れるし、
考え事をするのも、インテリの確実な慰めだと
言われているが、考える種が尽きる事が多い。
その時には、私はアヘン吸引者がパイプに飛び
つくように本に飛びつく。何もなければ、陸海
軍購買組合売店のカタログでも鉄道時刻表でも
よいのだ。
(「書物袋」 1932年)
以上。
何の本だったかは、もう記憶にないが、
「読書は他人の思想の草刈り場である。」という
言葉を目にした時は、ショックを覚えた。
若いころは、マルクス主義にかぶれたものの、
あれから、長い年月を経て、若気の至りだったと
思い知らされるほど、時代の変遷は激しいものが
あったような気がする。
はたして、あのような熱狂する時代なんて、無く
ても良かったのではと、あのような興奮にあった
己に怒りさえわく。
わたしなどが、このようなことを言うと、それを
煽った不破哲三は、どのような思いで、人生を振
り返ったのだろう。
バビロンの捕囚となった民に、己のメンツが保て
なくなった「ヤハウェ」は、こともあろうに、
自らの国民に非があると言いがかりをつけ恫喝し、
バビロンに罰してもらった。なんて、自己保身の
ために、詭弁を弄したのだが、上田耕三郎は、ど
う自己弁護するのだろう。
時代に乗せられたのもシャクだが、それを煽った
者たちも辛いものがあるのかもしれない。
多くの人々の人生を結果として、弄んだことに
なるからだ。
「読書は他人の思想の草刈り場である。」
厳しい話だ。
モームは、
読書は人を賢くはしない。ただ物知りにする
のみである。
と言った。
私の若い頃、「人文主義」ということばに魅了
された記憶があるが、このようなモームの言葉
を知ると、人とつきあうより、本を読んでいた
時間が長いわたしは、大きな戸惑いを感じて
失った時間に滅入るばかりだ。
モームは、
読書によって、この世のあらゆる苦悩からの避
難所を作っているのに気づかなかった。また、
読書によって空想の世界に生きてしまうために、
現実の日々の生活が不快な失望のもとになると
いうことも知らなかった。
と語ったが、これも耳の痛い話だ。
なおも残念なのは、モームに共感したものの、
わたしには、その方面の才能がなかったという
のを認めざるを得ないことだ。
量は質に転化するのだろうか?