消費期限終了

リタイアーのよもやま話

説得の力

2011-03-04 10:10:20 | 社会

SHARE(シェア)

〈共有〉からビジネスを生み出す新戦略

レイチェル・ボッツマン
ルー・ロジャース

小林引人=監修・解説
関美和=訳

NHK出版


にあった話で、思うものがあった。


以下、その抜粋。

 

説得の力


バーネイズは心理学を理解した上で、効果的なPRマーケ
ティング戦略を構築した。

「集団心理のメカニズムと原動力を理解していれば、大衆に
知られることなく彼らを意のままに統制管理することも不可
能ではない」と、バーネイズは記している。

気持ちよく、力強く、セクシーになりたいという欲望にうまく
訴求できれば、どんなものでも売ることができる。

彼はこのコンセプトを鼻高々に「同意エンジニアリング]と
呼んだ。

私たちはこれを「説得の力」と言う。

バーネイズは、消費者に今の自分だけでなく、なりたい自分を
想像させることで、石鹸やシルク、ベーコンからウオール街の
株式まで、必要なものではなく欲しいものを買わせた。

まだ満たされぬ欲望にはきりがないからこそ、この力が有効な
ことをバーネイズは知っていた。

消費者の欲望に訴えるテクニックとして彼が好んで使ったのが、
間接的に第三者に推奨してもらうやり方だ。

「リーダーを動かすことができれば、彼らに協力の意思があろう
となかろうと、その追従者たちも自動的に動く」こうしたテクニ
ックを使って、彼は人々の購買パターンを変えただけではない。

長年続いてきた社会習慣をも変えたのだ。

1920年代の半ば、喫煙の習慣は普及していたが、女性が
公の場でタバコを吸うことはタブーと考えられていた。

アメリカン・タバコ社は、バーネイズを雇い、この社会規範を
変えようとした。

彼は、女性たちの真の望みはタバコそのものではなく、男性と
同じことを求める自由だと気づく。

自分の秘書、バーサ・ハントも駆り出して、彼は、魅力的な若い
女性たちをニューヨークのイースターパレードに参加させる。

バーネイズの合図で、女性たちはいっせいにラッキーストライク
に火をつける。

ハントが出したプレス・リリースは、この行進を男女平等のため
の「自由の灯火」と表現した。

PRのプロであるバーネイズは、世界中のマスコミがこのイベント
に注目すると考えた。

女性の喫煙に反対する者はみな、自由と平等への反逆者とみなされ
るだろう。

これで女性の喫煙というタブーが完全に払しょくされたわけで
はなかったが、喫煙女性の数は爆発的に増加した(アメリカン・
タバコ社の売り上げも1928年だけで3200万ドル増加した。

バーネイズは回顧録にこう記している。「派手なアピールをマス
コミが報道すれば、長年の慣習も崩れうることを学んだのは、
この日だった」

 

ふつうの人が一日に平均3000件の広告を目にすることを考え
れば、私たちが目新しいものに惹かれ、より多くを欲しがるのも
無理はない。

バーネイズのような影響力のある人々は、消費者の〝ウォンツ〟を
〝ニーズ〟に転換し、さらに日常の習慣に変えるシステムをつくり、
それを強化する、より大きな力の一部なのだ。


以上。

 

バーネイズは、おじのジークムント・フロイトの出版前の
「精神分析入門」の原稿を読み、自分が思いついた「感情の
訴求力」に科学的根拠があることを確信したようだ。

わたしたちが、物を買わされ続けていることに、あのフロイト
の影響があったとは、びっくりである。

 

先程の引用資料の中に、こういうのがあった。

 

「集団心理のメカニズムと原動力を理解していれば、大衆に
知られることなく彼らを意のままに統制管理することも不可
能ではない」


気持ちよく、力強く、セクシーになりたいという欲望にうまく
訴求できれば、どんなものでも売ることができる。


消費者に今の自分だけでなく、なりたい自分を想像させることで、
石鹸やシルク、ベーコンからウオール街の株式まで、
必要なものではなく欲しいものを買わせた。

まだ満たされぬ欲望にはきりがないからこそ、この力が有効な
ことをバーネイズは知っていた。


「リーダーを動かすことができれば、彼らに協力の意思があろう
となかろうと、その追従者たちも自動的に動く」こうしたテクニ
ックを使って、彼は人々の購買パターンを変えただけではない。

長年続いてきた社会習慣をも変えたのだ。

 

「PRのプロであるバーネイズは、世界中のマスコミがこの
イベントに注目すると考えた。

女性の喫煙に反対する者はみな、自由と平等への反逆者と
みなされるだろう。」と、語っている。


この提唱された考えの対象がわたしたちであるということ
であり、愕然としてしまう。


わたしたちは、自分でも意識していないのに、常に
何らかの欲望を誰かに、植え付けられ駆り立てられ
ているのだ。

そういう意味では、わたしたちの自由意志なんて、
もしかして、どこにも存在しないのではという
恐怖感に襲われる。

つまり、わたしたちの人生そのものが、誰かに騙されて
きたものであり、全くの虚構であるかも知れないという
不安である。

恐ろしいことである。

これこそ、魂を悪魔に売り渡した所業かも知れない。

このような人間の価値規範にまで、踏み込むような強引な、
ある意味で、人の心を弄ぶような手口で、物をうりつけよう
とすることを、遠い1928年以前に、考えついていたとは。


ある意味で、ヒットラーと変わらないではないか。

 

ヒットラーは、このようなことを語っているようで
ある。

 


偉大な理論家が、偉大な指導者であることは稀である。
むしろ煽動者のほうが指導者に向いているだろう。
 


最良のものが支配している場合には、
大衆はこれに従い、
最悪のものが支配している場合にも、
大衆は控えめに言っても、何の抵抗もしない。
この中間の大衆は決して自ら闘わないからである。

 
      
権威を形作る第一の基礎は、常に人気である。
けれどもこの基礎のみに基づく権威は弱々しくて、
頼りなく、不安定である。
それゆえ人気だけに頼っている権威者は、
権力を形成することによって、基礎を固め...


 
この地上の大事業は、どれも一般に幾百万の人間の中に
すでにずっと長く存在していた希望、多くの者の中に
静かに抱かれていた憧憬を実現することにあるのだ。

 

演説家は反対者を転向させようと格闘するうちに、
次第に宣伝の心理的な機微について鋭い感覚を得るが、
文章を書くだけの人々はほとんど例外なくこの点に
おいて欠けている。


 ある一つの同じ劇を同じ配役で、
午後三時と晩の八時に観たならば、
その効果と印象の違いに驚くことになるだろう。
時間自体が一定の影響を及ぼしているのだ。


宣伝を賢明に、継続して使用すれば、
国民に天国を地獄と思わせることもできるし、
逆に、きわめてみじめな生活を極楽と思わせる
こともできる。


宣伝は短く制限し、たえず繰り返すべきである。


宣伝技術とはまさしく、大衆の感情的観念界を把握して
ふさわしい形式でその注意をひき、さらに心の中にはいり
込むことにある。


等、である。
 

それにしても、今日では、テレビ・新聞、ラジオ、インター
ネット等を通して、わたしたちは、毎日愚弄されていると
はね。

とは言うものの、残念なことに、今日、ほとんどの人間が
労働者である。

自分の作った商品を売りさばかなければ、生きていけ
ない存在だ。

そして、わたしたちは、誰もが消費者でもある。

わたしたちは、お互い、壮絶にたぶかしあう日々の中に、
身を置いていることとなる。

ある意味で、自分自身を騙して続けて、生きていく存在
まで、堕落している。

なんと言う地獄に生きているのだろう。

今日の社会が、阿鼻叫喚の様相を呈しているのも、さも
ありなんということかも知れない

わたしたちは、「ソドム」と「ゴモラ」の町の住人のようだ。

 


最新の画像もっと見る