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リタイアーのよもやま話

感動

2013-10-02 22:54:44 | 読書

感動というのは、肯定的なものとして、
捉えられてきた。

ところが、いくつかの本で、これまでの
既成概念をひっくり返すような、発言を
する人がいた。

 

ナマケモノに意義がある
池田清彦
角川ONEテーマ21

 

●すぐ感動する人は信用できない

 最近、テレビを見ていると、「感動しました」
というフレーズを耳にすることが多くなった気
がする。

 感動というのは一種のガス抜きのようなもの
で、感動を求めざるをえない人が増えていると
いう現象は、世の中がそれだけ息苦しくなって
いるせいかもしれない。感動の世界は辛い浮世
から一時身を隠せる避難所なのだ。

 だが、あんまり感動ばかりしている人を、私
は信用しない。若いときに感動している分には
いいが、40代、50代になってもしょっちゅう感
動しているのは心がふらふらしているというこ
とだ。中年にもなれば感心することはあっても
感動はしなくなるものだ。

 還暦近くになって感動して泣いている人なん
かを見ると、「この人、大丈夫かな?」とつい思
ってしまう。その歳で感動ばかりしているのは
さすがにちょっと気色が悪い。

 感動というのは一種の精神的カタルシスを得
る行為で、何かいい話を聞いたり見たりして一
瞬だけ感動しても、すぐ忘れてしまう。だから、
そこから何か新しいものが生まれるわけではな
い。継続につながらないのだ。

 東日本大震災の被災地で一生懸命やっている
ボランティアの姿をテレビで見て感動している
人に、「じゃあ、あんたやってみる?」と言って
もほとんどの人は同じことをしようとはしない。
感動というのはたいていそこで終わってしまう
のである。

 感動だけで仕事をしたり、感動だけで大学受
験をしたり、感動だけで結婚生活を営めるわけ
ではない。楽しいことは長続きするが感動は長
く続かない。

 中国や台湾や韓国に「泣き女」といって、葬
式のときにわいわい泣いて雰囲気を盛り上げる
ことを商売としている女性たちがいるが、あの
人たちは感情移入を本気でして思いっきり悲し
い気分になって涙を流している。でも葬式が終
わったらさっと泣くのをやめて帰っていく。泣
き終わったら悲しい気分などもう忘れてしまっ
ているのだろう。

 感動というのもこれと同じで、感情を一気に
爆発させて「ああ、さっぱり」となってしまう
から、普通はそこから何も始まらないのである。

 「感動」が行動に結びつくためには、感動の
後で決意することが必要だが、決意は感動では
なく、怒りや憎しみの後で生ずることのほうが
多い。

「感動した」というフレーズは一瞬何かがさっと
解決したかのような雰囲気を醸しだす。
日々、いたるところで生まれてくる小さな「感動
物語」は、感動している当人の束の間の幻想の世
界へと導いてくれる。だが、そこから新しい何か
が始まることは滅多にない。

以上。

 

裸の王様
ビートたけし
新潮新書

 

疑問その⑩ 感動は「ありかたい」のか

 「感動をありがとう」という物言いをする奴
が多いね。映画『たそがれ清兵衛』を見て、「あ
あ、当たるんだろうなあ」と思ったら案の定だ
った。相変わらず、皆、ああいうのが好きなん
だな。

 何だかやたらに感動をしたがる。その傾向は
年々強くなっていくばかりだ。

 ああいうのは、白黒ショーを見ながらオナニ
ーしているようなもんだと思うがね。

よその男女がやっているのを見て、「ああ凄い
なあ」つて言いながら、右手を動かしているだ
けなんだ。

 『プロジェクトX』の登場人物たちは、「や
った人」。で、観ているほうは「いいなあ」っ
てチンポ立てて、オナニーしている奴なんだ。

 極論すれば、あらゆるものはオナニーか本番
か、どちらかなんだ。

 もちろん、セックスはともかく、別に誰もが
ステージに上がれるわけではないよ。希望者全
員が日本シリーズに出たり、ワールドカップに
出ていたら大変だ。

 ただ、最初から他人の活躍の感動狙いで、そ
れがオナニーだって気づいていないのが多すぎ
ると思うよ。とにかく[感動]することが目的
だというオナニー。自分はとこででも本番をす
る気がない。

 同じスピード感にしても、ジェットーコース
ターとセスナ椴の操縦と、戦闘機の操縦とは違
うんだけどね。でも、頭のなかでは疑似体験、
ヴァーチャルが本物だと錯覚して喜んでいる。

 ヴァーチャルなんて言うと、今風に聞こえる
けれど、要はタダ乗り。感動のタダ乗りって考
えれば分かりやすい。

「ベッカムかっこいい」「中田凄い」で、感動して
「ありがとう」。タダで楽して感勤してるんじゃ
ない。いくらか払え。

 こんな風潮だから、選手の方まで勘違いして、
「感動を与えるようなプレイをしたい」とか言
い出す。長嶋さんみたいな、よほどの天才じゃ
ない限り、そんな余裕ないだろう。

まず勝つことを考えろよ。

 それでもプロならまだ分かる。高校野球の選
手や監督までもが「感動を与えられるような試
合をしたい」と言っていたのには驚いたね。な
んて坊主頭の高校生から。与えられなきゃいけ
ないのか。アマチュアなんだから勝つことに専
念しろよ。それとも負けたら、甲子園で腹切
りでもやって、感動を呼び起こすとか演出があ
るのかね。

 ほとんどバカにされているような話なのに、
「感動」を口を開けて待っている奴は、それに
も気づかない。いつも誰か他人が何かすること
にだけ期待しているんだ。何でもいいからどこ
かで本番することを考えた方がいい。

 テレビのグルメ番組とか温泉番組見ているの
も同じ。普通怒るぜ。だって、タレントがただ
メシ食って、「いゃあおいしい。最高です」と言
っているのを見ているだけなん

だから。下手すりや自分は、カップラーメン
食いながら見てるんだ。それで、「ああ、うま
いんだろうなあ」って感心してるんだからで
馬鹿としか言いようがない。     

 温泉にタレントが入ってるのを見ても、「あ
あ、気持ちいいんだろうなあ」つて普通に疑似
体験をしてしまっている。他人が他人の金で
豪遊しているのを見て、何が面白いんだ。
「どうしてお前が遊んでいるのを見せつけ
られなくちゃいけないんだ」って怒らな
い方が不思議なくらいだ。

 『プロジェクトX』で感動している人とい
うのは、ほとんど初めから泣くためだけに見
ているんだろう。中島みゆきの歌が聴こえて
きただけで、涙ぐむ人もいるそうだ。パブロ
フの犬だね。黒部ダム秘話で泣いている一方
で、ニュースを見ながら「長野県にダムを作
るのはけしからん」なんて言いかねない。目
的は知識を仕入れることとか、考えることで
はないから、矛盾していても構わない。

 何としてでも感動してやろうというのが相
手だから、あんなふうに「感動的」なテーマ
ソングと演出を使えば、偏すのなんて簡単だ
よ。テーマなんて何でもいい。金正日が主役
でも、「感動的ドキュメンタリー」は作れる。

朝鮮中央テレビに作って送れば高く売れるだ
ろうな。

 『プロジェクトX』の手法で、「たけしと軍
団は誇りのために講談社に突っ込んでいった
……」なんてやってみてくれないかね。多分、
それでも泣く人は泣いて、「ありがとう」と
言ってくれると思うよ。

以上。

 

人生を逆転する名言集 [単行本]

福本伸行
竹書房

他人の感動に満足するな!

状況

日本中が湧いた2002 FIFAワールドカップ。

建設会社で働く黒沢は、同僚たちとテレビ
観戦しながらビールを飲み、声を張り上げ、
熱狂的な歓声を上げて大騒ぎをしていた。

日本代表選手の活躍に一喜一憂し、涙まで
流しながら熱い声援を送っていた黒沢だっ
たが、その一方で胸の奥がどんどん冷えて
いくのを感じていた。

「他人事じやないか。他人の祭りだ?」。

そして、日本がトルコに0対1で敗れて日本
のワールドカップ敗退が決定した日、黒沢は
唐突にわかってしまう。

「あんなものに……感動などないのだ??!」と。

 
スポーツ、映画、テレビ、マンガ、小説etc
.……あらゆるものが。

〝感動〟を売りにする昨今。

世間にはいたるところに感動があふれている。

応援しているチームの逆転勝利に泣き、映画
のヒロインの不治の病に泣き、バラエティ番
組の離れ離れになっていた親子の再会に泣き、
恋愛小説の恋人たちの不遇の愛に泣く。

もちろん、こうした感動は人生の潤いにはな
るだろうし、中には真に心を揺り動かされて
人生に影響を与えることもあるだろう。

しかし、「夢と感動をありがとう!」なんて
言ってるだけのうちは、ただの傍観者でしか
ない。他人の感動はしょせん自分の感動では
ないのだ。

自分は汗の一滴もかかず、傍観しているだけ
で手に入れたものが、本物の感動のはずがな
い。

本物の感動は自分自身行動の中にしかないか
らだ。

世間にはびこる安易な感動で気持ち良くなっ
て満足しないように心がけたいものだが、自
分自身の行動で感動を手に入れるためには、
それ相応の苫労を伴うのも事実。

だからこそ、苦労して手に入れた自分自身の
感動は格別な味がするはずだ。


以上。

 

感動について、3名の著者が、厳しいことを
語っている。

なかでも、ビートたけしは、ちょっと卑猥
で、紹介するのは、憚れるが、芸能人の彼
が、自己否定をするような発言には、驚い
てしまう。

この考え方を踏襲すると、クラシック音楽
や著名な名画について、どう評価していい
のか分からなくなる。

バッハ、ベートーベン、ルノワール、ゴッ
ホ等の存在は、どう評価されるのだろう。
そして、彼自身の映画を含む数多くの
作品は。


それにしても、情報化社会になって、実体験
を伴わず、なんでも分かった気になってしま
っているこの時代の流れについては、反省す
るものがあるのではないか。

心地よい他人の人生の傍観者でいては、自分
の真の人生は展開できない。

本では、こう言っている。

世間にはびこる安易な感動で気持ち良くなっ
て満足しないように心がけたいものだが、自
分自身の行動で感動を手に入れるためには、
それ相応の苫労を伴うのも事実。

だからこそ、苦労して手に入れた自分自身の
感動は格別な味がするはずだ。

である。

誰かの受け売りの感動ではなく、自分の体験
を通して、オリジナルの感動を語らなければ。

 

 

わたしの大好きな曲の一つ、

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「間奏曲」(マスカーニ)

である。

この曲は、20代の初めに、聴いて気に入った曲である。
楽譜が欲しくて、上野の図書館で書き写した思いでがある。

現役時代、マスクプレーの曲の作曲・編曲をしていたが、
リーダーが突然、、演目を変えたために、作業が間に
合わず、この曲を挿入曲として、利用したことがある。

本来は、自分のオリジナルの曲にしたかったが、練習
開始、一週間前では、どうにもならなっかった。

しかし、選曲としては、ベストなものであった。

主人公が人生に行き詰まり、悩み込む場面から、
悩みを解決して、新しい人生へと踏み出していく
シーンのBGMとして、使った。

懐かしい、懐かしい曲である。

わたしが、53歳くらいの頃の話だ。

遠い話になって、しまった。

時折、後ろを振り向くと、遥か彼方の暗闇で、
さん然と光り輝いてやまない一曲、愛おしく
も、懐かしく響きわたる。

 


朴大統領が米国防長官に日本批判「謝罪どころかずっと侮辱」=韓国

2013-10-02 06:42:12 | 

ヤフーの記事である。

朴大統領が米国防長官に日本批判「謝罪
どころかずっと侮辱」=韓国

 韓国の朴槿恵大統領は大統領府で30日、
米韓年次安保協議会に出席するために訪韓
しているヘーゲル米国防長官と会見を行っ
た。その席上で歴史問題などに関して「日
本の指導部は謝罪どころかずっと侮辱し続
けている」と日本側の対応を批判した。
(サーチナ)【記事詳細】

 

以上。

あまりにも、執拗で、ヒステリックな様は
病的にも見えて、うんざりする。

東南アジアの国は、西洋の植民地で収奪さ
れてきたが、恨みがましいことをニュース
で聞いたことはない。

ところで、最近、次のような興味深い記事
がヤフーにあった。

ベトナム訪問の朴大統領 過去の
戦争の
歴史で謝罪せず

2013.9.10 21:22 (1/2ページ)韓国

 【ソウル=黒田勝弘】ベトナム訪問中の
朴槿恵(パク・クネ)大統領が過去の戦争
の歴史について謝罪発言などまったくせず、
ベトナム側も何ら要求していないことが韓
国で話題になっている。10日付の新聞論
調では、韓国が日本に対してしきりに「歴
史直視」を要求していることと矛盾するで
はないかとの皮肉も出ている
(ハンギョレ新聞社説)。

 韓国は1960~70年代のベトナム戦
争で米軍支援のため延べ30万人以上の部
隊を派兵し、部分的に“住民虐殺事件”も
あったとされる。ベトナム統一後、両国は
92年に国交を結んだが、ベトナムは韓国
に対し謝罪や反省、補償など一切求めなか
った。

 しかし2001年、金大中(キム・デジ
ュン)大統領がベトナム訪問の際、「不本意
ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを
申し訳なく思う」と“謝罪”した。これに
対し当時、野党だった朴槿恵ハンナラ党副
総裁は「金大統領の歴史認識を憂慮せざる
を得ない。参戦勇士の名誉を傷つけるもの
だ」と批判した経緯がある。

 ベトナム派兵は父・朴正煕(チョンヒ)
大統領(当時)の決断で行われたものだが、
朴槿恵大統領は今回の訪問に際しベトナム
の国父ホー・チ・ミンの廟(びょう)参拝、
献花の時を含め戦争の歴史にはまったく触
れず、もっぱら経済協力問題に終始した

 中央日報は1面トップ記事で「父の時代
の歴史に対する和解」とし「過去について
の両国の成熟した立場と、間違った歴史認
識にとらわれている日本を比較することに
なる」「日本への圧迫の意味もある」と奇妙
な解釈を加えている。

 朴槿恵大統領が謝罪をしなかった背景に
は、ベトナム戦争を米韓による侵略戦争と
するベトナム側と「自由を守るための戦争」
とする自らとの間に歴史認識の違いがある
からだ。

 にもかかわらずベトナムが韓国に歴史認識
の一致や謝罪、反省を求めず未来志向の協力
関係を重視する“成熟”した態度は、日本で
はなくむしろ韓国の対日姿勢に対する教訓で
あり“圧迫”になるものだろう。

 一方、韓国マスコミはベトナムが60年以
上も植民地支配したフランスに対して謝罪や
反省、補償など一切求めていないことにはま
ったく触れていない。

以上。

 

このような興味深い記事である。

果たして、韓国は、朴大統領は、自らの過去
について、どういう見解をもっているのだろ
う。

朴大統領が米国防長官に日本批判「謝罪
どころかずっと侮辱」=韓国

ということだが、ベトナムに行って、過去の
ことは語らず、自国の経済が思わしくない状
況にあって、経済の話しだけに終始する「物
乞い外交」するにあたっては、それこそ、逆
説的にベトナムに対して「謝罪どころかずっ
と侮辱」していることになるが、韓国、そし
て朴大統領、気付いているのだろうか。

この、「さもしい」様を、なんとも感じない
のだろうか。

親の七光で、大統領になったものの、今度は、
父親の亡霊と抗ってばかり。

韓国と日本やベトナムとの過去の歴史に、引
き裂かれてさぞかし、大統領の席は、針の筵
のようで、辛かろう。